第十六話 『罪』
キャレットは目を覚まし、瞼の隙間から差し込む光に虹彩を閉じた。
「……うっ……」
「おっはよぅ。目覚めた?」
横を向くと、そこには白眼の少女が腰を下ろして興味深そうにこちらを見ている。
「……ここは……そ、そうだ!! ルナは!? ルナはどこにいった!?」
キャレットは残虐的な記憶を脳裏に浮かばせ、娘の安否を確かめる。
しかし、辺りの細道には何もなく、血一滴すら見当たる事はなかった。
「あの子ならいないよぉ。なんか背中に赤ちゃん抱えた男の人が連れて行ったよん」
「あ、赤ちゃんだと? それじゃ他の……」
「あのおっきいお兄たんなら黒髪の女の人殺したらすぐにいなくなったよぉ」
アリスが殺された事実を突き付けられたキャレットは、両手で己の髪を掴み、再び込み上げる罪悪感に陥った。
「そうだ……俺が……俺が……」
その際にキャレットは髪を容易に掴んだ手を視野に入れ、新たな疑問を浮かばせる。
「なんで俺は生きてるんだ……? 一体、何が起きてるんだ……」
あの時自分はいつ死んでも不思議ではない状態だった。むしろ死んでいて当然だった。それでも当然の様に打ち付ける心臓の鼓動に違和感を覚え、頭の中が混乱の渦を描いた。
「それはねぇ。あたちが生かしたんだよ」
「君が……?」
少女はキャレットの後ろに回ると彼の肩に小さな手を乗せ、囁くように
「うん。だって久々にあたちの事見える人見つけたんだもん。簡単に殺させはしないよ?」
「何言ってるんだ……ルナだって君の事怯えてたじゃないか」
「ん? ああ、ちゃうねん。ちゃうねん。あれはねぇ、誰も前にいないのに喋るおじたんに怯えてたんだよ」
「俺に……?」
キャレットは思い出してみると、確かにルナは怯えてはいたが、ずっとその視線は自分に向けたものだった事に気付いた。
「それに、あのお兄たんはあたちにだけ質問しなかつたでしょ? あれは見えてないからだよ」
「それじゃ、本当に俺にしか……」
「うん!! 運命だねぇ!! キャハハ!!」
歓喜する少女を奇妙に思うキャレットだが、それだけでは全ての疑問を解決するに至らなかった。
「つまり……これはどうなったんだ? アリスの亡骸はどこに……」
自分が気を失っている間に何が起こったのかいまいち想像出来ない。それよりも、今までの事が全て夢だったと言われた方が納得がいく。
「アリスたんならあたちが家の中に戻しといたよ。お兄たんの爆食の力も消えてるし、今頃家の中に入った人が見つけて報告でもしてるんじゃない?」
少女の言う通り、先程まであった壁がいつもの道に戻っている。恐らく壁と化したアリスの家は元に戻ったのだろう。
「なら、今すぐ騎士の人に説明しないとーー」
「それは駄目だよ」
急に冷たい口調になった少女は彼の肩を強く握り、すぐ横に顔を出した。
「だが、このままでは原因不明の……」
「それでいいんだよ。このままおじたんが説明したらおじたんどうなるか分からないじゃん。あたちはね、おじたんと離れたくないの」
少女の言いたい事がよく分からない。
「離れたくないって……俺と君はそんな密接な関係ではーー」
「うんうん。それはちゃうよ。ちゃうのよ。あたちとおじたんはとっっても深い関係になったんだよ。その証拠に、ほら」
そう言うと少女は拳をキャレットの腹に目掛けて突き出し、物の見事に貫通させた。
「うっ!!」
一瞬痛みを感じたキャレットだったが、腹部から流れる血液は確認出来ず、中に手が住み着いてるのに何も感じなくなっていた。
「……これは」
「キャハハ。すんごいでしょ? あたちとちぎりを結んだから強い力を手に入れたんだよ?」
「ち、契りだと!? 俺はそんなの結んだ覚えはない!!」
「なんか困ってたからあたちが気を利かせて強制的に結んだのよ。手と足が無くなった時はあたちの力で生かしてたけど、その後はちぎりを結んだよ」
「……君は一体……」
すると少女はキャレットの疑問を待っていたかのように満面の笑みを見せ、彼の前にへと足を運んだ。
