第八章 竜に次ぐ実力者との邂逅
「…………なるほど、こういう事か。それならもう少し早く、それこそ洞窟を出るとき辺りに言って欲しかったな」
地上、というよりは凍った海の上では生き物の気配を感じさせないからか、音は異様にうるさく不気味に聞こえる。
周囲をグルグルと回る音を聞き取りながらも、千火は白銀色の薙刀を脇構えの構えを取りながら、
「相手の正体は分かるか?」
この世界の魔物や魔族に詳しい、薙刀となった水龍王に問い掛ける。
『そうですね。氷上の獲物を狙う際にワザと音を立てて警戒させるこの狩猟方法は、海蛇型魔物のジストサーペントと見て良いですね』
「今の動きから派生して、その海蛇はどう動く?」
『ジストサーペントは氷上での狩猟の際に、足元から急襲を掛けて獲物を丸呑みにするか、一息に呑み込めない大物であれば足を噛み砕いて機動力を奪おうとする習性が御座います。そのため、まずは相手をその場から動けなくする為にワザと音を立てーー千火様、そろそろ急襲を仕掛けてきます』
その言葉通り、まさに自分を見失ってどこかへと去ったかのような自然さで、あれだけガリガリと聞こえていた音が次第に遠退いていきーーやがて完全に聞こえなくなった。
……僅かに隠し切れていない殺気が漏れ出ているところから、生態について全く分からない千火でも嘘だとは分かる。が、長年山々であらゆる生き物を狩り、山賊やたちの悪い浪人と戦ってきた千火でさえもうっすらと感じる程度であり、最悪リヴァイアの言葉が無ければ見逃していたかもしれない。そう思える程に、気配や音を完全に殺していた。
『急襲直前には足元が若干ながら揺れますので、その時を見計らって、少なくとも四尺は飛び退いて下さいませ』
「四尺?いや、この際だ。急襲を避けつつ樹海の方へ向かってみるのも一興だろう」
『……そこは千火様にお任せ致しますが、あまり強く踏み砕いてしまいますと、氷の中でジストサーペントを殺してしまいかねませんよ?』
もとより千火はそのつもりだったのだが、妙に引っかかるリヴァイアの言葉にすぐに吐き出しそうになった答えを一旦保留する。
そして、リヴァイアの言葉で思いとどまった事で幾つかの利用方法を思いつく。
「…………食えるのか?」
『大きさは大体三十尺程と大きいですが、肉厚で脂がのっているの上に柔らかいので食べやすく、非常に美味に御座います。また、ジストサーペントを餌とする魔物もそこそこ居ますので、罠を仕掛ける時に便利かと』
「なるほどな。ならば、出来る限り樹海の方へ誘導しつつ仕留めるか」
大き過ぎるのは少しいただけないが、海があるとなると水を煮て塩を作る事も出来るし、塩漬けにして腐らせずに済みそうだ。罠を仕掛ける時にも使えるが、余ったとしてもそうやって保存出来る手段もあるし、何より脂が豊富となると火種にも使えそうだ。
そう思いつつ、リヴァイアの案を飲み込んだところで、
「さて、早速来たようだな」
雪と氷で覆われた足元が僅かに振動する。急襲の予兆だとすぐに理解した千火は、リヴァイアに魔素の調節を任せて足元に意識を集中ーーアクティビションを発動させる。本来なら詠唱も必要な上に、足元に魔法陣を展開させなければならないのだが、そうした手順をすっ飛ばして発動させられるのはやはり大きい。結果として、余裕を持った回避行動に移り、大蛇の地中強襲を避ける事に成功する。
氷を噛み砕きながらも、千火を丸呑みにせんと強襲を仕掛けてきた大蛇。その体色は、雪原では異様に目立つ鬼灯色をしており、黒の横縞模様が禍々しさを際立たせている。全体ではないが、今氷上に出している部分からみても、大きさはリヴァイアの言ったとおりぐらいだろうと想像出来た。
