第十話 奴隷は希望を与える
雨が滴る霧の中、ティアナは一人で彷徨っていた。
これもザンミアによる作戦かと思ったが、それにしては強引過ぎる気がしてならない。
「まさかこの森には誰かいるのかな? 襲われたらどうしよう……」
独り言を呟きながら奥へと進んでいく。なんせ一人で外を歩くのはこれが初めてなのだ。
幼い頃は買収人と歩き、法奴隷になってからはパーバスと基本行動を共にしていた。
夜の外出は危険であり、いつ襲われてもおかしくはない。それが魔物であろうと、人であろうと。
「とりあえず二人を見つけないと……探したくはないけど……」
敵を自ら探すと言うのもどこか気が引ける話だった。わざわざ行動を共にしないといけない所が、自分の無力さを思い知らされているようで落ち込んでいく。
だが、今はそんな事を考えている場合ではない。早く合流しないとポワールの樹液が奴の手に渡ってしまうかもしれないのだ。それを阻止出来るのは自分しかいない事実を胸に刻み、足を進めて行った。
「……すみません」
ティアナは横から飛んできた声に反応し、足を止めた。
「誰……ですか?」
視点を横にずらすと、そこには白い装束を纏った女性が一人こちらに近付いてきた。髪は赤く、肩まで伸びており黒い瞳が特徴的だ。
同性であることに少し安心するティアナだが、彼女からどこか滲み出る不審さに違和感を覚える。
「初めまして、わたくしこういうものです」
女性の腰から取り出されたのは一冊の本だった。
「あの……これは……?」
「え……聖書ですよ。これを見せれば分かると思ったんですが……」
「あ……すいません……私そこまで知識無くて……」
ティアナは苦笑いを浮かべて誤魔化す。
宗教団体の存在は知っていたが、その特徴などは詳しく聞かされていない。まして、その一人に遭遇するなどこれが初めてだ。
「い、いえ。良いんです。こちらこそ気が回らなくて申し訳ありません」
頭を下げる彼女に、ティアナは必死に手を扇いで首を振った。
「そんな!! 謝らないで下さい!!」
人との接触はパーバスに任せていたせいか、上手い言葉が見つからない。初対面の人との会話がこんなに頭を使うものだと思うと、それを難なく熟していたパーバスには脱帽だ。
しかし、話す限りだとそこまで悪い人には見えない。油断は出来ないが、少なくともザンミアよりは気楽に話せそうだ。
「それで、私に何か尋ねたいことでも?」
「あ、はい。実は大事な話がありまして」
「大事な話ですか?」
ティアナは不信に駆られた。彼女の言い草だと、まるで自分がここにいることを知っていたかのようで違和感極まりない。むしろそれを言う事によって何か考えがあるのではないかとまで思えてきたが、さすがにそれは考え過ぎだろう。
「実は……わたくしを、王の城に連れて行って欲しいのです」
「――!!」
ティアナはその発言を聞いた瞬間に、体制を変えて警戒に入った。
やはり何かを知っている。何を目的として、何を企んでいるかは分からないが、ザンミアに関わることは基本的に良い事ではないのは分かる。
「ま、待って下さい!! 話をちゃんと聞いて下さい!! わたくしは別に、あなたと戦う気も、変な事を考えている訳ではないんです!!」
「そ、そう言われても……急に出てきてあんな事言われたら誰でも警戒しますよ……」
「それもそうですね……すみません。ちゃんと順を追って話をします」
女性は一から説明を始めた。己の存在と、今回の目的について全てを明かし、想いを含めて言葉を並べる。
「だからわたくしが城に行くようにとキャレット様に言われて――」
「ま、待って!! さっき何て言いました?」
「だから、わたくしはそちらの城にいる少女の母親なんです」
「あなたが……カルニアの……?」
ティアナは衝撃の事実に目を点にしていた。言われてみれば、カルニアとは共通している部分が多く、顔もよく似ている。
「それで、そのカルニアを宗教側に引き込むためにあなたが私の所に来たと言う訳ですか?」
「はい、恐らく王はキャレット様の手によって葬られるかと。後残るのはあなたと、金色の髪をした女性と、わたくしの娘だけになります」
