第十二話 法は神を作る
出口に近付く度、後ろからの発狂した声は小さくなり、気付けば二人の足音と呼吸だけが響いていた。
外へと続く階段を昇っていくが、見張りをしている騎士どころか人が誰もいない。奇妙な現象に疑問を抱きつつも、ザンミアはシークの後ろをひたすら付いて行った。
「その、事情はちゃんと説明するけどびっくりしないでね? 外に出たら目を疑う光景が待ってるかもしれないけど……」
「う、うん」
彼女は冷や汗を飾りながら階段を昇る。
騎士が誰もいない時点で目を疑っているのだが、今の自分には都合の良い事態だ。
数分掛け、最上まで上り詰めるとそこには外へと繋がっているであろう天井に刻まれた蓋があった。
シークが四角い蓋を下から突き上げると、九日ぶりの日差しが刺し込んできた。
「――――っ」
眩しい光に虹彩が閉じ、目を半分瞑りながらザンミアはゆっくりと外に出る。
あの水臭い空間を裂くように懐かしい街の香りが鼻をくすぐり、暖かさに包まれた。
「……これは」
ザンミアはぼやける視界に映る街の姿に唖然する。
「……誰もいない」
「……うん」
確かに最近見た街と対して変わらない。だが、人がいつものように歩いていないのだ。
寂しい風だけが吹き、砂の霧を作りながら無機物同士が衝突する音だけを表現しているようだった。
「僕がいない間に一体何が……」
ザンミアは足を運びながら周辺を見渡す。
どこを見ても物と家しか確認出来ない。加えて家も窓を閉め切っており、何かから身を守っているようだった。
息を呑む彼にシークは
「……王様が殺されたの」
「え……殺された?」
ザンミアの胸の中がざわついた。
自分が一番嫌う法を生み出し、無期懲役という地獄を作り出した王の死。
「それでね、今法律を取り締まる人がいない状態なの……つまり殺害をしても裁く権利を持つ人がいない状態……」
この世界において王の存在は秩序の存在に等しい。
騎士を動かすのも王の役目であり、罪人を裁くのも王の役目。
全てを任されている訳ではないが、最終的な決定は王にある。
その絶対的な座席が空いた今では法律の鎖が上辺だけになってしまうのだ。
「でもそれならすぐに代理を立てるんじゃ?」
「そのはずなんだけどなぜか混乱もあってか迅速な対応が遅れてるみたい……とにかく今は家に戻ろう?」
ザンミアは冷静に分析を始める。
王の死が真実だとしてすぐに法律そのものが無くなるとは考えにくい。
騎士ならば法がなくとも正義に基づいて行動すれば問題はないし、この街から一人も姿を消すにはあまりにも極端すぎる。
法律が無くなったからこそ自分は助かったのだろうが、今の国家の動きにはどこか矛盾を感じていた。
「ザンミア? 大丈夫?」
考え込む彼にシークは気を遣い、肩に手を乗せた。
「あ、ああ。大丈夫。分かったよ、とりあえず家に帰る。ここまでありがとうシーク」
恐らくどこの住人も閉じこもっているのは外が怖いからだ。
法律が無くなって人が思い浮かぶのは急激な犯罪が増えること。それを防ぐために鍵などを厳重にして身を守っているに違いない。
だが、現状はその逆。むしろ犯罪が減っている。全員が警戒するように犯罪者も警戒してるのだ。
ザンミアはこの状況を逆手に取り、敢て行動に出ることにした。
「うん、何かあったらすぐにお家に来てね。私も何かあれば頼るから……それじゃまた」
一旦、二人は別行動を取りザンミアは気になることがあったので家には帰らず寄り道をすることにした。
――――
街はほとんどが静まり返っている。ここまで警戒するとなれば逆に馬鹿らしく思えるが無理もない。
今は自分で自分の身を確保するしかない以上、家族以外は信用できないのだろう。
「あっけないな、人の信頼とはこうも簡単に消え去るのか」
法が秩序を構成している限りは相手は自分を殺さないと思うのが普通だ。
しかし、それがない今では部屋に引きこもるしかない。この殺伐とした嵐が過ぎ行くのをひたすら待ち、新しい王が決定するまでは人との関係を断つ。
やり過ぎと言えばやり過ぎだが、これも誰かが提案した事なのだろう。騎士が自宅で安全に過ごし、事態が片付くまで外に出るなと促した可能性も考えられる。
シークには家に帰ると言ったが、家に戻る気はなかった。父親のせいで死にかけたのだから、その父親が一番恐れているのは自分だろう。
