嵐の後の静けさ
「こうしちゃいられないわ! また後で会いましょう」
そう言って少女は去っていった。
まるで嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく……。
カイルはその様子を呆然として見送るしかなかった。
けれど、彼の心には暖かな灯がともり始めていた。
使えない魔法。
――ゴミの分別と、ラーチ豆を分ける事しか役に立たないと思っていた魔法。
そう思っていた分類魔法を少女は、『凄い魔法』と言ってくれたのだ。
こんな言葉など初めて掛けられたのだ。嬉しくない訳がない。
邪推すれば、カイルを煽てただけとも考えられるが、たとえそうであっても構わない。
こんな経験二度とないかもしれないのだ。
だからカイルはその言葉を深くかみ締めていた。
でも、もしかしたら……、もしかしたら本当に凄い魔法なのかもしれない。
そう思うと胸が高鳴るのを感じる。
そしてそれが収まる頃に、ある事を思い出す。
(そうだ! あの女の子の名前……聞き忘れたっ!)
しかし、少女は既に去ってしまっている。たとえ今から追いかけたところで、追いつく事はできないだろう。
その事で彼女が誰で、どこに住んでいるのかわからなくなってしまった。
多少残念な想いはあったが、カイルは焦る事はないと考えた。
『また後で会いましょう』
そう言っていたのだ。だから彼女の方からいずれ会いに来てくれる。
カイルはこの気持ちを胸に、あの『白い下着』の少女と再びまみえる日まで頑張ろうと思った。
ただ、『ビッグ』という意味は最後までわからなかったが……。
それからのカイルは少し明るくなった。
外に出たりする事はなかったものの、家の仕事以外は使わなかった分類魔法を、ちょっとした事でも使うようになった。
自分の魔法が恥ずかしいという気持ちが薄れたのだ。
だから家族の目を気にせず魔法を使うようになった。
とはいえ、他人の目は未だ怖かった。そのため外に出るということができない。
初めの内は希望という灯火を胸に抱き、外に一歩踏み出そうとした。けれどできなかった。
身体が震えて動かない……。
それでも諦めず、何度も何度も挑戦した。でも、できなかった。
そして心に点った灯は、いつの間にか消えかけようとしてた。まるでたき火に薪をくべていないかのように……。
やがてカイルは、魔法を多用する以外の事は以前に戻ってしまった。
何も変わらぬ日々、ただ過ぎ去るだけの日常。
そんな中でただ『分類魔法は凄い物』と思う事だけが心の支えであった。
そんなある日。
ふとした会話の中に、日常では聞かない言葉が耳に入り込む。
「ねぇ、随分前に空き屋になっていた所あったでしょ?」
母、ビーナが食器を片付けながら父のライルに話しかけていた。
「――ん? そうだな。お隣さんが出て行ったのは、随分前の事だが……。
で、それがどうかしたのか?」
ライルは残ったお酒を名残惜しそうに、ちびちびと飲みながら、ビーナの問にそう答える。
「それがね……、今度そこに引っ越してくるんですって」
「ほう、珍しい事だな。この様な田舎にわざわざ引っ越してくる者がいるとは……」
「なんでも聞いた話だと、都会の暮らしに飽きたらしいわよ」
ビーナのその言葉にライルはどこか納得した様子をみせる。
「確かにそういうことはよく聞くな。
確か……隣村にもそういう人がついこの間、定住したらしいからな。
大げさな話だが、やはり都会というのは息苦しいという事なのだろう」
うんうん、と頷きながら、杯を傾け最後の一滴まで飲み干すのが見えた。
「きっと、初めての事も多いでしょうし、私たちで力になってあげましょう!」
「ああ、それはいい考えだな。
都会の暮らしに疲れて引っ越して来たのはいいが、生活がままならないというのは、余計に疲れてしまう事だからな。
せっかくミーニッツ村の住人になってくれるのだから、この村を好きになって貰いたいものだしな」
