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無法の王は心を喰らう  作者: アメアン
二章 無法の王は過去を見る
16/43

第十話 法は王を捕らえる

 ――寒い。

 

 牢獄の中は風もなく、鳥の囀りはもちろん虫が走り行く音も聞こえない。

 ただひたすら懸命に落ち行く水がポタポタと鼓膜を刺激する。

 床は異様に冷たく、露出した足がその温度に染まっていくのが分かる。

 たまにざらつく足の裏がくすぐったいが、今の彼に笑う余裕などありもしない。


 ザンミアは黒い囚人服に着替えさせられ、鉄格子の奥にある牢獄に収納されていた。

 周りには洋式のトイレ以外、特に気になる物は配置されていない。

 地下の地下であるために窓もなく、日の光が刺し込むことはない。

 檻の外にある壁に飾られた松明が僅かな光を放ち、それを頼りに手を差し伸べられる。

 暗く、静かでこれがあの賑やかな街の下だとは想像も出来ないだろう。

 

「――――」


 ザンミアは壁に体育座りで凭れかかり、背中から感じる冷たい感触を我慢しながら体制を維持した。

 こうしていれば少なくとも一部は体温で熱を持ち、凍え死ぬことはない。

 出来るだけ体を折りたたみ、あらゆる間接の温度を上昇させる。

 

「――――」


 今の彼に寂しさというものはない。怒りすらもどこかに置いて来てしまった。

 昔のような眠たげな瞳を顔面に飾り、脱力感溢れる態度でこの空間を過ごしている。

 さすがに食事は出されるが、一日二食の栄養分が決して足りてると言えない内容だ。

 カラカラに乾いたパンと、小さくひもじい魚。

 横にあるコップ一杯の水にそれらを浸し、口の中にちまちま放り込む。

 米はもちろん、スープなどと言った体を温めるものなどこの一週間見ていない。

 体は次第に痩せこけ、一年もすれば餓死するのではないかと思うほど。

 いや、むしろそれを狙っているのかもしれない。自分は罪を犯していない以上は死刑は出来ない。

 ならば微かな栄養分を与え、時間を掛けて命の灯を消していく。

 とんだ処刑法である。それならいっそこの首を切断して貰ったほうがまだマシだ。

 

「――――」

 

 ひたすら沈黙を繰り返す。

 希望も死体もないこの空間でどう過ごそうかなど考えても無駄なのだ。

 やはり法律は自分にとって邪魔でしかなかった。

 人と同じような考えでいたいとは思わないが、少なくとも己に眠る歪んだ欲望がばれない手段をもっと練っておくべきだった。

 しかし、その後悔すらも今となっては反省点にすらならない。

 終わったのだ。自分の人生はこの狭く暗い檻の中で閉ざされたのだ。

 もはや死んだも同然。いくら手を伸ばそうとも届くのは固い鉄格子の隙間のみ。

 自殺願望までは湧かないが、せめてシークの死体だけでも触れておきたい。

 高まるはずの欲望も、ここではそこらに転がる石同前。誰にも気付かれず、ひたすら踏まれる運命。

 

「――――」


 ここは素直に認めるべきなのだろうか?

 自分が間違っていたと考えるべきなのか?

 社会に染まりゆくのが人の使命だと言い聞かせ、自分を押し殺さなければならないのか?

 嫌だ。あの絶景を見てしまっては押し殺したくても本能が勝る。

 異常なまでに弾力性のあるバネのように押さえても押さえても跳ね返してしまうだろう。

 ある意味残酷な運命。ある意味残虐的な運命。

 どうすればいい? 自分はどうすればいいのだ?

 死ぬしかないのか? 社会に不適合だと言う理由で死ぬしかないのか?


「――嫌だ」


 死体を愛して何が悪い。

 殺人を恐れなくて何がいけない。

 

「――嫌だ……」


 人が人を愛するように人が屍を愛して何がいけないのだ?

