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無法の王は心を喰らう  作者: アメアン
三章 無法の王は死体を飾る
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第七話 奴隷は涙を零す

 白い霧は人の心を霞ませるかの如く、木々の周辺を彷徨っていた。

 洞窟から出ると、月は少しだけ移動し雲から逃走を試みているようだ。

 稀に吹く風が霧を追い散らすも、その分子に対抗出来ず、彼らに僅かな癒しを齎すことで役割を達成している。

 シークはそんな中、一番前を切りながら歩みを進めていた。

 後ろには先程まで謎の会話を繰り広げていた二人が静かに自分の影を追っている。

 ああ、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。と、シークは若干ふて腐れていた。

 本来ならザンミアに今回の実験の成果を報告して、一日中褒めて貰うはずがティアナという女性のせいでまた悩まなければならない。

 あのポワールの樹液が死体を腐らせない道具に使えると分かるまでにどれだけの苦労をしたことか。

 

「シーク」

「……え、何?」


 考え込んでいたせいか、彼の声が耳に届いていなかった。

 

「そのポワールの木だけど、どれくらい残っていた?」

「えっと……霧が濃くてあまり見えなかったけど、そんなに数はなかったわ。環境の変化のせいか、樹液の密度も減少しているしね」

「そうか……色々と課題は多そうだね」


 基本的な温度は常に高く、夜に出れば服の中はいつも湿っている。

 植物が育つには適温であるが、どの木も無法と化してからは葉の一枚も枝先に飾る事はなかった。

 

「ねえ、私思うんだけどこの霧てどこか変じゃない?」


 シークの言葉に二人とも顔を上げた。

 

「普通霧って山の上とか気温の差が激しい時に発生するものだよね? なのにここは大して標高も高くなければ気温の差も激しくないわ。何よりも……一日中霧があるって変じゃない?」


 言われてみれば彼女の疑問に頷ける。静寂と共に訪れたこの霧は二十年近くも姿を披露している。この奇妙な現象が説明もなく居座り続ければ、おかしいと思う方がおかしいのかもしれない。

 だが、シークは死体を腐らせない方法を見つける際に霧についても視点が置かれていた――というよりも、置かざるを得なかった。

 

「飽くまでこれは私の予想なんだけど、木が常に枯れているのも、気温が一定なのも、この霧に原因があると思うの」

「……確かに、この霧はどこか変な感じはしていた。君は何か仲間から聞いているかい?」


 急にティアナへと話を振る彼にシークは一瞬緊張を覚えるが、本人はすぐに


「いえ、特に何も。でもこの霧に何かあるのは考えられると思う」


 少し意外な反応だった。

 シークの中では、知っていても教える訳がないと強気な態度を見せる彼女が脳裏に浮かびあがったが、実際は冷静に考えを述べる姿だった。


「この霧についてはパーバスとは話していたわ。いつ晴れるのかとか、どこまで続いてるとかね」

「君らの隊長さんは霧について詳しく話していないようだね。それにどういった意味があるのか……」


 横目でティアナを見る彼にどこか違和感を覚える。いつものザンミアなら今の発言に信頼性があるか確かめるのだが、それを敢てしないのはなぜか。

 シークには二人の会話に刺の様なものを感じていた。

 周りからすれば普通の会話なのだが、この二人の関係性が普通でないのは確かだ。だからこそ、この当たり障りのないやり取りが気持ち悪くて仕方ない。


「えっと、もう少しで例の木が見える場所に着くわ」


 自分だけ異様な空気を感じてしまい、話を逸らす。

 ここでまたザンミアに確認を取らないのかと口を挟むことも出来たのだが、今は彼に何か考えがあるのだと信じるしかない。

 飽くまで自分は彼を愛し、忠実のままにいることが何よりも生き甲斐なのだ。

 例え彼が死体にしか目がなかろうと、自分を己の野望の為に利用しようとも。

 ティアナと同様に、シークにとってもザンミアが全てである限り、この呪縛が永遠に解かれないことも考慮して。


―――――


 震えが止まらない。

 気温は相変わらず高いというのに、指の先が異常に凍えている。

 今でもあの言葉には後悔と罪悪感が塗れていて、現実から背中を向けたい気分だ。

 だが、もう逃げれない。あの時、無法の王に宣戦布告をした時点で、自分には法奴隷としての大きな使命が課せられたのだ。

 もし、天国と地獄があるとすればきっと自分は地獄行きだろう。自分は愛を売ったのだから。あの時あの場所で、パーバスを好きだと言う事は、愛を飾りとして変貌させたのに等しい。

