清掃業
そして後日。
カイルとカリンは、マルティーヌに指定されたある建物の清掃を終えていた。
そこはとても人の住める所ではなかった。建物がぐらついていたりして、強度的に危ないという意味ではない。汚れが酷すぎて、住むと病気になりそうというあり様であった。
初めてそこの室内に入ったとき、カイルたちはあまりのひどさに絶句してしまった。
どこから手を付ければいいのだろう?
呆然として、それを眺めるばかりであった。
しかし、ただ見つめるだけのカイルとは違い、カリンは直ぐに立ち直った。そして「日にち開けた分、厳選しやがったわね……」と怒りの感情を露わにしていた。
どうすればこの様な惨状になるのか、正直カイルは疑問でならなかった。
長く人が住まないだけでこの様になるはずもなかった。だがここは、つい先日まで人が住んでいたらしいのだ。
『トーリニン』商会が定期検査をして、この惨状に気付いたらしい……。
あまりの酷さで購入を迫ったという話だが、相手がそれを拒否したらしい。それで追い出したとの事だが……。
(立ち退いて貰うにしても、もっと早くにするべきだよね……)
カイルはあまりの汚さに悲鳴を上げ、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。しかし、そうするわけにもいかない。
これは仕事。しかも今後に左右されるという大事な仕事らしいのだ。だから逃げるわけにも行かない。昨日の失態があるからこそ、気合いを入れなければいけないのだ。
もし、ここで逃げ出したら、今晩も食事を抜きにされてしまうかもしれない。あんなこと二度と御免であった。
今朝食事をしたとき、思わず泣き出してしまったほどだ。
どうせ後には引けない情況なのだ。覚悟を決めるしかない。
そして指示を仰ぐべく、カリンへと顔を向ける。
「ねえ、カリンちゃん……どうしたらいいの?」
「そうね……どこから手を付けたものかしら……。カイルの魔法を使うにしても、まずはこのゴミを何とかしないと駄目かしら……」
「カリンちゃん……それこそぼくの魔法が楽でしょ。ゴミの分別は……情けない事だけどぼくの得意技だよ……」
使用人ではなく下男下女のやる仕事。それがゴミの処理である。それに類する魔法の使い方は馬鹿にされるのが常であった。
かつてはカイルもそのような使い方をしていた。けれど、今は違う。違うのだ。
カリンちゃんが他の可能性を、道を照らしてくれた。だから――ぼくは下男下女じゃない!
それ故にその様な使い方はしたくはなかった。
とはいえ、ここでは役に立つ事には変わりはない。恥じ入る気持ちはあったものの、カリンのためにはその気持ちすら押し込めるつもりだった。
「――そうしてくれるとありがたいわ。カイルがそういう使い方をするの嫌なのはわかってるんだけど……これはちょっと手で触りたくないわね」
「うん……ぼくもそう思うから言ったんだよ」
気持ちの問題で腹は膨れない。その事は身に染みてわかっていた。まだ昨日の事だ。忘れようはずもない。
「お願いね……。あっ、臭いの元だけはこの前みたいにしましょうか。
ゴミ箱として持ってきた背負い籠も……床に散らばっているようなゴミを入れたくはないわ」
そう言ってカリンは外に出て行った。
自宅の掃除の時、外用にした桶を持って行ったのだ。おそらく水を汲みに行ったのだろう。
しばらくするとカリンは帰ってきた。手に持った桶には水が8割ほど入っていた。
「さあ、先にこっちに臭いの元を移して頂戴」
カリンは水の入った桶に指を指し、そう告げた。
カイルは言われたとおりに魔法を使う。『エッセンシャルオイル』という物を作った時、これと似たような事をやっていたから簡単な事であった。
あの時は良い匂い、今は臭いと感じる物を分類すればいいだけなのだから。
魔法が上手く作動した。そして結果は直ぐに現れた。
桶の中の水から、何とも言い難い臭気が漂ってきたのだ。
く、くさい!
