第二話 王は城に住む
王の城。それは過去に法を作り上げた世界の王が住んでいた場所。
大きさは下から見上げても首を痛める程。
王の亡霊がいると世間で言われていたが、住んでいるのはそれよりも悪高い者。
無法の王が住んでいると聞いた瞬間、その城に近付く者は限りなく減少した。
城の周りは白い霧に包めれ、茨が外装を抱いていた。
二人は城の門に到着し、上を眺めていた。
「ここが城……」
パーバスと共に城まで歩み寄った女性。
彼女の名はティアナ。
彼女も過去に買収所で晒された一人だが、それをパーバスが買い取り彼の下に就いた。
最初は感情を知らないまま彼の奴隷と化していたが、すぐに首を繋いだ鎖を解放される。
そして奴隷ではなく仲間として共に行動することになった。
人と話す喜びを教えてくれたのも彼。
食事の楽しさを教えてくれたのも彼。
体を綺麗にする充実感を教えてくれたのも彼。
彼女にとってパーバスは父親の様な存在であり、自分自身でもあるのだ。
最初は彼の前で裸体を晒すことも気に留めなかったが、次第に恥じらいも覚えた。
彼と共にいればいる程、本来の自分が分かるようになる。
気付けば彼を見るたびに胸の鼓動が増していた。
それが恋だと気付いたのは最近である。
そして昨日、その恋は実った。
まだ熟してはいないが、それでも彼に受け入れて貰ったことが何よりも嬉しい。
今でもその喜びの余りに彼の腕の中へ飛び込みたいが、それは我慢するしかない。
「それじゃ入るか」
「ねえ、パーバス」
巨大な扉の前で彼女は寂しげな表情を浮かべる。
「どうかしたか?」
そんな彼女の不安を察したパーバスは扉の解放を中断。
「……怖い」
その一言だけを口から零した。
今までは彼に命を預ける覚悟で戦闘を行っていたが、この扉の前に立つと恐怖心が不思議と勝る。
「……大丈夫だ」
「パーバス!!」
その時、彼女は我慢できず彼の胸に飛び込んだ。
厚く逞しい彼の胸の中で一粒の涙を頬に流す。
「……好き」
「それは昨日聞いた」
「……好き」
「だから俺も……」
「…………死にたくない」
「……っ!!」
彼女の言葉を聞いた瞬間に彼は硬直する。
死にたくない。
この六文字のセリフが彼の心に異常なまでに響いたのだ。
生きる概念すらも失っていた彼女が、こうして生きたいと自分の胸に訴えている。
それが、それだけが、彼が彼女から一番聞きたかった言葉。
「……ティアナ」
「抱きしめて……」
「……それは」
「お願い」
「……でも」
「大丈夫、少しだけ、少しだけでいいの。パーバスに抱きしめて貰ったら前に進めるから……だから、お願いします……」
「……分かった」
彼は小さな彼女の背中を太い腕で優しく包んだ。
「これでいいか?」
「駄目」
「えっ……」
「もっと強く」
「そう言われてもな」
「これじゃ、パーバスの温もりが分かんないよ……」
「……分かった」
彼は改めて彼女の体を強く抱きしめる。
その力でティアナは呻き声を小さく上げるが、次第にその痛みは癒しへと変貌していた。
「ティアナ……」
パーバスは彼女の名を囁き、内に眠る欲望が次第に増幅していく。
彼女の温もり。
彼女の香り。
彼女の胸。
彼女の髪。
彼女の肩。
彼女の背中。
彼女の声。
パーバスの頭の中はティアナの事で埋め尽くされ、それを表すように心臓の鼓動が加速した。
「ティアナ俺っ……!!」
高ぶる気持ちで頭が狂い、彼女の顔を見つめる。
顔を紅潮させ、涙を流す彼女の姿は絵に描いたように儚く美しい。
それが自分の為に向けている表情となれば、尚更この手に納めたくなる。
「パーバス……」
彼女も何かを受け入れるように目を閉じ、彼の行動を待つ。
淡く、今にでも壊れそうな彼女の唇を見ると、喉から手が出るほどまで喰らいつきたい自分がいる。
色欲が自分を襲う。
だが、自分の使命は何かを考えると、今彼女を快楽の道に誘う事は出来ない。
「……中に入ろう」
彼は手を出す直前で欲を振り切り、彼女に背中を向ける。
「……うん。ありがとう」
少し落ち着いたのか彼女は涙を拭い、彼の影を追った。
――――
扉を開くと、豪快な音を響かせ暗闇に満ちた空間が彼らの目に映る。
二人は口を閉ざしたまま、警戒心を旺盛に中へと進んだ。
「「!?」」
すると扉が独りでに閉まり、彼らに緊張感を与えていく。
内装は見えないが、少しだけ香水のような甘い香りが鼻に付いた。
「気をつけろ。奴はどこにいるか分からない」
「うん……」
パーバスは荷物にある松明を取り出し、蝋燭で火を灯そうとした。
――その時。
「きゃっ!!」
彼が灯を生む間際に暗闇の空間を裂くようにして辺りに火が灯る。
壁に配置される松明が自ら光を放ったのだ。
「どうやら……俺たちの存在は気付かれているようだな……」
不気味に揺れる松明の火。
その揺れはまるで彼らを歓迎するかのように笑っていた。
周辺が照らされると、城の内部が鮮明に映る。
手をいくら伸ばしても届かない天井に、高級感溢れるシャンデリア。
床は固いコンクリートの上に赤い絨毯が敷かれている。
城の外装は茨に抱かれ、古風を装っていたが中は意外にも綺麗にしているようだ。
「そこに誰かいるの?」
すると先程まで彼の後ろを追っていたティアナが壁際に声を掛けた。
「どうした、ティアナ」
