第二十一話 『死骸』
死体がカファルだと判断する材料があるとするなら、それは髪の色だけだ。
顔面は原型を保っておらず、何発も鈍器で殴られ潰された形跡がある。
腹部からは内臓が垂れ落ち、その内臓ですら刃物で切り刻まれたようだ。
「……うっっ!!」
仲間であるカファルの無残な姿を見て、ティアナは嗚咽に襲われる。
「……誰が……こんなっ……」
辺りは破られた腸の独特な臭みに覆われ、地面は血痕で染まっていた。
スージーも口元を押さえ必死に吐き気を堪えるも、倒れ込むティアナを心配して背中を摩っている。
「ごめんなさい……私が戻った時にはこの状態だったの……この状態じゃ、何もできないわ……」
シークはザンミアの顔を伺うも、彼は口を閉じたままだった。
「ザンミア? 大丈夫?」
「……」
彼はゆっくりと顔を伏せたまま血の水たまりに足を踏み入れ、靴を汚しながら死体に近付いていく。
そしてカファルの白髪を指先で掻き分け、ふと
「酷い……酷過ぎる……一体誰がこんなことを……僕は悲しいよ……」
ザンミアは声を震わせ、今にでも泣き出しそうだった。
「落ち込まないでザンミア……また死体は集めればいいわ……次はこんなことが起きないように――」
「そんな簡単に言わないでくれッ!! この世にあるものほとんどが有限なものばかりで全て特別なんだ!! 死体も同じさ……ひとつひとつが貴重な財産なんだ……僕にとって死体は……死体は……」
「分かってる……それは私が一番分かってる……でも嘆いていては前に進めない……そうでしょう? 大切な物を失う気持ちは分かるわ……でもこれを機にまた次の段階に移りましょう……死体の処理は私がしとくから……」
死体の事になると彼はこんなにも我を忘れるものなのかとティアナは心のどこかで思った。これが一人の愛する女性に対するものなら、どんなに感情豊かな青年に見えただろうか。
「すまない……処理は君に任せるよ……今日はなんだか疲れた……城に戻ることにする」
「分かったわ。樹液の件も私が調査しとくわ」
「いや、少しそれは待ってくれ。その前に調べたいことがあるんだ。死体の処理が終わったらシークも城に戻ってきてくれ。話したいことがある」
「え、ええ。いいけど何か大事なことがあるの?」
「まあね。そんなに時間はかからないと思うから、それが終わったら調査を本格的に進める」
「了解。とりあえず先に戻ってて。確かに疲れてるみたいだし、帰ったらゆっくりするのよ」
「ありがとう、君に甘えることにするよ」
ザンミアは重い腰をシークに支えてもらいながら、その場から離れようとした。
「ま、待って……!!」
するとティアナは青ざめた顔のまま口を開き、二人の行く手を阻む。
「それは私の仲間なんです……勝手に話を進めないでください……せめて、私がカファルを――」
「それは駄目よ」
シークは急に真面目な表情を浮かべると、冷たい声で彼女の言葉を遮る。
場に張り詰めた空気を維持しながら彼女は
「この死体は私が処理する。たとえあなたの仲間だろうが関係ない。これは私がザンミアのために出来る精一杯のことなの。それを邪魔されては困るわ」
「で、でも彼は誰に殺されたかも分からないんですよ!? その上こんな無惨な姿に……それも誰にやられたかも分からないまま、見知らぬ人に処理されるなんてあまりにも可愛そうです!! だからせめて私が供養を!!」
「だったら尚更よ。この世界ではそんなの普通にあること。しかも、この死体は私が見つけたのよ。あなたがとやかく言う事じゃないわ。それに――」
「なんですか……」
「あなた死体の匂いに慣れてないみたいじゃない。そんなので本当に最後まで面倒見られるの?」
「そ、それは……」
ティアナは何も言えないまま黙り込んでしまった。確かに自分は死体の処理をしたことがない。仮にそんな場面に遭遇しそうになったらいつもパーバスが代わりにしてくれていた。
「決まりね。この世界で生きていくなら血の匂いは自然に慣れるもの。でも見ただけで吐き気を催すならあなたは誰かに守られていたようね。甘やかされたというべきか……」
「……」
スージーは何も言い返せないティアナのつらそうな姿を見守ることしか出来ず、せめてもと思ったのか彼女の肩に手を優しく置いた。
「ザンミアは城に戻れる? あれなら今日ここで泊まってもいいのよ」
「大丈夫、二人も連れて城に戻るよ。カルニアも心配してるだろうしね」