鎌首をもたげ、攻撃を避けてみせた獲物を賞賛するかのように、毒々しいまでに鮮やかな黄色い瞳で見据えてくる。いや、事実、賞賛と同時に自らの脅威であると認識を改めたのだと、千火は瞳から察する事が出来た。
「リヴァイア、一つ頼み事がある」
こちらを見据える大蛇から視線を外す事なく、薙刀を頭上に持ち上げ、刃を上に上げたまま切っ先を下に向けた構えーー辰巳神流薙刀術 下顎竜・上段の構えを取る。
脇構えとは異なり動きに制限が生まれるものの、今まさに獲物に食らいつかんと口を開いた竜の下顎の如く臨機応変な攻撃へと派生させられる構えだ。
『何用に御座いますか?』
「この狩り、お前の助力無しで成し遂げようと思う。ついては、私が力を貸せと言うか、或いは明らかに私が死にかけそうな時を除いては、絶対に私に助力するような真似はするな。勿論、私が無意識に魔素を練らないように、全力で私の魔素を押さえ込め」
リヴァイアとの戦いで、助力を得た上での戦闘ならばこの蛇など一瞬で仕留められるだろう。
だが、この先リヴァイアの力に頼らなくとも魔術を使えるようにならなければならないし、何より唯一使えるアクティビションを完全な物にする必要がある。想像と魔素を練り上げる感覚が、魔術の発動において重要な要素だ。しかし今の千火は、物事を想像するよりも得物を振るって正面から斬り伏せる方が効率的に戦える。ならば、他の魔術を覚えるよりも、アクティビションを極めた方がこの先戦えると判断した上で頼んだのだ。
そして、自身が振るえる膨大な力の押さえ込み方を感覚で掴む為にも、リヴァイアが押さえている感触を体内で感じ、それを体得しなければならない。でなければ、いたずらに魔素を消費するばかりでなく、迂闊に武器を振るう事すら出来ないのだから。
『…………承知致しました』
不承不請と言った声音でリヴァイアからの了承を得たところで、大蛇が再度大口を開けて突撃してくる。
早い事は早いが、アクティビション・ボディーを使うまでもなく十二分に見切れる程度でしかない。
何かまだ策を用意しているかもしれない。警戒しながらも、突っ込んでくる大蛇の口が丁度刃の真下に来た所で、全身の筋肉を使って斬り上げた。
本来、この動きは武器を弾いて隙を作り出す為の動きであり、あくまでも本命の一撃ではない。刃は確かに上に向いているが、それはどの程度身体が頑丈なのか確かめる為であり、力もそこまで入っていないのだから必殺の一撃とはなり得ない……筈だったのだが。
「…………」
千火の機嫌が一際大きく乱れたのを、リヴァイアはすぐに感じ取った。
危険性を認知したジストサーペントの方が早く動いたせいで一撃そのものは完全に回避された上に、巨大な尾で雪煙を巻き上げられたことで視界が悪くなった。だが、もとより牽制の為に放った一撃だ上に、視界が塞がれた状況下の戦闘も不可能ではないのは本人から聞いている。原因がそこにないのは明白だ。
ならば何故か。原因は間違いなく自分にある、とリヴァイアは自覚していた。
確かに千火は、無意識の状況下においても魔素を練らないように抑え込め、と頼んだはずだ。だが、実際には魔術 ウィンドカッターが発動した。発動してしまったのだ。
それは、ジストサーペントが雪煙を巻き上げるよりも早い段階で、雪原と化した海面に一本の亀裂を走らせるという形で、千火に見られてしまっている。まったくもってそのつもりはないが、誤魔化すことは絶対に不可能だと言い切れるまでに、はっきりと。
万が一のことを想定して自分の力なしで狩る事に不満があったのは間違いないが、だからと言って契約主の意思に反する行動を取るほどリヴァイアは強情ではない。それにーーまたも矛盾を抱えてしまっているがーー今後のことを考えると、少しは冒険させた方が良いのではないかとも考えていたところもあったのだ。だから、今までの竜神姫や竜神騎たちから頼まれた時とと同様に、千火の細胞に魔素による防御壁を生成して全ての魔素を遮断した……はずだというのに。