カイルは思わず鼻に手をやってしまう。カリンも同じ様に摘んでいた。
「カリンちゃん……ごめん、一度にやり過ぎちゃったみたいだ」
鼻を押さえているため、普段よりくぐもった声が出てしまう。
「次やるときは気を付けてね……。それじゃ、あたしはそれ流す穴を掘ってくるから。カイルはにおいを分けたゴミを、籠に入れておいて頂戴」
カリンは桶を持って外に出て行った。
においの元がなくなったことで、辺りに漂った臭気は大分収まっていた。
けれど、あれを持っているカリンは相当な臭みを感じているはずだ。そう思うと悪い事をしてしまったという気分になってしまう。
カリンの気持ちを無駄にしないためにも、カイルはしっかりと手を動かしゴミを籠に入れていった。
まだどのくらい魔法を使うかわからない。そう思うとこの程度の作業で魔法を使う気にはなれなかった。
魔法の使用による疲れと身体の疲労。どちらも疲れる事に変わりはないが、どちらがつらいかと聞かれれば、魔法と誰もが答える事だろう。
確かに肉体疲労は後日に響く。しかし、疲れている最中は間違いなく魔法による副作用の方が重い。
それにカイルは聞いた事がある。
――疲労を無視して使い続けると死んでしまう。
昔は知られておらず、原因不明の死が訪れたということを。
けれど今はそんな心配はない。
ちゃんと解明されて、疲労状態になった人は魔法を使用することはない。強要させる事も禁止されている。たとえこの国の王様であっても、だ。
何でも、何代か前の王様がそう決めたらしい。『法』とか言う物で定められた事は、王様であっても従わないといけない、とカリンが言っていた。
王様でも強制できない事だからこそ、自分でできる事は魔法に頼るべきではない。そう言い聞かされていた。
カイルは籠にゴミを入れ終えていた。
まだまだ床に散乱してはいるが、それは臭い付きだ。カリンが戻ってこないのでそれを処理する訳にはいかない。
さて、何をしようか……と考えたところで、カリンは戻ってきた。
「あら、ちゃんと終わってるわね。カイル偉いわ」
そう言って、カリンはカイルの頭を撫でるそぶりを見せた。が、己の手が汚れている事に気付いたのだろう。その手をそっと引っ込めていた。
気にしなくてもいいのに……。
そう思ったが、それをカリンに告げる事はなかった。
「じゃあ、サクサク進めるわよ。
今日中に終わらせる事を目標にしましょう! 何日もこんな所に来たくないからね」
似たような事を繰り返し、床に散乱していた紙や布、そしてなんだかよくわからない物を籠に入れていった。
一度に収まる量ではなく、何度か籠を街の焼却場へと足を運ばなければならなかった。
ようやくゴミの処理が終わったところで、日が随分と落ち始めていることに気が付く。
「残念だけど、今日はここまでね……。
カイルも魔法をかなり使っているし、無理する必要はないわ」
「えっ? ぼくまだいけるよ?」
「いいのよ、カイル。今無理しても良い事なんて何もないわ。
これが上手くいけば、お金は手に入るのよ。そして、それを元手にすれば! 幾らでも、稼げるはずよ。あたしたちの魔法ならそれができるんだから!
だからここで燃え尽きられても困るのよ。しっかりと英気を養ってね。明日も頑張って貰うつもりなんだから。
頼りにしているわよ、カイル」
(無理をしなくてもいいみたいだね……)
カイルはその言葉に、身体に入れていた力を抜いていく。
正直に言えば、少しつらい状況ではあった。昼過ぎから数刻も動きっぱなしなのだ。それに魔法による疲れも少し出始めている感覚がある。
だからカリンの言ったとおりにゆっくりと身体を休め、また明日に備えるつもりになっていった。
そして次の日。
この日は前日とは違い、朝から仕事に励む事にした。お弁当を用意し、夕食までに一気に終わらせるつもりであった。
室内に入ると、昨日よりは臭気も収まったものの、まだまだ臭いという状態であった。やはり長くいたいような環境ではない。
同じ気持ちなのかカリンも、「さあ、さっさと綺麗にするわよ」と気合いを入れ始めた。
ただ、前日とは違う事がある。
