第五話 王は扉を閉める
腹部から流れる己の血。
零れる赤色の液を手で掬う。
どうしてこうなる。
どうして彼女は俺を刺した。
自分が何をした。
自分が何を否定した。
彼の頭の中は様々な疑問が交差していた。
「なんで……どうしてっ……」
パーバスはその場で膝を立て、彼女に問い続けた。
「……どい……」
「え……」
「……ひどい……」
「一体何を……」
「ひどいよパーバス……私を騙してたなんて……」
騙す?
何を?
自分は彼女に嘘を付いたことはない。
まして殺意が湧くような裏切りをした覚えなどない。
「俺はっ……何もっ……」
「嘘だ!! 知ってるんだよ……パーバスがリーニャと……できてるって……」
リーニャ?
なぜそこで仲間の名前が出る?
確かに彼女とは友好的ではあったが、お互い異性として意識した覚えはない。
「何を言ってるんだ……俺とリーニャはそんな……」
「嘘言わないでよっ!! 無法の王様に見せてもらったの……真実を」
彼女の瞳から涙が伝る。
しかし、パーバス本人に罪悪感はない。
なぜなら本当にティアナ以外の女性と関係を持っていないからだ。
彼はふと、彼女の意味不明な行動に察しがついた。
まさか、まさかあの王は、あの異常者は彼女に何か嘘を付いたのではないか?
「――――っ」
パーバスは扉の方に視線を向けた。
そこには赤毛の少女と無法の王。
そして王はこちらの視線に気付き、無表情の顔を変えた。
――にっこりと、笑顔に。
「き、貴様っ……ティアナに嘘を……」
怒りに震えながら彼は自分の腹を抑えた。
「嘘? 別に付いてないよ。だって本当でしょ? 僕は彼女の脳に直接見せたんだから。君が他の女性と関係を持っている場面を」
「幻術を使ったなっ……!! この卑怯者がっ……」
「幻術? 何で僕がそんなちんけな術を使わないといけないの? 僕はそんな庶民が使うような術式は唱えないよ」
ならば何を使って彼女をこうさせたのか。
何かの呪いか?
あの青年は一体何の力を秘めているというのだ?
「パーバス……こっちを見て……」
しかし、今の彼に王の力の推測などしてる暇はない。
目の前にいる嫉妬に狂った彼女を止める必要がある。
「ティアナ……話を聞いてくれ……奴はお前を騙しっ……」
弁解を述べようとした瞬間、ティアナは彼の頭を胸に置き優しく抱きしめた。
「ティアナ……?」
「パーバス……私の事好きだって言ったよね?」
彼女の涙が頭に零れる。
彼女の胸の温もりが彼の顔を覆う。
「好きだ、愛してる。だからちゃんと話を……」
「私も愛してるもん!! パーバスのお蔭でここまで来れた!! 生きてこれた!! 好き……好き好き好き好き好き!!!! 私パーバスならめちゃくちゃにされても良いと思ったんだよ!? パーバスの温もりを、もっと肌で感じたと思ったんだよ……?」
「分かってる……」
「体を大事にしろって言ったのパーバスだよね? 仲間を信じろって言ったのパーバスだよね? 物を大事にしろって言ったのパーバスだよね? 人に優しくしろって言ったのも!! 人を信じろって言ったのも!! 全部全部全部!!!! パーバスだったんだよ!?」
「分かってる。それは間違いない。だから、俺を信じろ」
「何を!? パーバスの何を信じればいいの!? 分かんないよ……私にはどうすればいいか分かんないよ……」
彼女は頭を悩ましていた。
彼には彼女の勘違いをどう伝えればいいかの手段が分からないでいた。
奴がどんな魔法を使って彼女の意志を弄っているのか。それを知る必要がある。
「無法の王っ……お前は彼女に何をっ……」
「パーバス……私だけを見て……」
彼の視線を無理やり自分の顔に向けさせ、王との会話を防ぐ。
すると、彼女は彼を胸から解放して置いてある剣を手に取った。