「まさか、私たちは強制的に宗教側に入らないといけなくなるんですか?」
「そこは自由です。しかし、娘だけはこちら側に引き込むつもりです。わたくしの目的は、娘だけですので」
ティアナは深く考え込んだ。そもそもあのザンミアが簡単にやられるとは思えないが、第三者の手によって葬られるなら、本望と言えば本望だ。これで自分も奴からの呪縛から解放され、皆と会えるのだから。
しかし、どこか気に掛けていた。彼女の発言には矛盾のようなものを感じ、自分の心をかき混ぜているようだ。
「その……一つ良いですか?」
「はい?」
「あなたはカルニアを取り戻したいって言ってましたけど、それだったら、最初から彼女を手放さなければ良かったんじゃ……」
「それは……」
カルニアは自分と同じように親から捨てられ、買収された身だと聞いた。それだと言うのに、今更になって寂しくなったから連れ戻したいというのはあまりにも都合が良い気がしたのだ。
それで本人が、素直に母親の元に戻れば良いのだが、仮に自分がカルニアの立場だったらまず戻りたいとは思わないだろう。現に、一度も母親の温もりを感じたいと思ったことはない。
「その、あまりこんなこと言いたくありませんが、彼女は王といた方が幸せそうなんです。その相手が彼だという部分には私も納得はしたくありませんが、少なくともカルニアがあなたに会いたがってるとは思えません……」
買収を経験した者にとって親は一番憎き相手なのだ。親の顔さえ忘れてしまったティアナからすれば、親の気持ちなど理解の外に近い。
「おっしゃる通りです……これはわたくしの我儘であることも、承知の上なのです……」
「じゃあ、なんで今になって彼女を――」
「あの時は仕方なかったんです!!」
急に声を上げる彼女にティアナは一瞬驚くが、すぐに冷静を保ち
「仕方なかったてなんですか? 子供を捨ててまでも守りたいものがあったとでも言いたいんですか?」
「わたくしには……もう一人娘がいたんです」
「娘?」
女性から聞いた話によると、その娘はカルニアと五歳離れており、当初は誰にも売らずに可愛がっていたようだ。
元々、女性は子供を売る気など微塵もなく、立派な大人になるまで育てようと父親と誓い合う程だった。しかし、父親から娘の存在がばれてしまい、無理矢理回収しようと脅されてしまった。
「わたくしは必死に抵抗しました。自分の命に代えてでも娘は助けようとしたのです。しかし……その時にはもうお腹の中の赤ん坊が大きくなっていたんです……」
一人の回収人が言った。『そのお腹の赤ん坊と娘かどちらかを選べ。お前の度胸に免じて一人だけは救ってやる』と。
もちろんすぐに選ぶことなど出来ず、悩みに悩んだ結果、選んだのは目の前にいる娘だった。
「今でもあの選択が正しかったとは思っていません……それでも……捨てれなかったんです……新しい命よりも、五年という月日を一緒に過ごした娘を捨てることが……わたくしには出来なかった……」
「そんな……そんなの……残酷過ぎる……」
女性の目からは涙が零れていた。そしてティアナも涙腺が揺れていた。親と言うものが子供のことをここまで思っていることを知らなかったのだ。自分の親も、同じ気持ちで自分を捨てたと考えると、胸が張り裂けるようだ。
「わたくしは娘を愛しています……だからちゃんと会って謝りたいんです。そして、家族として向か入れたい。その為ならどんなこともするつもりです。この宗教にも、娘と会えると言われたから入ったんです。娘をこの手で抱きしめられるなら……神にも命は捧げるつもりです」
「――――」
ティアナには彼女の言葉が信じられなかった。それと同時に、救いたくなった。
今まで己の中で思い描いていた親と、彼女は正反対でこんなにも真直ぐな人だと知ると、自分が何をするべきか分からなくなる。
「……信じて……いいんですか?」
「……はい?」
首を傾げる女性にティアナは一息突くと、心を鬼にするように強気な口調へと変える。
「私は、娘さんと同じ親に売られた身なんです。だから、あの子の気持ちは分かるし、正直言ってあなたのその願いは腹が立って仕方ありません。勝手に産んで、勝手に捨てて、勝手に引き戻す。私は親を知りませんが、ここまで子供の自由を奪う親も珍しいと思うんです。それを知っても尚、娘さんを引き戻しますか?」
