新居
やがてカリンに連れられ、カイルは一つの建物へとやってきていた。
「ここは?」
そう尋ねるカイルの声にはどこか困惑の色が混じっていた。
「ここは家の売買をするところよ。まあ、賃貸もしているけどね」
「バイバイ? チンタイ?」
聞いた事もない言葉にカイルは首をかしげる。
目の前の建物の異様さも相まって、カイルは及び腰になってしまう。
「ん? ああ……売買は売ったり買ったりするって意味。
お金を払えば貸してあげるって意味よ。まぁ、あたしたちにしてみれば、お金を払って借りるって意味だけどね」
「ふ~ん、変な言葉があるんだね」
「そうね、計算の勉強は一通り終わってるから、今度は文字の勉強でもしましょうか」
「え? 本当?」
「でもそれも、家をどうにかしてからね。
あと当座の資金はできたけれど、商売を始めるにしても元手を稼がないとね。
……その辺の問題が片づいてからの話になるわ」
やはりカイルには難しい言葉の意味がわからない。ただお金が貯まってからの話、という事をなんとなく解釈した。
そして二人はその建物へと入っていく……。
現在彼らは『蜜』を酒場に売ったお金――銀貨25枚銅貨5枚の他に、親から貰ったお金銀貨10枚と、商人に『蜜』を25瓶売ったお金の金貨3枚が財産であった。
この国の貨幣は金貨1枚で銀貨10枚。銀貨1枚で銅貨10枚となっている。
またそれ以上のものは大金貨があり、これは金貨10枚に等しい。さらに高額取引の場合には、宝石の類いでやり取りされることになる。
これは交易で使われる貨幣で、街中だけに限ればこの他にラース銅貨と呼ばれる、純度の低い銅貨が使われている。
だから街それぞれで、ラース銅貨は違った紋様が描かれている。
これはラーストンだけに限った事ではない。様々な国でこのような交易に使えない貨幣が存在している。
これらは銅貨ですら価値が高すぎて、等価交換すると相当な量になってしまう物が出て来てしまう。そのためどうしても生活に不便となってしまうため、この様な硬貨が作り出されることになった。
旅行好きの貴族は、これらの貨幣を集めることを趣味にしていたりもする。
ではなぜ、交易に使われないかというと……それは国によって物価が違う事に原因があった。そのため純度が統一されていない事に問題があった。
物の価値が高いなら構わない。それなら元々の銅貨でやりとりをすればいいのだから。しかし、物の価値が低すぎる場合に問題が出てくる。
だから国や、都市によっては銅貨と交換する割合がまったく違うのだ。
フェルラースならばラース銅貨10枚で銅貨1枚と交換できるが、他の場所だと100枚で1枚といった場合すらあるのだ。
では、そんな貨幣で1日辺りの生活はどのくらいになるかというと――。
大人一人につき、必要とされている額は銅貨3枚とされている。もちろんこれは住む家がある者に限っての話である。
街中で小さな家を買うには金貨20枚とされている。
借りるだけならば1月銀貨8枚になる。1月は40日であるからして、1日辺りに換算すると銅貨2枚となる。
当然な話だが、何人で住んだところで同じ値段である。だから少人数で住むならば、一人当たりの負担額は安くなるのだ。
人数次第ではもっと大きな所を借りねばならないが……。
それはさておき。これらの事から考えると、二人の資金は生活するだけに限定すれば、十二分に差し支えのない額はあった。
しかし、二人は商売をするつもりであった。
それならば最小限という大きさの家という訳にはいかない。作業場はもちろん、店舗として成り立つ最低限の広さが必要であった。
だから多少高くなってしまうことも仕方がない事と言えた。
けれど――。
「こちらの家などはどうでしょうか? 場所、広さともにお二方に相応しい物かと」
建物の中に入ったカイルたちは今、一人の男に話しかけられていた。
彼の名前はダンストン。この建物の主――トリーニン商会に勤める商人である。
そんな彼はカイルとカリンを見下し、あからさまに不良物件を押しつけようとしていた。