 なぜならパーバスを殺したのは誰でもない自分だからだ。

 いくら記憶の改竄で我を失っていたとしても、自分がパーバスを殺したという事実は神でも変えることは出来ない。

 常に己にはパーバスを殺したと言う罪悪感と愛する気持ちが渦を描いているというのに、いかにも自分は彼の事を全て分かり切っているような発言をした。


 ――つまり、自分にはパーバスを想う気持ちはあっても思いやる気持ちがないと言ったのだ。


 いつもの無法の王なら必ずこう言っただろう――愛人を殺した人間がよくそんなことを言えるな――と。

 仮にその言葉が降りかかれば、「私はパーバスを殺していない。殺したのはザンミア、あなたよ」と堂々と言い張る予定だった。

 

 王は知っている――自分がパーバスを殺したことに罪を感じていると。

 王は知っている――自分は何よりもパーバスを一番に考えていると。

 だから出るはずがないのだ、己の口から彼を全て知り尽くしているという愚かで欲染みた言葉が。

 それを口にすると言うことは、宣戦布告でしかない。これはパーバスを肯定しても、彼自体を肯定するのではなく、法奴隷としての彼を肯定するということ。

 愛をただの飾りとして振る舞い、真の目的は法奴隷の正しさを彼に植えつけることでしか達成されない。

 考えによっては心の中にあるパーバスを殺したと言っても過言ではないのだ。だからたまに思う。自分は一体パーバスのどこか好きだったのだろうかと。

 彼の顔か? 彼の仕草か? 彼の声か? 温もりか? それとも、彼が自分を救ったからか?

 もし、自分を救ったのがパーバスでなければ自分はその救ってくれた人を好きになっていたのだろうか。


 答えは、恐らく否――とはならないだろう。


 パーバスだから好きだと言い張りたい。それが一番強いのだが、恐らくパーバスでなくとも自分は自分を救ってくれた人を好きになっただろう。

 それを認めてしまう程に精神はやつれているのかもしれない。

 そして、それを認めてしまう自分が死ぬほど嫌いだ。

 こんな悪魔染みた宣戦布告など、やりたくもなかった。

 あまりにも、つらすぎる。


「――――っ」


 なぜか涙が流れそうになった。

 ここで泣いて何になる。泣いたところで誰も自分を認めてなどくれない。

 そんなこと分かり切っているというのに、訳も分からず涙が零れた。


「……ティアナさん、どうかしましたか?」


 異変に気付いたザンミアは、彼女に優しく声を掛けるがすぐに


「いえ……どうもないわ……少し疲れただけ……」

「そうですか、後少しみたいなので頑張りましょう」

「ええ、ありがとう」


 何が頑張りましょう、だ。

 ふざけるな、誰もお前の為に頑張っているのではない。

 苛立ちが増す。それと同時に寂しさが増す。

 零れ行く涙をフードで覆い、顔を伏せながら前を歩いた。


「――――」


 逃げたい、逃げたい。

 助けて欲しい、抱きしめて欲しい、彼の名をただただ叫びたい。

 だが、こうして勝手に涙を流して彼を思い出している自分も、また嫌いだ。

 甘えるな、宣戦布告した以上はもう法奴隷として生きるしかないのだ。

 己の心に今すぐにでも釘を刺して覚醒させたい気分だった。

 

「――私は……」

 

 ティアナは小声を放つ。

 

「どうかしましたか?」


 ザンミアとシークは立ち止まり、彼女に注目した。

 霧だけが森を先行き、微かに聞こえる風の足音が三人の脳裏を横切った。


「私は……弱い……」


 喉を震わせながらティアナは呟く。

 

「魔法は上手く使えないし……力だってない……」


 せめて、これだけは言いたい。


「所詮は法の奴隷で……彼みたいに正義の執念もないかもしれない……」


 パーバス程、人については語れない。

 彼程、誰かの心に寄り添う事は出来ない。


「でも……っ」


 全て分かっていた。

 自分がこの悪魔に真面に挑んで勝てる訳がないと。

 

「……でもっ……私はあなたに……負けたくない……」

「――――」


 風が、止んだ。

 ティアナはフードで涙を隠さず、顔を正面に向け瞳を晒す。

 彼女の涙によって砂時計が固まったようだ。

 

「……いえ……勝ちたい……あなたに勝ちたい……」


 駄目だ、これじゃまだ足りない。

 もっと、自分を追い込め。

 もう本当に逃げ場が消え失せるくらいに言葉を吐き出せ。

 我など忘れろ、むしろ忘れた方が良い。正気でない彼に正気で挑んでも勝ち目などないのだから。

 

「……勝つ? 僕の何に勝つつもりだい?」


 ザンミアは安定の冷静さで彼女の葛藤を心の中で嘲笑う。

 そんな事、ティアナには分かっている。

 今の自分の言葉には何も意味はなく、ただの感情を発散させるための自己満足にもならないものだと。

 それでも、言わずにはいられなかった。


「そんなの……私には分からない……彼なら教えてくれただろうけど……今の私には……分からない」


 だがこれで、最後だ。

 本当に、自分が甘えていられる最後の瞬間にしよう。

 

