成人
それから三年の月日が流れていた。
当時9歳であったカイルはすくすくと育ち12歳となっている。成長期にさしかかった彼は、頭二つ分ほど背丈を伸ばしていた。
そして彼の雰囲気は、依然とは比べものにならないくらい明るくなっている。
それはひとえにカリンのおかげであった。
あれからのカイルは、引きこもるなど許されなかった。
カリンに連れ出され色々な事をした。
外が怖かったカイルは当然、最初は嫌がった。けれど、この勝ち気な少女といるときだけは、不思議と恐怖心が薄まっていくのがわかった。
世界に拒絶されてもこの少女が、カリンがいる。
そう思えば自然と外に足を向けられるようになっていた。
やがて二人は、外で待ち合わせをするようになり、色々な所を遊び歩いた。
カリンは何でも知っていた。
物の名前、困ったときの対処法、そして文字や物の数え方も知っていた。
さらに凄い事には、自分の魔法ではない――カイルの分類魔法の正しい使い方まで知っていたのだ。
カイルはその事に驚きおののいてしまった。
この少女は女神さま?
そう思ってしまった。
けれど、それはそういうことではなかった。
カイルは知らなかったけど、それは『学問』と呼ばれる物であったらしい。
加えて、彼女は自らの魔法『検索魔法』によって、自分が知らない事を簡単に調べることができたのだ。
けれど、彼女がどんなに否定しても、カイルからしてみれば、やはり女神さまのように感じてしまう。
何でも知っているのだから、彼には神さまと代わりがなかったともいえた。
だから一度彼女をそう呼んでみた。
そうしたらぶたれてしまった。それも握り拳で。
それ以来、普通に呼ぶ事にしている。
そしてカリンもまた15歳となっていた。
月日は万民同じように流れている。だからそれは当然の事。
しかし、彼女はカイルとは違った事情があった。
――成人を迎えたのだ。
この世界では15歳で成人となる。
男性の場合は独立を果たし、女性は嫁ぐ準備を始める。だからカリンは嫁入り準備を始めねばならなかった。
「いやよっ!」
カリンは食卓に手を激しくぶつけ、両親の言葉を拒否する。
彼女は成人を迎えるに当たって、お見合いを勧められたのだ。知らない相手に嫁ぐなど、カリンにとっては受け入れられる事ではない。
自分で自分の結婚相手を選ぶ。
それがカオルの記憶を持つカリンの常識となっていた。
加えて、15歳で選ぶ結婚相手に年下などいるはずもない。
そんな頑なな態度のカリンに、父のボリスは優しく語りかけてくる。
「いい相手なんだよ。二つ程となりの村の方なんだが……お前のことを気に入ってくれてね。是非ともと言ってくれている」
「ええ、いい人でしたよ。お家も広いみたいでしたよ。
蓄えも十分ありそうでしたし、私もとてもいい話だと思いましたよ」
ボリスに合わせるように母のサーシャも推してくる。
けれど、その言葉に重みは感じられなかった。
サーシャはボリスの言う事に決して反対しない。だから彼女意志がどれほど本気なのかわかりようはずもない。
とはいえ、何もボリスが暴力でサーシャを従えているわけではない。
サーシャは古き良き母……と言うべきだろうか。
時代遅れの考えではあるが、男性にとっては理想の結婚相手として人気が高い。
今は国が裕福になっており、女性も社会に進出をし始めている。その結果、男性に従順な女性は淘汰され始めている。
カリンと同年代の少女たちも、当然やりたい事をしたいという気持ちがあり、男性の意のままに従うのは馬鹿馬鹿しいという風潮となっている。
そういった母の性格を掴んでおり、カリンは惑わされることなく自分の意志を告げる。
「あたしはっ! あたしの意志で結婚するの!
だから自分でお婿さんを捜すわっ! ……いいえ、探すまでもないことだったわね。もう決めたわ!」
カリンは食卓に手をついたまま身を乗り出し、両親にはっきりと告げる。
「カイルをあたしのお婿さんにする!