「おいリヴァイア。私はさっき何と言った?」
次の攻撃の準備をするためか、氷を砕き割って中に入ろうとしているであろう大蛇の位置を音だけで特定した千火は、躊躇うことなくその方向に駆けながらリヴァイアに言葉を投げかける。その声音には、やはりというか怒気がはっきりと込められていた。
『千火様が無意識に魔素を練られないように抑え込め、とおっしゃられました』
「だが今、間違いなく魔術は発動したな?どうして発動させた?……おい、これで二度目だぞ?本当に抑え込んでいるのか?」
言葉を交わしながらも振り下ろした一撃は、一足早く潜られてしまった大蛇に届くことはなかったものの、千火の言葉通り暴風の刃が軌道上をまっすぐに走っていく。しかも、今度は雪煙を纏ったせいで、三日月型をした斬撃という形状までくっきりと見えている。
『…………命を賭した戦いの最中に申し上げるような事柄ではないのは重々承知の上ですが、少しばかりお時間をもらえますか?どうやら千火様には、他の転生者のお方にも通じた方法では魔素を抑えられないようですので』
「そんなに私の魔素は特殊なのか?……っと、ふん。図体がでかい上に奇襲で仕留めようとする割には、なかなかにいい動きをするな。だが、怒気と殺気でバレバレだぞ?」
リヴァイアに対して言葉を投げかける一方で、氷で覆いつくされた海面を叩き割って斜め後方から強襲を仕掛けてきたジストサーペントの一撃を余裕をもってしゃがむことで躱し、立ち上がりざまに斬り上げによる反撃を見舞う。
今度は風の斬撃波ではなく純粋な威力強化のものだったらしく、特にこれといった変化は見受けられない一撃は、しかしアクティビションを発動しているのか予想以上に速い相手の尾の先端を掠めることしかできなかった。それでも、尾の先端を断ち切られたジストサーペントは怒り心頭したのか、尾を隠すようにとぐろを巻きながら真っ赤な巨口を剝き出しにして威嚇してくる。
「……ん?今、もしかして魔術発動したか?」
だが、そんな威嚇など無視して、自分の手を通して何かが薙刀に注ぎ込まれているような違和感を僅かに感じ取った千火は、半ば勘でそう言ってみたのだが……。
『……千火様、よく気が付かれましたね。微調整はしているのですが、どうにも千火様の魔素を完全に堰き止めるまでは…………ですが、あそこまで無視されて大丈夫なのですか?』
勘が当たっていることを告げつつ、リヴァイアは少し心配の声を上げる。
こうして話題を振っている自分がいうべきセリフではないのは分かっているのだが、それでも相手をあまりにも軽蔑しきった態度を見せ続けるのは明らかに千火らしくない。
「ああ、これか?これはな……」
言葉を紡ごうとした直後、白銀色に輝く三日月状の大牙を剥き出しにして大蛇が襲い掛かってきた。しかし、怒りのあまり狂ってしまったのか、その突進は愚かなまでにまっすぐだった。
いかにでかい上に早くとも、その軌道さえ見切ってしまえばーーそして、その動きに対応できる速さで動ければ、どうとでも料理はできる。
「大蛇への、挑発だっ」
もはや肉眼で追える速度ではなかったが、しかし千火は迷うことなく半ば叩きつけるように薙刀の刃を振り下ろした。
瞬間、まるで巨大な槌で頭を叩き潰されたかのような轟音とともに、千火の身長を遥かに超える頭が大きくバウンドしーー思い出したかのように紫色に真っ赤な亀裂が入った。と思った時には縦に新しくできた肉塊を大量に頬張った口から赤い唾液を吐き散らしながら、ジストサーペントは真っ白い海面に倒れ伏した。
