第四話 王は指を持つ
「ただいま」
シークは自分の家に戻り、玄関の扉を閉めた。
「あら、おかえり。夕飯出来てるから早く荷物降ろしなさい」
「……いらない」
「え、でも今日はあんたの好きな肉の……」
「食欲ない……部屋に戻る」
そう言って彼女は俯いたまま自分の部屋に向かっていった。
「どうしちゃったのかしら、あの子」
「年頃だからな。色々あるんだろ」
脱力した彼女の背中を見つめながら母親は眉を顰めていた。
シークは部屋に入り、鞄を降ろしてベッドに倒れ込み俯むせになる。
「…………」
そのまま息を止め、しばらく苦しい状態を維持。
「……ぷはぁ!!」
息継ぎをするようにして顔を上げ、次第に顔を赤くしていった。
「どうしよう……どうしよう……あんな……あんなことされたら……」
彼女はベッドにあるゴブリンのぬいぐるみを手に取り語りかける。
「あんなことされたら……忘れられなくなっちゃうよ……ゴブ……」
ゴブというのはぬいぐるみの名前の事だが、ぬいぐるみは憎たらしい顔を歪める事なく彼女を見つめていた。
「ねえ、あの言葉の意味どっちなのかな? 好きを分かったってことはそれってやっぱり……」
彼女はぬいぐるみを抱きしめ、頰を擦りつける。
「うわぁぁぁぁ。どうしよぅ……あの感触忘れらんないよぉ……私やっぱり……あいつのこと……」
自分の顔を包み込んだあの手の感触。
心まで飲み込むようなあの瞳と温もり。
もはやシークは彼にゾッコンだった。
「でも、分かんないよ……あいつのこと分かんないよ……そりゃ、顔はかっこいいかもしれないけど、なんかそんなんじゃなくて別に惹かれるものがあるんだよ……なんで私……ザンミアが好きなんだろ……」
入学前日のあの昼下がり。
彼女の目には彼が何よりも魅力的に映っていた。
そしてその気持ちは高まりつつある。
別に話してて楽しい訳ではない。
別に一緒にいて充実感はない。
別に彼のミステリアスな所に惹かれた訳ではない。
自分は昔から勇ましい騎士と結婚したいという願望はあった。
初恋の相手も親戚の剣士をやっている十個上の男性。
しかし、その恋する気持ちも全てザンミアによって飲み込まれてしまったのだ。
「ていうか片方も良いよって私馬鹿なの!? まるで変態じゃない!! しかもやる方もやる方よ!! 遠慮なしに胸を触ろうとして!! ザンミアの変態!! 変態魔術師!! 変態で落ちこぼれの馬鹿!! でも……でも……彼が好き……彼の手の中で溺れたいよぉ……ゴブ……」
彼女はぬいぐるみを見つめる。
だが、彼女の頭の中で浮かんでいたのは昼頃見た、彼の顔だった。
「あれ……普通に考えたらあのままチューする場面だよね……どうしよう……このまま流れで顔を近づけて……キス…………うわぁぁぁぁ!!!! 死ぬ!! 私死んじゃうよぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「――――あんた。何やってんの」
背後からする声にピタリと体が硬直し、熱が一気に冷めた。
「まっ、ママ!! 勝手に入らないでよ!!」
「いや、ノックしたわよ。やっぱりご飯いいか聞こうとしたのよ。そしたらーー」
「分かった!! 食べる!! 食べるから部屋で待っててよ!!」
彼女は泣きっ面で母親を睨む。
「はいはい。お父さんも待ってるからね。早くしなさい」
「は、はーい」
「あ、それと――」
母親は何か言い忘れたかのように
「好きな子の話。ママにも聞かせてね? それじゃ!!」
元気よく笑い声を上げて扉を閉めた。
「…………全部聞いてたなぁ!!??」
シークは顔を赤くさせ、大事なぬいぐるみをベッドに投げ捨て部屋を即座に出た。
ベッドの上にはぬいぐるみのゴブが寂しげに倒れている。
――――
翌日。
シークはいつもの通路で学校に向かい、校門を潜り抜け玄関に立ち荒んだ。
結局、昨日の夜はよく眠れず目元にはくまが浮かんでいる。
「おはよっ。シーク……てどしたのその目!?」
「おはよう。昨日少し徹夜して……」
「それはそれは……ご愁傷様です」
友人と挨拶を交わし、靴を履き替える。
「おいザコミア!! 汚れがついてるぞ!! これで落としてやるよ!!」
すると、玄関の前で憎らしい声を上げる男子生徒達。
振り向くと、そこには石を投げつけられているザンミアの姿があった。
「また今日も苛められてるねー。もう見慣れたけど」
「……」
友人は苦笑いでその光景を見つめていたがシーク本人は唇を噛み締めながら凝視していた。
「ほらザコミア!! そのチンケな魔法で石を止めてみろよ!! ほらほら!!」
男子生徒は周囲から石を投げ続ける。
彼はその石を避けようともせずに前に進み続けていた。
「あそこまでやるかね……それにしても相変わらずってシーク!?」
彼女は見て見ぬ振りが出来なくなり、彼の元に上履きのまま走って行く。
「ほらほらザコミア!! こっちを……てなんだ?」
「あんたらもういくつよ!? こんな無抵抗の人間苛めて何か得でもあるの!?」
シークは彼の前で両手を広げて庇う体制を取った。
恐怖で足は震えていたが、彼女の決心により無理矢理佇ませた。
