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無法の王は心を喰らう  作者: アメアン
三章 無法の王は死体を飾る
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第十四話 『耳なし』

 街に戻るといつもの光景が目に入り、ある意味心が落ち着いた。

 さすがにルナが魔物を捻じ曲げたことは皆知らないようだが、騎士が外で見掛ければ少なくとも神の落とし子の件で騒ぎになるだろう。


「よし、服を買ったら帰りに食料でも買おうか」

「はーい」


 しかし、だからこそいつも通り堂々と外を歩くことに意味がある。あまり挙動不振になると、逆効果になる場合があるのでここは普通の親子の買い物を装えば、面倒な事にはならないはずだ。


「おい、聞いたか? あの『耳なしのリゼルフ』を見掛けた奴がいたって」


 住人の噂話を聞いた時、キャレットはすぐさま意識をそちらに傾けた。


「どうやら本当らしいな。聞いた話ではかなり怒ってるらしいぞ」

「あのリゼルフを怒らせるとはそいつの運も尽きたな……せめて裏でこっそり済ませて欲しいものだ」


 鼓動が急に速度を増した。

 キャレットの額には冷えた汗が伝り、焦りを生じさせていく。


「お父さん……?」

「や、やっぱり今日はやめておこう。服は今度でもいいよな?」

「え……うん、いいけど」


 キャレットはルナの承諾を得た瞬間にその場から離れ、半ば無理矢理彼女の手を引き込んでいた。

 後ろから「お父さん、痛いよ」と苦し混じりの訴えにも耳を向けることなく、ただ前を進んでいく。

 煉瓦に積まれた家の間にある細道を駆け巡り、出来るだけの近道を歩いていると


「ーーぼくちゃんの言ってる事が理解出来ないのか??」


 目の前の曲がり角から一人の野太い声がした。


「い、いえ……そういうわけでは……」

「なら早く答えてよ。ぼくちゃんの餌を奪ったのは君かい??」

「わ、私ではありません」

「じゃあ、誰が奪ったんだい?」

「し、知りません……」

「どうして分からないのさ」


 間違いない、この声の正体は耳なしのリゼルフだ。

 噂でしか聞いた事がないが、彼の会話には理不尽さが充満しており、まともな言葉を交わすことが出来ないらしい。

 相手の気持ちなど汲み取ることは無く、ひたすら己の疑問をぶつける。まさしく頭のイカれた人間がやりそうな手口だ。


「……引き返そう。別の道で帰るんだ」

「う、うん」


 キャレットは危機一髪だったと少し安心し、落ち着いた声でルナを誘導する。


「今日は怖い人が彷徨いてるみたいだ。大人しく家でーー」


 体を反転させ、前の道に足を踏み入れると


「……」


 汚れたフードを被った子供が、細道の真ん中に棒立ちしていた。

 

「お父さん? どうかしたの?」


 首を傾げてこちらの顔を伺うルナに対し、キャレットは


「な、なんでもない。行こうか」


 子供が自然に道を空けてくれるのに期待し、颯爽と真ん中を突き進む。すると、子供は口を閉じたまま壁に凭れ、普通に道を開けてくれたようだ。

 少し薄気味悪い子供ではあるが、恐らく貧民か何かだろう。最近では金に困った子供はいないと聞いたが、見知らぬ子供に声を掛けている時間はない。

 キャレットは子供を横目で一瞬確認し、そのまま細道を出ようとした。その時ーー


「おじたん、あたちが見えるの?」


 その言葉にキャレットは鳥肌を覚えた。

 甲高く、愛らしい声からはどこか癖になる部分があるが、それよりも今の発言に耳を疑う。


「ネエネエ、おじたんあたちが見えてるの? そうなの? どうなの?」

「な、何を言ってるんだ君は」


 キャレットは苦笑いを浮かべながら子供に尋ねる。


「ちゃうねん。ちゃうねん。もう一度聞くよ? おじたんはあたちの事ーー」

「見えてるよ、それがどうしたんだ。悪いが急いでるんでね。お話は今度ゆっくりな」


 キャレットは少女の視線を振り切り、前へと進んだ。しかし、彼女は再び道を塞ぐように前に立ち、一言呟いた。


「ありがとう」


 キャレットは疑惑に陥る。どうしてこのタイミングで感謝されるのかも理解出来なければ、そもそも感謝される様なことはしていない。


「そこをどいてくれないか?」


 だが、この疑問をぶつけたところで話は進んでも道は進めないだろう。キャレットは少女の言葉を聞かなかったことにし、緊迫感を与えた。


「ありがとう」


 それでも少女が道を開ける様子はない。たたひたすら感謝を述べ、唯一見える口元をにやつかせている。


「はあ……何がありがとうなんだ?」


 仕方なく、彼女の言葉の意味を質問した。すると彼女は顔を上げ、大きな瞳を見せつけ


「あたちを見つけてくれて、ありがとう」

「……!?」


 キャレットは言葉よりも、彼女の瞳の色に驚きを覚えた。

 目は大きく貧民とは思えない程に元気は良いが、瞳の色は白く濁っていた。まるで乳びを帯びたその瞳からは、異様な雰囲気を垂れ流している。


「お父さん……怖いよ……」


 ルナがこちらを見ながら怯えていた。目には涙が溜まり、今にでも泣き出しそうだ。

 