「ちょっと! こんな所にある店なんて誰も来ないわよ!」
カリンは机をバンバンと叩きながら抗議をしていた。
それも当然だろう。
そこは市街地から遠く離れた場所にある。しかも図面を見る限りでは部屋数は2つだけ。これでは生活するだけ他に余裕はないだろう。
それだけでない。築30年以上という古さは、住むのに差し支えがある可能性も考えられた。
これで月銀貨10枚というのだから話にならない。
これには世間知らずであったカイルも、さすがにおかしいとはっきりとわかったのである。
「そうは言われましてもね……。
この時期から商売を始める……なんて言われましてもね。さすがに場所など空いておりませんよ。
二等地とも言える場所ならば、何件かありますが……。生憎あなた方は、特に……お金もないようですし。
この辺に住んで下請けの仕事でもしたらどうですか? ……と思いまして」
それは明らかにカリンのかんに障るような言い回しで、カイルにはダンストンがわざとしているようにしか思えなかった。
(どうしてこの人は……そんな言い方をするんだろう)
当然カイルは疑問に思う。
けれどカリンにはその理由がわかっていたようだ。
「あんたね! あたしが女だからって舐めているの!?」
「これはひどい言い様をなさる……。心外もいいところですな」
しかし、目が語っている。
カイルはそれをみてカリンの指摘は正しいと感じた。かつて馬鹿にされていた経験からこの手の感情には敏感なのだ。
「何が心外よ! これなら街中の家を借りる方がずっとマシよ!
これ不良物件じゃない。これで舐めてないっていうなら責任者を呼びなさいよ!」
「責任者……と言われましてもね、あなた方のような子供……おっと失礼。
あなた方のような若い方の担当は、私となっていましてね。だから私が責任者という訳ですよ」
「違うわよ! トップよトップ。一番上の者を責任者よ。
あんたのようなちゃらんぽらん、お呼びじゃないのよ!」
「これはこれは……あまりにもひどい言いぐさ。
温厚な私でも、さすがにその言葉は聞き流せませんぞ。撤回して頂きたい!」
売り言葉に買い言葉の罵倒が始まる。
その様子をみて、カイルは当初の内容からかけ離れ始めているのを感じた。
そして埒があかないと思い、勝手に他の図面を見る事にした。
(う~ん、これはちょっと違うかなぁ。これは……高いかな)
先ほどダンストンに軽く説明されていたので、それらを読み取る事に差し支えはない。
う~ん、う~んと選びながら、ふと一つの図面に目を引きつられた。
これだ!
そう思わせた図面は3つの部屋に1つの大部屋の間取り。
決して大きくはないが、小さくもないという感じ。完成したのが15年前と少し古い感じはあるけれど、古過ぎるという程でもない。
少なくともダンストンが呈示した物とは比べものにならない。
そして肝心の大広間。
作業をすることを考えるにしても、十分な広さが取れているように感じる。
もちろんこれはカイルの考えである。だからカリンが違うのを見つければ、これは白紙へと戻る。
けれど、カリンに褒めて貰いたいという気持ちが、カイルに意見を主張させる事に繋がる。
「ねえ、カリンちゃん」
「――けんなよっ! ん、ん、なあに? カイル、どうしたの?」
鋭い表情から一瞬にして笑顔に変わる。まるでその様子は仮面を付け変えたかのようであった。
もちろんカイルはそれを指摘する事はない。
「この図面の家なんだけど、……どうかな?」
そういってカイルは手に持っていた図面を差し出す。
「ふんふん、なるほどなるほど……」
受け取るなり彼女はすぐさまそれを見る。当然ダンストンのことなど無視だ。
それを見たダンストンは「あっ!」と声を上げる。
けれどカリンはそれを気にしている様子はない。ペラペラと紙をめくり、カイルが渡した図面を見続けていた。
「それはっ! あなた方のような人に見せるものではないっ!」
「――これに決めたわ! これでよろしく」
