幼い衝動
カリンがマルティーヌと仕事の話をしているとき、カイルは面白くない気持ちでいっぱいであった。
説得されたとしても、遊びたい気持ちがなくなったという訳ではない。それでいて、外に出るという事すらお預けとなってしまっている。しかも、まだまだ話が終わる様子もない。
ならその時間を有効活用しても良いのではないかとカイルは考えた。
そして外へと飛び出した。
向かった先は街のどこからでも見える建物。とても大きな建物だ。カリンは『城館』と呼んでいた。この街の領主が住んでいる場所であるらしい。
ここから見てもあんなに大きな建物なのだ。近くで見たらどれくらい凄い物なのか、カイルの興味を引いてやまない物があった。
カイルはてくてくと歩いていく。随分と歩いたが未だ目的地にはたどり着いていなかった。よそ見をしながら歩いていた事で、歩む速度が遅くなっていた事もあるだろう。
けれど見慣れない町並みは新鮮があった。
村とは違う、高い建物の造り。おそらく狭い敷地内で部屋数を確保するための工夫なのだろう。いくらでも土地が開いている村では考えられない建築物だ。
そして木造だけではなく石造の家なんて物もあった。
また、先日も驚いた事ではあるが、ここはあまりにも人が多すぎる。
カイルはここの人たちは名前を――住人の名前を覚えきれるのだろうか心配してしまった。けれど、どうやら名前を知らなくても、会話のやり取りができるのだと気が付いた。
「奥さん、今日はいい肉が獲れたんですよ」「あらそう? それじゃ見せてくださいな」「あっ、そっちの奥さんも見ていってよ」という感じで、名前を知らなくても会話が成立していたのだ。
カイルは当初『オクサン』という名前の女性なのだと思っていた。だが、肉売りの男は他の人にも同じように『オクサン』と呼びかけていたのだ。だから『オクサン』というのは総称や役柄みたいな物なのだろうと納得した。
これは村では考えられない事であった。確かに夫婦ならば「おまえ」「あなた」というやり取りはする。他にも家族なら親、子供といった立場的な呼び方は色々とある。
けれど、他の人は名前で呼ぶのが常であった。だからなんとなく味気ないものを感じてしまう。
しかし、こうも人が多すぎるとそれは仕方のないことなのかもしれない。
この様にフェルラースとミーニッツ村を比べてしまい、気になる事が多くあった。だからどうしても色々なところに目が行ってしまう。ただ見ているだけでも、飽きるという事はなかったのだ。
ただ、よそ見をしているため、人に当たりそうになってしまう事が何度かあった。とはいえ、今日はかごを背負ってはいない。だから避ける事も容易であったが……。
しかしながら、カイルの歩みの遅い理由はそう言う事だけではない。短い足、それによる歩幅ではどうしても歩みは遅くなる。今もこうして後ろから大人の女性に追い抜かれている。
すれ違いざまに見た女性は手籠を持っていた。食料の買い物だろうかとカイルは考えた途端、グゥ~とお腹から音が鳴り響く。
(うぅ、そういえば、そろそろお昼の時間だ……)
カイルは立ち止まりお腹に手を当てた。
しかし、いくら手で押さえようとも泣いている虫は収まらない。加えて虫を黙らせるという手段は持ち得ていないのだ。
ミーニッツ村ではこのような状態になったら、ラーチ豆がそこらに転がっていた。たくさんあったので、こっそり食べても怒られない。そんな生活を送っていた。
だからこの様になるまでお腹をすかせた事など、初めての経験であった。
もしここにカリンがいたならば、「もう、しょうがないのね」と言いつつ何か食べる物を買ってくれただろう。しかし、ここにカリンはいない。そのことを考えたら、暗い気持ちになり胸がずきんと痛み出した。
そう思うと、きびすを返したい気持ちに襲われた。けれどせっかくカリンに黙って出てきたのだ。このまま帰るというのも面白くはない。
それにカリンも言っていたではないか。「ビッグな男」――影響力のある男になれと。
そんな人物は途中で諦めるはずはない!