「……卑怯と言いたければ言うがいい。だが、私もお前に食われるわけにもいかぬからな」
今しがた仕留めたばかりの大蛇に対して言葉を投げかけると、千火は深紅色の唾を全身に浴びながら肩に担いだ。大量の食料兼罠用素材が詰まっているのか、ヌメリ気のある鱗に覆われた皮袋はずっしりと重い。温もりすら感じられる鮮血が、余計に持ちづらさを助長する。それでも、ここで血抜きを行わないのは、血の匂いを嗅ぎつけて他の魔物や魔族が襲撃を仕掛けてくる可能性を考慮しての事だった。
『申し訳ございません』
戦いを終え、無事に戦利品を手にして凱旋を上げる千火に、申し訳なさそうな声音で謝ってくる。
だが、さすがに今度は千火も邪見には振るわなかった。
「いや、私の方こそ悪かった。そんなに特異な魔素を持っているのに、無茶を言ってしまって……」
むしろ、謝罪を謝罪で返した。
よくよく考えてみれば、自分の実力がどれだけ魔物に通じるか試したいという身勝手に付き合わせてしまったのだ。特異な魔素、というのはリヴァイアとしても予想外だったであろうが、だとしてもそれに気づいても尚魔素を堰き止めようとしたリヴァイアに感謝こそすれ罵倒するのは間違いだろう。
『そんな……』
「いや、今回は私が悪かった。お前は納得しないだろうが、私に非があるのは間違いない。どうか、許してほしい」
『…………そういうことに御座いましたら。ところで千火様ーー』
「不要だ。この程度の重さなら幾らでも持ち上げた事もあるし、肩に担いだまま木に登った事もあるからな。あの時と比べれば随分とマシだ。……まあ、少し走りにくいところではあるからな。また外敵が来たときは頼む」
次に問いかけようとしたリヴァイアの言葉を察した千火は、先に断りを入れた。
この世界に来る前は、しょっちゅう狩った獲物の血抜きから村に持ち帰るまでの作業を一人でーーそれもアクティビションや道具の類を一切使うことなくーーやっていたのだ。一番重かった熊三頭分の重さである事と、村の時と比べて歩く距離が遥かに長い事、そして山道ではなく平地、もとい凍った海面とである事を除けば、今までの生活となんら変わりもない。
『…………あの、千火様?一つお伺いしてもよろしいでしょうか?』
「なんだ?」
野太く長い尻尾を肩から生やした竜神姫は、雪原を歩みながら応える。赤い線を引きながらズルズルと氷面を引きずっていく様は、空から見たら怪我を負ったジストサーペントがのろのろと這っているようにも見えるだろう。
『皆までは申し上げた訳では御座いませんが、先ほど千火様はわたくしの問いに対してなんとお答えなされましたか?』
「?アクティビションを使うか使わないの問いではなかったのか?」
『いえ、千火様のお察しの通りに御座いますが…………申し上げられたそばから、何ゆえアクティビションをお使いになられているのですか?』
「…………待て。質問の意図が分からないぞ。私は全身に意識を集中させている訳でもなければ、アクティビションを発動させる為に集中させている訳でも無いぞ?」
千火はリヴァイアの問に対して首を傾げるしかない。
事実、千火は別にそこまで意識を集中させている訳ではない。アクティビションを発動させる時は、それこそ少しでも早く動けるように意識する。対して今は、そんなに集中させていない。
『それは真に御座いますか?』
だが、リヴァイアの声音は疑わしい物だった。
嘘は嫌いだ。それを言ってもなお疑われるのは、あまり気分の良いものではない。それが、二度も連続で続くとなると。
「先にも言ったが、私は嘘が嫌いだ。お前が私の今の肉体の状況から何かを感じ取ったのだとしても、それは私の知ったことではないっ」
