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竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~  作者: スサノオ
弐ノ巻 ビヅガ村騒動
18/25

第十六章 代償


 

 眩い閃光と共に騎士団が消え失せ、あとに残る大量の矢が地面に突き刺さった焦土の中心で、千火はフッと息を吐いた。


「……あんな魔術もあるのだな。どうやって退くのかと思ってはいたが、なるほど。あれならば即刻退くことが出来るな。……随分と便利な魔術があるものだ」


 いつかは私も体得したいものだ。

 と,ひとしきり先の魔術についての感想を述べながら、千火は助け出した少女へと向き直る。……さっきからリヴァイアが言葉を投げかけて来ないのが気になるところではあるが、この少女が嫌竜派の人間である可能性がある以上、正体をバラさぬように押し黙っているのだと思うことにする。

 千火にとってはまさに異色とも言える、青銀色の艶やかな輝きを放つ髪が生える顔は、まだあどけなさが残るものの整った顔立ちをしており、大人になったら女神にでも愛されそうな美人になるだろう事が容易に想像出来た。顔を印象づける眼は、山間を流れる清流を思い出す綺麗な水色をしており、人柄の良さを伺わせる穏やかな輝きを放っている。戦いを一切好まなさそうな可愛らしい瞳は、死にかけたとは言えども本当に魔術合戦をしていたのかと疑いたくなって仕方がなくなる。……疑問と警戒の色が出ていなければ、であるが。

 そんな眼をより一層際正せる、千火に勝るとも劣らない雪のように白い肌は、しかしところどころ膿んで赤く腫れ上がってしまっている。泥があちらこちらに着いている所為も相まって、その姿は痛々しいの一言に尽きる。

 本来その肌を覆い尽くす筈の、千火にとって見たことのない白い服もボロボロで、乞食や戦によって両親を失った子供、あるいは何かしら罪を犯して逃げ惑う罪人のようにひどい格好であった。いや、事実あの騎士達から言わせればこの少女は大罪人なのだ


「……っ!!」


 向き直っただけ。ただそれだけだというのに、少女はその小さな身体を強ばらせる。まるで母親が居ない状況下で敵に出会い、心細いさと恐怖で縮こまる雛鳥のように。


「大丈夫だ。私はお前に別段何か危害を加えるつもりはない。そもそも、そのつもりならお前があの騎士とやらに襲われている所を、わざわざ助け出そうとはしないだろう?」


 警戒を解かせるように優しく言葉を掛けながら、『迦桜羅(かるら)』が地面に着かないよう持ち替えつつしゃがみ、少女と視線を合わせる。

 高い身長差が恐怖心を生み出す。それは、幼き頃より宗一と散々打ち合ってきた千火には、よく分かっていた。たとえ助けた相手であっても、殺される恐れのない身内であったとしても、同じ身長と長大な差があるのとでは威圧の度合いも大きく異なる。戦場においてそれはかなりの利点ではあるが、自分よりも小さな相手を助けた時にはこうして脅かしてしまう。

 もう少し小さければな、と贅沢な悩みを胸に抱えながらも、少女の応答を待つ。


「…………ご、ごめんなさい。別にそう言うつもりは……」

「大丈夫だ、こういう事には慣れてる。それに、いきなりお前に味方する人間が現れても、戸惑うのは当然だろう?お前の反応も予測は出来ていたし、謝る必要はないぞ。……あぁ、それと。私に敬語は不要だ。堅苦しいのはあまり好きではないのでな」


 視線を合わせた時点で千火の行動の意味に気がついた少女の謝罪を受けつつ、先に敬語を使うなと釘を刺しておく。


「あ、そうなの?分かったわ。助けてくれて、ありがとう」

「……あれぐらいやすい事よ。しかし、随分順応早いな。……あ~、そう言えば名前、なんて言うのだ?」

「あっ、ごめんなさい。自己紹介がま……ぁれ……?」


 自分の名前を名乗ろうとした少女は、突然全身の力が抜けたかのように後ろへと倒れ込もうとする。


「お、おい!大丈夫かっ!?」


 『迦桜羅(かるら)』が地面に落ちることも気にせず、千火は慌てて少女の身体を抱き止める。


「っ!?」


 思わず息を呑む。

 確かに少女はあれだけ派手な魔術合戦をしたのだ。疲労で限界を迎えて意識を保てたなくなった可能性も否めなくはないが……恐ろしいまでに冷たかったのだ。山奥の小さな村に住んでいた事もあり、何時間も猛吹雪に晒されて凍死した人間を、狩りの最中に見つける事は度々あった。今の少女の冷たさは、まさにそんな尋常ならざる、なぜ今まで生きていたのか不思議に思うほどの、冷たさであった。

