第十三話 『ルナ』
草が生い茂る大地に包まれながら、無邪気に笑う少女がこちらに向かって
「お父さん!! 遅いよ!!」
「ああ、今追いつくよ」
父である男は腰に携えた剣をぶら下げながら、少女の影に足を踏み入れる。
長い髪を一つにまとめ、渋みを帯びた顎髭を飾るその姿は、勇敢な剣士と言えるだろう。
「そんな重そうな剣を持ってるから遅いんじゃない? お家に置いてくれば良かったのに」
腰まで伸びた蒼い髪を風に躍らせながら、少々は元気に不満を表す。
「おいおい、俺はこれでも凛々しい剣士キャレット・ルジイで通ってるんだ。剣を置いたらただのおっさんだよ」
「えぇ、お父さんはお父さんだよ。どうせこんなところに魔物なんていないんだし、お弁当さへあれば十分、十分」
キャレットは軽く笑い飛ばして少女の文句を流した。
ふと後ろを見ると、街の門が豆粒程に小さくなっている。少し不安ではあるが、今日は比較的に魔物の出現率が低い。それに、いざという時は己の剣と腕がある。倒すことは出来なくても逃げる隙は作れるはずだ。
「……まあ、それもそうだな。でも俺からあまり離れるなよ。後で探すのはごめんだ」
「うん!! 今日はお父さんと遊ぶ為に来たんだもん!! 離れるわけないよ!!」
いくら確率が低いとはいえど、絶対に出没しない保証はない。だが、ここで不安になるような言葉を発したところで、せっかくのピクニックが台無しになるだけだ。キャレットは己に言い聞かせ、少女の意見を尊重した。
「それにしても、ルナも大きくなったな……」
「ん? 何か言った?」
「いや、なんでもない」
キャレットは優しく鼻で息を整え、ルナの後を追いかける。
少しすると、木陰が目立つ広い野原に差し掛かりそこでお昼を済ませることにした。
「じゃーん。お父さんの為に愛情込めて作ったルナ特製おにぎりです!! 召し上がれ!!」
自分が握ったおにぎりより、ふた回り小さいようだ。
「ああ、ありがとう。美味しく頂くよ」
「うん!! 中身は色んなの入れたから噛めば噛むほど楽しいよ!!」
「そうか、それは楽しみだな」
「それでね!! 一つだけとっても辛くしてあるから、どっちが先にそれを食べるか勝負だよ!!」
「そ……それは楽しみだな……」
キャレットは多少躊躇いを見せながらも、ルナの期待に応えるべくおにぎりを口の中へと放り込んだ。
「……ど、どうかな?」
辛くはない。だが、絶品かと言われればそこらの料理店よりは大分劣るだろう。
「うん!! 凄く美味しいよ!!」
それでも、キャレットにとっては大した問題ではなかった。大事に育てたルナが自分の為だけに作ってくれた。それだけで、心の中は満たされていく。
「でしょでしょ!? たくさんあるから召し上がれ!!」
「ああ、これなら何百個あっても足りないくらいだ」
「ごめん……そこまで作ってない……」
「冗談だよ」
キャレットは次のおにぎりに手をつけ、すぐさま味を噛み締めた。
かなり力を入れたのか、食感は固く具が密集している。中の空気を密閉したせいで具がパサついているが、ルナ特製だと思っただけで手が止まらないようだ。
「なんかこうやって街の外に出ると二人で冒険してるみたいだねぇ」
ゆらりと吹く風に打たれながら、ルナは呟いた。
「冒険か……ルナはいつか旅にでも出たいのか?」
「うーん。魔物が怖いから冒険はいいや。でも、お父さん強いから、お父さんと一緒なら考えてもいいよ」
無邪気に笑顔を向けるルナを見て、自然と口元が緩むも、キャレットは直ぐに真剣な表情を浮かべる。
「悪くはないな……でも、俺はルナには街の中で幸せを見つけて欲しいんだ」
「どうして?」
