第八話 王は雨を切り裂く
雨は鳴り止む気配を一向に見せないまま、大地の上を巡りに巡っている。
歩く度に水たまりが足裏に忍び込むも、ザンミアは気にせず前に進んだ。
濡れる前髪が視界を塞いでうざったいが、首を軽く振って目の前の光景を広げて行った。
「ここがポワールの木がある地域よ」
シークの歩みが終わり、彼女の指差す先を見ると、そこには霧に隠れた木が確認出来る。
「あれが……ポワールの……」
木々の根は地から浮き出る程に太く、茎は両手で覆えるほどに細い。
やはり枝先に葉は見られないが、枝そのものは異様に生えていた。
ザンミアはポワールの木に近付き、肌を手で撫でまわした。
「思ったより滑らかだね……そしてこの中に、僕の求める樹液が……」
彼は漏れ出る涎を袖で拭った。
等々、希望の星をこの手で納める時が来たのだ。胸の高まりが腕を擽るが、今は感情に任せて歓喜する場面ではない。
「今すぐに中の樹液を回収したいところだけど、肝心なのはこの木があとどれくらい残っているかだ」
木を切り落として中にある宝石を手に入れることは容易い。だが、それを繰り返すだけではすぐに底を尽きてしまうのだ。
この世界には指で到底数えきれないほどの死体の予備軍が存在するというのに、ただ欲望のまま伐採していては己の夢は不完全燃焼で終わってしまう。
それでは駄目なのだ。自分は不死である以上、永遠に死体を飾り続ける運命にある。
これほど喜ばしい道はないのだが、それはつまりそれ相当のリスクがあるということ。
「とりあえず木がどれくらい残ってるか集計しよう。シーク、君は右から――」
ザンミアは後ろを振り向き、指示を出した。が。
「……シーク? ティアナさん?」
そこには誰もいなかった。
つい先程まで一緒にいた二人が神隠しの如く消えているのだ。
辺りを見渡すも、二人どころか人の気配すら感じられない。
「一体何が……」
ザンミアは少し歩みを進め、どこか奇妙な予感に浸りながらも冷静さだけは見失わない。
心なしか、霧が前より濃い。
鼓膜も雨以外の音を掴みとることは出来ず、彼に不安な釘を打ちこんでいった。
「……仕方ない。僕だけでも数えるか」
このまま二人の安否を気にしていても時間が過ぎるだけだ。どこか逸れてしまったのだろうと自分に言い聞かせ、ポワールの木を探しに行った。
奥に進むと希望の木の数も増えていく。絶滅寸前というわけではないようだが、後数年もすれば限りなく木そのものも枯れてしまいそうだ。
「シークの言う通り余るほどはなさそうだ。これも環境の変化のせいか……それとも」
ザンミアは辺りを再び見渡す。
やはり霧がやけに濃くなっている。気付けば自分の体以外は見えなくなっていた。
真っ白の空間に閉じ込められたザンミアは不審を抱き
「ねえ、僕は無断に付いて来るようなストーカー染みた人は好きじゃないんだ。僕に用があるならさっさと出てきてくれないかな?」
呟くも、反応はない。だが、間違いなく何者かがそこにいる。
法奴隷の次は一体なにかとザンミアは少し面倒そうにするが、霧だけが深くなるばかり。
「……無視か。まあ、いいや。それじゃ僕は作業を――」
「――他の二人は私が隠したでショウニ……」
男の声にザンミアは動きが止まる。
ようやく正体を現したかと溜め息混じりになるも、彼は冷静なまま
「君は誰だい? 僕が城から出た時から変な視線は察知していたけど、何の用か聞かせてくれるかな」
すると霧の奥から人影がこちらに向かってきた。
不思議と霧はその男性の前から消え、道を作成している。
導かれたその人物は三十代半ばで特徴といえば目を覆う眼帯だ。黒い皮で出来た眼帯は彼の顔を一周し、どこか海賊染みた雰囲気を醸し出している。
それとは裏腹に服装は至ってシンプルで、十字架のネックレスを白いマントの上に飾っていた。
「……君はどこの宗教に所属しているんだい?」
ザンミアはすぐに彼が宗教団体の一人だと察した。
