第一話 王は涙を零さない
「生まれましたぞ!! 男の子ですぞ!!」
法が消え去る十五年前。
平和を維持するこの世界に、一人の赤ん坊が女性の子宮から産まれた。
「はあ……はあ……」
女性は色欲を掻き立てる声を天井に上げ、自分が生み出した小さな命を静かに見つめる。
「良かった……これで私も一人の母親になるのですね。どんな顔か近くに見せてくれませんか?」
「……」
通常、ここで生まれたての赤ん坊を母親に祝福の笑みを浮かべて渡す。
しかし、老婆は赤ん坊を沈黙を維持しながらただ見つめていた。
「……あの、どうかしましたか?」
赤ん坊を産んだ女性は何も反応を示さない老婆に違和感を抱き、優しげに尋ねる。
「……いや、その……なんて言うか――」
老婆は額に汗を流しながら奇妙な現象に驚きを隠せないでいた。
「――この赤子。泣かないのです……」
「え、それはまずいんじゃ……」
赤ん坊が泣かないということは喉に水が溜まっているか最悪の場合、何かしらの障害を持ってる可能性が高い。
母親は現状に冷や汗を掻き始め、不安そうな表情でみつめている。
「……いえ。ちゃんと呼吸はしてるみたいですぞ……というか」
「――?」
老婆は赤子を母親の前に出す。
彼女は自分の子供の行動を見て、目を点にした。
「……あくびしてる……」
――ザンミア・コールネクトス。
これが後の『無法の王』となる男の名である。
――――
ザンミアという男の子を一言で表すならば『脱力』が相応しいだろう。
赤ん坊の時も、一秒たりとも泣くことがなく空腹であることを自らの意志で示さない。
それが原因か、母親でさえミルクを恵むことを忘れることが多々あった。
老廃物を股に散らかそうが、その気怠けな顔を歪めることはなかった。
母親はそんな彼を心配し、医師に診て貰ったが特に異常はなし。
精神障害も疑われたが少し感情が欠如してるだけで日常には差支えがないと言われた。
仕方なく母親は自分の考え過ぎだと己の胸に言い聞かせ、我が子を宝のように大事にした。
――そして、ザンミアが生まれて六年が経過する。
それは言い換えれば法が無くなる九年前に値する。
「ザンミア、美味しい?」
小さな木造建築の家で父親を含めた三人で食卓を囲んでいた。
無論、この時代は朝に起床し夜床につくのが当然な生活。
「うん。美味しいよ」
彼は順当に成長を遂げ、今や自分の事は自分で出来るようになっていた。
黒髪の短髪に愛くるしい紅色の瞳。
顔も整っており、将来は多くの女性にせがまれても納得のいくビジュアルだ。
「そう、なら良かったわ。今日は学校の適合検査ね。一体ザンミアにはどんな判定が出るのかしら。魔法使いかしら。それとも勇敢な剣士かしら!!」
この世界では義務教育が存在し、六歳から十六歳まで施設の学校に通うのが常識。
しかし、人には魔法型と武道型に分けられる。
学校はその子供の個性豊かな能力を育てるがゆえに存在する。
その為、魔法学校に入学するかそれとも他の学校に入学するかを決めるための検査が行われていた。
「俺と母さんも魔術師だからな。きっとこの子も魔法学校だろう」
「あら、やっぱり? お父さんみたいな立派な魔術師になってくれるかしら? ザンミアは何になりたいとかある?」
「…………」
彼は目の前に置かれるスープを黙って口に含んでいた。
常に目は眠たそうにし、廃人の様な気怠さを常に醸し出している。
「……あっ!! そうそう!! 今日は私が作った服を着て出かけるんだったわ!! 準備しなくちゃ!!」
母親は汗を掻きつつもわざとらしく準備を始める。
「ザンミア。お前は自分がやりたい事をやればいいからな」
父親は息子に優しい眼差しで語りかける。
「…………」
彼は黙々とスープを食していた。
――――
「お名前は?」
「ザンミア・コールネクトス」
母親とザンミアは適合検査を受けるために一番近くの魔法学校に足を踏み入れていた。
適合検査は学校の校庭で行われていて彼と同様に検査を受けいる子供は多く見受けられる。
「それじゃ、少し痛いけど我慢してね」
検査員の男が取り出したのは小さな針。
適合検査には僅かな血液が必要。
その為、児童に多少の痛みが伴う検査だ。
ザンミアは言われるがまま指を出し、針を刺された。
「おー偉いね。痛くなかったかい?」
「…………」
反応を見せない彼の行動に検査員は言葉を失う。
「この子強い子なんです!! どんな痛いことも我慢できる子なんですよ!! ははっ……」
歪な空気に母親は必死にフォローを入れる。
「あ、なるほど。いやぁこの検査ほとんどの子供が嫌がるんですよね。この子みたいな大人しい子がいると助かりますよ」
「ああ、だから泣き声があちこちで聞こえるんですね。ご苦労さまです」
「いえ。さあ、ザンミア君。この水槽にその指をっ……」
男が誘導しようとした時、彼は凝視していた。
自分の指から出る血を。
「…………」
ただただ見つめ、紅の瞳に一点の赤みが映えている。
検査員はその奇妙さを纏う彼に不審を抱いていた。
「ざ、ザンミア!! その水槽に指を入れるのよ!!」
「お母さん、この子……」
「この子好奇心が旺盛なんです!! 将来は研究科かしら!! なんちゃって!!」
ザンミアは実の母の冗談に答えることもなく、指を水槽の中に入れた。
水に血が馴染むと、次第に水槽は赤い線を描く。
