第九話 『滾り』
掻き毟るように指を広げると、ザンミアは雨に打たれながら彼の顔を掴んだ。
「――それで……いいのです」
指の間で僅かに見えるのはキャレットのにやけた顔だが、気にも止めずにザンミアはそのまま地面に後頭部を叩きつけた。
「――!?」
だが、確かに掴んだ奴の顔面の感触がない。土埃が失せた先にあるのは己の拳のみだ。
胸騒ぎがしたザンミアは、後ろを振り向くと
「残念。それは神が産んだ幻影でショウニ」
言葉と共に後ろから蹴りを浴びせ、ザンミアの頭部に目掛けた。
間一髪キャレットの気配を察知した彼は反射的に両腕を前に出し、致命傷を防いだ。が、それでも奴の横蹴りは威力が高く、再び体が吹っ飛ぶ。
眉間にシワを寄せながらザンミアは荒声を堪え、右足で土をえぐりながら体制を立て直した。
「少しは学習したようですね……ですが、ここからが本番でショウニ。あなたは私に――」
「少しは黙ったらどうだい? 今僕はどうやって君を痛めつけるか考えてるんだ」
「……ふっ。プライドがお高いようで……」
鼻で笑う敵の顔を睨みつける。
ザンミアは周辺を見渡し、何か仕掛けがないかと模索するがこれといって怪しいものはない。
「おや? 王というものが思考を錯誤しているのですか? そんな事では、私に勝とうなど一万年早いでショウニ」
再び腰を折り、地面直前に顔を接近させながら突進を繰り出した。
「はっ!! また同じやり方などあなたは人を楽しませる努力というものを――」
キャレットは笑い飛ばすが、口をあんぐりしたまま硬直した。
少し腑抜けた表情を浮かべている奴の姿にザンミアは口角をつり上げる。
「……かっ……ら……だがっ……」
金縛りの力によって身動きの取れないキャレットに容赦なく拳を刻み込んだ。
腹部にめり込んでいく己の拳を肌で感じ、確かな歯応えにザンミアは充実感を覚えた。
「これがさっきの――」
言葉を吐き捨てようとするが、その瞬間に敵の腹は消え失せる。
「またっ……!!」
拳が突き抜ける頃には奴の姿はいなくなっていた。
ザンミアはどこか遊ばれている気分に陥り、舌打ちをした――その節に自分の腕が掴まれる感覚を肌で味わった。
横を向くとそこには先程腹を殴られたはずのキャレットが憎たらしい笑顔が視界に入った。
「惜しかった――でショウニ!!」
ザンミアの腕を捕らえたキャレットは自分の胸元に腕を引き付けると、足を払いのけ
「ふんッッ!!!」
頭を地面に葬り、鈍い音を響かせた。
「これが先程あなたが私にしたかったことでショウニ? 叶って良かったですね」
「――――」
ザンミアの後頭部を手で押さえつけたまま荒れた鼻息を撒き散らす。
地面と接吻を交わし、何も抵抗を見せない彼にキャレットは
「どうしたのですか? まさか、もう降参というわけではないでしょうね?」
「――――」
反応がない。
キャレットは目を細め、警戒の姿勢を取り始めた。
「――――」
すると、どこからか鋭い波の様なものが聞こえてきた。
「この音……」
耳をくすぐる方向は右だ。
キャレットはおもむろに首を横に向ける――すると
「……っ」
鋭い音が消えた瞬間、奴の首が転げ落ちた。綺麗に切られた首はザンミアの姿を凝視しながら口を開けている。
次第に奴の力はなくなり、残った体も地面に倒れると、ザンミアは口元を拭いながら上体を起こした。
「――いやいや、危ない所でしたよ」
キャレットは俯く彼の後ろで不適に何度も笑う。
斬られた首と体はいつの間にか消えており、血すらも残していなかった。
「今のはかまいたちですね? まさか無法の王は風属性とは少し意外でした」
「――――」
「しかし、今ので分かったでショウニ。あなたは私に勝てないと。いくらあなたが狂気の塊であろうと、死体を厭おうとも、神には敵わぬ運命なのですよ」