「そ、そうだな。ごめんよ。早く家に帰ろうか」

「うん……」


 この少女は見なかったことにしよう。あんな不気味な瞳を見せられては、ルナもトラウマになってしまう。


「ーーぼくちゃんの餌を奪ったのは君たちかい??」


 だが、その決断に至るには一足遅かった。

 足元には長く太い影が這い寄り、後ろから奴の野太い声が鼓膜を刺激した。

 

「お父さん……」


 ルナが声を震わせている。しかし、キャレットは振り向かない。


「い、行こうか」


 幸いにもまだ顔を合わせたいない。無理がある手段だが、変に誤魔化すよりはマシだ。キャレットはリゼルフらしき男の声を無視し、少女に向かって


「それじゃまたな、お嬢ちゃん」


 早歩きで前を進んだ。緊張で心の臓が張り裂けそうだが、平然を装うことに意味がある。


「ぼくちゃん、無視されるの一番嫌いなんだよね」


 無視だ。向こうの曲がり角を曲がった瞬間に全速力で走ろう。ここで会話を交わせば、何をされるか分かったものじゃない。


「……ハンブケット、ガーデン」


 キャレットには彼が今何と呟いたか分からなかった。それでも聞き返すことなく足を前へと運ぶ。

 そして右足を踏み込み、あと僅かで道を抜ける時だった。


 ーー目の前に壁が現れた。


「なっ、なんだこれは……」


 一瞬だけ目の前の時空が歪んだように見えたが、その瞬間を認知する前に、煉瓦の壁が隙間なく埋められていたのだ。


「道はぼくちゃんが食べたよ」


 先程まで伸びていた影は壁に折りたたまれ、キャレットは包まれている。

 背後から迫る威圧感に押されながら、彼は首を後ろに向けた。


「やっと振り向いてくれた。ぼくちゃん嬉しいよ」


 細道に無理矢理めり込ませた贅肉からは、脂まみれの汗を流し、上半身だけ肌を晒している。

 腰には何メートルもあるベルトを巻きつけ、溢れんばかりの果物を携えている。

 身長は二メートル程だろうか。あまりにも巨体で下から見上げないと目すら合わせる事が出来ない。

 その男の小さな目のよこには片方だけ耳がなく、その部分を太い指で掻いていた。


「耳なしの……リゼルフ……」


 想像を遥かに超えた図体からは乾いた汗と生ゴミの匂いが混ざったような悪臭が漂っている。

 しかし、それよりも気になるのが今の力だ。奴は道を食べたと言ってるが、そんなことが可能なのか?


「ねえ、質問なんだけどぼくちゃんの餌を奪ったのは君らかい?」


 何分か前に住人に聞いていた質問だ。どうやって道を塞いだかは不明だが、明らかに関わっていけないのは伝わる。


「え、餌? そんなの知らないぞ」


 キャレットはルナを庇うように背後に立たせ、鼻で笑い飛ばしてみせた。


「ふーん。なんで知らないの?」

「なんでって……見たことないからに決まってる」

「なんで見たことないの? なんで見たことないって知ってるの?」

「それは……」


 リゼルフは怪しげな瞳をこちらに向けていた。まずい、ただ否定しても奴には通用しないようだ。ここは少し頭を捻らせる必要がある。


「それじゃ逆に聞こう。その餌とはなんだ? 肉か? 魚か? 果物か?」

「……ぼくちゃんの質問には答えてくれないの?」

「答えるさ。でもそちらの質問が明確じゃないからこっちから質問させて貰った。もしかして、自分の餌が何かも覚えてないのか?」

「むっ……」


 リゼルフがピクリと眉毛を跳ねさせた時、キャレットは覚悟を決めたが、すぐに


「それくらい覚えてるよ。えーと、その餌は」


 危なかった。案外、こういう奴ほど下手に出ると面倒になる。それよりも、少し煽るくらいがこちらのペースに持ち込みやすい。


「ーーハリブルク」


 キャレットの中で時間が止まった。ハリブルクと言えば、先程ルナが捻じ曲げた魔物の名前じゃないか。


「し、知らないな!! 生憎今日はずっと街にいたんだ!! 魔物となんて遭遇してないさ!!」


 早くここから逃げ出さないと殺される。知らないフリを続ければ、やり過ごせるはずなのだ。


「キャハハ。おじたん、嘘つきだね」


 横で笑う少女にキャレットは苛立ちを覚え、声を荒げながら


「お前に何が分かるんだ!?」

「分かるよ。そこのおっきいおっきいお兄たんは『爆食の悪魔』の契約者だよ」

「爆食の……?」

「うん、さっきハンブケット、ガーデンて言ってたでしょ? ハンブケットは爆食の悪魔の名前で、それにガーデンを付けると力が発動されるの。さっきの道も、お兄たんが食べちゃったんだよ」


