旅立ち
カイルの所有宣言をしたカリン。
その言葉と堂々とした態度にサーシャは絶句してしまう。
カイルも寝耳に水であったらしい。言葉も出ないくらいに驚いているようだ。
「――と、こう言って聞かないのですよ」
ボリスはそうつぶやき、トホホと肩を落としていた。
「は、話が見えないのですが……」
サーシャはそう答える他に言葉がなかった。
息子を連れて行くために、二人が来た。ここまでは良くはないが、まだ予想できた事。
しかし、今二人が告げた事は……カイルを婿に貰うという事であった。様子を見る限りでは、とても冗談を言っているようには見えない。
許嫁……という約定は確かにある。けれど、それは貴族世界における話でもある。この様な庶民にそのような話は聞いた事もない話であった。
希に優秀な魔法を持っている場合に限り、そういうこともあるかもしれない。
だが、カイルの魔法――分類魔法は微妙な物と知れ渡っていた。
今では馬鹿にされる様な事はなくなったけれど、それでも事実は変わらない。
「え、えっと……本気……なのですか?」
サーシャは混乱して言葉を上手く紡げない。
言いたい事、聞きたい事。それら全てを上手く表せない。
そんなサーシャの気持ちなどお構いなしに、カリンは動き出した。
「本気? ええ、その証拠――見せてあげるわ」
カリンは言葉を言い終わるやいなや、カイルに近づき両手で顔を掴み押さえ込む。そしてカイルの唇に、自分のそれを重ね合わせる。
それはチュッという様な軽い物ではなかった。
カリンはカイルの唇に吸い付きなぶり続けている。まさにブチューっと擬音が似合うものであった。
「ぷはっ。……ごちそうさま」
カリンはそうつぶやき、頭を下げる。そしてサーシャに向かって振り返った。
「これじゃ証拠にはならない?」
駄目だと言われたら何をするかわからない。そんな雰囲気が彼女にはあった。
サーシャはその様子に呆れて物も言えない。
恋人の睦言は秘める物。
だからこのように人前で口づけを交わすことなど……破廉恥極まりない事であった。
しかし、そのような事ができる以上、その本気を疑う事などできないのもまた事実。
「はぁ……」
サーシャもはやどうにもならないと、諦めの気持ちになってしまった。
「まあ、どのみち否定されたって、もうつばも付けたし、返さないわよ。
これでカイルは……あたしのもの、ふふっ」
上機嫌で傲然と言い放つカリンの腕には、カイルが抱きしめられていた。
「あぅあぅ」としか言葉が紡げず、顔を真っ赤にしているカイルに、サーシャはため息しか出ない。
もう、二人を話す事はできないのね。
そう思ったサーシャは二人の自由にさせる事に決めた。
そして二人の門出を祝う事にした。
そして二日後。
この日、二人の若者がミーニッツ村を巣立っていく事になる。
一人は少年。
一人は少女、……いや成人を迎えたのならば女性と言うべきだろうか。
この二名は希望を胸に、ミーニッツ村を出発するためその出口へとやってきていた。
とはいえ、出口とはいっても街道へと通じる道だが……。
「カイル……忘れ物はない?」
心配そうに見つめ、話しかけるのはサーシャ。そんな彼女の手には小包があった。
「うん、大丈夫だよ。全部持ったよ」
「それじゃ……これお弁当」
「ありがとう、母さん」
カイルは弁当が入った小包を受け取り、仕舞い込む。
「本当に身体に気を付けるのよ。カリンさんもね?」
サーシャのカリンに対する呼び方は、『ちゃん』から『さん』へと変わっていた。
これは彼女を一人前の女性と認めた証拠。
あの後、サーシャはカリンに今後の予定を聞いていた。
そしてカリンが告げたそのあまりにも隙のない計画性に、サーシャは驚くしかなかった。成人したばかりの若い女性とは思えない物があったのだ。
それゆえサーシャはカリンを認めたのだ。
これなら婚約者としてではなく、保護者としてもカイルを任せられる。
そう思い、サーシャは深々と頭を下げて、「カイルをよろしくお願いします」と頼んだのだった。
やがて、村の方から馬車がやって来た。
あれはラーチ豆を仕入れに来た商人。荷を積み終え、街に戻るところなのだ。
カイルはそれをみて、ああ、ついにその時が来たのだな、と気持ちを整理し始めていた。
カイルとカリンはあの馬車に乗せて貰う事が決まっている。
これもカリンが計画していたこと。
以前より交渉を続け、彼らが作った『蜜』5瓶程で同乗させて貰う事が決まっていたのだ。
――『蜜』
これは村の近辺の森で採取した雑草から作り出した物。
それをカリンの検索魔法で成分を確認し、それの甘み成分である『ブドウトウ』という物をカイルの分類魔法で選り分けたのだ。
何でも『セルロース』と呼ばれる物にそれは含まれているとか……。
カイルはよくわからなかったが、「そんな事を知っているなんて、やっぱりカリンちゃんはすごいや」と悩みもせず、言われるままに似たような物質を魔法で分類していった。
横でカリンが「分解しづらいはずなのに……」と言っていたが、カイルは気にせず淡々とその作業を続けた。