「おい、何をする気だ……」
彼女の目は暗くどこか遠くを見ているようだった。
剣の刃先を向き出すことに何も躊躇がない。
「……殺す……」
その一言で彼の背中には異常な程の鳥肌が立った。
「待て……なんでそうなる……話を聞いてくれ……頼む……」
彼は不条理なこの状況に混乱を抱き、命を乞うように涙を目に浮かべた。
自分は何もやっていない。
自分は罪を犯していない。
どうして自分の事を信じてくれない。
――どうして会ったばかりの男の言う事を信じる。
「大丈夫。首を一気に斬り落とすから……」
彼女はもはや人を殺める時の目つきをしていた。
本気だ。
本気で自分を殺そうとしている。
ひとつの嘘に溺れて愛する相手を簡単に殺そうとしている。
「駄目だ!! それだと世間と変わらなっ――」
「私にとってパーバスが法律だった。全てだった。でも、それも嘘なら――」
彼女は剣を上にかざし、瞳を湿らせながら囁く。
「――私に生きる意味はない……大丈夫……人を殺しても、実際に罪はないから……」
「ティアナぁぁぁぁ!!!!」
私。
それは今まで積み上げた信頼であり、パーバスという人物そのもの。
彼女は鬼のような表情を浮かばせ、嫉妬に任せて剣を振るった。
「――これが真実だよ、パーバスさん」
しかし、剣は自分を襲うことはない。
あまりの勢いで目を瞑っていたパーバスだったが、死なない自分に違和感を抱きその目を開いた。
するとそこには涙を浮かべて怒りの表情で剣を振りかざしている彼女の姿――
――正確に言えば、振りかざそうとしてる彼女の姿。
「……時間が止まってるのか?」
何が起こったのか分からないが、少なくともまだ自分が生きていることには確信出来た。
「はい。僕が止めました」
そして、横で声を上げるのは一人の青年。
王はこちらにゆっくり歩み寄ってくる。
「これも、お前の力か?」
「ええ。僕の力です」
彼は至って冷静で、心に無い笑顔をこちらに向けている。
「よくも……よくも彼女をっ……何をしたんだ!?」
パーバスは怒りに任せ、王を睨みながら声を荒げた。
「記憶の改竄です」
「記憶の……そんなっ……」
この世界に置いて人に幻惑は見せることは出来ても記憶そのものを変える魔法は存在していない。
そして、今彼が起こしているこの現象も然り。
「そんなの……まるでっ……天使じゃないかっ……」
古来から伝えられている天使の存在。
記憶の改竄と時間停止の技は天使だけが成せるものと聞かされていた。
しかし、そんな天使の力を悪魔以上に悪魔なこの男に授けられるはずがない。
「まあ、それはさて置き」
王は彼のそんな疑問に答える素振りも見せず、本題に入った。
「これが真実だよ、分かってくれました?」
「何が真実だっ……嘘だらけじゃないか……」
自分が今遭遇したのは詐欺と言うもの。
相手を騙し、地獄に突き落とそうとしたのだ。
だが、王は溜め息をつき、小馬鹿にする。そして
「僕が言いたいのはそれじゃない。真実てのは『真実の愛』てやつさ」
『愛』
彼の口から発せられるその単語は、異常な人間にしか見えない相手にとっては飾りの言葉にしか聞こえない。
「確かに僕は彼女の記憶を改竄した。でもさ、彼女に法の概念がなかったら多分、君を殺さなかったよ? しかも僕が彼女に見せたのはパーバスさんが他の女性と唇を重ねている場面だけだ。彼女の価値観が変わるほどは改竄してない」
「なっ、そんなはずはない!! お前は彼女の恋心を上手く利用し、殺人に追い込んだ!! それが真実だ!! お前は人の気持ちを持て遊ぶクソ野郎だ!!」
自然に暴言が口から垂れ出る。
彼の中には怨念そのものが眠り、それを力の限りぶつけた。
「果たしてそうかな。よく考えてみてよ。どうして彼女が君を殺そうとしたか。それは好きだったからでしょ? 君を愛していたんだ。どの男よりもこよなくね」