 冷たさだけではない。ついさっきまで健康的な美しい輝きを放っていた肌が、千火が抱き止めたのを皮切りに(しおれ)だしたのだ。少女らしからぬ皺だらけの肌には既にみずみずしさの欠片もなく、血色が薄れて病的なまでに青白くなってしまっている。


「…………はは……自然……魔素……取り込むの……忘れてた……」


 可愛らしい唇から紡がれる声はすっかり弱り果て、今にも眠ってしまいそうなトロンととした水色の瞳の輝きは、まるで枯れかけの川のような死を連想させる物に変わってしまっている。


「おい寝るな!待っていろ、今私がなんとかしてやるからな!!」


 少女の紡いだ言葉に、一瞬ピクリと眉を動かす。自然魔素を取り込む、つまり少女はリヴァイアが言っていた、自然の中に存在する魔素を取り込める術を知っている。それをしてもらえればこの状況を突破出来るらしいが、しかし少女にはもう出来ないようだ。だが、少女が出来ないのならば、千火が自然魔素を取り込み少女の身体に注ぎ込めれば、なんとかなるかもしれない。

 だが、この世界に転生して三日しか経っていない、しかも魔素の扱いもちょうろくに出来ずに知識も殆どない自分には、到底それを成せないのは分かり切っていた。それに、もしリヴァイアの補助があった上で自然魔素を流し込めたとしても、それでは千火の正体を少女に教える事になる。万が一少女が嫌竜派の人間だった場合、この少女と戦わなくてはならなくなるかもしれない。

 手段があるかもしれないのに、自分の立場上容易に使えない。その事実が悔しくて、情けなくて。

 …………それでも、この少女を助けたい。せっかくあの軍勢から助け出したというのに、こんな形で死なせるわけにはいかない。

 あえて気絶するのを待って、リヴァイアに力を貸して貰うという選択肢もあるが、それでもし間に合わなければ千火は一生悔いる事になる。

 だから、自分の出来る範囲内で少女を助け出そう。

  まずは凍死の恐れがある以上、少女の身体を暖めなければならない『迦桜羅(かるら)』を急いで消し去ると、少しの衝撃でも与えないように慎重に少女の身体を担ぎ上げる。四尺はありそうな身長だというのに、まるで木の葉を大げさに担いでいるかのような気分になる。そんな異様な軽さだったが、気にしている時間すらも惜しい。

 とにかく少女を担ぎ上げると、なるべく早く少女を樹海の木々が生い茂る場所まで運び、急ぎ焚き火の準備をする。

 幸いにも雪が積もっているとは言えここは大樹海だ、薪には全く困らない。すぐに手頃な薪を集め終えると、魔術に頼らずに最もやり慣れた信頼できるやり方で焚き火を起こす。起こし終わるや否や、すぐさま少女を焚火の側に下ろした。

 樹海まで走るときに既に気は絶っていたが、やはり少しでも暖かいのは良いらしい。血の気が失せていた唇が、徐々に赤みを帯びている。呼吸もだいぶ浅く弱弱しいが、表情が和らいでいるだけまだマシだ。


「リヴァイア!頼む、少女を助ける為に自然魔素を少女に流し込む方法を教えてくれっ!!」


 嫌竜派かも分からないが、さりとて気絶している今ならば会話内容を聞かれる恐れはない。だから遠慮なく千火はリヴァイアに声をかけたのだが……。


『…………千火様。お気持ちは分かりますが、それは出来ません』


 リヴァイアは、それを受け入れなかった。申し訳なさが込められた声音ではあったが、千火の頼みを、少女を助けたいという主の欲求を、一言の下に両断した。


「正気かリヴァイア!?今この瞬間にも、この少女は死への道を歩んでいるのだぞ!?それをみすみす進むことを、貴様は許すというのか!?もう一度言う、私に自然魔素を少女に流し込む術を教えろっ!!」