男は紙とペンを持ちながらその線を読み解いていた。
「……ふむ。魔法が適正のようですね。属性は風です」
男は結果を紙に記し、分析を終える。
「風属性……お父さんと一緒ね!!」
「…………」
母親は普通の結果にどこか安心を抱くが、本人はそれに対して相変わらずの無関心。
「それでは検査は以上です。この紙を持って入学手続きを済ましてください」
「はい、ありがとうございました」
検査も無事に終え、二人は施設の中に向かった。
そして、扉の中に足を踏み入れようとした時。
「こら!!!! 待ちなさい!!!」
「いやだぁぁ!!! 痛いのは嫌!!」
こちらに向かって叫びながら走って来る少女とその親。
「すみません、うちの娘が……」
少女はザンミアの母親の後ろに縋りつき泣きっ面で親を睨む。
「いえ、大丈夫です。ほら、お母さんが困ってるよ?」
母親は見知らぬ子供に差別なく語りかけ、頭を撫でる。
その少女は髪が金色で、ツインの髪型をしている。
瞳も大きく、金箔の虹彩が可憐さを引き立てていた。
「やだやだ!! 針怖い!! 痛いのやだ!!」
「こら!! シーク!! 人様に迷惑かけたら駄目でしょ!!」
「やだやだやだやだやだ!!!!」
「あんた二文字しか言葉知らないの!?」
「いやだいやだいやだ!!!」
「一文字足せば良いってもんじゃないわよ!!」
傍からすれば迷惑極まりない親子喧嘩をザンミアの目の前で繰り広げる。
しかし、ザンミアの母親はその光景がどこか羨ましく思った。
子供の我儘で疲れが貯まる生活を送るなど、彼女からすれば都市伝説の様な存在。
このまま遣り甲斐のない子育てを一生続けるのだろうか。
このまま反抗期すら迎えることなく、上辺の感謝でもされるのだろうか。
その憧れは、同時に彼女の中で恐怖を擦り込んでいくものでもあったのだ。
「おい、そこのお前!!」
ふと、シークという名の少女が彼に声を掛ける。
「こら!! 初対面の子に向かってお前はないでしょう!?」
彼女は母親の注意を無視し、話を進める。
「針は痛いよな!! 痛かったよな!?」
「…………別に」
甲高く可愛らしい声とは裏腹に、厳しい口調で言葉を放つ。
「嘘だ!! 本当の事言え!!」
「…………痛くなかったよ」
「嘘言うなぁぁぁ!!! 嘘は付いたらいけないんだぞ!! ママが言ってたもんね!!」
「…………」
シークの親は等々堪忍袋の緒が切れ、ザンミアの母親の背後に回る。
そして耳を引っ張って怒鳴り声を上げながら彼女を無理矢理自分の手元に持って来た。
「痛い!! 痛いよママ!!」
「すみません、ご迷惑お掛けして……。今日はお仕置きが待ってますからね!!」
ザンミアの母親は苦笑いで二人の様子を見守り、頭を下げた。
彼女がザンミアの手を取り、扉に向かおうとした時。
「――なんで?」
ザンミアから一言シークに向かって言葉が飛び掛かる。
「なんで、嘘を付いたらいけないの?」
「えっ……」
その場にいる三人が硬直する。
「どうして嘘を付いたら駄目なの?」
「す、すみません。うちの子好奇心が旺盛でして!! さっ、行きま――」
「――なんで? 嘘が駄目て決まってるの? 人に正直なのは良いのに嘘は何で付いちゃいけないの?」
ザンミアは質問を続ける。
「そんなの、駄目だから駄目に決まってるだろ」
「駄目って? 誰が決めたの?」
「それは……ママ」
「ママが決めることは絶対なの? 何で? 守らなきゃ駄目な理由があるの?」
「……何言ってんだお前……まさか悪い子だな!! そんな子はいつかっ……痛い!!」
「またお前って言って!!」
「殴らなくても良いじゃん!!!」
シークは頭を押さえ、涙を顔に飾りながら頬を膨らませた。
「ねえ、僕? 嘘はね、人を傷つけるから付いちゃ駄目なんだよ? 僕も嘘を付かれるのは嫌でしょ?」
「……嫌じゃないよ。嘘を付かれてもどうも思わない」
「本当にそうかな? もし、お母さんから『嫌い』て嘘を付かれたらどう思う?」
「……どうも思わないよ」
正直今の回答は母親が傷ついた。
「それ本当かな? もしそれが嘘ならお母さん、傷ついてるよ?」
少し涙を浮かべているのは言うまでもない。
「嘘じゃないよ。というより――」
ザンミアは小さな口を広げ、眠たげな目に彼女たちを映しながら囁いた。
「――好き。て何?」
「「…………」」
一瞬、空気が異様に張り詰める。
「……好きっていうのはその……」
「すみません!! もう行かないとなので!! それではまた!! もし一緒の学校だったらよろしくお願いします!!」
母親は深くお辞儀をし、息子の手を引っ張りながら扉の中に入っていった。
「……なんだったのかしら、あの子」
「ねえ、ママ」
奇妙な感覚に襲われる母親の下で、シークが去り行く彼の後ろ姿を見つめながら
「……私、ドキドキしてる」
「へ? あんたも急に何を――」
彼女は娘のセリフに不信を抱くが、表情を見てその疑惑は消え失せた。
シークの瞳にはしかりとザンミアの姿が映し出され、指を咥えながら静かに見つめていた。
というより見惚れていた。
「シークあんたまさか……」
「あの子、好きを知らないのかな? だったら――」
次第に彼女の頬には赤みが帯び始め、幸せそうに微笑みながら
「私が、教えてあげよっかな? 好きを」
その時の表情は、正に恋する乙女そのものだった。