それは顔に巻き付けている布地。カリンが「病気になるから――」と言って渡してくれた物である。
多少、様にならないところはあるが、実用性の前にその様な事は些細な問題だろう。そのおかげで、においが若干緩和されている様な気がする。難点といえば、互いの言葉がくぐもって、聞こえづらいところだろう。
それはさておき、カイルはカリンの指示に従い、次々と汚れを分けていく。
二人の家とは違い、塗料などによる汚れも混じっていた。けれど、それをカリンは検索魔法を使って調べ上げていく。カリンの魔法によりどのような物か理解したカイルは、それらを分離させ建物を綺麗にしていった。
何度か休憩を挟んだが、日が傾き始める頃、ついに全ての掃除を終えた。
「ふぅ、終わったわね。カイル、ご苦労さま」
「うん、カリンちゃんもお疲れさま」
二人は仕事の成果を喜び合う。このままマルティーヌの所に足を運び、終わりを告げる必要はある。けれど作業は終わったのだ。少しくらい気を抜いても良いのではないかとカイルは思った。
カリンにもそんな気持ちがあるのだろう。綺麗になった椅子に座り、一息ついている。
「ねえ、カリンちゃん」
「なぁに?」
カリンは伏せていた顔をあげた。
「今日は外食にしない? お金、貰えるんでしょう?」
カービーモー牛が食べたい。それでついつい口にしてしまった。
「う~ん、貯めないといけないからなぁ……。う~ん、でもぉ……カイルも頑張ったしねぇ。初仕事の打ち上げも肝心かな。
よしっ! いいわよ、カイル。ただしカービーモーは駄目よ、高いから。けど、他のなら構わないわ
「カービーモー牛は駄目なの?」
カイルは期待していた物を否定されて、目をじわりとさせてしまう。
「うっ! カリン駄目よ、情に流されては駄目よ」
頭を振り、自分に言い聞かせるようにカリンは呟いていた。
かなり残念な思いはあるが、カイルは気持ちを切り替えた。
ブートン豚もそれなりに美味しかったのだ。まだまだ美味しい物はこの街、フェルラースにはあるかもしれない。
そう考えを変え、先ほどとは違う期待に胸を膨らませた。
「まあ、何にしてもマルティーヌからお金を貰ってからの話ね」
「じゃあ、直ぐにいこうっ!」
急かすようにカリンの身体を揺さぶった。
それに当てられて仕方なしと言った体で立ち上がる。
「じゃあ、行こっか」
カイルはカリンに手を握られて歩き始めた。
「えっ? もう終わったんですか!」
その言葉通り、マルティーヌは驚きを露わにしていた。
「ええ、完璧よ。建物の新しさを含めると、あたしたちが住んでいるところよりも綺麗にできたと思うわ。
でも、さすがにあんな汚いところばかりだと……今後はやりたくないわねぇ」
「え、ええ……あそこより汚いところは流石にないので……安心してください」
「まあ、あったところで報酬次第……ではやるつもりだったけどね。今回は金貨2枚と銀貨5枚だったけど、本来は金貨3枚だったわね? その3倍くらいは欲しいところだわ」
「さすがに3倍は無理です……。出せても金貨7枚といったところですよ。
家賃の上乗せになってしまうので、それ以上出したら、今度は家賃が高すぎて住む人がいなくなります」
「売ればいいじゃない。あれだけ綺麗なら、少し高めでも中古価格なら買うんじゃないかしらね」
強気な表情を浮かべるカリンに、カイルの視線は吸い込まれていく。生命力に満ちあふれ、見る者を元気にしてくれる力強さを感じる。
マルティーヌもどことなくカリンに圧倒されているようであった。
「……それもそうね。でも、そうそう家を買う人なんていないからね。
その辺りの基準も考えて、追々やっていきましょう」
「あたしたちは自信があるからね。安売りはしないわよ。
相応の仕事を用意されると思ったのに、あんなのやらされたんだから……。簡単には頷かないって思った方がいいわよ? 自業自得ってやつよ」
傍観している内に話は終えたようだった。
どうでも良いから早く出来映えを確認して、報酬を渡してくれないかな。
このマルティーヌという人は話が長い。いい人かもしれないが、簡潔に話せないところは欠点だとカイルは思っていた。
もう、待ちきれない!