『…………それは、なりません。いかに千火様の願いであったとしても、それだけはなりません』


 大事な我が子の不治の病を、治す方法を教えるよう医者に訴えるかの如き形相で頼み込む千火の願いを、リヴァイアは頑として受け入れない。


「あぁ、そうか!そういうつもりか!!貴様はこの少女が嫌竜派であるか否か分からぬがゆえに、無闇に助けるべきではないと言いたいのだな!?ならば私がこの少女を親竜派へと引き込む!身内がいるならば、この少女にとって魂の家族とも呼べる友や仲間がいるのならば、その者達をも親竜派へと引き込んでみせる!!だから早くーー」

『……残念ですが、この少女は嫌竜派で間違い御座いません』

「はっ、そうか!何を根拠にし断じたかは知らぬが、確かにこの少女なら竜族とだって対等にやりあえるだろう!!だから貴様は少しでも嫌竜派の戦力を削ぐために、そんな事を言うのだな!!だがな、さっきも言ったが私が少女の身内も繋がりを持つ者達諸共全て親竜派に引き込んでやる!!そうすれば万事解決であろう!」

『それを成せるだけの舌を、千火様は持っておいでになられますか?』

「今の私にはそんなものはない!!だが、それならばーー」

『…………いい加減にして下さい』


 執拗に少女の救出を拒む水龍王も、ついに主に対して静かな圧力を掛ける。だが、ついさっき出会ったばかりの嫌竜派の子供すらも、病に苦しむ我が子の為に奔走する母親のように必死な千火が、その程度の圧力で止まるはずがない。


「あぁそうか!!分かった、ならばもう貴様には頼らん!!私一人の手で自然魔素の練り方を学び、そしてこの少女に注いで助けてみせん!」

『千火様、それはーー』


 リヴァイアの言葉に耳も貸さず、千火はただただ感情の赴くままに意識を集中させる。

 実際、自分一人だけの力で自然魔素を取り込み、流し込めるとは思ってはないない。少女を助けるために、自然魔素を流し込む以外の方法を模索したいところではある。

 だが、死にかけている少女を放っておいてそれらの方法を模索するなど論外だ。模索している間に少女が死にかねない。しかし、自然魔素を流し込む方法に時間が掛かれば、少女の死が確定してしまう。求められるのは、迅速かつ確実性のある取り込み方と流し込み方。しかし、自然魔素すらも感知出来ぬのでは話にならない。

 それでも千火は足掻く。不確定性かつ迅速よりかは、確実性かつ遅延の方がまだ良い。神や仏にも祈る心地で合掌し、胡座をかいて意識を集中させるその姿は、まるで髪の毛を生やした僧侶そのものだ。


『……致し方ありません。申し訳御座いませんが、邪魔させて頂きます』


 もはやそんな静かな宣言すらも聞こえぬまでに集中させていた千火は、すぐに自分の身体に起きている異変に気がつく。


(ちっ、リヴァイアの奴、私の全身を魔素で覆い尽くして自然魔素を取り込ませないようにしているな……!!)


 滝に打たれながら瞑想する時と同じ要領で全身の魔素の流れを感じ取ると、全身を構成する四角い部屋全てが、リヴァイアの魔素で一杯になっているのを明確に感じ取れた。


(となると、やはり魔素の流れを感じ取るときと同じ要領で自然魔素を感じ取り、練り上げる要領で取り込む事が出来るようだな。ならば!)


 リヴァイアの魔素を力づくでどかすのみ。

 すぐさま千火は四角い部屋を満たす魔素を動かす。と言っても、頭の中で四角い一つ一つを満たす液体を、別の液体で溢れさせる事で追い出すという情景を頭の中に思い浮かべただけだ。


『やはりそうきましたか』


 そんな単純な事でどかせる程、世界の水を司る龍王は易しくはない。


(くっ!!)


 水龍王の魔素は、まるでそのものが意志を持っているかのように、どっと流れ込ませた魔素を器用に部屋の外へと追い出してくる。それに負けじと、ルシファムルグの助けを得た上で更に量を増やすも、相手は百戦錬磨の猛者。巧みに魔素を操り、漁師網に空いた編み目から逃げだす小魚のように逃げては、千火とルシファムルグの魔素を追い出してくる。


(くぅっ……ここまでして何故、リヴァイアはあの少女を殺そうとする……!!)