自分でも扱いに困る魔素についてとやかく言われても、千火としてもどうしようもない。次から次へと沸いて出てくるリヴァイアの疑問に対して、少し声を荒げながら返す。
「お前の問いから察するに、私が無意識にアクティビションを発動させている状況下にあるらしいな。確かに私はかなり頑丈な方であるし、自分で言うのはなんだが、この細っこく女らしい身体のどこにこれだけの力を引き出させる何かがあるのか不思議に思うことも多々あった。それは認める。毛が生えた程度の魔素の知識しか持たぬ私に、まだこの世界に転生して間もない私に、あれやこれや問うなとは言わない。ただし、絶対に私の言葉を信じろっ!信じなければいかにこの世界の水を司る龍王であろうとも、どんなに無力に等しい小さな力でしかなくとも、私はお前に拳を向けるぞ!!」
身一つでリヴァイアと戦って勝てるかと問われれば、絶対に勝てないと断言出来る。
トライデントを握った上であの様だというのに、あれよりも更に攻撃範囲が狭くなる上に威力が格段に落ちる手足で勝てる筈がない。ましてや、相手は千火の動体視力を遙かに超越した速さでの行動を可能とし、未だ底知れぬ実力の片鱗にしか触れさせていない、この世界の水を司る竜族、その王だ。全力を出されれば千火などたった数秒で殺せるだろう。
だが、それとこれとは話は別だ。信じろと言い、信じようと答えた側から疑うその態度は、千火としても許し難い。
『…………申し上げ御座いません。そこまで千火様に嫌な思いをさせるつもりでは無かったのですが……』
言葉通り申し上げなさそうに謝罪してきたリヴァイアに対し、
「言葉ではなく態度で示せ。仏の顔も三度までだ、次は何が何でもお前をこの場に呼び出して殴らせて貰うからな」
千火は相変わらず声を荒げたままそう言ってーー
「リヴァイア」
『双方とも、承知致しました』
空から迅雷の速さでこちらへと迫ってくる気配を感じ取り、すぐさまアクティビションを発動、リヴァイアに魔素の補佐を任せて全力で跳ぶ。
蹴られた衝撃で大きく砕け散った海面から僅かに大蛇の尾端が出るか出ないかのところで、空からの襲撃者が飛来する。
千火のそれを上回る、火山の噴火を思わせるような轟音と共に凍った海面を大きく揺らし、更に千火の身長の半分はありそうな氷塊を撒き散らす。
とは言え、それは完全なアクティビションを発動させた千火にとっては微震に等しい。背後から迫り来る巨大氷塊の気配を風切り音でいち早く察知。もう一度凍った海面を全力で蹴り、氷塊が到達するよりも早く更に距離を伸ばし避ける。
「やはりこうなったか。飛竜が居るくらいだからあれと同等かそれ以上の大きさの鳥ーーいや、断定は出来ないが空を飛ぶ魔物はいるだろうとは思っていたが、早速相まみえられようとはな」
新たに着地した場所で呟きながら、砕け散った氷の粒と雪による白い霧へと視線を向ける。
気配や威圧感からして、最初に千火を殺そうとした飛竜ではないのは明確だ。とは言え相手は空を飛ぶ魔物、ウィンドカッター以外に攻撃手段がない上に食料を確保した今は、無駄な戦闘を避けるのが上策といえる。
しかし、この先何度も遭遇して戦闘になる可能性がある、あるいはおびき寄せて食料にするかもしれない相手でもある。一度その姿を拝めておいて損はない。
ましてや、今リヴァイアの魔術補佐もあるのだ。以前のように反動を恐れて使うことをためらう必要もないのだから、万が一襲われても全速力で樹海に逃げ込む事も出来る。
「リヴァイア、今の狩り方をする魔物はどれぐらいいる?」
『…………全ての飛行系魔物、及び飛行系魔族が取る狩猟方法に御座いますので、一概に何者であると断定は出来ません』