その気持ちがカイルに行動を促した。
「とりあえず確認しに行こうよ。こんなんじゃいつまで経っても終わらないよ!」
その主張と共にカイルのお腹から「グゥ~」という音が鳴り響く。
「クスッ。カイルもこういってるし、今日の所は確認を済ませて頂戴。
仕事の打ち上げで食べに行くって話してるから、できれば今日中にお金を貰えるとありがたいわ。
それに信頼という間柄にはまだ早いと思うの」
「そう……ですね……。わかりました。今日中に済ませないといけない仕事はもうありませんし……。では、今すぐ確認に行きましょうか。
報酬の方は出来次第ということにさせて貰いますけど、一応用意は済ませてありますので、ご安心を」
やはり二人の話は長い。
カイルはそんな二人を急かすように、「早く早く」と呼びかける。
全身を使って、もう待ちきれない、と表現するカイルに、カリンとマルティーヌは苦笑して歩みを速めた。
その後、マルティーヌを引き連れ、カイルとカリンは掃除した民家へとやってきていた。
その家は以前とは打って変わり、新築と見間違えるかのように綺麗になっていた。まだそれほど古い家ではないのだ。だからこの程度、二人には造作もない事であった。
「これは……確かに凄い……ですね。
確かに金貨9枚も要求するだけのことはあると思います……」
「なんなら、今からでも9枚でも良いのよ」
「それはさすがに勘弁を……」
(またカリンちゃん、無茶な要求をしているよ)
しかし、相変わらず話が長い。
それが交渉というのは理解できる。けど、わかりきった事をいちいち確認するのは無駄ではないのか。
(あ~あぁ~、早く全部の部屋見て……ぼくたちを解放してくれないかなぁ……)
都会の仕事は面倒な物だと、カイルは気疲れをしてしまう。
こんな事なら、実家の農業を継いだ方が良かったかも、という気分にさえさせられる。少なくともカリンが居なければ、この事だけでここに永住したいとは思わなくなっていた。都会など、たまに食事に来るだけで十分であった。
これが嫌だったのかな?
都会に嫌気をさしたカリンの父、ボリスの気持ちが理解できるような気がした。
「カイル。さあ、ご飯を食べに行くわよ」
ふとカリンの声が耳に入ってきた。
顔を上げると、いつの間にかにカリンが目の前にいた。
考え事をしている内に、話は終わっていたようだった。
カイルは差し出した手を握りしめ、目的の――ご飯を食べに行こうとする。そして二人が歩き出した矢先、マルティーヌの声が後ろから聞こえてきた。
「後日、カリンさんのお宅に契約書を持って行きますので、その時詳しい話をしましょう。
今日はお疲れさまでした」
振り向いた時、彼女は頭を下げていた。
悪い事をしたと思って謝っているのだろうか。けれど、彼女は話は長かっただけだ。その程度の事など、頭を下げるほどの物ではないとカイルには感じられた。
既に彼女には声が聞こえない位置まで来ている。だからカイルはカリンにその事を尋ねた。
「ふふっ、カイル。あれはそういう意味ではないのよ。
まあ、確かに無茶ぶりをしたマルティーヌは、頭を下げるべきかなぁ、とあたしは思うけど」
そんな事もあったなぁ、とカイルは思い出す。確かにあの家は酷かった。謝るのも当然な事だとカイルは何度も頷く。
「けど、さっきの頭を下げる意味が違うのよ。あれはお辞儀という物であって――意味は『今後もよろしくお願いします』ってやつよ。
下手に出て、良い返事を貰おうとする時に使う作法ね。基本的に立場が低い者が上の者にする事で、相手を気分良くさせる効果があるのよ。
逆に、立場の高い者がそうする事で、相手に断れなくさせるという効力もあったりするのだけれど……」
怒っているときに、相手に頭を下げられたら……スッとした気持ちになる。
なら、冷静な状態で相手に頭を下げられたら――。
(なんとなく……気分が良くなる……かなぁ?)
カイルはその事を思い、何となく怖くなってしまう。まるで気持ちを操られている様な気分になってしまった。
「なんか怖いね……カリンちゃん」
「そうよ? 人間関係というのは怖いのよ? だからカイルも信頼する相手を見極めないといけないわよ」
「うん、わかったよ。でも、ぼくはカリンちゃんだけを信頼することにするよ!」
「もう可愛い子ね」と耳元で囁かれて、カイルは顔を紅くする。
そして二人は、手を握り雑踏の中へと入っていった。




