第一話 法は奴隷を作る
法が無くなり二十五年。
枯れ葉も枯れたこの世界。太陽が上空に降臨しても影となるのは木の枝のみ。
環境の悪化のせいもあってか、気温は上昇しつつある。
だから人は昼の行動を好まない。行動するのは決まって月が出ている深夜。
空気は汚れ、人の心を表しているかのように黒い空に輝く星は一切見られない。
長い歳月を経て、世界の人口も昔に比べ、五分の一程減少した。
人の命の価値は増々薄くなり、今は死体が道に転んでいても気にする人間はいない。
そんな世間で流行だけは、腐敗に満ちた人の心を癒した。
現在流行の風を巻き起こしているのは「石積めゲーム」というもの。
ルールは至って簡単。
そこらに落ちている死体の腹を切開し、どちらが多く石を詰められるかを競う遊びだ。
女性の死体ならば女性を。
男性の死体ならば男性を。
子供の死体ならば子供を。
出来るだけ公平な条件で時間内に石を出来るだけ綿のように腹へと入れる。
この正気を疑うような余興を生まれて六年の子供が平然とやり熟す。
無論、負けた方は相手の欲しい物を渡さないといけない。
トランプやダーツと言った人が加工して作り上げたものがない以上、人々にとって死体というのは食料を確保するための博打の道具でしかない。
常識の概念が存在しない今、全ての人間が昔の人情を捨てたかと聞かれれば、それはまだ言い切れないだろう。
なぜならこの二十五年という歳月の中で、世界を変えようとした集団も存在するからだ。
己の欲に身を任せず、未来の為に剣を取る人々を世間ではこう呼んでいた。
――法奴隷と。
そしてこの男もその奴隷の一人に過ぎない。
名は、パーバス・アルティア。
本来名と言うものは大して価値のあるものではなく、名を持たない者がいてもおかしくはない。
しかし、この法奴隷の一味は昔のように名を大事にし、互いをその名で呼び合った。
彼らの中では法の概念が存在する。
盗み。
博打。
麻薬。
強姦。
そして殺人。
これらの人として間違えたことは全て禁じた。
それを破れば即追放。
死刑だけは行わなかったが場合によっては重い処分もあったと言う。
そしてパーバスはその中でも正義に対して執着心が高く、この狂った世界が平和になることを誰よりも願っていた。
それは言い換えてしまえば、この世界で最も邪魔な存在だということも胸に閉まって。
――――
「パーバス、あの噂聞いた?」
汚れた夜空の下、中心に焚き火を置き小声で尋ねる女性。
藍色の瞳を顔に飾り、黒く光沢と思わせる程の綺麗な髪をコーン状の帽子で覆う。
彼女もパーバス同様、法の奴隷として自身に眠る魔術を未来の為に活用している。
「ああ、無法の王だろ。どうやら城が見つかったらしいな」
綺麗な眼差しで見つめる彼女に勇ましき声で対応を見せる。
彼は細く鋭い目つきが特徴で、金色の短髪が更に無骨さを引き立てる。
しかし、それとは裏腹に内側は正義に満ちた純白の騎士。
「どうするの? パーバス前から会いたがってたよね?」
「もちろん行くさ。無法の王には大事な話があるからな」
パーバスは枯れかける焚き火に木の枝を恵み、更なる灯を周辺に広める。
「でもあの城に入ったら二度と出られないって聞いたよ?」
揺れる火を見つめながら女性は不安げな表情を浮かべていた。
「それは誰から聞いたんだ?」
「え……えっと、みんなから?」
「みんなって?」
パーバスは冷静を保ったまま彼女を問い質す。
彼女は迷いながらも思い付いたかのように
「えっと、リーニャとか、カファルとか!!」
「お前の中のみんなは二人だけか」
彼が言うと、女性は無言のまま口を閉じてしまった。
法奴隷は小規模だが年々増えつつはある。
パーバスは一部の組織を仕切っており、現在は目の前にいる女性と行動を共にしてる。
「何度も言ってるだろ。俺達にはそんな噂とかは意味がないって。世間のほとんどが頭おかしいのにそれで噂に流されていたらいつか犯罪に手を染めるぞ」
「は、はーい」
女性は綺麗で長い髪を指で弄りながら拗ねるように頬を膨らませる。
「わ、私はその……パーバスに危険な目に会って欲しくないだけで……」
彼女は下を向きながら顔を紅潮させ、上目使いで彼の様子を伺う。
一方のパーバスはそんな彼女の好意に気付くこともなく、火の管理に専念していた。