これがティアナの中での本音だった。もし自分が法奴隷の仲間と共に行動していて、急に親がこちらに戻って来いと言えば、必ず断っただろう。ティアナにとって法奴隷こそが家族であり、本物なのだ。親がそこから己を引き抜くことは、それはつまり法奴隷の存在を否定されることに等しい。それがどれだけ自分にとって苦しいことか、想像しただけで分かってしまうのだ。
しかし、カルニアを全て尊重することも、それはザンミアの存在を肯定するようで気が引ける。だから聞くしかない。彼女が本当にカルニアを愛しているかを確認することで、己がすべきことを見つけるのだ。
「――やります。それはここに来る前から覚悟の上です。憎まれてもいい、最悪死ねと言われても構いません。それでも、わたくしは娘に会いたいんです。会わずして帰ることだけは絶対にしたくないんです」
「……どうして、そこまでして娘さんに会いたいんですか?」
「娘を愛しているからです」
淀みのない言葉だった。
目は真直ぐこちらを見つめており、虹彩は極限まで開いている。
「……分かりました。その言葉が本当だと信じて、私はあなたに協力します」
「――っ。ありがとう……ございます……これで……少しは……希望が持てました……」
女性は口元を手で押さえ、その場で座り込んだ。
瞳から漏れ出る涙は雨と共に地面に落下し、土の中へと溶けて行った。
「泣かないで下さい。まだ何もやっていませんから。それと……ごめんなさい」
「……どうして謝るんですか?」
膝を折り、彼女の肩に手を置いたティアナは優しげな表情で囁いた。
「少し勘違いしてました。親と言うものは、自分の生活のために子供を売るような人ばかりかと思ってました」
「いえ……間違いではありません。事実、わたくしも娘を……」
「いいえ、違うんです。あなたみたいに心の中では大事にしてくれている人がいるんだと分かると、少しは気が紛れると言うか……とにかく、嬉しいんです」
この気持ちを上手く言葉で言い表すことが出来ない自分が悔しい。だが、嬉しいことには変わりなかった。自分の親も、彼女のようにどこかで想ってくれてると考えると、恨むまではいかないのかもしれない。
「私、どこかで親を恨んでる自分が嫌いだったのかもしれません。でも、あなたに会えて考えが変わりました。これで、ずっと抱えていた心の鎖が軽くなった気がします。まあ、それでも親に会いたいとは思えませんがね」
二人は顔を見合わせると、口から空気を吹きだし、笑顔を浮かべた。
互いの気持ちが通じ合ったのか、通じ合っていないのかよく分からない状態に駆られるも、そこに不信感はなかった。それがなんだか可笑しくて、笑わずにいられないのかもしれない。
「――さあ、頑張りましょう。私も出来るだけの手助けはします。とはいっても、あまり頼りにならないかもですが……」
「いえ、そんな事はありません。少なくとも今は、あなたに出会えて良かったと思っています。えっと……」
ティアナはそう言えば名を名乗っていないことに気付き、すぐさま
「あ!! 私の名前はティアナです。よろしくお願いしますね」
「ティアナさん。良い名前ですね。わたくしも名を明かさねばなりませんね。名前は――」
その時、降り注ぐ雨の音が止み、二人の会話に割を入れた。
「雨、止みましたね」
「そうですね。これで風邪は引かずに済みそうです」
二人は空を見上げると、清々しい表情で互いの顔を見合わせる。
「ティアナさん、わたくし――」
口を再び開いた女性にティアナは反応を一瞬示すが、その背後から広がる光景に目を疑い
「待って……何あれ……」
「……え?」
女性は彼女の視線を辿るようにして後ろを振り向いた。すると二人は同じように驚愕の顔を浮かべ、照りつけていく日の光に目を釘付けにしていた。
「ティアナさん……なぜ日差しが今……まだ深夜のはずなのに……」
「まさか……これって……」
息を呑んだティアナは奥だけに集中すると、そこにはザンミアがいるのではないかと直感していた。