「――――」
「何か、言いたそうですね?」
ザンミアは顔に付いた泥を手で払う。
何気ない行動を見つめるキャレットは、勝利を確信した表情で彼の返事を待っていた。
「……ふひっ」
ザンミアは肩を微動させた。間抜けな声を上げると、その肩は次第に大きく揺れ
「ふひひっ……あはははっ……ははああっははははあああはははあっはは!!!!」
気味の悪い声を空に浴びせる彼に、キャレットは真顔になる。
泥で黒く汚れ、ズタボロにも関わらず、紅の瞳を細める程笑い飛ばす彼の行動は不気味でしかなかった。
「何が、可笑しいのでショウニ?」
「……ふひひひひっひひひ……」
「――――」
「……いや、これが、胸の滾りかと思うと、面白くて……」
「……そうですか、そんなにあなたは自分の弱さを認めたくないのですね」
哀れむようにしてキャレットは目を瞑り、首を横に振った。
それに対してザンミアは濡れ落ちる泥を見つめながら
「いい加減、その話し方止めなよ。君は信者でもなんでものないだろ。この――悪魔が」
にやけながらも声は低く、冷ややかさを感じさせる。伝わったのか、キャレットは顔色が変わり
「……なんのことでしょうね?」
「惚けるのも大概にした方がいい。僕は知っているんだ。それ、悪魔と何か契りを交わして手に入れたろ」
「――――」
「昔読んだ本に載ってたのを覚えてるんだ。人の形をした悪魔には二種類いるってね。一つは人の皮を被ったもの。もう一つは……人に食われた悪魔」
彼は目を細め、口を閉ざしたまま立ち尽くしていた。
ザンミアは追い打ちを掛けるように
「確かその人に食べられた間抜けな悪魔は、定期的に人と契りを交わさないと完全に意識を飲み込まれてしまうんだっけ。それは言い換えれば、契約している間は食われた人間の意識を支配できると言うことだ」
「……それが、その悪魔が、私と契りを交わしてるとでも?」
「まあ、そうなるかな。その眼帯って、契りの代償なんじゃないかな? だから隠していかにも自分が神の使いかのように成り済まし、世間を手の市中に収めようとした。僕の推理は間違えてるかい?」
余裕の表情を浮かべながら口角をつり上げるザンミアに、キャレットは鼻で溜め息を突いた。すると、彼は木に凭れかかり、口を開くと
「いつから気付いていた? 俺は出来るだけ頭のいかれた神父を演じていたつもりなんだがな。ここまで勘が良いと、気味が悪い」
声は先程と比べて低く、どこか抜けた雰囲気を醸し出している。
「僕にそんな安っぽい演技は通じないよ。神の使いにしては、理不尽さに欠けている気がしてね。どちらかと言えば、己の欲に身を任せた人間に見えたんだ」
「ふっ……そんな素振り見せた覚えないんだがな……」
「ははっ。なら臭いかな? まさか、あの輝かしい神様から泥の臭いがするわけないからね」
「随分余裕そうじゃないか。別にこれが分かったところで、俺が不利になるわけでもないのに」
ザンミアは、彼の言葉を聞いた瞬間に首を横に振りながら、「やれやれ……これだから知能の低い奴は嫌いなんだ」と呟いた。
「それは……どういう意味だ」
キャレットは微かな苛立ちを見せ、木に張り付いた背中を剥がす。
その瞬間に、上半身に滴る雨の量が減少していき、気付けば止んでいた。
「雨が……止んだか」
上空を見るとそこには雲だけが掛かり、霧と若干の湿り気だけを残していた。
「今の、僕が止めたって言ったら驚く?」
「……は?」
キャレットは首を傾げて呆れた表情を晒した。
そんな彼にザンミアは気にすることなく、愉快な口調で
「僕ってさ、すごーく強いんだよね。君みたいなゴミ虫なんて、紙に包んですぐにポイッだよ」