「それでも……勝つ……絶対に……っ」


 少し目を瞑り、息を整えた。

 その瞬間に蓄積された涙の粒が頬を伝り、土の中へと溶けて行った。

 己の歯を強く噛みしめ、震える腕を震える指で掴む。

 脳裏には、パーバスとの思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。

 ただの奴隷として売買されていた自分を下から眺めている世間の目は今でも忘れられない。

 唯一着せられた馬小屋の汚らしい布は、今思えばこの世のものとは思えないほど臭かった。

 悪臭におびき寄せられて、自分の背中に這いよる虫の感覚はもう二度と味わいたくない。

 

 あの時、自分は既に死んでいたのだ。

 何が生きる希望なのかも分からず、生きる意味ですらないのが普通だと思っていた。

 心は異様に冷たく、目は虚ろになったまま。

 酒を体に巻き、それを男達が不潔な舌で嘗め回したこともあった。

 時には裸体で一日中過ごし、男の介護をすることもあった。

 だが、これら全ての経験は、パーバスと出会うまでの過程だと言い張れたのだ。

 卑しい目で見つめる売買人の中、彼だけは自分を優しい目で見つめていた。

 腕に付けられた鎖ではなく、自分の手を握ってくれた時の彼の温もりは忘れることが出来ない。

 やはり自分はパーバスが好きだ。彼以外の男は考えられない。

 だが――それでも、自分は――法奴隷として生きる。

 彼が自害するなと言ったからではなく、彼の為に、法奴隷である彼の為に。

 いつでも愛を生贄に出来るほどの覚悟を、今ここで刻む。

 

 ティアナは息を吸いこみ、目を開いた。そして――


「私は絶対に勝つ!! あなたに必ず!! 負けてたまるものか!! 私は法奴隷の一人であり、師であるパーバス・アルティアの一番弟子だ!! 彼が死のうともその意志は死なず!! 私の中に眠り続けるんだ!! 貴様のような惨めで小さい野望など、彼の正義に比べればそころに這いつくばる虫と同じだ!! 法は人の正義であり人そのものなんだ!! それを否定するお前はとても惨めで!! 寂しい男だ……」

「――――」

「ここに宣言するっ!! 私ティアナ・ルーベスクスは、これからどんなに荒くれる波が襲おうとも!! 己を追い詰めるような逆境に巻き込まれようとも!! 法奴隷としての使命を真っ当し、この命を燃やし続けることを!! 神に――いや、法に誓う!!」


 彼女の瞳には涙と闘志が錯乱していた。

 叫ぶ内に体の震えは収まり、心が安らかになっている。

 言葉を吐いた口角の淵にはシワが寄り、眠る執念を露わにしているようだ。

 

「……っ」


 ザンミアが口を開こうとした瞬間――


「……雨?」


 ポツリと一粒、彼の肩に着地した。

 雨は地面を叩き、次第に水っぽい匂いを漂わせる。

 

「結構降ってきたようだね、急ごう」

 

 ザンミアはすぐに向きを戻し、足を進める。

 横切る彼を枯れた目で見つめる彼女は


「……ええ、足を止めて申し訳なかったわ」


 マントで顔を拭き、彼の背中を追った。

 シークは彼女の叫びに圧倒されて言葉を失っていたが、正気を戻したのかすぐに先頭に戻った。

 

「――――」


 ティアナの宣戦はまるでなかったように雨でかき消されたが、本人はどこか誇らしかった。

 空をふと見上げると、霧の中で踊る雨粒が顔に注がれる。

 自分はこれで少しだけ彼に近付けたのだろうか、それとも越えれただろうか。

 答えなど誰も教えてはくれない。それでも心の弱い自分には答えだけが道を進むための鍵になる。

 今でも彼を想う気持ちに偽りはない。だが、それに甘える自分ももういない。

 愛など所詮人の行動の為の理由にしかならないのかもしれない。

 無法の王の言う通り、真実の愛など法で塗り固められた幻想でしかないのかもしれない。

 しかし、それが事実だとしても自分にとってはパーバスという存在が本物であり真実なのだ。

 そんな彼からの愛を飾りとする自分はなんて愚かだろうか。

 もう頭の中はめちゃくちゃだ。でも、心は異様に落ち着いている。

 今の彼女には、彼への言葉はただひとつだけだった。

 申し訳のない気持ちや、愛しているという言葉よりもまず、出てくる言葉がある。


 ――今までありがとう。


 ティアナは己の胸に言葉を刻み、降り注ぐ雨の中を歩いて行った。

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