「――――」
「……ねえ、こんな女性今時珍しいと思わないかい? 食料の為ならどんな男でも抱かれて良いと思う女性が増える中、この女性だけは純粋な恋心を抱いた。それって、なんでだと思う?」
パーバスは黙り込んで考え詰める。
「……!!」
そして、真実に辿り着いた。
気が付いた彼の表情を見て、王は笑顔を見せる。
「……法の概念があったから……?」
――これが、王の言う『真実』
「そう。法には罰則が存在する。そしてそれを感情的に受け取った人間には人を好きになる感情が自然に生まれ、利益で物事を考えない女性は必ず男性に恋をする。そして、それは同時に束縛でもある。平等を願うからこそ、人は誰よりも物を得たくなるんだ。公平な中でこそ人は一番を目指す。おかしいと思わないかい? 平等が最後に生み出すのは愛でも平和でもなく『嫉妬』なんだよ。そして、この法無き世界でその呪いの様な概念を心に植えつけたのは誰でもない、君自身だ」
「俺は……ただっ……」
飲まれる。
彼の目に飲まれる。
彼の言葉に飲まれる。
全てが事を成している以上、反論は出来ない。
「君こそが全てだったんだよ。君の存在こそが、彼女の法そのものだったんだ。なのに、それなのに彼女のそんな純粋な恋を裏切ったら、そりゃ、殺したくもなるさ。実際、殺しても罪にはならないんだから」
公平であるがゆえに生まれる執着心。
信頼という大きな財産は、時に何よりも勝る凶器と化す。
人の『愛』は法によって構築されている。
生命の摂理そのものすら、彼は否定するのだ。
人を愛する気持ちでさえ、人が意図的に作り上げた幻想でしかないと。
「そんなの……おかしい……間違っている。俺はそうは思わない……本当の愛は人の本能が作ったもので生物の摂理なんだ……法律が愛を作るなんてふざけた話っ……信じられるかっっ!!」
パーバスは己の正義を信じて彼に反抗した。
今までの命の繋がりが優しさや愛ではなく法律によって生み出されていたなんて信じられるわけがない。
これまで見た人を思いやる気持ちでさえ、国がそうさせていただなんて考えられない。
愚言だ。
奴の言ってることは人の営みを否定する愚言そのもの。
人を愛する気持ちが人を殺すなど、あってたまるか。
信じない。
自分は信じない。
心にそう叫び続けるが、彼に待っているのはひとつしかなかった。
そしてそんな彼を哀れむようにして王は肩に手を置いて
「まあ、本当の愛がどうかなんて分かったところでどうしようもないんだけどね。少なくとも本当の愛が生む物が『嫉妬』なら、君は彼女を止めることは出来ない」
「――――っ」
「なんて哀れだろう。法を信じた男が、法によって死ぬなんて。これはなんというか――」
「――――」
「――死ぬほどつまらない結果だ……ねっ!!」
王の目は細く、赤く光っていた。
口角を不気味に釣り上げ、おもむろに歯茎を見せつけている。
口元にはシワが寄り、笑窪が憎たらしさを更に醸し出す。
天使には程遠い笑顔。
悪魔にしてはあまりにも残酷過ぎる笑顔。
王にしてはあまりにも無情すぎる笑顔。
――それこそ『異常者』と言う他、表現のしようがなかった。
「…………」
パーバスは彼の笑顔に心を喰われ、硬直状態で座ったまま。
恐怖も何もなく、ただその場で膝を立てたまま。
ただただ、彼の微かな瞳に映る無表情の自分を見つめることしか出来なかった。
「――それじゃ、さよなら」
王は急に立ち上がり、彼に背を向ける。
「ま、待ってくれ……たすけっ――」
彼が命を乞おうとした瞬間、王は立ち止まり紅の眼だけをこちらに向け