そしてできた粉末状の物を水に溶かし、熱を加えながら濃度を高めていたのがこの『蜜』だったのだ。
また、熱を加えるための燃料は枯れ木と出がらしとなった雑草であった。
もちろん全ての草でできるというわけではない。
同じような成分で分類した物にもかかわらず、抽出しても水に溶けない物が出てきた。
カイルは知らなかったが、カリンによると「水に溶けない物は身体に毒だから駄目よ」という事らしいのだ。
どうしてそうなのかはカイルにはわからない。けれどカリンがそう言うのならば間違いはないだろう。
そして様々な草を試していった。
本来は果実を探して『カトウ』という物が良かったらしいが、結局見つからなかったのだ。少なくとも立ち入りが許可されている範囲では……。
カリンは樹木などにも興味を示していたようだが、ミーニッツ村近郊には探している物はなくてこれも諦めてしまった。
だから消去法から雑草が選ばれた。子供の手で簡単に採取できるというのも理由だった。
そして指示された『ブドウトウ』を分類魔法で分ける。
だが、どうしても上手くいかない。いや、かろうじて売り物になりそうな物はできていた。
しかし、できた物は甘みしかなく、香り高い蜂蜜とは比べものにならないくらい劣悪な物でしかなかった。
甘さにしても『砂糖』には及ばないらしいのだ。
カイルは『砂糖』なる物を知らなかったのだが、やはりカリンの言う事を疑うなどはしない。
確かに料理に使う分ならそれは構わないだろう。
でも蜂蜜や『砂糖』はお菓子などに使われる高級素材なのだ。
その事からしても、とても蜂蜜の代わりにはならず、たいして稼げないだろうとカリンはカイルに告げていた。
そこでカリンは考え方を変えたらしい。一種類の差材から作るということを辞めたのだ。
甘い物と香り高い物、そのそれぞれの成分を抽出し、混ぜ合わせる事で強引に作り出した。
このときカリンは「『テンカブツ』を適当に混ぜ合わせて行けば大丈夫っしょ!」と言っていた。
いまいち理解できないがそう言う物だとカイルは覚え込む。
そして水にそれらを溶かし、じっくりと煮詰める。どろどろしてきたら完成らしい。
できた物は確かに今までの物よりも香りは良かった。けれどやはり蜂蜜には及ばない。
様々な物を試した……。それでも及ばない。
結局カリンは諦める事にしたようだ。
もっとも諦めると言っても、甘味として売り物にすることをだが……。
カリンは方向性を変え、携帯食の一種として売り込む事にしたのだ。
なんでも『ブドウトウ』というのは、身体に吸収しやすい性質を持っているらしい。
そして香りがついており、なおかつ飲みやすい。
これに気づいた時カリンは、「これで『ヒット』間違いなしよ!」と叫んでいたが、『ヒット』とはどういう意味なのだろうか、とカイルはしばし考え込んでしまった。
だが、一つだけわかる事がある。
――それはカリンは凄いということだ。
しかし、カリンにしてみれば、ブドウ糖シロップなど既におまけとなってしまっていた。
カイルはそれができた事にひどく興奮していたが、カリン自身はもっと凄い事に気付いてしまったからだ。
それは砂糖を作る作業中に、ある物を作り出せると判明した事に理由があった。
――分類魔法を使い、抽出して作り出した香料。
それで香水を作れないかと思ったのだ。
なら、高級品として売れないブドウ糖シロップ――『蜜』よりも、高級品に違いない香水を売った方がお金になる。
それで検索魔法を使い製法を調べた結果、作り出せると判断した。
カイルは選別・抽出はできるが合成する事はできない。
だから現状ではアルコール類などの希釈液は手に入らない。
けれど街に……、そう、近辺の街フェルラースにさえ行ければ、それは手に入る。
この世界には植物油を精製する技術が存在した。
つまり、キャリアオイルがあったのだ。
それが検索魔法でわかると、カリンはカイルにエッセンシャルオイルを作らせた。
今までは一番強い香りの単一成分だけを分類させていたが、今度は香りが良い悪いにこだわらず、芳香成分の全てを分類させた。
これはカイルとカリンが出会ったとき、カイルがラーチ豆に使っていたおおざっぱな条件指定。
個体そのものではなく、成分という違いはあるが、詳しい指定はせずに『ただ香りがある物』という条件を指定させた。そうしたらエッセンシャルオイルができたというわけだ。
これを数種類、カイルに作らせてある。
細かい指定で分類したときは固形物であったが、余計な物も混ぜた事によって液体も抽出されたのだろう。
この方法でならば、本来熱に弱い、といった物でも作り出すことができる。カイルの分類魔法ならばそれに制限はない。
とはいえ、そういう類いの物は近郊の森にはなかったのだが……。
その作り出した物を大事にかき集め、瓶に詰め密封した状態で保管してある。
そして街での拠点を探し出した後、希釈液を手に入れ香水を作り出すのだ。
そしてこれらを荷袋にしまい込み、二人は希望を胸にフェルラースへと旅だったのだ。