「ありがとう。でも大丈夫だ。きっと無事に帰れるよ。ほら、出来たぞ」
彼は先程から焚き火の前で焼いていた一匹の魚を彼女に渡した。
「また根拠のない自信!! 同じこと言って何度死にかけたと思ってるの!? あ。ありがと」
彼女は再び頬に空気を膨らませるも、渡された焼き魚に嬉しそうに食いつく。
「しょもしょも……ぴゃーびゃすがもっとあんじぇんにゃみちを……」
「おいおい、食べるかしゃべるかどっちかにしろよ」
パーバスは無邪気に魚を頬張る彼女の顔を見ながら笑みを浮かべていた。
二人は食事を終え、他愛もない会話を繰り広げた。
そして火の灯りも底を尽き、それと同時に太陽が顔を覗かせ始める。
霧が包み込む中、淡い光が枯れた木を照らしていた。
「そろそろ朝だ。宿に戻って寝るとしよう」
「そうだね」
法奴隷は人としての常識は携えてはいるが、朝に起床して夜に床へ就く習慣は維持した。
というもの、過去に日と共に活動していた法奴隷の一人が、夜寝ている間に殺害されてしまったらしい。
それを学んでか、彼らは活動時間だけは世間と合わせることにしたという。
彼らは人のいない宿に入り、薄汚れた部屋の埃を払いのけた後、床の上で横になった。
宿とは言っても、元馬小屋で人が住めるほどの広さはない。
床は固くて隙間風は常に吹いている。
決して寝心地の良い場所とは言えない。
しかし、日の光を最低限遮断してくれるだけでも彼らにとってこれ以上ない喜びなのだ。
パーバスと女性は背中合わせでこの静かな朝を過ごす。
「ねえ、パーバス」
ふと、背中に語りかけるようにして女性が語りかけた。
「どうした?」
彼は目を瞑ったまま、彼女の顔を思い浮かべて会話を続ける。
「寒くない?」
「少しな」
「私も……」
「そうか」
「……そっちに寄っていい?」
「……駄目だ」
「……どうして?」
「…………」
彼は黙り込み、再び部屋の中に静寂とした時間が訪れる。
窓の隙間から微かに風の音が刺し込み、女性はその寒さで体を畳む。
バーパスも寒さを紛らわすように体を揺さぶるも、一向に眠りに付けないでいた。
隙間風と体を摩る音だけが小さく響いた。
「……起きてる?」
すると女性は再び彼に声を掛けた。
「……ああ」
「……ねえ、パーバス」
「……なんだ」
「………………好き」
「…………」
彼は特に反応を見せずそのまま無言。
「無視しないでよ」
「……お前も急に何言って……ってちかっ!!」
振り向くと女性はすぐ後ろで自分の背中を見つめていた。
寒さで小刻みに体を揺らし、指を咥えている。
首は伏せたままだが、赤く染まる彼女の顔だけはなんとなく確認出来た。
「ねえ、パーバスは?」
「……」
「ねえねえねえねえねえねえ」
「……」
「無視する男は嫌いです……」
「……俺も」
「え?」
「……俺も好き……だ」
彼は女性に自分の想いを告げた。
その答えに女性は更に紅潮し、しばらく黙り込んでしまう。
「……ねえ、バーパス……」
彼女は名を囁きながら彼の腰に手を置いた。
しかし、バーパスは彼女の温もりを感じた瞬間その手を強く握り、優しく払いのけた。
「駄目だ。それは駄目だ。今流れに任せたらあいつらと一緒になってしまう」
彼に取って欲に身を任せる行為全てが世間と同じ事だと認識している。
その考えで行くと、現在自分の高まる気持ちを抑えるのも法奴隷としての使命。
「……だよね。分かってる。でも、そういう所も好きだよ」
その後、どちらも言葉を発することなく長い朝と昼を静かに過ごした。
――――
そして日は沈み、人が活動する時間帯。
二人は宿から多少の気怠さを持ち合わせつつも、荷物を抱えて出発した。
「さて、行くか」
バーパスは気持ちを切り替え、これから向かう城の事を考える。
「……うん」
しかし、女性の方は朝の事が忘れられずどこか引きずっているようだ。
パーバスはそんな彼女を横目で見て硬直した体制を維持する。
「……まあ、あれだ。とりあえず城に行って、これからの事は考えよう」
何もない道を見ながら鼻を掻き、照れる彼の姿を見て女性は喜びの笑みを浮かべた。
「――うん!!」
二人はいつもより近い距離で身を寄せながら暗い夜道を歩いて行った。
――――無法の王が住む城へと確実に。