彼は警戒する体制を取り、腰に携える剣に手を置いた。
「あそこに誰かいる……」
彼女は怯えながらも人気を感じる壁際に足を踏み込もうとする。
「駄目だ!! 近付くな!!」
パーバスは注意を促し、彼女の行為を阻める。
しかし、それに応えるのは彼女ではなく壁際にいる何かだった。
「……誰?」
そこから現れたのは一人の少女。
「子供?」
パーバスは警戒を緩めはしないが、目の前にいる人物に不審を抱いていた。
その少女はこの世界ではもう見られなくなった赤いドレスを身に纏い、壁に手を置きながらこちらの様子を観察している。
髪も赤く、綺麗に整えて肩の直前まで散髪されていた。
「君って、このお城の子かな? お父さんとお母さんは?」
ティアナは怯える少女の不安を拭う為に前屈みになる。
そして優しく発言をするが、本人は壁に隠れたままだ。
「…………っ」
少女は何も正体を明かさないまま奥の方へと逃走してしまった。
「待って――!!」
ティアナはそれを追いかけるようにして走行する。
「待つんだ!! 相手が子供だからと言ってうかつな行動は――!!」
「大丈夫!! 何かあったら呼ぶから!! 先に行ってて!!」
「ティアナ!!!」
彼女は彼の呼び止めに反応を示さないまま、少女を追ってしまった。
「くそっ……追いかけるしか……」
彼が壁際に向かって足を踏み入れた瞬間――
「――――!!」
異様な寒気がした。
幽霊のようなものがそっと自分の背中を摩るような感覚。
それは扉から出てすぐ奥にある階段から滲み出ている。
その階段の奥にいるのは魔物とかそんなものではない。
今まで生きてきた中で最も見てはいけない何か。
人でもなく怪物でもなくそれすらも凌駕する存在。
それを無視することは出来なかった。
――いる。
確実にこの階段の奥に無法の王がいる。
パーバスは唾液を喉に通し、決死の覚悟で一段踏み込む。
重い。
足が異常に重い。
何かに捕まれている訳ではないのに勝手につま先に掛けて鎖の様なものが圧し掛かる。
それでも一歩一歩確実に上へと昇った。
階段の奥は暗闇で何も見えないが、それが奴の意図的な策略だというのは容易に分かる。
罠であろうが仕掛けであろうが奴に会えるなら問題ない。
彼の中で想像したのは王の部屋で椅子の上に腰を浮かせている無法の王の姿。
手摺りに肘を立て、こちらを怪しい目つきで見つめている奴の姿。
次第に汗が流れるも、濡れる顔に気付かない程彼は緊張していた。
近付く度に空気は張り詰め、自分の心臓を掴んでいる様。
そして数分掛けて階段を昇り切ると、そこには多くの廊下に部屋が存在していた。
しかし、彼は迷うことはない。
なぜなら先程から漂う嫌な寒気が増していたからだ。
そして自分を誘うようにその寒気は方向を指している。
右。
ここを進めば何かがいる。
左。
ここを曲がれば奴がいる。
真直ぐ前に進む。
――――そして、罠に掛かることなく彼は一つの扉の前に立った。
「この部屋の奥に無法の王が……」
彼は息を呑み、緊張と怯える胸を手で掴む。
深く呼吸を繰り返し、心拍数を整える。
「――よし」
彼は決意を新たに扉のノブに手を掛け、勢いに任せて横に捻った。
扉は安易に開き、中からは涼しい風がこちらに吹いてくる。
――――中は暗闇に満ちていて何があるかも確認出来ない。
「松明の出番か……」
パーバスは先程閉まった松明を取り出し、即座に火を点けた。
その後扉を閉め、暗闇の中を自分の火を頼りに歩いていく。
「そこにいるんだな!? 無法の王よ!!」
声を荒挙げ、奥から漂う気配に問いかける。
「私はパーバス・アルティア!! 法を守り平和を望む者!! 世間では法奴隷などと呼ばれているが、これも明るい未来を願っての事!! 無法の王よ!! あなたと純粋に話がしたい!! 戦う意志はない!! どうか、どうか姿を私の前に晒してくれないだろうか!?」
「――――――」
しかし、帰ってくるのは自分の声のみ。
異様な気配はあるのに奴の姿までは確認出来ない。
「……仕方ない。俺から行くか」
パーバスはため息交じりで前に進み、暗闇を掻き分けていく。
一歩。
また一歩。
進んではいるもの、王らしき姿は未だにこの灯に包まれない。
――すると、一つの棚が目の前に現れる。
「なんだこれは……」
その棚は壁のようにして佇み、見たこともない大きさだった。
近付くと、棚はひとつではない。
正確に言えばひとつなのだが、彼が発見した棚の隣にまた棚があるのだ。
そのまた横にも棚が続き、水平線を横にしたかのように棚が壁と化している。
上に明かりを照らすも、そこもまた棚。
つまり、彼が見つけたのはただの棚ではなく棚の塔。
「無法の王はおしゃれ好きなのか?」
眉を顰めながらも恐る恐る棚の前に立つ。
ひとつの棚の大きさは縦が二メートルで高さが五十センチ程。
茶色に彩られた棚は貴族が好むような見た目をしている。
「…………」
彼はその棚に手を掛ける。
少し引いてみるが、中々に重くて服を取る感覚では力不足だ。
「一体中に何が……」
剣を片手に取り、中から魔物が襲ってもいいように警戒を取る。
それと同時に力を込めてひとつの棚を胸まで引いた。
「……なっ……これは……!!」
彼が見たのは、綺麗な顔をした――死体だった。