第四話 王は野望を抱く
「どうしてお前がそこに……無事なのか!?」
パーバスは彼女に問いかける。
「……」
しかし、彼女は俯いたまま反応を示さない。
綺麗な瞳をどこか曇らせたまま彼の顔に目を背けていた。
「パーバスさん。あなたは僕に聞きたいことがあるんじゃないでしょうか?」
無表情の彼女の横で、王は冷静かつ冷血な眼差しをパーバスに浴びせる。
「ティアナ!! どうした!? 早くこっちへ!!」
「パーバスさん、話しているのはこの僕です」
「……くっ」
彼の頭の中はティアナで埋め尽くされていた。
彼女が無事でいてくれたのは安心だが、なぜか少女と共にいる。
しかも様子がおかしい。
彼女ならばすぐ自分の元に走ってきても不自然ではないのだが、今の彼女は目も合わせてくれない。
不定かつ異様極まりない状況だが、あの青年が何かしたとなれば話は見えてくる。
パーバスは彼女の耳に訴えるのを諦め、王に話を向けた。
「聞きたいことだと……なんだねそれは」
彼は王を睨みつけながらも、荒がる声を最大限に抑えた。
「あなた、その棚の中見たでしょ?」
「――!!」
棚の中。
それはつまり死体が保管されている件。
「……ああ。死体があったな」
「何で入ってると思います?」
なぜだと?
そんな事聞かれても分かるわけがない。
可能性があるとすれば竜の餌くらいだ。
「さあな……」
彼の答えに王は目を閉じた後に鼻で笑った。
そして理由を明かそうと、近くの棚に手を掛ける。
「パーバスさん。死体って、なんであるんですかね?」
棚に閉まってある女性の死体を眺めながら王は寂しげに問う。
「なんでって、それは人が死んだからだろう」
彼にはいまいち王の言いたいことが分からない。
質問を質問で返したくなるが、ここは彼の言いたいことを自分の頭で模索することにした。
「いえいえ、僕が聞いてるのはそれじゃなくて」
「……」
「死体はどうして家に置いてはいけないんでしょうね」
「……それは、置いても仕方ないからだろう」
「仕方ない? どうしてそんな事言い切れるんです?」
「……死体を置いてもそれはただの屍だ。会話することも出来ないし何れ腐り果てる」
「つまり、邪魔だから。ということですか?」
「別にそういう意味では……」
「いいえ。あなたは確かに言いました。あっても仕方ないと」
何が言いたいんだこの青年は。
「僕思うんですよ。人が動かなくなった時、人はそれを死と呼ぶけど別にそれは死ではないんじゃないかって」
「……どういう事だ」
「だってほら。ここにいるじゃないですか。体が。本体が。そこに意識がなくとも、腐り果てようとも、ここにこうやって生きてるじゃないですか」
分からない。
彼の言葉の意味が分からない。
心臓が動かなくなればそれは死だ。
魂が抜ければそれは死だ。
そんな当たり前の事に彼はなぜここまで否定したがる?
それではまるで、母親の死を信じない息子のようだ。
「君は……人の死を信じていないのか?」
どこかの神に祈りでも捧げているのだろうか。
現実を見ずに自分の妄想に浸り続けている哀れな青年なのだろうか。
「……いいえ。違いますよ。僕はこう思ってるんです」
王は棚にある死体の手に触れながら囁く。
「人は死体を残す為に生まれるんだって」
思考が停止する。
どういう事だ。
死体を残すため?
この青年は何を言っている?