「キャハハ!! あたち?? あたちはねーー」
少女はフードを脱ぎ捨て、跳ね上がった髪を露わにした。しかし、キャレットが目に付くのは上ではなく下だ。一見白眼を除いてはただの幼い女の子だが、明らかに人と違うところがある。
「あたちは『霧の悪魔』のジェラム。人に食べられたかわいそうな悪魔なの。だからよろしくね、おじたん」
彼女の尻からは黒い尾が伸びている。先端は尖っており、触れば出血は免れない程だ。
「霧の……悪魔……」
「あたちとちぎりを結んだ人は、もれなく体を霧に変化させる事が出来るの。もちろん、慣れたら硬くも出来るよ。キャハハ!! 硬くって、なんかやらしいね!!」
キャレットは一瞬呆気に取られたが、すぐにリゼルフの存在を思い出し、ジェラムに飛びかかった。
「お前!! あのリゼルフの仲間なんだな!? そうたんだな!? 俺を貶める為の罠だったんだな!?」
「ちゃうよ」
「嘘だ!! この悪魔が……許せない……お前を絶対に許してたまるか!! ルナも!! アリスも!! お前が奪ったんだな!? そうなんだろ!!」
「ネエ、おじたん」
「ふざけた話し方しやがって!! 返せ!! ルナを!! ルナを……っ!!」
キャレットは彼女を掴んだ腕を次第に緩め、倒れこむように膝をついた。
「頼むから……返してくれ……」
流れ落ちる涙は地面に滴下され、乾いたコンクリートの上に染み込んだ。
するとジェラムは彼の背中を体で包み込み、耳元に向かって
「おじたん……おじたん……」
「全部……お前がやったんだ……お前が……」
「おじたん、全部ーーおじたんが悪いんだよ?」
「……え?」
キャレットはジェラムの顔を伺う。そこには、白眼の奥にある瞳を限界まで開き、嘲笑う彼女の姿があった。
「あたち知ってるよ。ピクニックに連れて行ったの。外に行かずに街の中で過ごしてればこんなことにならなかったんだよ?」
違う。あれはルナが喜ぶと思ってやったのだ。
「あたち知ってるよ。あの子を守る為に自分がやったと言えば良かったのに、言わなかった事」
違う。あのまま自分が死んではルナが一人になると思ったのだ。自分の命など惜しくはなかった。
「あたち知ってるよ。おじたんのせいで、何も関係の無い人が死んだ事」
違う。あの時はああするしかなかったのだ。それ以外に解決策が見つからなかったのだ。
「あたち知ってるよ。おじたんが下手な事言ったから、こんなことになったって」
「……違う」
「全部、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部」
「……違う……違う」
「ぜぇぇぇぇぇんぶっ。おじたんが悪いんだよ?」
「違う!! 全部俺じゃない!! 俺じゃない!!」
キャレットは必死に否定する。首を大いに横へ振り、外れんばかりの頭を両手で抱えた。
「おじたん、あたちね、知ってるんだ」
「……」
「人って、都合が悪いと全部誰かのせいにする生き物だって」
「違う……俺は……誰かのせいになんか……」
「キャハハ!! それすらも否定しちゃうんだ。なんかそんなおじたんてさーー」
ジェラムは彼の顔面を掴み、互いの額を合わせた。そして口から長い舌を垂らし、獣のような荒息を立てながら
「すんごい、いけない人だねぇぇぇぇぇ!!」
キャレットは放心状態に陥った。
白い瞳に飲み込まれるように心奪われ、悪魔の吐息に包まれるように言葉を失う。この悪魔の言う事が全て真実かのように錯覚し、反論の文字すらも脳裏に浮かぶことはなかった。
「……ぁ……は……」
そうだ、全て己が起こしたことだ。奴は何も間違った事は言ってない。
「俺が……悪い……」
「うん、そうだよ」
ルナを拾ったあの瞬間から、自分は重い罪を背負っていたのだ。子供を守りたいがために、人の親を売ったのだ。
「そうだ……全部俺じゃないか……何もかも……俺が悪いんじゃないか……」
「うん、そうだよ」
最低だ。自分はこの世で最も罪人だ。何度死刑されても許されない程の罪を負ったのだ。