ダンストンの言葉を聞かなかった事にして、カリンは事を進めるようだ。
しかし、それを受け取ろうとしないダンストンに、カリンは痺れを切らせたようだった。
「いいわ、他の人に頼むから……。行きましょう、カイル」
図面を持ったまま、カイルの手を引き、別の人の所へと向かう。
「ま、待ちなさいっ!」
焦れたカリンが取った行動に、ダンストンは慌ててしまったようだ。
しかしそれは後の祭り。カリンの中には、彼の信頼などもはやひとかけら残っていないのは明らかだ。
それゆえに、その言葉に従うことなどありえないことだった。
「ねえ、ここ、借りたいんだけど手続きお願いね」
カリンは女性の商人へと図面を渡す。
カリンは男の商人は信用ならない。その思ったのだろう。
カイルから見ても、ダンストンのような男を見た後ではそれも当然だと思ってしまう。
結果、それが正解だった。
特に何かを言われる事や、一方的な不利益を与えられることもなく、簡単に手続きを済ませす事ができたのである。
後ろでダンストンが凄まじい形相をしているが、もはや知った事ではなかった。
「それじゃ、とりあえず二月お願いね。
気に入ったら場合によっては買い取りも考えているから、一応その辺りも考慮しておいてね」
「はい、わかりました。
二月ですと……今はイヨタ月ですからマカタ月の23日までですね。
マカタ月の20日までにこちらにいらしてください」
「わかったわ。またあんたにお願いするから、そのときはよろしくね。
はい、二月分の金貨2枚と銀貨8枚」
「はい、お預かりします。…………はい、確かに受け取りました。
それでは何かありましたらご一報を」
市街中心部から少し離れた所。
あちらこちらに家々が建ち並んでいることから、ここが住宅街なのがわかる。
そんな住宅街の中にぽつんと佇んでいる、周りより少し古くさい建物。そこがこれから住むべき二人の家であった。
そんな家屋に彼らはやってきていた。
中に入ると床に積もったほこりや、木柱からはジメジメとした感じの臭いが漂ってくる。その事から長く人が住んでいない様子がうかがえた。
しかし、どこか落ち着かせてくれる雰囲気。それがカイルの緊張していた気持ちを和らげてくれた。
(はぁ~、今日は疲れたなぁ……)
普段とは違う環境で身体も強ばっていたようだ。
それに気付いた様子のカリンは優しく語りかけてくる。
「今日の掃除は寝床だけにして、他は明日にしましょう。
食事とかも今日は外で食べましょうか」
「え? いいの? お店で食べるとお金いっぱい使っちゃうんでしょ?」
「ええ、今日くらい構わないわ。まだ金貨1枚と、銀貨27枚もあるもの。銅貨の端数くらい今日使っちゃってもいいと思わない?
祝いよ、祝い。今日はぱーっとやりましょう!」
「う、うん、そうだね! 今日くらいいいよね」
カリンの勢いに流され、最初の心配などどこかへと消えてしまう。
乗り気なったカイルにカリンは気をよくし、そして彼の頭を撫でる。
「思い切りがいい事は重要な事よ。
細かいことをきにしてたら『ビッグな男』になれないんだからね!」
頭を撫でなれて気持ちよくなっていたカイル。しかし、カリンがふとしたときに使う言葉が気になり、それを問いただす事にした。
「ねえ、カリンちゃん」
「なあに?」
「時々口にする『ビッグ』って何?」
カイルの言葉にカリンは深く考え込んでしまう。
その様子を見るに、彼女は深く考えずに使っていたとわかる。
「……う~ん、そうね。『ビッグ』は大きいという意味だけれど。大きい男になれという意味じゃないわ。
あたしがいっている『ビッグ』というのは、他人に影響を与えるような凄い人になれって感じかな?
だからね、カイル。そんな人物――『ビッグな男』にあたしがしてあげるわ!」
まるで意志を表明したカリンに、カイルはその後ずっと頭を撫でられ続けるのだった。
3/30 第三話【検索魔法と分類魔法】の加筆修正をしました。
直したつもりですけど、おかしいところが残っていたらご一報ください。