「な、何が言いたいのかが分からないんだが……」
いつの間にか彼を小馬鹿にするような笑みが零れていた。
そこに恐ろしさはない。
ただ本当に何が言いたいのか分からなくて尋ねることしか出来ないのだ。
「パーバスさんは死体を抱いた事がありますか?」
ふと、王は奇妙な質問をしてきた。
「死体を……? そんなのあるわけないだろ」
「ですよね。まあ、僕もないです。そんなことしたら死体が汚れる」
一瞬、彼が狂気に溺れた人間に見えたが、どうやらそうではないようだ。
だが、死体が汚れると言う言葉がどこか胸に引っかかる。
「なあ、俺には君の気持ちがいまいち理解出来ないんだが、ひとついいか?」
「はい、なんですか?」
彼は核心を突くことにした。
先程から奇妙な発言ばかりする彼の心理を追及する質問。
「――君は、死体を何だと思ってるんだ?」
この質問。
この質問さえ分かれば彼の価値観が理解できる。
「……僕にとっての死体ですか? それは……」
パーバスは息を呑みながら彼の発言を待つ。
そして王は口を開き、口角を上げながら目を細くして満面の笑みで答えた。
「――『美』ですかね」
「…………」
「だってほら、こんなに綺麗なんですよ。死んだ直後の人間は特に。まるで花火みたいじゃないですか。数十年という歳月を経て、無駄に抗い、無駄に生き、それを自身の胸の中で真実だと思い込ませ絶対的なゴールである死を目前にしてもなお、生きようとする。そして足掻きに足掻いて結局最後は朽ち果て、本体を地上に残してどこかに消える。残った死体はその人の努力の結晶が詰まってるんですよ。死体を触ったことはありますよね? そこに温もりなんてない。ただの物同前だ。でも、よく触ってみてください。確かに弾力はあるし、残った分泌物はあるし、顔だってこんなに見つめられるんです。顔をずっと見つめていればいつしか目を覚ましそうに考えられる。でもその閉じた目を開けることはない。その時、僕の心の中にこれ以上ない癒しと高鳴りがあるんですよ。これを『美』と呼ばずになんと呼ぶんですか?」
「…………」
「僕には夢があるんです」
気付けばこの部屋の空気は彼の物になっていた。
王は興奮しながら自分の胸を掴み、熱論を続けた。
「それはこの城のあらゆる所に死体を飾る事です。扉を開けば死体の壁が僕を迎い入れて食事の時もお風呂の時も寝る時もずっと壁に飾られている。死体はこれ以上ない装飾品なんですよ。時計を飾るくらいなら、剣を飾るくらいなら死体を飾った方が良い。でも……でも……」
王は急に悲しげな表情を浮かべ、声を荒げ始める。
「でも……死体は壁には飾れない。壁に飾るには釘か何かで刺さないといけない。それじゃ駄目なんだ!!!! 僕は出来るだけ綺麗な死体が好きなんだ!! 血を流さず!! 殴られた跡を残さず!! 本当は眠ってるんじゃないかと錯覚させるくらいの死体が好きなんだ!! 釘なんて刺したら血が出るじゃないか!! 傷を付けずに人を殺すのは容易い。だが訳あって僕は自分の手で人を殺めることが出来ない。だからと言って汚れた死体で妥協するわけにはいかないんだ!!」
王は自身の髪を両手で掴み、苦し悶えるように叫び続ける。
愛着のあるその綺麗な肌には無数のシワを寄せ、瞳を限界まで開いていた。
「しかも、しかもだ!! 死体は何れ腐り果てる……それだと永遠に飾れないじゃないか!! 僕は死んだばかりの体が好きなんだ!! 冷たくどこか弾力のあって人気を感じさせるような死体が好きなんだ……愛してるんだ……。それは女性じゃなくてもいい、男性でも構わない。子供でも老人でも気には留めない。ただ、ただ綺麗な死体が良いんだ……。死体は凍結させれば腐ることはないがそれじゃ駄目なんだ……。触れば弾力のある死体じゃなきゃ嫌なんだ……。そんな死体は作れない。だから奇跡なんだ……人の命は奇跡の生命体なんだ!! 死体という美しい装飾品を残す素晴らしいものなんだ!! だから僕はずっと探してるんだ。傷のある死体を治す方法を。死体を凍結せず腐らせない方法を。傷を付けずに壁に飾る方法を」