 王という一人の人間に人を定義させ、人を肯定させるなど人の行動ではない。

 貴様に何が分かる。

 想像したことがあるか? 死体がこちらに微笑まないときの胸の高まりを。

 気付いたことがあるか? 死体からしか感じ取れないあの冷ややかで儚い感触を。

 理解できるか? 誰にも理解されなくとも貫こうとする人の強き意志を。

 

「――嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」


 ザンミアは頭を抱え、全身を震わせながら声を大きくしていく。


「――嫌だ嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!! 死にたくない!! ここで死にたくない!! 助けて!! 誰か助けて!! シーク!! 僕を助けてくれ!! ここで終わりたくない!! 誰か!! 誰かぁぁぁあぁ!!!」


 無論シークはここにはいない。今頃自分の帰りを待っているはずだ。

 いや、もしかしたらもう忘れてしまったのではないか?

 騎士がうまく彼女に事情を説明し、それに納得して綺麗に忘れてしまったのではないか?

 

 ――怖い。


 孤独が怖い。死が怖い。床が怖い。鉄格子が怖い。

 今が怖い。明日が怖い。この指が。この足が。この声が。

 高まる恐怖に怯える自分が怖い。

 吐き気が怖い。感情が怖い。

 忘れられるのが怖い。誰か自分を求めてくれ。誰でもいい。

 あなたの為なら死体になれますと囁いてくれ。それだけでもこの恐怖心は収まるかもしれない。

 

 絶望の中の絶望にあるのはただの恐怖。

 心と言うのはただの邪魔な鎖にしかならない。

 打ち付けるこの心臓の鼓動すらも、今の自分には雑音にしか聞こえない。

 殺して欲しいと願う自分と死にたくないと思う自分が異常なまでに葛藤を繰り返す。

 何も見えない人生の道の真ん中をひたすら歩き続ける。

 無期懲役というのはここまで人を苦しめることが出来るのか?

 狂気に染まった凶器。それがこの法律そのもの。

 自分に同情するものはおらず、法律に洗脳され法で裁かれる人間を冷たい目で見下す。

 抗えることすら許されず、認めてもらう事もなく朽ちていく。

 

「……誰かぁ……あぁ……」


 ザンミアは己の太ももに向かって叫び続け、次第に声を小さくしていった。

 恐怖を言葉に乗せても意味はない。

 彼は無駄な行動は止め、再び静寂の身を委ねた。その時。


「――少年、叫ぶのはいいことだ。気は紛れるし体温も上がる。何も意味のない行動ではないさ」


 対象にある檻の中から一人の男性の声がした。


「――誰だ……」


 ザンミアは目元にあるくまを持ち上げ、奥を見つめた。


「この一週間身を隠して観察していたが、どうやら恐怖心はあるようだな」


 暗闇から鉄格子に向かって姿を現す人物。

 同じ囚人服を身に纏い、擦れた声を響かせている。

 足は黒く汚れ、爪が所々剥がれていた。

 頭には白髪が目立ち、顔面も髭が覆っている。

 不衛生極まりないが、風呂もないこの牢獄では文句も言えまい。

 髭で覆われて見にくいが、男の年齢はおそらく二十代だ。

 

「……」


 ザンミアは見知らぬ男に声を掛けられ、何と返せば分からない状態だったが、男は気にも止めずその場に座り込み胡坐を掻きながら


「俺の名はガンジス・ロットカルフィアス。あんたの名は?」

「……ザンミア……ザンミア・コールネクトス……」


 ザンミアは警戒心を旺盛に答えるが、彼はにこりを笑顔を向けている。

 同じ地下へ閉じ込められているなら何かしら殺害を起こしたのだろう。

 もしくは自分と同様にこれから先の危険人物と見なされたか何か。


「ザンミアか、よろしくな。久々に誰か来たと思ったら随分若い子が来たな。見た感じだと十五歳くらいか?」

「……十四です」

「ほうほう。それはまた若いな。ここは中々の殺害でも起こさないと連れてこられないからな。やっぱり君も無期懲役か?」


 自分は殺害まではしていないが、否定し続けるのもどこか面倒だ。

 ザンミアは気だるげに


「まあ、はい。無期懲役です」

「おお、そうかそうか。それは残念だったな」


 残念だと。喧嘩でも売ってるのかこの男は。


「俺も無期懲役なんだよ。てかここに連れてこられた奴は全員な」

「全員? それじゃここに入った人は全員死ぬまで出られないんですか?」

「まあ、基本は――いや、絶対出られない。ここで自害するか栄養不足で飢え死にするかのどっちかだな」


 やはりザンミアの考えは間違っていなかったか。

 しかし、それならこの男はなぜこんなに陽気でいるのだ?