そう言って二人は今後の方針を決めていく。
一緒に居るカイルに話を聞かないのは、聞くだけ無駄だと諦めてしまっているのかもしれない。
そんなカイルに二人が何も言わないのは、家の仕事をちゃんとこなしているからであった。
手伝ってくれるのは嬉しいし、ありがたい。
だから文句など言えようはずもなかった。
本心では外で遊んで欲しい。そう思っていたが、息子の現状からそれは望めない。
内向的な息子の将来が気になっているが、畑仕事さえ覚えればなんとかなるだろう。それさえ覚えれば、あの魔法は役に立つ。そういう気持ちが二人の中にはあった。
数日後。
この日は隣の空き屋に、都会からある家族が移り住む日。
カイルの両親はつい先日から、彼らをもてなすため色々と準備を整えている。
少しでもこの村を気に入って貰いたい。
二人の気合いの入れようから、その気持ちが如実に表れていた。
けれど、カイルはそんな二人を手伝う事はない。
二人が働かなくなった分、より一層、分類魔法を使いラーチ豆をせっせと選り分けていた。
そもそも納期が近いのだ。本来であればこの様な事をしている暇などない。
それにも関わらず、この様にして歓待の準備をするということは、ひとえに両親がこの村を愛しているという証拠なのだろう。
やがて準備が整い、あとは来訪者を待つばかりとなった。
そして陽が真上を過ぎ去った頃。
家の外からヒヒィーンという馬のいななきと、車輪の回る音が聞こえてきた。
「おっ、どうやら来たようだな」
この時を待ちに待ったといわんばかりに、ライルは急ぎ外に出てく。
ミーニッツ村に普通馬車は訪れない。
村人にとって馬車とは、商人がラーチ豆を買いにやってくる時に現れる物であった。
しかし、まだその時期ではない。少し早すぎるのだ。
もちろん馬だけなら例外がある。
村同士連絡を付けるため、各々の村長が所持していることもある。
また、領主が領地の安寧のために、馬に乗った兵士たちが定期的に見回りをしている。
けれど、やはりそれも時期外れである。
だから他に考えられる事は、この村に引っ越してくる家族だけという事になる。
「ほら、カイルも用意しなさい」
カイルとしては中に引きこもっていたかった。
けれど、この家で歓待するのだ。挨拶をしないということはできない。
だから外に出て、出迎えるしかないのだ。
ビーナに手を引かれ、外に出ようとするカイル。
一歩踏み出すごとに心が軋むのがわかる。
それは外に出たら虐められてしまう、という恐れではない。ただ世界に拒絶されていると思ってしまい、不安でたまらなく怖いのだ。
だから出たくない。閉じこもっていたい。
その想いがカイルの身体を硬直させる。
だが、母のビーナはそれを許してはくれないようだった。
自ら動く事がなくなったカイルであったが、強引に引きずり出されてしまう。
そして腋を押さえ、しゃがみ込む事すら許さない状態だった。
そんなカイルを放って時は進んでいく。
近づく馬車にライルは手を振り停止を呼びかける。
すると、馬車はライルの合図に気付いたのか、カイルたちの前で止まる。
「どうしました?」
御者はライルにそう話しかける。
「中にいる方は、この村に引っ越してきた方かな?」
「ええ、そうですよ」
「実は……彼らの歓迎の宴を用意しているんだよ。
まあ、宴といっても些細な物だが……」
「ほう、それはいいことですね」
「だから挨拶も兼ねて、その参加の是非を聞きたくてね」
「そうでしたか……。それなら少々お待ちを」
御者はそう言って御者台から降りる。そして客車に向かい、戸を開け中に入り込む。
やがて話がついたのか、中から御者と一緒に男、女、そして――。
『白い下着』の少女が現れた。
少女は地に降り立ちカイルを見た瞬間、腰に両手を当て胸を張る。
「約束通り来たわよ。
さあ、二人でビッグになるわよ。覚悟しておきなさい!」
そう言い放った少女の顔は自信に満ちあふれた。
嵐のような少女は再び、カイルの元に突然と現れたのだった。