希望
再びカイルは水の冷たさで起こされることになる。
先ほどと違う事は、上半身のどこもかしこも鈍い痛みを発していることにあった。
体が自由ならば、のたうち回っている。
未だに何かに括り付けられていて、体を動かすこともできなかった。以前は首を動かすことができたが、今は痛みでそれも叶わない。
「目覚めたようじゃな……。
ダンストン、おぬしは下がっていろ。うっかりで殺されたら、たまったもんじゃないしのぅ」
「はっ、すみませんでした」
「そういう所を直さぬと、おぬしは『グリードリ』商会では出世できんぞ」
「肝に銘じます」
先ほどは言葉をカイルは聞き取れなかったが、今はできる。その事から耳が駄目になった訳ではないと気付き、安堵した。
もし、そんなことになっていたならば、この場を上手く切り抜けたとして、今後生きていくことは不可能だっただろう。耳が駄目になった者など、役立たずと切り捨てられてしまう世の中なのだから。
「さて、話が途中だったのぅ。
おぬしたちが国賊という話じゃったはずだが――」
ゴルタールは自分たちのことを棚上げにするつもりらしい。気を失う前にカイルが指摘したことを無かった事にするようだ。
再び口を挟む様なら暴力に訴えるのかもしれない。
痛む頭で、余計なことは言うべきではないと考えた。
「わしらにその製法を教えるか、一定量の果糖を納めれば目を瞑ってやろうじゃないか」
「そんなこと――ッ!」
殴られた。
ゴロツキの内のひょろひょろな方に。
意に背かない言葉を発した時点で、物理的に口を閉ざすつもりなのだろう。
痛みが大して無いところがまた憎らしい。気絶したり、言い逃れをしたりする事は許さない、といった気持ちの表れだろう。
とはいえ、ダンストンになぶられた痛みが残っている。殴られた部位の痛みはないが、体を動かされる痛みはあるのだから、たまった物じゃない。
「何か言った様に感じたが……気のせいじゃったかのぅ。耳が遠くなっていかんわい。
それでどうするつもりじゃ? わしらに教えるか、納めるか? どっちなんじゃ?」
断るという選択肢がない。領主に判断を委ねるという事すらない。
カリンの言っていた『あくどい事』とはこの事だったのか、とカイルは実感する。
脅し、なぶり、強制させる。
自ら承諾してしまったら、後で何をした所でどうにもならない。『言質』と言っただろうか。
しかも卑怯なことに、人目に付かない場所でそれをやっていることだ。
「こんな事の方が違法じゃ――ッ」
また殴られた。
「ぼくは言わないぞ!」
口を開ける度に殴られる。
こんな理不尽に負けてたまるか! 絶対に言わないぞ! とカイルは決意を固めた。
――が、それもひょろひょろな男が刃物を取り出すまでのことだった。
男は取り出したナイフをカイルの頬に当て、「質問以外には答えるな」と耳元で囁いた。
その恐怖に首を縦に振るしかなかった。
(どうして、どうしてぼくがこんな目に……)
どのくらい経ったのかわからないが、かなりの時間が流れているはずだ。
それなのに幾ら耐えても助けは来ない。
カリンは喧嘩中だから家出と思って探してもくれないだろう。
カイルがさらわれたときに見ていた人は他人だ。助けなど期待しても無駄に違いない。
唯一の希望が騒ぎを聞きつけた兵隊がやってくる事だった。それにしても遅すぎる。きっとゴロツキたちはバレない様にカイルを運んだ可能性が高い。
――孤立無援。
カイルはその事に気付いてしまった。ただ耐えていればどうにかなるという問題じゃなくなってしまったのだ。
自分の命を救えるのは自分だけ。
このまま口を閉ざして死ぬのもいいだろう。カリンのためなら、それもありかと考えた。
しかし、カリンの理不尽さを思い出し、その決意の天秤が違う方へと傾いた。
そんなとき、ゴルタールが口を開いた。
「ベルド、治らない傷は駄目じゃ。特に人目に付く場所はのぅ」
「わかりました」
ベルドというのか、あのひょろひょろな男は。
ゴルタールに声を掛けられて、顔から刃物が退くのを感じたカイルはほっとしてしまう。
「にしても、頑固じゃのぅ。