胸にある十字架に、マントの下に隠れている白い装束。加えて腰には聖書らしきものをぶら下げていれば、さすがの彼でも奴が神に崇めし者だと一目瞭然だった。
「自己紹介です、無法の王。私は神に使えし者、名はキャレットと申す。どうぞよろしくでショウニ」
キャレットは丁寧なお辞儀を交わした後、静かに笑みを見せた。
「……そうか、それじゃまたね」
ザンミアは手を軽く振り、後ろを向いて木の元に歩いて行った。
「……自分から聞いておいてその反応……しかも例の二人を知っているかのようなニュアンスに、加えてあなたを無法の王と呼んだにも関わらず、私に背を向けるとは……さすがでショウニ……」
「…………」
「あの、聞いているのでしょうか……?」
「…………」
聞いていない――というより聞く気がない。
彼は平然として木を指折り数えている。土や木の枯れ具合などを肌で感じ、己の世界に引きこもっているようだ。
「なるほど……そうやって気を逸らして私を油断させようとしているのですね……恐るべし無法の王、これは長い戦いになりそうでショウニ」
「…………」
彼は腰を持ち上げ、また別の所に行ってしまった。
さすがに我慢の限界を感じたキャレットは彼の行く手を塞ぎ
「ま、待つでショウニ!! あなたはここで私と話をしなければならないのです!! しかも私の存在に気付いたのは誰でもないあなたでショウニ!! 今すぐ歩みを止めこの神に使えし――」
「まだいたの? というより前にいられると邪魔なんだけど」
「じゃ、邪魔……? あなたは今自分がどんな立場でそのような事を言ってるか理解されてるのですか?」
「そもそも理解する必要性が分からないんだけど。分からないでショウニ」
「なぜ言い直したのですか!? しかもそれは私の口癖でショウニ!!」
「いや、気持ち悪い喋り方するなと思ってさ。それキャラ作りのつもりなら止めた方がいいよ? 絶対流行らないから」
小馬鹿にしてくるザンミアに苛立ちが増したのか、歯を強く噛みながら首を振るわせる。しかし、すぐ我に返ったキャレットは深呼吸をした後
「……いいでしょう。あなたがそのつもりならこちらにも策があります」
「語尾にショウニは付けないの?」
「それはもういいでしょう!! あ……でショウニ!!」
「ははっ、君面白いね。もう少し君の滑稽な姿を見ていたいけど時間がないんだ。それと二人の事なんだけど後で返してくれないかな? 一人はともかく、もう一人はいないと色々困るからね。よろしく」
そう言い残すとザンミアは彼の横を通り、再び作業に戻ろうとした。
「……私はあなたと戦をしに来たのでショウニ……そのまま先を行かれるのはお勧めしないのですよ」
だが、キャレットは後ろで呟きザンミアに警告を促す。
「僕は戦う気はないよ。そんなの時間がもったいないし、結果は見えてる」
「結果……ですか?」
張り詰めていく空気の中、ザンミアは背を向けたまま囁いた。
「君からは異常なまでに雑魚臭がするんだよ。例えるならそうだな、泥水に溺れた虫の臭いだ」
「ほう……泥虫とでも言いたいのでしょうか? では、こういうのはどうです? もし、私と話すまたは戦わなければ今隠している二人の命はないというのは」
「別に構わないよ。シークも僕の時間の確保のために犠牲になるなら本望だろうさ」
彼の不気味な発言にキャレットは眉を顰める。
「なるほど、これが無法の王ですか。人の死などどうも思わないということなのですね。それなら仕方ありませんね……」
「僕は忙しいんだ。君みたいな泥虫とはこれ以上話す気はないよ」
ザンミアは止めていた足を前に動かし、彼から距離を取っていく。
水を踏む音だけが響き、辺りは静寂へと誘われた――が。
「あと三歩。あと三歩進んだ瞬間にあなたの体は吹っ飛び、近くの木に衝突するでしょう」
「――――」
動きが止まる。
こいつは一体何を言っているんだと心の中で囁いた。