 激しい攻防を体内で繰り広げる一方で、千火はふとその事に思い至る。

 言ってはなんだが、リヴァイアは平和主義者と呼べる人格を持ち合わせている。人の事は勿論愛しているし、飛竜族とは異なり平和的な解決を望んでいるところから、そこは十二分に察せられる。

 そんなリヴァイアが、何故ここまで執拗に少女の死を望んでいるのだろうか。何か少女から千火には知り得ない何かを感じ取ったのか、あるいは望んでいないにしても、自然魔素を取り込む事によってなんらかの不利益をこうむる事を知っているから、止めようとしているのだろうか。

 …………いずれにしても、そんな理由で少女の蘇生を諦めさせるなど、不可能だ。

 自然魔素を取り込んだ事で発生する代償がどれほど危険な物であろうとも、支払うことに躊躇いはない。あとあとになって少女が自分にとって大きな障害として立ちはだかる事になったとしても、その時は躊躇うことなく斬り殺すだけだ。それを成せるだけの覚悟は、持っている。

 子供は好きだ。だがそれが、自分のみならず関わってきた者達にまで不利益をもたらす、と言うのであれば話は別だ。それぐらいの区別が出来るほどには、千火も子供には盲目的ではない。

 自らの手で幼子の命を絶つ罪悪感に苛まれるのは間違いないが、それは相容れぬ運命であったと割り切れる。だからこそ、今この瞬間だけは、少女の命を助けさせて欲しい。たとえ後に災いをもたらす事になったとしても、斬り殺せるだけの覚悟は持ち合わせているのだから。

 しかし、そんな思いを込めて魔素の量を増やして追い出そうとするが、水龍王の魔素はやはり躱して部屋の中に止まり続ける。

 なんとかして追い出して、自然魔素を感じ取った上で取り込まなければ。そんな焦りを募らせる千火の頭の中に、


『ハッハッハッ、随分と苦戦しているようだな、(とも)よ。ここは一つ、手を貸すとしよう』


 リヴァイアのそれとは明らかに異なる、どこか陽気な口調が印象的な若い男の声が響き渡った。


(……!!)


 直後、今まで感じたことのない魔素が、心臓から凄まじい勢いで血管内を充満していくのが感じ取れた。色で例えるならば、それは白と黒の二色。極楽にでもいるのかとさえ思えてしまう程の、今まで千火が感じ取った事のない救済と優しさに満ちた、神々しくも温かな純白の魔素。それに対して、無間地獄に落ちたのかとさえ思える程に禍々しくゾッとする、恐怖と絶望だけに満ちた漆黒の魔素。その双方の魔素は初めての感じるものであったが、しかし一方で故郷に帰ってきたかのような懐かしさがあった。


『……!!千火様、何故そのような魔素を……!?』


 正体不明の存在の声は、どうやらリヴァイアには聞こえていないらしい。

 ……この特異な魔素に覚えがあるようだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 『我が故意に聞こえなくさせているだけだ。聞かせても良いが、それでは面倒事が増えてそこの小娘を助けるどころではなくなっしてまうだろう?其の方が嘘の類が嫌いなのは百も承知してはいるが、ここは一つ誤魔化してはくれぬか?』


 正体不明の存在ーー恐らく白黒の魔素の持ち主だと思われるーーは、答えながらもそう頼み込んできた。


(嘘は確かに嫌いだが、誤魔化すのは比較的得意な方だ。任せろ)

「リヴァイア、お前が何故そこまで少女を助けるのを拒むのかは知らん。だが、こうも執拗に邪魔するのであれば、私としても本気を出さざるを得ぬぞ!」


 こんな魔素が出てくるとは思いも寄らなかったがな!

 若い男の声に対して心の中で了承の返事を返しつつ、リヴァイアになんとかそういってみせた。

 いや、事実千火は全力でリヴァイアの魔素を追い出そうと奮闘していた。その中で魔素量がいつもよりも増大している事には気がついていたし、身体から漏れ出ている魔素の量もさらに増えているのも感じ取れてはいた。

 そうした中で突然響き渡った聞いたことのない、しかし何故か聞き覚えがあるような気がしてならない謎の声と、声の主のものであろう膨大な量の白黒の魔素。禍々しさと神々しさという相反する性質から察するに、生粋の神ではなく荒神か祟り神の類だろう。どのような時にそんな者に魅入られたのか気になるとこではあるが、今は少女を助ける方が最優先事項だ。