ケロッとした様子で今回の襲撃者について問う竜神姫に少し戸惑いつつ、既に二度も怒らせてしまった事に反省している水龍王は答える。
「ならばこの大樹海か、この海周辺で生息している魔物は何種類いる?数えきれる範疇ならーー」
何種類いるか教えて欲しい、と言った時だった。
襲撃者が羽ばたいたのだろう、辺りに充満していた霧の中心から暴風が吹き荒れ霧を吹き飛ばし、襲撃者の雄々しく色鮮やかな姿を青空の下に現した。
襲撃者の正体は、鳥。
距離から計算しても、あの飛竜より同等か少し小さいくらいだが、それでも千火の身長を遥かに凌駕する怪鳥だ。
鮮やかな翡翠色の羽毛に覆われた巨大な翼は、太陽光を浴びてキラキラと輝いている。対して身体の方は深みのある青色の羽毛で覆われ、翡翠色の巨大な翼をより目立たせている。翼同様により美しい輝きを際立っている白銀色の輝きを放つ尾羽は、折り畳まれたクジャクのそれのように長くフサフサとしている。
黄色い羽毛に覆われた首もまたクジャクのように長く、しかしその先端に生えた巨体を制御する頭部は、まさに猛禽類のそれだ。三日月状の鋭い銀色の嘴を携え、紅蓮色の羽毛から覗く空色の瞳は刃物の切っ先のような眼光を放っている。だが、後頭部には一対の黄金色に輝く長い羽根で飾られており、まるで長大な王冠を被っているようにさえ思える。……予想以上に足が埋まってしまったのか、必死に踏ん張ったり羽ばたいたり、長い首を伸ばして埋まった足元をつついたりして、右足を引き抜こうとしている様は、そんな鳳凰を具現化させたかのような威風堂々とした見た目を、見事にぶち壊しにしてしまっているのだが。
『肉食大鳥型魔物、ルシファムルグの若い成鳥に御座いますね』
自分たちの食糧を奪い取ろうとした張本人であるにもかかわらず、微笑ましい光景を目にした母親のような声でリヴァイアは言う。
「自分の力を扱いこなせていない私もアイツのことを言えた口では無いが…………何というか、抜けてるな」
必死にもがく若き怪鳥に視線を向けて感想を述べる千火の声も明るい。
獲物を狩るための行動だったとはいえ、いきなり滑空攻撃を繰り出されて殺されかけたというのに、一生懸命右足を引き抜こうとしている怪鳥に向ける視線もまた、ドジっ子を見ているような優しさが込められている。
『どういたしましょうか?あんな不器用な事をしていますけれど、ルシファムルグはかなり強力な魔物です。肉弾戦も得意な上に頭も良く、大規模殲滅魔術も扱えますので、このまま放っておけば災いになりかねません』
実際、あの怪鳥はかなり危険な魔物だ。普通の成鳥であったとしても、上位竜族ほどまではいかずとも、中級の竜族であれば対等に戦えるだけの実力を有している。それは、空中戦のみならず地上戦における戦闘、及び肉弾戦から魔術合戦まで幅広い戦略を立てられる高い知能、それを可能とするだけの強靭な肉体と膨大な魔素を持っているからであり、そこに経験が入ろうものなら上級竜族ですら敗ることすらあるのだ。
しかも、あの個体はまだ若い上にドジだからいいものの、保有している魔素の量は通常の個体よりも三倍近く多い上に、通常の個体が雷と風の魔素が馴染んで生まれるのに対しこの個体は二属性に加えて氷属性と火属性まで持っている。
この世界における五大元素、火、氷、風、雷、土のうち三属性の魔素を有する魔物の殆どは生ける災厄としての名を残す個体になる可能性が高く、四属性ともなれば土地神として崇められてもおかしくない強さにまでなる。実戦経験豊富な老練な個体ともなれば、国境線上で確認され次第国同士が連携してでの討伐が求められる超特級危険個体。その可能性を秘めた経験浅い個体が目の前にいて、世界の水を司る力を得た竜神姫が対峙した。となれば、選択肢は一つしかない。