「……ぷはっっ!! それなんて冗談だ!? さっきまで俺に押されて泥水美味しそうに飲んでた奴が!!」
腹を抱えながら笑うキャレットにザンミアは表情を歪めることなく、優しい雰囲気を維持している。
「これがこの世界が恐れる王の正体か!! 飛んだ期待外れだ!! もっと利用価値のある奴かと思ってたのによ!! 強がることしか出来ないとは可愛そうな奴だな!! あははははっ!!」
「――――」
「もうこの際だ、全部教えてやるよ。そうだ、俺は食われ悪魔と契約した人間だ。もう、人の類ではないがな。そして俺が契約したのは『霧の悪魔』。この霧も俺が出しているもので、俺自身も霧になれる」
ザンミアは周りを見渡した。この霧が全て奴の一部だと考えると、その量は常識の域を超えている。
恐らく霧は世界を包んでおり、奴はその範囲全てを監視しているのだ。
「俺はこの力を『分子邂逅』と呼んでいるが、ほぼ……いや、無敵だ。負ける気は最初からなかったが、ここまで無法の王が弱者だと分かれば力の謎を隠すのも馬鹿らしくなった」
「最初に蹴り飛ばしたのも、あれは神の鉄槌でも何でもなく、君が瞬時に霧と化して僕の頭を蹴り飛ばしたということなんだね」
「その通りだ。俺は端から貴様を捻じ伏せてこちら側に引き込もうと企んでいたんだよ。目的は……聞いておくか?」
「いや、それはいいや。後で泣きながら話してもらうから、今は知る必要がない」
「お前……本当に自分の状況が分かってるのか?」
「それは、こっちの台詞だよ」
そう言いながらザンミアは右腕を前に翳した。
微かに笑いながら手を開き、何かを掴むようにして構えている。
「そういえば、さっき雨を止めたのがどうとか言ってたよね。覚えてる?」
「ああ、覚えてるさ」
「そっか、なら良かった。それじゃ、これで僕の力はすぐに理解出来るね」
「それは一体――」
キャレットが口を開いた時、目の前に光景が広がった。
「……なぜだ……なぜ……」
すぐさまその異変にキャレットは気付き、目を開いて驚きの表情を浮かべる。
「なぜ……日差しがあるんだ……?」
彼は空を見上げ、異様な現象に頭を抱えた。
つい先ほどまで天空にへばり付いていた雲はなくなり、月の代わりに太陽が光を放っている。
「朝になるには早すぎる……それに、これではもう昼じゃないか!!」
日が開けるにはまだ三時間程掛かる。だが、時間が飛んだように夜そのものが消え、霧の中に日差しが侵入していた。
キャレットはハッとした顔になり、ザンミアに視点を定めると
「まさか……これを貴様が……?」
日差しを浴びながら、ザンミアは黙ったまま笑みを浮かべている。その狂気染みた顔に注がれる日の光は、彼の無邪気さを引き立てているようだった。
「キャレットさん、ここまで来たんだ。折角だから、付き合ってよ」
「付き合うって……何にだ……」
キャレットの額から汗が流れる。急に気温が上がったせいもあるが、少なくともこの汗は違う。
「この力、使い所がなくて困ってたんだ。でも、君になら使えそうだ」
「だから!! 何にと聞いている!!」
「――これに、だよ」
ザンミアが呟くと、ずっと挙げていた手元に風が吹き荒れ始めた。次第に風は形を纏い出し、塵も巻き込みながら彼の前で棒状に姿を変えていく。
「それは……一体」
風は時間が経つごとに増していき、木の枝すらも砕きながらザンミアの手元に集められていく。
ある程度形になると、今度は色を帯び始め、鮮明になりつつあった。
形状は剣になり、黒い鞘に納められた聖剣の如く飾られた宝石が光を放っている。
ザンミアはその完成された剣を手にすると、ゆっくりと刃を露出させ
「――あまの、つるぎ」
呟く彼の姿は、欲しい玩具が手に届いた時の子供と対して変わらない。