「…………」
「あああああ!!!! 世界は何て残酷なんだぁ!! 人と言うこんなに儚い存在を生み出しまうとわぁ!! だが、儚いからこそその美しさは増す。永遠でないからこそ死体は輝く。それでも!! それでもそれでもそれでもそれでもっ……僕は諦めないっ!! この城に死体を飾る事を諦めないっ!! この夢だけは絶対に誰にも邪魔させないっ!!」
――――これが、無法の王の正体。
死体をこよなく愛し、壁に飾る夢を抱き続ける青年。
その異様な夢には、異常なほどの執念がある。
王は理解している。
この考えを持つのがこの世界で自分だけだと。
だから必ずこの人生の中で成し遂げてみせると心に決めている。
今の世に、夢を抱く者などいない。
生きるだけに必死で、相手を騙すことしか脳にない連中ばかり。
その狂気の世界で唯一夢を持った人物。それが無法の王。
しかし、その夢こそが、狂気そのものだという事実。
パーバスはようやく気付いた。
自分の目の前にいるのは未来の鍵となる青年ではないと。
まして、人を殺し続ける狂人ですらないと。
この棚の塔に囲まれ、語り続ける奴の正体は――
「――異常者だ……」
異常。
誰にも理解されず、常識がないこの世界に住む人間ですら非常識だと思う相手。
いや、もはや異常という言葉で括っても良いのだろうかと頭を抱える始末。
その紅の瞳に映るものは、自分の人生では到底測りきれないほどのもの。
なぜだ。
なぜ神はこんな人間を生み出してしまった。
人の死に興味があるとかそんな物ではない。
その先、残った死体を『美』と肯定する彼の価値観は何者にも例えることが出来ない。
それを悪と呼ぶべきかも、今の自分では言い切ることが出来ない。
ただ、ただただ異常。
それでしか彼を表現する手段がないのだ。
パーバスは黙り込んでいた。
何を言えば良いか分からなくなっていた。
何もかもが違う。
彼と自分とでは何もかもが異なっている。
価値観や世界観。
物の見方ですら彼とは違う。
それこそ、『無法の王』という称号は彼以外に相応しい者はいないだろう。
この法無き世界で殺害を勧めるような人物。
死体が溢れかえるこの世界を誰よりも愛している人物。
それこそが、『無法の王』と言うものなのかもしれない。
「……ははっ……はははっ……」
パーバスは無意識に笑っていた。
彼の圧倒的な異常さに脳が付いていけなくなっていた。
自分は一体何をしにここへ来たのかも分からなくなっていた。
目の前にいる異常者に心を持って行かれ、彼の世界に誘われようとしていた。
不本意に、彼の心は食われかけていた。無法の王によって。
「パーバス……」
その時、ずっと黙り込んでた愛すべきティアナから声が発せられた。
「……ティアナ?」
彼女はゆっくりとパーバスの元に歩み寄る。
彼は彼女の心に縋るようにして立ち上がり、自ら距離を詰める。
「パーバスさん、さっき僕が言ったこと覚えてますか?」
いつの間にか冷静さを取り戻していた王は扉の前で死体を閉まっていた。
「ティアナ……」
「パーバス……」
彼は王の言葉よりも彼女に縋りたい一心で欲に任せたまま優しく抱きしめる。
「帰ろう……俺達に彼は理解出来る者じゃない。帰って他の手段を……」
――抱きながら囁く彼はふと、腹部に違和感を覚える。
「……ティアナ……?」
彼女は下を向いたまま彼から離れ、何かから手を離した。
「……どうして……?」
彼はその違和感が何かに気付く。
服が湿り気を生み出し、そこから血が滲み出ている。
――彼の腹にはひとつのナイフがしっかりと刻み込まれていたのだ。
「言ったじゃないですか。真実を見せるって」