 悪魔という単語はよく本で見ていた。しかし、キャレットの知る中では悪魔自体は人の形をしておらず、どれも見るに耐えない醜い姿と認識している。


「なんで……ぼくちゃんが爆食の悪魔の契約者だと……」


 リゼルフは鼻息を荒くし、微かに震えながらこちらに近付いてきた。足を踏み込む度に陽が隠れ、彼らを闇へと誘って行く。


「ま、待ってくれ!! 俺は何も知らない!! 本当だ!!」

「怪しいよ……」

「頼む!! 信じてくれ!! 俺たちはハリブルクを殺していない!!」

「……」


 リゼルフは静かに止まり、少しの間黙り込んだ。

 想いが伝わったのかと、キャレットは安堵すると


「力になれなくてすまなかったな。もし怪しい人を見掛けたら報告するよ。だから、道を戻してくれ」

「どうして……」

「ん?」

「どうして、ハリブルクは殺されたと知ってるの?」

「そりゃ、さっき君がーー」

「ぼくちゃんは奪ったと言ったんだ。一言も、殺したとは言ってない」


 ーーしくじった。

 キャレットの中で魂のような物が抜けた感覚がし、一気に後悔が押し寄せてきた。


「……そうだ。確かにハリブルクは殺された。捻じ曲げられたようにぐちゃぐちゃになってたよ。あんなの、普通の人間が出来ることじゃない」


 駄目だ、何も言い訳できる気がしない。奴は少しでも怪しいと思えば殺すはずだ。そんな目をしている。


「ぼくちゃん、頭良いから知ってるよ。確かあの捻じ曲げる力は神の落とし子が使えるんでしょ」


 単語を聞いた瞬間、ハッとキャレットは我に帰った。

 なぜなら異常な震えが背後から伝わってくるのだ。振り向くと、そこには大粒の涙を流しながら「ごめんなさい……ごめんなさい……」と何度も呟いてるルナの姿があった。


「もしかして、君の後ろに隠れている女の子が殺したのかい??」

「……」


 自分はなんて情けない父親なのだろうか。長年住人を守ろうと剣士として名を馳せていたというのに、現役でありながら子供一人も救えていない。


「ネエネエ、おじたん。あのお兄たんこっちに来るよ?」


 キャレットには少女の声も、迫り来るリゼルフの姿も脳裏には入って来なかった。今あるのは、泣き噦る娘の姿と、それを見てつらく思う自分の気持ち。それと


「……るまが……」

「ん? なんだって?」

「邪魔なんだよ、この肉だるまが」

「……へ?」


 キャレットは息を吸い込み、奥にある恐れを押し殺すと、リゼルフに向かって


「聞こえなかったかこのゲロ臭え肉だるまが!! さっきから住人はお前が来たせいで吐き気覚えて家に避難してるんだよ!! さっさとこの街出るか痩せるかどっちかにしろ!!」

「……」


 目の前で苦しむ人がいれば剣を抜くのが剣士としての務め。そんな当たり前なことを、なぜ忘れてしまっていたのか。

 だが、もう大丈夫だ。己の中に眠る弱い部分は捨て去った。今あるのはその義務を果たそうとする正義のみ。


「に……く……だるまだぁ……? ぼ、ぼくちゃんは……」

「五秒待ってやる。それまでに退かないと、容赦しない」

「ぼくちゃんは肉だるまなんかじゃない!! 人より少しだけ体格が良いだけだ!! 殺す!! お前絶対殺す!!」


 顔を真っ赤にして激怒するリゼルフに対し、キャレットは目を細め、体制を低くした。腰にある剣を傾けると、刃を僅かに露出させ


「あと、三秒だ」

「キャハハ!! おじたんあのお兄たんと戦うつもりなの!? すんごい!! すんごい!! 死ぬのが怖くないんだねっ!!」

「違うぞ」

「ん?」


 笑い飛ばす少女にキャレットは優しく呟く。


「死ぬのはいつだって怖いさ。だから人でいられる。死を恐れなかったらそれは人でなしさ。でもーー」

「でも??」

「娘が泣いてる姿を見て何も出来ない父親はただのろくでなしだ!! 俺は人ではあっても、ろくでなしでいるわけにはいかないんだよ!! それが剣士としての、父としての義務だ!!」


 自分は戦いに行くのではない。義務を果たしに行くのだ。剣を持つ以上は抜かなければならない。助けなければいけない命があるなら救わなければならない。それが自分の娘だとすれば、迷う必要は微塵もない。


「耳なしのリゼルフ!! 時間だ!! 我がキャレット・バルサの剣の元にその醜き命、天に返しなさい!!」


 キャレットは雄叫びを上げながら剣を抜き取り、リゼルフの巨体に向かって襲い掛かった。

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