 汚れきった足を見る限り数年近く閉じ込められていると推理出来る。

 しかし、牢屋に入れられて一週間しか経っていない自分よりも遥かに前向きな態度。

 少し謎めいた相手ではあるが、ザンミアはこの男には何か秘策でもあるのではないかと思い


「ここに入って何年目ですか?」

「ん? そうだなー長くいると一日がどのくらいかも分からんし、配られた飯の数を二で割れば……大体二年? いや三年か?」


 この食事内容で三年も生きられるのか。 

 元々太っていたならなんとか生きてはいけそうだが、ここでそんな質問をするのは失礼だろう。

 

「あの、ここから脱出することは可能ですか?」


 ザンミアは一か八かでガンジスに尋ねてみる。

 どうせここに希望なんてものはない。駄目もとでも聞いてみる価値はある。


「脱出? そうだなー過去に試みた奴がいたが失敗したな」

「失敗するとどうなるんですか?」

「この場で殺される。どうやらここでの脱走は死に値するようだ。見せしめに道の真ん中で首を切断されてたよ。あの時は鮮明に覚えてる。まあ、何人かの囚人は喜んで見てたけどな」


 どうやらここに真面な人間はいないようだ。

 自分も普通とは言えないが、最低限のマナーは頭に入れている。少なくとも人の首から血の潮が吹かれて喜ぶほど歪んではいない。


「ガンジスさんはどうしてここに?」


 だが、この男性はどこか真面な気がする。

 ザンミアと同じように人らしい性格を装っているだけかもしれないが、普通に会話できることに越したことはない。


「まずは自分から話すのがマナーて奴だ。これ常識な」


 ガンジスは歯茎を露出しながらニコリと笑い、指をピンと立てた。

 

「す、すみません。僕はその……死体が好きていう理由でここに入れられました……」


 ザンミアは素直に答える。


「死体……? ぶっ!! ぷはは!! なんだお前屍姦でもやったのか!?」

「なっ!! 違います!! そこらの変態と一緒にしないでください!!」


 屍姦は死体に対して性的興奮を覚える人間の行為だが、ザンミアにはそういったものはない。

 純粋に愛し、何か崇めているものに近い。


「死体はそんなことに使うものじゃない……眺めるものであり触れるだけのものだ……」

「ふーん。確かにその様子じゃ牢獄にぶち込まれても文句は言えないな」

「僕は死体を手に入れるために殺人はやっていない!! やる予定もなかった!!」

「でも、手に入れられるなら行動した。違うか?」

「……それはっ!! 否定出来ませんが……」


 ザンミアは一瞬顔を上げ、反抗する姿勢を取ったがすぐに肩を落とした。

 ガンジスはそんな彼を見つめながら優しい口調で


「まあ、別に今更それがどうとかなんて関係ないさ。ここにいる全員は法に見放された人間ばかりだからな」

「……ガンジスさんはなぜここへ?」


 彼が尋ねると、ガンジスは近くに落ちている石ころを手にした。

 おそらく壁から剥がれた破片を手のひらで転がしながら小さな声で


「俺は――濡れ衣だよ」

「濡れ衣?」

「ああ、三年前くらいに家族全員殺されてな。誰かは分からないんだが俺だけが殺されなかった。そして俺の横には妻と娘の首が置いてあった。俺の手には血まみれのナイフに首を絞めるのに使ったと思われる布が一枚。殺した覚えなんて一秒もないんだが、最後に覚えているのは後ろから襲われたことぐらいだ。犯人は逃走し、俺を殺人鬼に仕立て上げてあっという間に無期懲役さ」