「お前には、本当の家族の喜びを知って欲しい。俺はお前を一番の娘として扱ってはいるが、実際は……」
キャレットがルナを拾ったのは八年前だ。魔物討伐を終え、帰り道に寄った川の端くれで彼女を見つけた。
「あの時はどこかの本の中に閉じ込められたのかと思ったよ。でも、見捨てることは出来なかった」
「……後悔…….してるの?」
眉を顰めて悲しげな顔を浮かべるルナに、キャレットは手を頭の上に乗せ
「全然。むしろルナと会えて幸せだ。生涯、独身でいると決めていたのにまさか子供が先に出来るとは思わなかったよ。ははっ」
「ふふふっ。びっくりだね」
「ああ。でも、それは剣と生きると誓ったからだ。今はルナが大事だが、お前にはそんな人生よりも普通に結婚して、普通に子供を養って欲しい。それが、お父さんの望みかな」
ルナは「ふーん、そうなんだ」と軽く言葉を返し、目の前にある弁当に手を伸ばした。
「さてと、それを食べたら街に戻るぞ。あまり外にいると魔物が出るからな」
「えぇ、まだ早いよぉ〜」
頰を膨らませ、駄々をこねる彼女に一つ溜め息をつくも、すぐまさ気持ちを切り替えるように
「そういえば、欲しい服があったんだろ? 帰りに寄ろうか」
「え!! 本当に!? 行く行く!! 今すぐ行く!!」
「外にはもう飽きたのか?」
「うん!!」
「うんって……」
最近は外の空気よりも、お洒落な服が揃う店の空気の方が好まれるようだ。
「分かったよ。それなら早く昼飯を済ませてーー」
キャレットは支度を整えようと立ち上がった瞬間、上から何かの気配を感じ取った。
「ルナ!! 伏せろ!!」
「えっ……」
ルナが声を発したと同時に、木の葉から鋭い針が降りかかった。
「ルナぁぁ!!」
キャレットはすぐさま剣を抜き取ろうとしたが、針の速度は凄まじく止まることを知らない。
「……きゃっ!!」
ルナが針の存在に気付いた瞬間に、骨の髄が砕ける音が鳴り響いた。
「くっ……」
キャレットは剣を構えながら目を瞑り、少しすると恐る恐る瞼を開いた。
「……お父さん……怖かったよ……」
「まずいな……これは……」
自分の胸に泣きながら抱きつくルナに応える余裕もなく、微塵の如く潰されている魔物に視点を固定していた。
ーーーーー
神の落とし子、という本がある。
時系列で言えば、この世界に魔法が存在しなかった時代に値する。
一人の男性の家に、前触れなく赤ん坊が置かれていた所から物語は始まる。
男性は己の運命に戸惑いつつも、赤ん坊を育てることを決意し、我が子同然に養った。
しかし、その赤ん坊には力があり、それは物を捻じ曲げ粉砕する能力だった。
住人には赤ん坊の力がすぐにばれ、神の力を持った子供ーー神の落とし子として祭り上げられたという。
「ごめんねお父さん……力使っちゃって……」
「大丈夫だ。お前は何も悪くないよ。でも、しばらく街の外は控えような」
「そうだね……」
キャレットの頭の中は神の落とし子の本のことで満たされていた。
まさしくルナがその神の落とし子とやらに似ているのだ。不明の親、捻じ曲げる力、全ての点に置いて共通している。
しかし、神の落とし子だからと言って、それ自体がまずい訳ではない。
問題なのは、神の落とし子の末路なのだ。
「とりあえず街に戻ったら服を買おうか。さっきの事は気にするな」
「大丈夫かな?」
自分の足元と会話するルナに、キャレットは元気付ける為に何かないかと考えた。
「もし、お前が神の落とし子として扱われても、俺はずっとルナの味方だ」
「お父さん……」
そっとルナは彼を見つめ、勇敢な瞳に映る自分を確認した後に
「うん!! ありがとう!!」
前髪を揺らしながら、満面の笑みを浮かべた。