『…………致し方ありません。千火様が出されたその魔素に勝てる見込みは御座いませんので、この少女を助ける補助をさせていただきます』


 溜め息を一つ吐くと、リヴァイアは降参宣言すると同時に補助を申し出た。

 その言葉通り、千火の全身を満たしていた魔素はすすす、と身体を構成する四角い部屋から全て千火の魔素と合流するのを感じ取る。言葉だけではないようだ。


「やっとその気になったか!ならリヴァイア、早く自然魔素を取り込み、少女に流し込む術を教えてくれっ!!お前との力比べでかなり時間が経ってしまっている、血の気の抜け具合から見ても保ってあと数分だぞ!!」


 そう言う千火の言葉通り、少女の顔にはもはや血の気の欠片もない。紫色の唇を僅かに開けて呼吸していなければ、死人と見間違えられてもおかしくない程重傷化している。一分程しか動いていない瘦せ細ったお腹が、一刻の猶予も許されぬ状況下である事をこれでもかとばかりに訴えかけている。


『承知しております。ですが、一つだけ約束して下さい』

「なんだ!?」


 少しでも早くしなければ少女が死んでしまうというのに、冷静に言葉を紡ぐ水龍王に若干苛立ちながらも千火は問う。


『決して狂わず、自我を失わないで下さい』

「何を言うかと思えばそんな事か!まあ良い、分かった!約束は必ず果たす!!だから早く自然魔素を少女に流し込まさせてくれっ!!」


 前世の最期の痛みを除けば、散々気が狂いそうな痛みに耐え抜いてきた千火にとって、自我を保つなど児戯に等しい。自然魔素を取り込んだ影響がどれほどの物であり、またどういう形で自我を失い狂いそうになるのかは分からない。だが、痛みであれば間違いなく耐えられる。

 なにより、


『案ずる事はない。前世においてもあれだけの苦難に耐えてきた其の方が、自然魔素の代償に遅れを取るなど有り得ぬ。万に一つ其の方が耐えられぬものであったとしても、我や水龍王、それにルシファムルグがついておる。恐れるな、(とも)よ。尻拭いならばいくらでもしてやろう』


 リヴァイアに声を聞かせぬ謎の声が、太鼓判を押すと同時に自分たちが着いていると言ってきたのだ。

 別に恐怖を抱いてなどいないが、それでも快活な若い男の声は妙な安心感をもたらしてくれる。

 それでも。


(ふっ、私が代償を恐れているように見えるか?子供一人助ける為に、何をそこまで恐れる必要がある?それに、自分で汚した尻を拭えぬ程、私は子供ではない。頼る事など無いだろうな)


 今まで自分に成し遂げられなかった事など、二、三あるかないかだ。この世界に来てから一気に増えたものの、それとて魔素の扱いさえ慣れてしまえば造作もない。

 聞こえてはいないだろうが、それでも謎の声に対してそう答える終えるのと同時に、リヴァイアから説明が耳を打った。


『自然魔素の感じ取り方は、普通の魔素を感じ取る時とあまり変わりません。意識を向ける方向を身体ではなく周囲の空気に変える、ただそれだけです』

「それで、取り込み方と流し込み方はどうすればいい?」

『こちらも簡単で、体外に感じ取った魔素を自分の身体に吸い込ませるよう想像するだけで構いません。ですが、自然魔素はかなり強力に御座いますので、臓器等に深刻な影響が出始めたらすぐさま中断します。流し込み方は魔法陣を展開する時と同じ要領ですが、少女の魔素の流れを理解する必要が御座います。なるべく手首を掴み、管を見つけてからそこに流し込んで下さい』

「分かった」


 即座に内容を理解し、リヴァイアの言葉が終わるや否や返事を返して意識を体外へと集中させる。

 だが、自分の身体を構成する四角い物体がいくつもあるのを感じ取る事は出来ても、なかなか皮膚の表面から外の魔素を感じ取る事が出来ない。


(ッ……くそっ、漏れ出ている魔素は感じ取れても、周囲にある魔素が感じ取れない。魔素を伝って感じ取れるかとも思ったが、なかなかそうも行かないか……!!)