 ザンミアは冷静なまま彼の話を耳に入れる。

 彼からすれば哀れとまで思う話ではないが、謎めいた事件に少し興味を持っていた。


「あなたが殺したという決定的な証拠はないのに? 弁解しなかったんですか?」

「したさ。必死にしたけど駄目だった。むしろ逆効果。一人の騎士が俺を異常者扱いして殺人鬼が頭の中に眠ってるんだと。面白いだろ? 犯人もよく髪の毛一本落とさず逃げれたもんだよ」


 ガンジスは苦笑いしながら過去を語っているが、瞳の奥はどこか淀んでいた。

 愛する妻と娘を殺された上に自分が犯人だと疑われるというのは普通の人間なら耐えられることではない。おまけに気付いた時に見たのが二人の切断された首だとなれば尚更。


「今頃犯人はどこでどうしてるんだろうか……」

「……どっちなのですか?」

「ん? どっちて?」

「その犯人は殺してから首を切断したんですか? それとも首を切断して殺したんですか?」


 ガンジスは一瞬彼の質問の意図が分からなかったが、真剣に考えてみる。


「そうだな……残った体には数か所刺された跡があったし殺してからだったんじゃないか?」


 あまり想像はしたくなかったが、彼が目撃した時の遺体は首もろともベッドの近くにあった。

 二人の体はそこらに重ねており、大量の赤い絨毯を敷いていた。


「ちっ……首を離すなどその殺人にはセンスがない……」


 ザンミアの発言にガンジスは言葉が詰まる。

 センス? この子は何を言ってるんだ?


「僕なら首を切断なんてしませんよ。だってそれじゃ顔が血まみれになるじゃないですか。その犯人に説教をしたい気分ですね……」


 ザンミアは子供のように親指の爪を噛みながら憎たらしい表情を浮かべる。

 彼の言動にガンジスは真顔になるが、すぐに


「……ぷっ!! ぷはははっは!! お前は本当に人を殺したことがないのか!? その発言は殺人が趣味な頭のいかれた野郎が吐くものだぞ!! 面白いなお前!! はははははっは!!」


 妻と娘の死を哀れむどころか殺され方に不満を抱く彼に奇妙さを感じ取ったが、ここまで来ればいっそ笑いがこみ上げてきた。

 不思議な感覚だ。彼と言う少年は誰よりも捻くれているのに誰よりも信頼出来る。

 人間らしくもあり人間らしくもない。そんな奇妙な彼の存在が今だけは信頼出来る。


「何が可笑しいんですか……」

 

 笑い声を上げるガンジスの姿にザンミアは呆れ顔で物申すが、彼は手の平を前に出し横に振りながら


「いやいやすまない……ただその……ぷぷ……面白くてな……久々に笑ったよ」


 ザンミアはふざけた態度の彼にどこか苛立ちを覚え、鋭い目つきで睨んだ。

 すると彼は膝をポンと叩いておもむろに顔を上げ、大きな声で


「よし!! 気に入った!! お前は今日からミアだ!! 俺の事は気軽にガンと呼べ!!」

「――はあっ?」

「ん? なんだ不満か? ザンの方が良かったか? それともアザン……さすがに弄りすぎか……それじゃ――」

「ちょっ、ちょっと待ってください。何ですか急に」


 突然な名前の変更に戸惑い、ザンミアは体を浮かせた。

 しかし、ガンジスは笑顔を維持したまま「まあまあ」と言って彼の行動を煽てた。


「いいじゃないか、長い付き合いになるんだ。仲良くしよう。あ、そうそう他にも仲間がいるんだ」


 彼は先程まで持っていた壁の破片を鉄格子の軽く叩きつけ、金属音を立てる。

 その音と同時に彼の隣にある檻から一人の人物が顔を覗かせた。そこには


「――あうぁ……あう……」

「――――」


 さすがのザンミアでもその光景に目を疑った。

 無理もない。なぜならそこに現れたのは


「あうあうお……うあぁ……」


 小柄で痩せこけた五歳くらいの男の子だった。

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