法が無くなり地下から脱獄したことを考えればいつ自分を襲ってくるか分からず夜も眠れないはずだ。
別に殺そうなどと思ってはいないが、会いたくないのも事実。自分は家族と縁を切ったと言っても過言ではない。後で上手く言い訳してシークの家に避難するつもりだ。
「さて、ここらへんにいた気が……」
ザンミアは自分の予想が当たっているかの軽いゲームをしていた。
法律が無くなることにはまだ実感がないが、仮に秩序が無くなるなら次に人が取る行動は予測出来る。
すると、奥から男の声が耳に入ってきた。
「ああああ!! これが神の天罰だ!! 人は神なしでは存在価値もないのにも関わらず、法律という愚かで身勝手な規則を広め神という偉大な方を否定した!! ついに神は怒ったのだ!! 自分に従わぬ愚かな人間どもに雷を齎したのだ!!」
ザンミアが辿り着いたのは教会だった。
市場で置いてあった果物を片手に持ち、咀嚼しながら崇める男の姿を眺めていた。
「だが今ならまだ間に合う!! 神は試しておられるのだ!! もう一度過去の様な忠誠を誓えるかを!! さすれば人類の未来は神に委ねられ、きっと美しい未来が待っていると!! さあ、祈るのです!! 神に祈るのです!!」
男は神父の服装で聖書を持ちながら両手を広げ、祈りを捧げている。
その前には二十名程の住人が膝立ちで指を絡ませ、ぶつぶつと懺悔の言葉を述べていた。
「神よ……今までの行為をお許し下さい……これからはあなた様の考えに基づき日常を悔いなく過ごすことを誓います……神の御心のままに……御心のままに……」
「さあ!! 誓いなさい!! 今こそ神の怒りを鎮める最後の機会なのです!! 助かりたくば祈りを捧げ、神に命を委ねるのです!! 祈りを!! 祈りをぉ!!」
法が無くなって次に人が縋るのは『宗教』だった。
法律がある以上は人が肯定され、神の存在も否定出来たが今はその道具は手元にない。
ならばと今度は裁くのは人ではなく神であると公言すれば、少なくとも罪の意識は芽生えると考えた。
王が死んだのも神のせい。
法律が無くなったのも神のせい。
そう言い聞かせることによって自分に圧し掛かる危険性と焦りを緩和させ、懺悔を唱えれば許されるという甘い考えに至るのだ。
「王の次は神か……どこまでも人は馬鹿だな……神に祈ったところで何も変わらないのに……」
ザンミアがこれを確認したのには理由があった。
それはこの先、己を信じて生きていけるかの確認でもあったからだ。
王が再び席に座り、秩序が保たれるかと言うのはどうでもよかった。どっちにせよ自分は世間から外れた人間に変わりはしない。
だが、それで己の野望を朽ちさせることはもっと嫌だ。
最後に信じられるのは自分しかいない。自分を一番理解出来るのは自分しかいない。
他人に考えを委ねることなどしない。それが神であるなら尚更。
「一生迷ってればいいんだ……僕は神に感謝はしても身を捧げる様なことはしない……」
自分の気持ちに確信を抱き、その場から立ち去ろうとした。その時。
「そこにいる迷える者よ!! 君も神に懺悔を述べに来たのだな!?」
神父がこちらの存在に気付いたようだ。
まずい、これは面倒だ。ここは聞こえなかったフリをして立ち去るしかない。
「神父様!! あの者の服装をご覧下さい!! きっとあれは地下に閉じ込められていたに違いません!!」
「なら過去に罪を!? 災いだ……奴の存在を許してはいけない……」
教会の前がざわつく。ここで神の代わりに裁くべきか。首を落して見せしめにするのもいい案ではないかという声も聞こえた。
「静まりなさい!! 神はここで同類同士の争いを望んでおらん!! 彼は一時の誤りをしたまでに過ぎない……さあ、少年よ。こちらに足を運びなさい。さすれば乱暴な事はしないと誓いましょう」
神父はこちらに手を差し伸べる。
ここまで言われたら無視も出来ない。仕方なくザンミアは集団を掻き分け、彼の元に座った。
「素直でよろしい。お名前は?」
「ザンミア・コールネクトス」
神父は聖書のページを漁りながら話を進める。
「汝、ここに来た理由を正直に述べなさい」
「……来いと言われたから」
「いいえ、あなたは導かれてここに来たのです。神があなたを呼び、教会という聖なる場所で私たちと鉢合わせたのも何かの運命。さあ、もう一度述べなさい」
割と面倒だ、この神父。
「神に導かれてここに来ました……」