カイルはそう思うと、再び歩き始めた。
先ほどより自己主張をしていたお腹の虫も、いつの間にか静かになっていた。きっとカイルの気持ちに答えたのだろう。
そしてとうとう目的の場所、領主の住まうという城館へとやってきていた。
「うわぁあああ、でっかい門だな~」
カイルはそれを見上げ、ただただ感心する他になかった。
「よう、坊主。ここに何のようだ?」
ふと呼びかけられた声の方向にカイルは振り返った。するとそこには、鎧を着た大きな男がいた。その男は手に棒のような――先端に刃物が付いた長い物を持っていた。
その男は父親のライルと比べ、頭一つ分くらい大きい様に感じた。街に来てから様々人を見てきたけれど、大体の人はライルと同じくらいか、それより少し小さい位であった。
けれど、そんなライルよりも目の前の男は大きい。だからこの男は殊更、背が高いと言う事になるだろう。
「ぅ~ん、とね……」
カイルは初対面である男に、気後れしてしまい思わず小声となってしまう。
「このお城? ってやつを見に来たんだよ。遠くから見てもおっきくて、何か気になっちゃったんだ」
「ほぅ、――とすると、坊主はつい最近このフェルラースに来たって事か……。
俺たちは既に慣れているが、確かに大きいよな。
まあ、その気持ちはわからんでもないが……。ここに用もない者を近づけさせるわけにもいかないんだよ。だから悪いと思うが、早急にここから立ち去ってくれ」
本当に悪いと思っているのだろう。男はばつの悪そうな顔をしていた。
しかし、カイルは苦労してここまで着た事もあり、簡単にその言葉には頷くわけにもいかなかった。
「でも……もっと見ていたいよ。ここまで遠かったんだし、その……見てるだけならいいでしょ? 中に入れて、なんて言わないから!」
「いいや、駄目だ! いくら子供だからと言っても俺は甘い顔はしねぇ。あまりだだをこねると殴るぞ!
用のないやつを追い払う、それが俺の仕事なんだからな。さあ、さっさとここから立ち去ってくれ」
男のあまりの剣幕にカイルは立ち去るしかなかった。加えて刃物も持っていたのだ。あんな物を向けられたら逃げるしかない。
その事に不満は感じてしまうけれど、街中は興味深いものが多く存在していた。だから十分に満足がいく探検であった。
(もう今日はこのくらいでいいかな……。今度は違う方にも行ってみたいけれど……そう言えばお仕事もしないといけないんだよね)
遊びたいのに遊べない。
その事を思い出すと、カイルは表情を暗くしてしまう。カリンに黙って出てきた事もそれに拍車を掛けていた。
それにカリンの手伝いをしないなら、着いてきた意味がなくなってしまう。それなら自分なんていない方がカリンのためになるだろう。少なくともカイル一人分の食費は浮くのだから……。
(う、うん! やっぱりちゃんとお仕事をしないといけないね。カリンちゃんの役に立ちたいから着いてきたんだもん)
そう考えを改めると、意思の表れか、急ぎ足でカリンの元へと戻ろうとする。
長く歩いたため足は疲れてはいるが、精神力でそれを補った。もちろん早く帰って腹を満たしたいという気持ちもあった。
もしかするとマルティーヌの仕事を断って、カリンは一人で別の仕事を探しに行ったかもしれない。そんな考えも浮かんだが、不思議とカイルを待っていてくれそうな予感――いや、信頼感があった。
これ以上カリンを待たせるわけにはいかない!
そう思うと、自然とカイルの足がさらに速く動くようになった。
さすがに最後まで走りきる事はできないため、途中何度か休憩を挟んだりしていた。そして家の近くまで来ると、呼吸を整えるためにもゆっくりと歩いていく。
日が暮れる頃、カイルはカリンの待つ家へとたどり着いた。そしてカリンの真似をするように元気よく扉を開け放つ。
「たっだいま~」
カイルが出した声は疲れを感じさせない物だった。
しかし、返事は返ってこない。
中に人が誰もいないならば、それも頷ける反応ではあった。けれどカリンは広間の椅子に座りこちらを見つめている。
(あっれ~? カリンちゃんどうしたんだろう……)
心配になったカイルはカリンへと近づいてく。
「カイル……。そこに立ち止まりなさい」
カリンが発した声は有無を言わせぬ物があった。カイルはそれに従い動きを止める。
カリンちゃんが怒ってる!