あたしがカイルを理想のお婿さんに育てることに決めたわっ!」
――理想のお婿さんを育てる。
何故いままで考えつかなかったのだろうと思えるほど、それは魅力的なことであった。
3年経ったままでも可愛らしいままのカイル。
多少たくましくなったとはいえ、時折涙目でカリンに縋り付いてくる。
その都度、カリンはよだれを垂らしそうになってしまう。
ああ、なんて可愛いの……食べてしまいたい。
そう思った事も一度や二度ではない。
確かに今後は成長して、その可愛さをなくしてしまうかもしれない。
しかし、それは他に言えることである。どんなに可愛らしい少年でもいずれは劣化してしまう……。
そこでカイルだ。
カイルなら幼い頃より見ており、かつての姿を脳内で補完できる。
たとえ今とは面影がなくなったとしても、そうすればきっと愛する事ができる。
もちろん『ごっつく』なるというのは勘弁願いたいが……。
けれど以前より、カリンはカイルに激しい運動をさせることは禁止していた。
シャツを汗だくにさせて、肌が透けている姿を見るのはご褒美とも言えた。
しかし、そのために長く楽しめる物を、刹那の欲望で駄目にすることは許し難い行為であった。だから彼女は我慢した。
もちろんその後、カイルに水を掛けて若い肌を堪能したが……。
かつてのカイルを思い出し、「カリンちゃん、やめてよぉ」という声がリフレインした。だが、そんなこと今はどうでもいいことだろう。
彼女が今気にしなければいけない事は、親にこの計画を承諾させるという事。
もはや彼女の中ではこの『逆光源氏計画』を実行させる気でいた。
「おいおい、カイルくんはまだ12歳だぞ?」
「そうよ。結婚するにはあと3年待たなくてはいけないのよ?
もしそのときになって、カイルくんがあなたと結婚したくないって言ったらどうするの?
18歳にもなったら、世間では『行き遅れ』なんて言われてしまうのよ? そしたら結婚だって……そう簡単にはできないのよ?」
「ああ、そうだぞ。さすがに親として行き遅れなんて言われたくないからな……。
だから先方がいい顔している内に頷いた方がいいんじゃないか?」
しかし、カリンは両親にどんなに説得されても、『うん』とは頷かなかった。
やがて、それに焦れた両親は……。
「はぁ~。仕方ないな。カイルくんとライルさんたちが許可してくれたら許してやろう。
もし、そうだったとしてもお前は成人だ。結婚しないならば自分で稼がなくてはいけないぞ? それをわかっているのか?」
嫁がなければ、女性も男性と同じように独立をしなければいけない。
女性はどうしても仕事に就く事が難しい。それは結婚と共に退職してしまうことが原因だった。家庭を持ちながら仕事をするというのはとても困難なことであった。
雇う側も辞める人に仕事を教えたくないという気持ちが強い。無駄になるとわかっている事をしている暇などないのだ。
そういう事情があって、まだ結婚したくないと思っていても、しなくてはいけないという状況に追い込まれている、というのもまた事実であった。
しかし、カリンには知恵がある。カオルの記憶がある。そして検索魔法がある。
これらとカイルの分類魔法さえあれば、いかようにもやっていける、そう考えていた。
むしろ、成功を収め大金持ちになるという野望すら秘めていた。
これが彼女の言う、『ビッグになる』ということだった。
そのための準備は着々と整えてある。
カイルと結婚するという発想まではなかったが、独立するというのは規定事項だったのだ。
だから明日にでも、家を出て稼ぎに行く事になっても全く問題なかった。
このことは既にカイルにも告げてある。
まさに準備万端という状態であった。
そして心配そうに見つめるボリスに対し、自信満々な笑みを浮かべ、はっきりと告げる。
「もちのろんよ!」
「もちの?」
「――ろん?」
どうやらそういう言葉の運用はこの世界にはなかったようだ。
そう考えたカリンは言い直しす。
「大丈夫ってことよ。準備万端って意味よ」
「……あまり、変わった言葉を使うのはどうかと思うぞ。
だが言われてみれば、確か……カイルくんと何か色々とやっていたのを思い出したよ。それが準備ってことかな?」
「ええ、そうよ」
自信たっぷりに頷くカリンに、ボリスは呆れ果てているようだ。重く長い息を吐きながら、目をつぶり首を振っている。
それも当然だろう。カリンが最初から結婚する気などなかったとわかってしまったのだから。
その事がわかり、この話を持ってきた人にどう釈明するかと考えているのだろう。
遂には頭を抱えてしまった。どうせならもっと早くに告げて欲しい、そんな事を思っているに違いない。
「……まあ、ライルさんたちの話を聞いてからだな。
もし、駄目だと言われたら、カリンも諦めて結婚を考えなさい」
「……会うだけならば、考えてもいいわよ」
カリンは飄々とした態度をとり、ボリスをさらに呆れさせた。
そして後日。
カリンはカイルを引き連れ、ミーニッツ村を出て行く事が決まった。