「ああ、あの小娘ね……分かったわ。明日にでも死体は処理しておく。そのあと城に戻るわ。カルニアにもよろしく伝えて頂戴」
「うん、後は任せたよ」
ザンミアは独りでに出口に向かい
「スージーさんの紹介はまた今度にするよ。まだ僕も全部彼女と話しているわけではないからね」
シークから視線を向けられた彼女は、ハッとした表情を浮かべすぐさま
「は、はい。シークさん……でしたっけ。また後日ゆっくりお話しましょう」
「え、ええ。ごめんなさい。事態が事態だったからのんびり話せなかったわ」
「いえ、こちらこそ伺うタイミングを間違えました。少しだけ話すと、わたくしはカルニアの実の母親です」
その言葉を聞いてシークは目を見開き、驚いた表情で
「え……えっ!? あの小娘の!?」
「はい、あの子を連れ戻しに参りました。それがわたしくしの目的です」
シークは何も言わずポカンと口を開けていた。
「まあ、その話も後日だね。とりあえず任せたよシーク」
「あ、え、う、うん」
スージーは俯くティアナの肩を優しく撫で、「行きましょう」と囁く。すると
「……明日、私もここに来ます」
彼女の発言に一同が視点を集中し、ザンミアも足を止める。
「それはどういう意味だい?」
「言った通りよ。確かに私がカファルを供養する権利はなくても、見送るだけの権利はあるはずよ。シークさんの邪魔にならないようにするわ。ただ眺めてるだけ」
ザンミアは彼女の背中を見つめたまま少し黙っていた。シークは「何を言ってるのよ」と反対の姿勢を見せるが、それをザンミアは
「別にそれくらい良いじゃないか。心配しなくても彼女を一人で外出させたところで問題ないよ。僕にはティアナさんの居場所なんてすぐ分かるからね」
「で、でも……」
「それに彼女は僕に言ったんだ。必ずカファルを埋葬して僕を改心させてみせると。その覚悟は本物のようだしね。見守るくらい許してやろうじゃないか。最も、僕を改心させるなんて無理なことだけどね」
「……あなたがそこまで言うなら仕方ないわね。ただし、本当に処理するところを見るだけよ。やり方に関しては一切口を挟まない。いいこと?」
ティアナは、「分かりました」と言い切り、その後ザンミア達と出口に向かった。
「ティアナていう子……たまに変なこと言い出すけどそこまで厄介な子に見えないのよね……なんていうか、ザンミアの執念に比べたら圧倒的に劣るというか……でも……」
シークは時折見かける彼女の瞳にどこか不思議な感覚を覚えていた。このまま、本当にザンミアの元に置いていいのか。可能なら早く、始末したほうがいいのではないかと。彼女の中ではザンミアとは違う感覚でティアナという女性を認識している気がしてならなかった。
――――――
一人取り残されたシークは深いため息を突くと、死体の近くにある椅子に腰かけた。
「うふふ」
後ろから幼い少女の笑い声が響くと、シークは
「何が可笑しいのよ」
「上手くやり過ごせたね、お姉たん」
「……まあね。ただ明日あの子がくるのが気がかりだけど」
「キャハハ、大丈夫だよ。あのお姉たんには力もなければ知能もないよ」
「そうだといいけど……」
「そんなに心配する必要ないよん。だから――お姉たんが死体を切り刻んだこともバレはしないよ」
シークは焦りを生じていた。ザンミアにカファルの無惨な姿を見せた時に、真っ先に自分が疑われるのではないかと。
だから死体の処理は自分が速やかに行うつもりだったが、予想外にもティアナが見守ると言い出した瞬間も、本当は手に汗握る想いだった。
「でも本当にあなたの姿はザンミア達には見えてないのね……」
「キャハハ、もっちのろんろんだよ。あたちの姿はちぎりを交わすに相応しい者にしか見えないからね。まあ、そのちぎりを結んでいたおじたんはいなくなっちゃったんだけど」
「ザンミアに勝負を挑むからよ。あの人の力を舐めてかからないほうがいいわ。あなたもあそこまでとは想ってなかったでしょ?」
シークは小馬鹿にした笑いを傾けながらジェラムに問いかけるが、彼女は
「キャハッ。案外そうでもないよぉ。あのおじたんも面白かったけど、今はもっと面白そうなのが見れそうだからね」
「……まさか、ザンミアが勝つのを分かってて?」
「キャハハハ!! どうかなどうかな?? それはあれだよ、神のみぞ知るってやつだよん」
「ふっ……悪魔のあんたが神を口にするなんてね」
「悪魔だって神様くらい信じるよぉ。この前だってお願い事したしね」
「ふーん、どんな?」