わしも暇な立場じゃないのをわかって欲しいのじゃが……。いい加減口を開いて欲しいものじゃ」
ゴルタールの瞳に怒気が宿ったのをカイルは感じた。望まぬ事を言ったら何をされるかわからない。そんな雰囲気を漂わせ始めていた。
それにベルドは退いたものの、刃物は仕舞ってなどいない。
先ほどは恐怖で気付かなかったが、うっすらと顔に傷を付けていたのだろうか。刃に血が付いていて、それが現実だと主張している。
それを視界に捉えた瞬間、痛みで麻痺しているはずの頬がズキンと鋭い痛みを発した。
もう駄目だ。カイルは自分がゴルタールに――暴力に屈してしまった。
何をしても無駄な抵抗だったのだ。我慢した分だけ痛い目を見ただけだった。
これ以上痛い思いはしたくないと、早く解放されたいと心が折れてしまった。
「い、言うよ……」
カイルは心の底からその言葉を紡ぎ出した。ただ逃げ出したい、という思いから……。
ゴルタールは「ふむ……」と頷いたきり動きを見せなかった。
それにカイルは戸惑ってしまう。促されたわけでもないし、喋っていいのかわからなかった。
余計なことを口にしたら殺されてしまう。その思いがどうしたらいいのかと動きを硬直させてしまった。
すると、痺れを切らしたのか、ベルドが早く話せとせっついてきた。
ああ、しゃべって良かったんだ、とカイルは安堵し口を開く。
「果糖は……ううん、果糖だけじゃなくて砂糖もだけど、どうやって作ればいいのか、ぼくにはわからない」
「このクソガキッ! 舐めてるのか!」
ダンストンは再び怒りを露わにして、再びカイルに襲いかかろうとする。それをごろつきのガタイの良いの男――アラドがそれを押さえつける。
よく見るとゴルタールが手で指示していた。そのことに何故かほっとしてしまう。
「目を見ればわかる。こやつは嘘はついていないと。
ダンストンよ、おぬしは……そんなんじゃからダメなんじゃ」
ダンストンがしょぼくれている。けれどそれを見てカリンの様に「ザマァ」と口にする気力すらカイルにはなかった。
「それで? そんなことしか知らないとでも言うつもりではなかろうな」
「う、うん。どうやって作るかは知らないけど、ぼくはそれを作れるよ!」
ダンストンはその言葉に眉間を押さえ深く考え込んでしまった。
それも当然だろう。自分でも言っている意味がよくわからない。頭が痛くて考えが、言葉が上手く纏まらないのだ。
「どういうことじゃね……。製法を知らずして作れる? 何を言っとるのじゃ?」
「ぼくの魔法で作ってるんだよ……」
言ってしまった。カリンに釘を刺されていた事をついに他人に暴露してしまった。一瞬カリンの怒った顔が浮かび上がるが、カイルはそれを振り払った。
カリンは助けてくれない。今自分を助けられるのは自分だけ。
何かあったときは人に分類魔法を使えと言っていたが、どうしたらいいのかも、カイルにはわからない。使い方もわからずどう使えというのだろう。
その事を思い出すと段々と腹が立ってきた。
後でカリンになんて言われようともはや関係ない。解放されたらカイルはミーニッツ村に帰るつもりだった。だから知られた所で別にどうでもよくなっていた。
たとえカリンに引き留められようと、こんな、ゴルタールたちのいる場所に住みたいとは思えない。
「魔法……魔法……。なるほどのぅ」
ゴルタールは「盲点じゃったわい」と一人で頷き納得している。
それを見てカイルは安堵した。
「それじゃ、ぼくはもう帰して貰えるんだよね?」
「何故じゃ?」
さも不思議そうにゴルタールは言う。
「えっ? でも、言ったら解放してくれるんじゃ……」
「誰がそんな事言ったかね? 許すとは言ったが解放するなど言っておらんよ」
「そ、そんな……」
話が違う、嘘つき、などという言葉は吐く気にはなれない。いや、なれないと言うよりできない。身体が萎縮して、言葉にはならなかった。
「おぬしは金のなる木じゃ。どうして解放するなどと思ったのか不思議でならんわい」
ゴルタールの言葉が本気だと目でわかると、カイルは目の前が真っ暗になった。
(ぼくは、一生……このまま? こいつらに使われ続けるの?)