振り向くと奴との距離は何メートルも離れており、とても手が届く位置にいるとは思えない。
それに自分には加護があるのだ。もしもの時は天使の力を駆使すれば防御は容易。
これが脅しだろうが関係ない。どんな言葉を掛けようとも、進む足は止まることはないのだ。
「……そうか、それは怖いね」
と、言いつつザンミアは一歩前に出る。
足元に眠る水たまりが波打ち、彼の顎を映し出した。
「あと、二歩」
後ろから奴の声が聞こえる。どこか彼の足が進むことを喜んでいるかのようだ。
そしてその言葉に反応を示す訳もなく、ザンミアは水たまりから足を浮かせた。
「あと、一歩」
声が飛び交った時にふと、脳裏にとある疑問が浮かんだ。それはキャレットがこちらに近付いてきた際、霧が増し、彼の前に道を作ったことだ。
シークの言っていた霧について何か関係があるのだとしたら、このまま無視するわけにもいかない。
もう一歩踏み込まないのは奴の予言にどこか怖じ気ついてしまったようで気が引けるが、この際情報が回収できるなら構わない。
「ねえ、君はこの霧のこと――」
ザンミアはその場で振り返る。
だが、そこに奴の姿はなかった。また二人のように神隠しでもあったかのように髪の毛一本残さず消え去っている。
「……一体何者だったんだ……まあ、邪魔がいないことに越したことはないか」
ザンミアは進行方向を戻し、再び奥に進んだ――その時。
「――――っ!!」
左の頬に衝撃が走った。
目の前には霧と微かに見える木だけが映り、そのまま頭から横に吹っ飛ぶ。
彼は急な出来事に体勢を整えることが出来ず、痛みに身を委ね木に衝突した。
打ち付ける雨に劣らない程の轟音を響かせると
「……体が……勝手に……」
上体を起こし、背中と顔に生じる痛みに軽く悶絶した。
なぜだ、確かに加護は働かせていたというのに物理が簡単に通った。いや、そもそも先程の攻撃は物理なのかも疑問だ。
確実に頭が殴られた感覚ではあったが、肝心な相手の姿が見えない。
「だから言ったでショウニ……私の予言は必ず当たるのですよ……」
今度は横から声がした。
首を向けると、そこにはキャレットの姿が確認出来る。木に凭れる自分を見て奴はどこか嬉しそうだ。
少しムキになったザンミアは
「今のは君がやったのかい? 結構、痛いんだけど?」
「ふふふ……私ではありません……神がやったのです……神はあなたに怒り、鉄槌を下した。ただ、それだけの事でショウニ……」
彼はキャレットを下から睨む。どこか惚けた口調がより苛立ちを齎している――が、自分は感情で左右されることはしない。ここは天使の懐を真似るように
「神か……神様ね……ははっ……なら仕方ないね……本当、仕方ないよ」
立ち上がり、スーツに付着した泥を手で拭った。
「どこに行くつもりですか?」
立ち去ろうとするザンミアにキャレットは再び声を掛ける。
彼は一回溜め息を突くと、頭を抱えながら囁いた。
「今のは水に流すよ。君に対する屈辱的な言動も取り消すから、もう関わらないでくれるかな?」
「逃げる、つもりですかね?」
「……そうだ、君を見くびっていたよ。降参、降参だ」
手の甲で別れを告げ行く彼にキャレットは半目で見つめる。
「あなたはまだ分かっていないようでショウニ……今、逃げるという選択肢は削除されているのですよ。また私の予言が聞きたいのですか?」
「……それは困ったね。じゃあ、君の要望だけ聞いておこうかな」
「ふむ、それも手でショウニ……して、私の要望はあなたに死んで貰う事です」
「それはまた大きな要望だね。でも、それ聞いて素直に死ぬ人間なんていないと思うよ?」
「そこは承知の上でショウニ。だから、私はあなたに言いたい。『戦え』と」
「……嫌だね」
「それはなんとも我儘でショウニ。戦わずして生き残ろうなど、兵士が聞けば反吐が出る台詞でショウニ」