「はは……俺が……俺がぁぁ……ぁぁぁ……ぁぁぁ!!! ぁぁぁぁぁ!!!」
キャレットは発狂した。そうすることでしか、自我を保つ事が出来なかった。心の中で自分を殺してくれる人物を探し始め、ついには地面に頭を打ち付けた。
肩の皮膚を剥ぐように爪を掻き立て、血を滲ませるがすぐに傷は霧と化す。
体全身を蝕む罪悪感は凄まじく、苛立ちという言葉で収まるものではない。
自分が生きていることすら罪になり、己を生み出した神に恨みを持つ始末。
あまりにも重い。これが罪の重さなのか。まだ壁に押しつぶされた方がマシだ。この鎖が一生纏わりつくのだと考えると、吐き気がして仕方ない。
「おじたん、これからどうすれば良いと思う?」
発狂を続ける中、ふとジェラムが問いかけてきた。
「……これから……どうすればいいんだ……」
もはや生きる気力がない。生きてていいかをまず尋ねるべきだろうか。しかし、誰かに己の存在を肯定して貰ったところで心底癒されるものではないのは分かる。
「キャハハ。簡単だよ。謝ればいいんだよ。ルナたんに会って、ちゃんと謝れば済む話だよ」
「本当に……それでいいのか?」
「確かにそれで罪を償ったとは言えない。でもね、まずは誠意を見せることから償いは始まるのよ。あ、あたち良い事言ってるぅ」
自分は償えるのだろうか。この罪を、無くすことが出来るのだろうか。
「アリスはどうなる……その子供には……どう償えば……」
「分かんなぁい。でも、今はそれに関して触れるべきじゃないかもねっ。と、悪魔の勘が申しておりますぅ」
そうだ、アリスに関しては今すぐ償えるものではない。まずは目の前の事に集中した方がいい。焦ってしまっては、また同じ過ちを繰り返す気がする。
「そうだな……まずはルナを探すことにするよ……」
「うん、それがいいねっ。あ、ちなみにその霧は目にもなるよ」
「目?」
「そうそう。この世界を霧で覆い尽くせば、世界を監視するのと同じことになるんだよ。キャハハ、すんごいでしょ?」
ただの霧だと思っていたが、上手く使えば千里眼以上の力を発揮するということか。
「それさえあればルナもすぐに見つけられる……よし、今すぐこの世界を霧でーー」
「あ、今は駄目。今すぐその力使うと、国の騎士に見つかっちゃうよ」
「……それなら、いつが……」
騎士など気にしていてはキリがない。仮に何かに追われることになろうとも、自分は執念を貫く覚悟だ。
「そうだねぇ、この世界に竜が現れて、世界が混乱の渦に溺れた時ーーかな」
「なんだそれ……」
まるでお伽話のようだった。確かにそんな時代が来れば、国の騎士は霧など後回しにするだろう。だが、それが事実だとすればあまりにも都合が良すぎる。
「キャハハ。まあ、信じられないのも無理ないよね。でも、あたちの言ってる事は信じた方がいいよ。悪魔の鼻は敏感だからねっ」
キャレットは考え込むも、信憑性が薄いからこそ意外と本当なのではないかと思えて来た。
それに、一度世界を霧で覆い尽くせばさすがのルナでも数秒で見つけられるはずだ。ここは半信半疑でも彼女の言うことに乗ってみるのも悪くない。
「分かった。君の良いと言ったタイミングで霧を出すよ」
「キャハハ。これで決定だね。あ、言い忘れてたんだけどーー」
「ん? なんだ?」
「確かにちぎりは結んだとは言ったけど、あれ仮なの。だから、正式なちぎりを結ぶ必要があるの」
何かと思えばそんなことか。自分はすっかり契約したつもりでいるのだ。正式に結べと言われれば躊躇いなくするのが当然。
「ああ、あれか。悪魔との契約だから、何かあげればいいのか?」
「うん!! あたち、どうしても欲しいのがあるんだけど、くれるぅ?」
「分かったよ。何が欲しいんだ?」
悪魔が欲しいものなどろくなものではない気がするが、ここは素直に提供しよう。
「うん、えーとね」
ジェラムは嬉しそうに小さい人差し指を前に突き出し、玩具を選ぶ子供のような無邪気な笑顔で
「ーーおじたんの眼、ちょぉらい」