そう感じ、カイルは汗が額から流れ落ちるような感覚を味わった。心なしか身体も震えている。
「ねぇ、カイル? あんた……何処へ行っていたの?
あたし、言ったわよね? 今日は仕事を探すって……。あんたもそれに納得して頷いたでしょう?
――なのに、あんたは何処に行っていたというの? 一人で仕事を探しに行ったの?
でも、あんたはまだ成人していないんだから、雇ってくれる人なんていないわ。なんらかの理由で働かなければならない未成年は、住み込みの仕事くらいしかないのよ?」
だから当然違うわよね? と目で語られたような気がした。
カイルは普段見せないカリンの形相に恐れおののくしかない。時々、これはやってはいけないと、注意するときにしか見せない表情であった。
しかし、それは危ない事をやらせないための注意であった。だからこうして行動そのものを咎められるのは初めての経験であった。
「ねえ、カイル。黙っていてもあたしにはわからないのよ?」
「ま、街にあそ……街の様子を調べてきたんだよ!
ミーニッツ村とは違うところばっかりだったし、明るい時間にじっと眺める事もなかったし……」
「カイル、嘘をついてもわかるのよ。あんた、自信のない時はいつも顔を背けるんだから。――それに今、言いかけたわよね? 遊びに行ったって……」
カイルはそう言われてはっとする。確かに自然と顔を背けてしまっていた。
「確かにあたしも悪いとは思うわよ。外に連れて行ってあげる、って言ったのにできなかったんだから……。でもしょうがないじゃない、客が来たんだから」
カイルはその言葉に沈黙で返すしかできない。
「それでもあたしはあの人――マルティーヌさんを早く追い返そうとしたのよ? けど、仕事の話を持ち出されたら帰すわけにも行かないでしょ。それも結構な金額提示されたのだから、話をまとめようとするのも当然でしょ?」
カイルにもカリンが言わんとする事はわかっている。十分にわかっているけど――。
「だって暇だったんだもん! 話にも入れてくれないし!
――それにぼくのこと途中で忘れていたでしょ!」
カイルは心の叫びを口に出す。
幼い主張。それはカイルにもわかっている。けれど、カイルにとってはカリンは全て。だから無視されるという行為は許せない事であった。
一方のカリンは目を開いた後、どこか嬉しそうな顔をした。
「そう、それは悪かったわね。カイルの独占欲を刺激しちゃった……みたいね。
大丈夫よ、カイル。あんたはあたしのものであるように、あたしもあんたのものなのだから……」
カリンはそう言ってゆっくりと立ち上がる。そして近づいてきたカリンにカイルはギュッと抱きしめられる。
「でも、心配させられたんだからこのくらいの小言は許してね」
「あっ……」
耳元で囁かれた言葉に、カイルは胸が軋むような思いだった。
――黙って出て行った。
確かにそれは当然心配を掛ける行為。それをしたカイルは、自分が如何に考えなしだったか思い知らされてしまった。
それを感じ、段々と気持ちが沈んで行ってしまう。
しかしそれを察したのか、カリンは抱きしめながらゆっくりと頭をなでてくれる。
それの気持ちよさと、恥ずかしさでその感情が吹き飛んでしまいそうになる。
でもそれをしてはいけない。二度とやってはいけないように、心に刻み込まなければいけない。
カイルは深く反省し、快感に流されないように気をしっかりと保った。
とはいえ、カリンは飴をくれるだけの甘い人物ではなかった。それを証明するかのように、カイルに恐ろしい一言を告げる。
「でもね……カイル、あんたに告げなければいけない事があるわ。残酷な事だと思うけれど――。
いい? しっかりよく聞きなさい」
カイルはその言葉にしっかりと頷く。きっと自分を導いてくれる新たな言葉と信じて――。
「今晩はあんたの飯は抜きよ!」
無情な言葉がカリンの口から紡がれた。
「……えっ?」
「あんたは罰として食事は抜きよ。今日はあんたのせいで作ってないからね。だから、あたしは外で食べてくるから。
あっ、鍵は閉めていくけど、誰か来ても開けちゃ駄目だからね。なんならそのまま寝ちゃいなさい」
そう言って、颯爽と出て行くカリンを見つめるしかない。カイルは声を掛ける事すらできなかった。
そしてカイルの腹の虫だけが、虚しく鳴り響くのだった。