「よろしい。ではあなたに問います。一体どんな罪を犯したのですか? 包み隠さず全て述べなさい」
罪を犯したと言えば犯したのだろうが、本来は裁かれる程の物でもなかった。
しかし、周りの連中はいかにも自分が人を殺したかのような目つきで睨んでいる。その目がどこかザンミアには気に食わなかった。
「私の罪は……」
正直に答えてもいいのだが、それでは彼らの手中に収まるようで気持ちが悪い。
この神父の中では自分の見た目からして大した罪は犯していないと思っている。その罪をいかにも自分が許したかのように頭でも撫で、一緒に神を崇めれば罪が軽くなるというはずだ。
そうすれば周りは神に従う人はここまで寛大なのかと尊敬し、忠誠心が増す。
この神父が自分に声を掛けたのは株を上げる良い材料にするため。
「それは……」
なら答えてやる。
そのペラペラで薄汚い偽善の皮をここで剥いでやる。
ザンミアはにやりと口角を歪ませた後、
「家族を全員殺しました。それと関係者含めた計十人をナイフで刺し殺しました」
「え……」
「それだけじゃありません。なんだか殺すだけでは物足りなかったのでそいつらの顔の皮を剥いで自分の顔に被せてみました。後、爪も全部抜いてみました。意外と気持ち良かったです。それと――」
「も、もういい!! それ以上言うのは自分でもつらいでしょう……神にはきっと言いたいことは伝わってるはずです……」
神父は冷や汗を掻きながら話を中断させた。
周りを見ると、全員唖然とし口を開けたままこちらを見ていた。絵にかいたようなドン引き具合だ。
だが、彼は止めるつもりはなかった。神に縋ろうとするその手を振りほどいてやろうと口をまた開く。
「なぜですか? 全て話せと言われたから話してるだけです。それとも今のあなたでは僕を制御出来ないと? それでは神様もがっかりでしょうに。こんな僕でもみんなと同じ人間なんだ……差別は駄目でしょう? 差別は……」
神父は黙り込む。焦りを浮かべながらもなんと言い返せば分からないのだ。
静まりかえる中、一人の住人が震えた指をザンミアに向けながら
「あ……悪魔だ……」
一人が呟くと、周りも続いて
「そうだ……こいつは悪魔なんだ……俺達と同じ人間じゃない……俺達が地獄に送ってやらなきゃ駄目なんだ……」
「葬れ……地獄に葬れ……」
「そうだ!! 葬れ!!」
次第に声が大きくなっていく。
ザンミアは座ったまま彼らの狂った言動に思考が停止した。
「「葬れ!! 葬れ!! 葬れ!! 葬れ!!」」
住人は一致団結して同じ言葉を復唱し、片手を挙げながら訴え始めた。
辺りが静かな分、その叫びは至るところまで響き渡り、ザンミアをとことん追い詰めていった。
「――っ!!」
何人かの住人が後ろから石を投げつけ、近付かないように攻撃を繰り出す。
体に当たる石の量は数を増していき、薄い囚人服を破いて行った。
「お、お止めなさい!! 石を投げるのはお止めなさい!!」
「神父様!! そこから離れてください!! そいつは人間の皮を被った悪魔です!!」
「決めつけるのはよくありません。あなた方も今まで一切恥じることのない人生を歩んだことがありますか? もし、何も罪を背負った覚えのないというのなら石を投げなさい」
神父の言葉が効いたのか、石を投げようとする人は目立たなくなり全員俯いた姿勢を取った。
「いいですか? これは試練なのです。彼と言う罪人を許すという試練なのです。彼が殺した中には本来出会えるはずだったものもいるかもしれない。本来は許されることではありません。しかし、それは法があってこその話です。今では我々の中にある善の心だけが頼りなのです。今は彼をどう裁くのではなく、どう導くかを考えなさい。そうすればきっと神も私たちの事を認めてくれるはずでしょう」
再び静寂に包まれたかと思いきや、今度は何人かの住人がすすり泣きだした。
「……その通りです……すみません……神父様……自分が間違っていました……」
「さすがは神父様……一生ついていきます……」
泣き崩れる者もいる中、神父は一安心しザンミアに近づいた。
「さあ、あなたも私の手をお取りになるのです。心からあの時の過ちを認めれば神もきっと――」
神父がザンミアに手の平を差し伸べた瞬間。
「くそきたねえ手で触らないでください。神父さん」
ザンミアの言葉と共に彼の手が消し飛んだ。
プロローグ大幅に変更しました。