そこに自分の意志があるかないかの違いがあるだけで、今までと行動は変わらないだろう。かつてのように、ラーチ豆を分けていたように、ゴルタールの指示に従ってただ砂糖を作り出していくだけ。
つまり、希望が見出せないと言うことだった。
ゴルタールが「ついでに」とか「メープルの製法」とか言っているが、もうどうでもいいことだった。
希望も見出せないならば生きていてもしょうがない。死んだ方が返って楽な気がする。
かつてそんな時に出会ったのがカリンだった。しかし、そのカリンももういない。たとえいたところで、この状況を彼女がどうにかできるとは思えない。
「答えんか!」
ゴルタールが杖を振るうのが見えた。痛い。でもそれじゃ死ねない。
「ゴルタール様。こいつ……死を選ぶ目をしてますぜ」
「むぅ」
ベルドがその様な事を言っていた。
それがわかるという事は、そこまで追い詰めた事が何度もあるという事だろう。
やはり逆らってはいけない連中だったようだ。けれどもはや遅い。
(というよりも、もう疲れちゃったかな……あははは)
「ねえ」
「なんじゃ……メープルの秘密を話す気になったのか?」
「もう、殴らないの?」
「そんな事をしたら死んでしまうじゃろ。わしらは殺人はせんのじゃ」
「ふ~ん、じゃあ教えない! アハッ、アハハハハハッ!」
このままじゃ一向に死ねない事がわかり、カイルは彼らを怒らせる事にした。
「くっ、このクソガキィ……」
「うぬぬ……。はっ! 待てダンストン、抑えるのじゃ!」
アラドの拘束を振り払い、カイルに殴りかかろうとしたダンストンをゴルタールは制止させた。
「気持ちはわかるが抑えるのじゃ。
こやつは金のなる木。なおさら殺してしまう訳にはいかんのじゃ。
それがわかっておるのか知らんが、強気になりおったわい」
彼らは「ぐぬぬ」とうなり、どうしたものかと相談していた。
しかし、カイルとしても八方塞がりであった。このままではどうあっても解放されない。死ぬ事すら思い通りにならない。
いっそのこと彼らに従順な態度になって、自殺するのも良いかもしれない。
そんな考えが頭によぎったとき、突如この空間に光が差し込んだのが見えた。
あれはこの建物の戸だろうか。少しずつ開いていき、視界を照らす領域が広がっていった。
それと共に、ここにいるゴルタールたちの数がわかった。
声も出さずに控えてた人物が11人。カイルも含めて合計16人がこの場にいる人数であった。
段々と入ってくる光に目が眩んでしまい、まぶたを閉じてしまう。
「誰が開けろと言った!」
ゴルタールにとってもこれは予想外の事だったのか、声を荒らげている。
おそらく外にも彼の部下がいたのだろう。
だが立て付けが悪いのか、うるさい音が鳴り響きゴルタールの声など消し去ってしまう。
「早く閉めんかぁ!」
光が強くなっているのを感じる。ゴルタールの言葉に反して、扉がさらに開いた事がわかる。
その事から、開けているのは彼の部下ではない可能性が高かった。
それはカイルにとって希望の光だった。
(もしかすると、助けが来たのかもしれない!)
次第に明るさに慣れ、うっすらとまぶたを開ける。そこには――。
「カイルっ! カイルーーーー!」
武装した兵隊と、それを引き連れているかの様なカリンがいた。