「僕は兵士じゃないし、君と戦う義務もない。見知らぬ人と血を流し合うことなんてそんな悲惨な事出来る程僕の心は腐ってないよ。僕はそうだな、平和主義なんだよ」
奴に関しては謎が多いが、普通の人間を殺すことは出来ない。殺さずの鎖さえなければ、一秒足らずで根絶やしにしてやるところなのだ。
とにかくこの場合は無理にでも下手に出て戦闘だけは避ける必要がある。
「君がどうやって僕が無法の王と知って、どこまで知っているかは定かだけど、今日はそのむき出しにしている殺意を鞘に納めてくれないかな? 何度も言う様に僕は忙し――」
「それは残念でショウニ。折角、人を捨ててまで手に入れたこの力を思う存分に振り回せる機会が出来たと思ったのに」
「……え?」
ザンミアは自分の耳を疑った。首を横に振りながら溜め息を突いているキャレットに食いつく様に
「今、人を……なんて?」
「だから己という人を神に捧げてまで手に入れたのに――と言ったのでショウニ。しかし、どうしても戦いたくないと言うなら私も鬼ではありません。今回だけは一時撤退を――」
「――ねえ、その人を捨てたと言うのは本当なんだね?」
同じ質問を投げて来る彼に、キャレットは疑惑の表情を浮かべる。
「まあ、はい。そうでないと予言など出来ませんからね」
ザンミアは少し俯きながら考えた後、顔に小さな笑窪を飾った。
込み上げる心のざわめきを押さえるように己の胸を強く握った。
「そうか……人を捨てたか……ははっ……ははは……」
肩を小刻みに揺らす彼にキャレットは
「何を、笑っているのですか?」
「……いや……やっぱり世界は僕を認めているんだな――て思ってさ」
首を傾げる。
キャレットには彼の発言の意味がよく分からなかった。急に顔色を変えたと思えば、ケタケタと笑い出すのだから無理はない。
するとザンミアは、空に向かって声を荒げ
「今の聞いたか!? 彼は人を捨てたと言った!! ちゃんと確認も取ったからな!! これで僕が奴を殺しても文句は言えまい!! この鎖の条件は確か『人を殺せば』だったよな!? 今の発言、忘れたとは言わせないぞ!!」
一体、誰と話しているか分からない。
だが、彼の目には狂気のようなものを感じた。少なくとも、先程までの逃げ腰とは訳が違う。
「さて……」
ザンミアは満足げな表情で視点を戻す。そして
「君は確か予言したとか言ってたよね?」
話の流れがどこか乱れているが、キャレットはそれに従って小さく頷いた。
「じゃあ、僕も一つ予言するよ」
「……ほう……」
キャレットは興味深そうに耳を傾ける。それに対してザンミアはにやけながら公言する。
「君は僕に必ずこう言う。『助けてください神様、何でもしますから命だけは取らないで下さい』と」
「……ふふっ……まさかとは思いますが、その神様と言うのはあなたのことじゃないですよね?」
「僕の話聞いてた? 僕は君は僕にこう言うと言ったんだ。少しは言葉の仕組みから勉強するといいよ」
キャレットの眉がピクリと動く。
相当今の発言が気に食わなかったのか、彼の事を煽るように
「おっと、私としたことが言葉で指摘されるとは思いもしませんでした。よりによっていきなり空に向かって発狂したと思えば、さっきまで逃げるつもりだった弱気で意気地なしの王様に、言われるのですから。私もまだまだでショウニ……」
「その無理矢理入れ込んでいる口癖も、言う暇なくなるくらい追い詰めてあげるよ」
「それはそれは、楽しみでショウニ……」
「――――」
「――――」
手から滴る雨が地面に投下され、気付けば雷が鳴っていた。
瞬きをする度にまつ毛に蓄積された水滴が涙のように流れる。だが、二人の表情は至って冷静で、明らかににやけていた。
「……それじゃぁ、久々に力のネジ緩めようかな……」
ザンミアは目を開かせ、紅の残像を虹彩から描きながら足を踏み込んだ。
振り続ける雨の中を切り裂く速さで前へと進み
「くたばれ――信者」