「おいシーク。邪魔すんなよ。まさかそいつのこと庇うのか? ザコミアを?」
「うるさいわね!! こいつはザコミアじゃなくてザンミアよ!! 名前も覚えられないの!?」
男子生徒は舌打ちをし、仲間に指示を出して石投げを再開する。
「てめぇもそっち側なら話は別だ!! 一緒に石ぶつけてやるよ!!」
石を何発も投げ、二人もろとも攻撃を受け続ける。
手足や腹に当たり、所々にあざや傷が生じて行く。
「いたっ!!」
そして、彼女の顔に石がぶつかり肌から血が出た時。
「ああああああああああ!!!!! いてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
玄関の前で叫び声が上がった。
そしてその叫び声の主はシークの顔に石をぶつけた生徒。
「う……うわぁぁぁぁ!! 指が!! 指がねぇ!!」
他の生徒も悲鳴を上げる。
彼の手からは親指を除いて全ての指が切断されていたのだ。
手からは大量の血液が流れ出し、指はそこらに転がっていた。
「その手か………」
シークの後ろからザンミアの囁く声が聞こえる。
「ザンミア……?」
彼女は振り向くが、彼は下を向いていて顔がよく見えない。
ザンミアは徐々に切断された生徒の元に行き、転がっている人差し指を持って前に立つ。
「いたい……いたいよぉ……」
男子生徒は涙と血を流しながら手を掴んで震えていた。
「この指か………」
そして、ザンミアは彼の髪を掴んで無理矢理視線を合わせ
「シークの顔を傷付けるのはこの手か?」
眠たげな目をしかりと開け、紅の瞳に彼の顔を映す。
おもむろに切断した指を彼に押し付け、殺意を感じさせる程の無情な顔で見つめ続けた。
「ひっ……ひっ……助けて……」
「助ける? どうして? 今ままで散々助けを呼ばない状況を作って置いていざ自分がその場になったら助けて? その冗談、死ぬ程笑えないよ」
「ひっ……ひっ……」
「それともいっそ、死んでみるか? その汚れた指を大事に抱えながらあの世とかいう場所に逝ってみるか?」
あまりの緊迫感に男子生徒は失禁。
周りの生徒は吐き気を催すほどドン引きしている。
「あなた達!! 何やってるんですか!?」
そこに女の先生が登場し、事件現場に足を踏み入れた。
「こいつ!! 魔法です!! 魔法の風切りでライアンの指を切ったんです!!」
一人の生徒が彼を指差しながら叫んだ。
「これは……ひどい……直ぐに病院に!! それとザンミア!! あなたは職員室に行きなさい!! 関係者も全員!! いいですね!?」
「「は、はい……」」
小刻みに泣き声を上げるライアンを抱え、その場から立とうとした時。
「先生。シークも顔に傷を負いました。彼女も病院へ。それと……指……忘れてますよ?」
無表情で血まみれの指を渡してくる彼の姿に寒気がし、言葉を失っていた。その場にいる全員が。
――――
この後石を投げた生徒とシークは厳重注意をくらい、一週間の掃除が課せられた。
しかし、ザンミアだけは一人取り残され校長と話をすることになった。
「どうしてあんなことを?」
白い髭と髪を飾る校長は優しく彼の話を聞く。
「シークの顔を汚されたので報いが必要だと思いました」
ザンミアはいつもの眠たそうな目に戻り、回答に答える。
「ふむ、それでもわざわざ指を切断する必要はあったかね?」
「今まで苛めはあったのでこれくらいは当然かと思いました」
淡々と答えるザンミアに校長は頭を抱える。
「いくら苛めにあったとはいえ、あそこまではやらなくても良かっただろ? 下手すれば捕まっていたよ? 君は」
この世界の法律上、十六歳未満の子供の無断な魔法使用は『世界統一魔法魔術法第二条』で禁じられている。
「でもあれは正当防衛です。向こうから仕掛けたのだから問題ないはずです」
彼の言う通り、どうしてもやむ得ない場合は魔法の使用は可能とされている。
しかしそれは犯罪に遭った時のみで、自分のものさしで判断していいものではない。
「君にとって石を投げられることが犯罪とでも?」
「いいえ。顔を汚す事が罪だと判断しました。足や腕ならまだしも、顔に石をぶつけるなど許し難い行為だと思います」
「ふむ……君はそこまで彼女の事を大事にしてるのかね?」
「……校長先生。あなたは何を言ってるんですか?」
彼は少し呆れた口調で物申す。
「何をとは?」
「何度も言ってるでしょう。僕は顔を傷付けた事に制裁を下したんです」
「……………」
校長は彼の言ってる事が理解出来ずその場で黙り込む。
「校長先生!! 少しよろしいでしょうか!?」
すると、扉からノックもせずに一人の先生が現れ汗を流していた。
「!! どうかしたかね!?」
「あの……ザンミア君にお話が……」
その要件は彼に関しての事。
校長は頷き、ザンミアの元に先生を近付かせる。
「ザンミア君。いいかい、今から言う事は本当の事だ。信じられないと思うけどしっかり聞いてね」
やけに汗を流す女性の教師。
ザンミアは静かに頷き、耳を傾けた。
そして
「実は……さっき、君のお母さんが亡くなった知らせが来たんだ」
「…………お母さんが?」
――それはあまりに唐突すぎる家族の死の報告だった。