「助ける? 駄目だ。僕は君を助けない。僕は君を救わない。君を導けないし。手を差し伸べもしない。祈ることもしないし、願うこともしない。癒すことも撫でることも愛でることも情けを掛けることもしない。君がどこでいつ死のうが気にならないし、すでに傷を受けてるなら大した価値はない。ここで君の寿命を延ばすことに意味はない。ほら、法の概念があるなら君も知ってるだろ?」
「――――」
「僕たちが今話している間にも世界の誰かが死んでいると。数秒に何人かは命を閉ざしていると。僕さ、この言葉が好きなんだ。だって考えてみてよ」
王は自分の耳裏に手をかざし、耳を澄ますようにして囁いた。
「それはつまり、どこかで綺麗な死体が僕の事を呼んでるかもしれないと言う事じゃないか」
彼は再び満面な笑みを顔に飾り、パーバスから伸びる手を振り切った。
パーバスはその場から逃げ出そうとしたが、何故か足だけが動いてくれない。
力尽きたとかではなく、金縛りに会ったかのように意志に反するのだ。
恐らくこれも、無法の王の力によるもの。
「――このっ……」
パーバスはやつれた目を彼に向けながら
「……このっ……!!!」
憎しみを込めて叫んだ。
「……このっ!!! 異常者がぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
――その時、彼の首は切断された。
愛するティアナの手によって。
――――
棚の塔の部屋には、彼女のパーバスを名を呼ぶ声だけが響いていた。
何度も切り刻み、温もりを感じるために流れる血を舐め、体に塗りたくる。
その行為を何度も何度も繰り返し、優越感に浸っていた。
「愚かですね。本当の愛を持つがゆえに、愛で殺される。滑稽物です」
時が動いた瞬間に床に落ちた彼の首を見て少女は呟いた。
「そうかな。僕には凄くつまらない光景だよ」
「つまらない……ですか?」
「ああ、愛に溺れて人を殺すなんて法があった時代でもよくあったし、愛する男の名を呼びながら凶器を振るう女性なんて珍しくもない。まあ、今の時代じゃ珍しいか」
「さすがはザンミア様……素敵です……」
少女はザンミアの前で跪き、忠誠心を露わにした。
「僕はさ、求められたいんだよ。私を壁に飾ってくださいと、自ら心の底から願う人々の顔が見たいんだよ。そうでないと、この冷めた気持ちは癒されない」
「ザンミア様!! 私ならいつでもあなた様の飾りに――」
「駄目だ、カルニア」
彼女は顔を上げ、決死の覚悟で彼に顔を寄せた。
しかし、ザンミアはそんな彼女の行為を阻み、頬を優しく愛でる。
「君が死んだらクロちゃんが悲しむ。それに、今の僕には君が必要だ。もしそれでも飾られたいのなら、それは僕の野望が叶った時だ。その時、君を最後に残して一番見晴らしの良い場所に飾る事を約束しよう」
彼の温もりと瞳に心が飲まれ、カルニアは頬を赤く染める。
「はぁぁあ……なんてもったいないお言葉……死んでも忘れません……この世界に愛は存在しなくとも、少なからずこの私はあなたを心の底から愛しています……ザンミア様……」
「ははっ、ありがとう。さて、行こうか」
ザンミアは彼女の告白を軽い笑顔で受け止めた。
彼女は愛しの王に触れられた頬を大事に抱えながら、ティアナに視線を向ける。
「あの女性はどうするのですか?」
「ほっとこう。記憶改竄は数時間もすれば自然に消える。それに、自分が殺したと気付けば勝手に自殺するだろ。彼女には罪の意識は有るわけだし。まあ、今はないけど」
「分かりました。鍵は閉めておきますか?」
「そうだね。勝手に城の中を歩かれても困るし。それに――」
彼らは叫び、悲しみ、死体を刺し続ける彼女を背に部屋から出た。
「――血で汚されるのはこの部屋だけで十分だ」
――そして扉は閉まり、中からは彼女の泣き声だけが小さく部屋の周辺を響き渡った。
これで一章は完結になります。