「神様の心臓を食べれますようにてね」
シークは、呆れた顔で「罰当たりな悪魔ね」と言って鼻で溜め息を突いた。
「ところで、あなたの言う通りにしたけど、これで本当にザンミアは私のものになるの?」
「なるなる。死体なんて興味失くしてきっとお姉たんにゾッコンだよ。あたちが言うんだから間違いないよ」
「悪魔の言う事信じろと言われてもね……」
「キャハハ、でも結局行動したよね? それはきっとあたちの事信じたってことだよ。ほら、あたちのお蔭でお姉たんには血の跡一つ残ってないし、このままあたちの言う事聞いてれば絶対上手くいくよ」
シークはそれでもどこか不安を感じていた。あのザンミアをとりあえずは騙せたが、仮に自分が死体を切り刻んだことを知れば、彼は自分に何をするのか分からない。
「ふふ、そんなに怖いの?」
どこか暗い表情を浮かべる彼女を見抜いたジェラムは優しく声を掛ける。
「ええ、怖いわ」
「確かにあのお兄たんかなりやばいのは間違いないからね。ばれたら半殺しは生ぬるいかもねっ」
「別にそれはいいのよ」
「……え?」
ジェラムは首を傾げる。
「私が死ぬことで彼が私を許して忘れずにいてくれるならそれでいいの。ただ、彼の心の中から完全に私がいなくなるのが怖いのよ。彼には……ほんの僅かでいいから私を想ってて欲しいの」
「……」
ジェラムは彼女の言葉を耳に入れて口角を次第に緩ませた。そして
「……キャハッ、キャハハハハハ!! キャハハハハ!! 愛!! 愛だね!! あたち愛大好き!! 胸がキュンキュンしちゃうよ!! お姉たんやっぱり気にいっちゃった!!」
ケタケタと笑い、拍手喝采を繰り返すジェラムにシークは複雑な感情を覚えるも、悪い気はしなかった。
「気に入って貰えて恐縮だけど、約束は忘れないでよね。あなたがザンミアの心を私にだけ向けてくれる代わりに、私はあなたと契りを交わす。代償は……目だっけ」
「うんうん!! そうそう!! お姉たんの目がほちいの!! でもね、一つだけ聞いてもいい?」
「ん? なに?」
ジェラムは彼女の目の前に立ち寄ると、満面の笑みを浮かべながら
「どうしてそんなにあのお兄たんを好きでいられるの? 明らかにあのお兄たんは死体だけを愛してるんだよ?? お姉たんなんて、死体を集めるための道具としか思ってないかもよ??」
ジェラムの主張は的を得ていた。確かにザンミアはシークをただの利用価値のある道具としか思っていない。それは彼女自身も自覚していた。あの日、ザンミアから告げられた真実を耳にした瞬間から、彼は人とは全く異なる価値観を持っているのだと確信した。
しかし、だからと言って彼を嫌いになれるかと自問自答を繰り返すと決まって答えは出ていたのだ。
「簡単よ。彼は小さい頃に私を守ってくれた。それが忘れられないの。きっと、彼はどこかで私のことを想ってくれてるのよ。だから信じてられる。例え今、死体にしか目がなくてもあの日私を庇ってくれた事実には変わらないわ」
ザンミアが彼女を守ったのは、彼女だからではなく、白く綺麗な肌に心躍らせていたことに彼女は気付いていない。
結局あれは、ザンミア本人が死体に恋すると知らず、そのほんのきっかけであり些細な出来事に過ぎないのだ。
シークという女性は稀に見る美白人だ。まるで人形みたいだと多くの人に絶賛された。
しかし、それは言い換えればザンミアがこよなく愛する死体にどこか近い肌質をしているということ。
哀れな事に、ザンミアですらもその事実には気付いていない。誰も、その事実を知らない。
「私の夢はいつかザンミアと一緒にいられることよ。そして、彼の心も私だけのものになる。これ以上のことは望まないわ」
シークは顔を紅潮させながら、彼への愛を熱く語った。
「ふーん、本当にあのお兄たんが好きなんだねぇ。聞けてよかったよん」
ジェラムは満足げにすると、しばらくシークの顔を見つめていた。
「まあそんなところね。これでいい?」
「うん!! 久々に面白い話聞けてあたちうれぴい!!」
いちいち話し方に癖があるのが気になるが、シークは口にするのを控えた。
「あ、そうだ。ネエネエ」
「なに?」
「お礼ってわけじゃないんだけど、あたちからも一つ面白い話したげる」
「面白い話?」
「うん!!」
シークはジェラムからの話に耳を傾けるも、悪魔である以上はそこまで信じないようにしようと決めていた。
「この世界で――いっちばんやばい存在教えてあげりゅ!!」
「え……」