「決まっているだろう?」
千火は竜神姫だ。人々の希望であり竜族を束ねるに相応しい者ならば、必ずあの選択肢を取るはずだ。
「アイツを助けるぞ」
『………………千火様ならそうおっしゃられると思っておりました』
本当に千火様らしいですね、と内心呟いた。
討伐ではなく、救助。
無論、これにリヴァイアが同意したのも理由がある。
負の感情から産まれた魔族であるならばリヴァイアとしても諫めただろう。だが、相手は自然界に住み、自らの領域を犯すか狩りの時ぐらいしか牙を向かない魔物。確かに通常個体でも強いが、その強さは人々の必要以上な自然への干渉の抑止力にもなっている。
同時に、あのような非常に強力な個体は、魔族に対して強い敵意を有している事が殆どなのだ。感情に振り回されて自然すらも破壊してしまう事もあり、魔物を操って人々に襲わせる事もある魔族。それに対しても強い抑止力にもなる。
だからこそ、世界の為を思えばあのような存在は必要不可欠なのだ。
「リヴァイア、少し付き合って貰うぞ」
『勿論に御座います』
「…………討つと思ったか?」
足を抜こうと必死になっている怪鳥のもとへと向かいながら、千火は問い掛ける。
『少しばかりですが……』
嘘や疑われる事が嫌いなのはこの短時間で十二分に理解した。だからリヴァイアは素直に答える。
いつもその調子で頼むぞ、と言いながら、
「まあ、お前からアイツの危険性を聞いた時点では私も討とうとは思っていた。この世界を熟知しているお前があれだけ言うのなら、そんな危険な魔物を放っておくのはマズいとも思ったし、なにより私の食糧を奪うついでに殺そうとしたのだ。当然の報いを受けて貰おうとも思った節もある。……だがな、あんな茶目っ気のある行動を取られては、私としてはどうにも助けたくなって仕方なくなってな。アイツの危険性なども踏まえれば殺してしまった方が世界のためにもなるのだろうが……そうだとしてもな~……」
リヴァイアからあの怪鳥について聞いた時の心情について暴露しながらも、未だに埋まって抜けない足に悪戦苦闘している若鳥に視線を向ける。それは、幼子ならではの行動に目を細める母親のような眼差しだった。
対して、悪戦苦闘している最中ようやく千火の気配に気がついた怪鳥の眼は、警戒の色がよく滲み出ていた。……紅蓮色の顔に白の斑点が着いているところが、なんとも間の抜けた雰囲気だしていて、まったく怖くないのだが。
威嚇しているのだろう、全身に生える羽毛が逆立ち、ただでさえ大きいその身体を更に巨大化させている。
「アイツに私の言葉を伝えられるか?」
『わたくしが話す事も出来ますが、ジェスチャー……身振り手振りで会話してみてはいかがですか?』
「…………お前を介してではなく、直接私自身がアイツと会話しろという事か?」
『というよりは、相手がまず千火様のお言葉や身振りで理解してくれるかどうか、確認したいのです。千火様とわたくしは確かに会話出来ておりますが、魔族や魔物と言えども人語を理解は出来ても、それを言葉として話せる者は多くはありません。ルシファムルグは多くの場合人語を理解致しますが、この個体が理解するかどうかはわたくしにも分かりかねます。ですので、まずは千火様ご自身が声を掛け、また身振り手振りで千火様の意志をお伝えになられた上で相手が理解なされていないようでしたら、わたくしも会話の仲介役となるにやぶさかでは御座いません』
「そう言うことか。分かった、ならば任せてくれ。こう見えて私は、それなりに動物とも会話出来たものでな。魔物に通用するかは分からぬが、試す価値は十二分あるだろう」
そう言って、千火は怪鳥との会話を開始するのだった。