『またも苦戦しているようだな、(とも)よ。どれ、ここでも一つ力を貸すとしよう』


 また謎の声が響き渡ったかと思うと、今度は千火の血に混じっていた白黒の魔素がひとりでに四角い物体の中身を満たしていくーーのかと思えば、そのまま皮膚の外へと漏れ出ていくのを感じ取る。


『漏れ出ている我が魔素に意識を集中させよ。このまま我が取り込んでしまっても良いのだが、それでは其の方の魔素と認識している水龍王の眼にはあまりに不自然に映ってしまう。ゆえにこれより先は、水龍王と協力して自然魔素を取り込め。そして見事、その少女を救ってみせよ』

(すまない。世話をかけたな)


 口にしてしまってはリヴァイアにバレる恐れがある以上、口では言えない。心の中で感謝の言葉を口にしてから、千火は白黒の魔素に意識を集中させる。

 すると、白と黒という無彩色を通して感じたからだろうか。緑と青の魔素が千火の周囲に密集しているのが、ハッキリと感じ取れた。


「おぉ……これが……自然魔素……!!」


 思わず、感嘆の声を漏らしてしまう。

 少女の命がもう少しで燃え尽きてしまうという状況下であるのは分かっている。こんな事で感動を抱いている場合でもないのも分かっている。それでも、しばし千火は感じ取ったまま呆然としてしまう。

 それは、リヴァイアの魔素によく似た美しい輝きを放つ魔素だった。視覚に入れていないのに美しいというとおかしく感じるだろうが、眼を閉じていても目蓋では防ぎ切れない美しい光を見ている、そんな気分だ。

 人の手がまったく入っていない場所だからこそある、豊かな命たちの息吹。その命たちを支える、どこまでも清らかで穏やかな川の流れ。それを全て光という形で表現したなら、恐らくこうなるのではないだろうか。


『千火様、これからが本番です。わたくしの魔素も織り交ぜますので、辺りにある自然魔素を出来る限り多く取り込んで下さい。痛みや何かしらの衝動を僅かにでも感じ取ったら、すぐさまそれをお伝え下さい。それが千火様が自然魔素を取り込める目安となりますので』

「…………分かった」


 ずっとこのまま自然魔素を感じ取っていたいという欲求を、リヴァイアの言葉を皮きりに抑えつける。

 確かに自然というだけあって、リヴァイアやルシファムルグのそれとは明らかに違う感触だ。つまり、それを、一時的とは言え身体に取り込むとなると、なにかしら体調不良や痛みが走るのは間違いない。ルシファムルグはともかく、この世界の水すべてを司るリヴァイアの魔素を取り込むだけでもかなりの劇痛が走ったのだ。今度は自然そのものを体内に取り込むともなれば、あれ以上の痛みが来る可能性もある。

 それでも、少女を助ける為なら、それらの代償を背負う事になんの躊躇いもない。


『…………行きますよ!!』


 少し緊張を帯たリヴァイアの声が頭の中に響き渡ると同時に、リヴァイアの魔素が白黒の魔素と絡み合い、境界線を作っていた青と緑の魔素に馴染みこむのを感じ取る。


(来いっ!!)


 すぐさま千火は、それらの光が混じり合って、自分の身体を構成する四角い物体に流し込まれる様を頭の中で思い描いた。直後、千火は体内に凄まじい勢いで青と緑の魔素がなだれ込んで来み、満たされていくのを全身で感じ取った。


「……っ」


 だが、それはリヴァイアやルシファムルグのそれとは明らかに異なる、異様な痛みも全身にもたらした。

 リヴァイアのような暴力的な感覚でもなければ、ルシファムルグのような火傷や痺れを感じる事もない。

 徐々に四角い物体一つ一つを静かに蝕んでいくこの感触は、毒に近い。痛みの度合いで言えば、今のところルシファムルグ、リヴァイア、いずれにも劣る。だが、痛みの感覚は、前世の世界でアクティビションを使った時の反動やリヴァイアの時と似た、我慢しないで叫ぼうものならそのまま狂ってしまいそうな嫌悪感と危機感を掻き立てられるものだ。

 自我を保てと言われてはいたものの、確かにこれは無理しすぎれば崩壊しかねない。そう直感で悟った。


『既に臓器に影響が出ておられるようですね。では、ーー』


 一旦取り込むのを止めて流し込みましょう。

 その言葉を言うよりも早く。


「いや、お前はそのまま取り込み続けろ。一つ思い付いた事がある」


 千火はわずかな痛みと共に思い付いた妙案のもと、リヴァイアの口を封じ込んだ。


『自然魔素を取り込む一方で流し込むおつもりですか?確かにそれは非常に効率も良いですし、自然魔素における千火様のお身体に掛かる負担もだいぶ減りますが、流し込みと取り込み双方を頭の中で思い描くのは非常に難しいですよ?』


