第十二話 王は剣を振るう
こちらに凍結した手を伸ばすキャレットを、ザンミアは嘲笑った。
のらりと彼の前に立つと、ザンミアは
「僕が操れるのは天候だけじゃない。気温もだよ」
キャレットは僅かに反応を示すように、眼球だけを動かすが、抵抗の姿勢までは見せれないようだ。
あんぐりと開いた口の奥にある咽頭に向かって、ザンミアはにやけ顔を止めることなく話を続ける。
「普通は地上から離れて空に向かえば向かう程、気温は下がっていくんだ。でも、僕の力で気温を地上と平等にした。正確に言えば、君と僕の周りの気温だけを保ったと言うべきか」
凍えた肩に手のひらを乗せ、芯から伝わる冷たさにザンミアは実感を抱いていた。
「これぐらいのトリックなら、すぐ見破られるかと思って気をそらす方向に持って行ってたけど、その必要はなかったのかもしれないね」
ザンミアにとってこの戦いは暇つぶしに過ぎなかった。他にも容易に彼を根絶やしにすることは出来たが、しなかったのには理由がある。
「まあ、でも、このつるぎの使い道がなかったからね。君みたいに堂々と殺しに来る人がいると助かるよ」
つまり、今回の戦闘で天の剣を選んだのは単に持て余した天使の力を無駄なく使用する為だけだった。
「……」
こちらの顔を瞳に焼き付けながら、何か言いたげな雰囲気を醸し出すキャレットにザンミアは
「ん? どうしてわざわざ君にこのつるぎを使ったかって? それはね、このつるぎにはもう一つ重要な力があるからだよ」
ザンミアは剣を手の平で撫でながら、儚く映し出される氷に視点を置く。
「このあまのつるぎには、別名があるんだ。それは、『後悔と懺悔の断末』と言われている」
「……」
「なんだそれは、と言った感じだね。これは元々、人の罪を斬る為の道具だったんだよ。その人が心に抱える罪意識や、懺悔したいことを断ち切る為のものさ。でもこのつるぎには欠点があってね。それは、その人が実際に罪を犯しても、自覚してなければ効果を示さないという点だ」
最初にこの剣を手にしたのは、大天使リジャイネ。しかし、強欲な人間に騙され、剣を奪われた説がある。
剣を奪った本人は罪の意識など毛頭なく、自分が神の使いだと名乗り出し、地位と名誉を手に入れた。しかし、リジャイネはその者を見逃す訳もなく、自ら翼を切り落とし一人の女性として接触を試みた。
「どうやらその男は元天使に惚れたらしくてね。すぐに結ばれたらしい。子にも恵まれて、世間からすれば嫉妬しちゃうくらいの家族だったみたいだよ」
だが、真実を除けばの話である。
リジャイネの目的は一つ。それは男にこれ以上ない程の後悔をさせることだった。
「意外と天使さんてのは負けず嫌いのようだ。だって、わざわざ翼を捨ててまでしたいことが一人の男に後悔を与えることなんだから。でも、男はかなり後悔したみたいだよ。綺麗な奥さんから自分があの時の天使だと告げられ、命の危険も感じて逃げたらしい」
しかし、見つかるのも時間の問題だった。追い詰められた男は、天使に言った。
「私は大変後悔しております。今までの罪を全て懺悔致しますので、どうか、命だけはお救いください。てね」
リジャイネは「ならば、剣を私に返しなさい。さすればあなたのその罪、断ち切ってあげましょう」と告げ、剣を取り返すことに成功する。
「でも、天使が斬り落としたのは罪ではなく、男の首だった。その後に天使は己の使命に全うしたと思い、男の血が付いたつるぎで自分の心臓をえぐりとったらしい」
大天使リジャイネは、天界で最も強大で、寛大であると言われていた。しかし、そんな彼女でさえ、人によっては理解に苦しむ行動を取ることがある、というのがこの説の伝えたいことである。
「天使がなぜそこまでして男に後悔を与えたかったかは分かっていない。もしかしたら、本当は短気で、短絡的な天使だったのかもしれない。でもね、僕は思うんだ。この天使は自分達の恐ろしさを男ではなく、人々に伝えたかったんじゃないかなってね」
「……」
「どういう意味かって? ほら、このつるぎは人の罪を斬る為のものだって言ったでしょ? それって人からすれば、都合の良い道具でしかないんだよ」
人を殺そうと、物を盗もうと、そこに罪悪感さえあれば、天使が断ち切ってくれていた。
ザンミアは思うのだ、人を許すという行為は、時にどの罪よりも、重いのではないかと。
「天使が男を許すことは簡単に出来たはずなんだ。でも、そうしなかった。それは許せなかったんじゃない。許してはこの先、同じ過ちを繰り返すだけだと確信していたからなんじゃないかな」
天使の使命として、人の罪を斬ることがあった。しかし、いつの間にか断ち切るのではなく、間接的に背負う形になっていたのかもしれない。
「自分の罪を誰かに負わせる……それもまた、罪。この天使だけは気付いていたのかもしれない。罪を犯せば懺悔するという言葉が溢れるせいで、懺悔すれば罪を犯していいという言葉に変換されていたことに。だから、男を許さなかった」
ザンミアは渋い表情を浮かべながら、キャレットの後ろに回り込む。
「……なんてね。まあ、このご時世罪なんて言葉、飾りでしかない」
冷ややかな氷の肩に手を添えると、口を歪め
「でも、生きていれば一つや二つ、罪を背負ってるものさ。そうだろう?」
「……」
「僕? 僕はないよ。罪なんて、そんなの背負ってる暇があれば死体でも愛でるさ」
ザンミアが一人でに語っている最中、うわの空に彷徨う霧の中から陽の光が森に差し込んだ。
「さてと……ここからが肝心な話だ。確かにこのつるぎには罪の意識がなければ効果は発揮されないと言ったけど……君にはどうかな?」
「……!?」
キャレットは凍りつく虹彩を限界まで開いた。同時に陽の光がザンミアの顔面に舞い降り、紅の瞳を象徴するべく照りつける。
「何も事情なく悪魔と契約したわけではないんでしょ? ねえ、そうなんでしょ? 僕にさ……教えてよ……罪の重さを……」
ザンミアは再びキャレットの前に立ち、口角と同時に剣を上にした。
「僕は寛大だからね。キャレットさん、君のこれまでの無礼も含めて、今までの罪を……許すよ」
キャレットの焦点が剣先に定まる。
叫ばずとも伝わる彼の悲鳴にザンミアは心躍らせながら
「……懺悔せよ、悪魔に喰われし者よ」
ザンミアは剣を振り下ろし、氷塊を砕いた。
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