 妙案の内容をすぐに察したリヴァイアは、利点と欠点をすぐに割り出し千火に伝える。


「大丈夫だ。少女一人を助けるために私に掛かる負担がその程度で済むのなら、安いものだ。それに、お前も自然魔素を取り込むのを手伝ってくれている以上、お前にも負担が掛かっている事実だろう?ならば少しでも余分に無理しても罰は当たるまい。第一、私はお前の魔素や私自身の魔術による反動に散々耐え抜いてきたのだ。そんな私が、この程度の痛みで自我崩壊するとでも?それに、自然魔素を短時間で感じ取る事が出来た私の集中力を以てすれば、その程度の作業など何も考えずに剣を振るうのとなんら変わりないぞ!!」

『…………承知致しました。ですが、限界まで無理なさらないで下さい』

「退き際は弁えている、言われなくともそうするつもりだ。……さあ、始めるぞ!!」


 気合いを入れ直すように声を張り上げ、千火は急ぎ少女の手首を握った。

 もう死んでしまったのではないかと思える冷たさであったが、それでも僅かに脈打っている。お喋りが過ぎてしまったが、それでも生きている少女の生命力に感謝しつつ、少女の手首に意識を集中させる。


(…………これか……)


 体中に張り巡らされた管と全く同類のものを見つけると、千火はそれを構成する四角い物体に現在進行形で流れ込んできている自然魔素を流し込む。形状が同じと言うだけあって、魔法陣に魔素を流し込むのと比べるとかなり楽だ。むしろ、動く必要も相手の動きを確認する事なく、ただ魔素を選別して流し込む様子を頭に思い描けば良いのだから、こちらの方が断然楽ではあった。

 とは言え、それは魔素を流し込むにあたっての話であり、異様な痛みをバラまきながら自然魔素が全身を駆け巡っている事実に変わりはない。


「……リヴァイア……あとどれだけ……流し込めば良い……?」


 自然魔素を流し込んでいる影響か、かなり少女の顔色はよくなっている。顔色のみならず、浅かった呼吸もほぼ正常に、やせ細っていた四肢は元の太さに、皺がよった血色のない肌は年相応の少女らしい物へと戻っている。…………流し込んでいる本人の呼吸が荒く浅くなり、服どころか足下すらもビタビタになるまでの汗をかき、時間が経つにつれてどんどん皮膚が青白くなっているのだが。

 しかし、今の千火の全身はそんな目に見える変化以上の痛みに苛まれていた。前世で死ぬ切っ掛けを作ったあの痛みに限り無く近い、死の痛みを体験していなければ今すぐにでも死んでしまいたいと思っていたであろう痛み。拷問や地獄で行われる罰を、今まさに受けているとさえ思える程の苦しみの中で、千火はそう問いかけたのだ。

 僅かに呼吸するだけで高熱の灰を吸い込んでいるかのような劇痛を受けながら、正気を失うことなく。


『もう終えても大丈夫ですよ、千火様。峠は越えました。あとは目覚めるのを待つだけです』


 頭に響き渡るリヴァイアの声すらも、視界が明滅するほどの劇痛に感じられる。

 しかし、その痛みと共に少女の命が完全に蘇生したと聞いた瞬間、全ての思考を破棄して全身の力を抜いた。


「…………はぁ……はぁ……はぁ……ふぅ~……」


 虚脱感と劇痛で起きているのも辛いというのが正直なところではあるが、ここはアメアクダイエ大樹海。ここで気絶しようものなら、せっかく助けた少女諸共魔物や魔族の餌になりかねない。せめて少女が起きるまでの間は、とわざと大きく呼吸して痛みを得ることで気を保たせつつ、周囲の気配に意識を向けようとする。


『…………まったく、あなた様という人は……』


 幸か不幸か、あるいはリヴァイア自身がそれを狙ったのかは定かではない。が、その呆れ声が、満身創痍の千火にトドメを刺す事になった。


「……っ」


 肉体的精神的ダメージを負いすぎた身体が、リヴァイアの声によって遂に限界を迎えたのだ。

 千火の意志に関係なく、フッと身体から力が抜け、座っていることすらままならなくなる。重力に抗う事も許されず、柔らかい雪の布団に身を埋めながら、千火の意識は深淵の底にまで落ちていった。

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