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掃除と魔法





 カイルにとって昨日は忘れられない一日だった。

 1つ目は、初めてミーニッツ村を出た事。

これは両親との別れが少し悲しい事であった。


 2つ目は、フェルラースという大都市に来た事。

あまりの人の多さに言葉にならないほど驚いてしまった。


 3つ目は、トーリニン商会にいたダンストン……ではなく、その後の出来事――。




「ねえ、美味しいでしょ、カイル?」

「うんっ」


 カイルは頬が緩んでしまっているのがわかる。

 こんなに美味しい物は食べた事がない。母には悪いと思ったけど、この料理はそれほど美味しい物だった。

 もっとも素材が違うのだから、仕方のない事とも言えた。

 母も同じような素材を使えば似たような味にはできるかもしれない。けれど、ミーニッツ村ではこれを手に入れる事はできない。だから比較しても意味がないだろう。


「あの村もいいところだったけど、やっぱり食がいまいちなのよねぇ~。

 こういうガッツリしたお肉とか全然ないし……」

「うん、そうだね。お祝いの時――鳥のお肉とかは出るけど、……それも年1回あるかないかだし。

 でも、このお肉本当においしいね~」

「そりゃそうよ。鳥しか食べた事ないならわからないでしょうけど、この肉にはが――うま味成分がたっぷりと入ってるんだから」


 今カイルたちが食べている肉。それは『カービーモー』という牛と呼ばれる動物の一種であるらしい。

 食肉用に飼育されているため、脂肪がたっぷり含まれているということだった。

 味が濃いのだ。

 カイルにはよくわからないけど、カリンが言っている『うま味成分』とはこのことだろう。

 それに厚みのある肉にもかかわらず、硬い、なんてことは全然なかった。噛んだだけで、肉から汁がジワッとあふれ出てきてとろけて消えてしまう。

 村で食べた鳥肉と違い、癖もなく臭みもなかった。


「あ~久しぶりに食べるけど、やっぱり美味しい」


 満面の笑みを浮かべ頬張っているカリンの様子から、かつては何度も食べていた事が窺える。


「カリンちゃん……」

「もぐっ、んぐ。ごくん。なあに?」

「あのね……よく村の生活、耐えられたね」


 カイルはすっかりこの味にとりつかれて、もう忘れる事などできなくなってる。

 だから思わず尋ねてしまった。

 その言葉にカリンはピクリと動きを止め、そしてカイルが見た事もないほど悲しみに満ちた顔をした。


「わかる? わかってくれるよね?

 この味よ、こ・の・あ・じ! これがいきなりなくなったのよ?

 あたしがどんなにつらい思いをしたかわかるわよね? もう本当に嫌になっちゃったわよ……ほんと……。

 カイルがいなかったら、あたし一人でもこの街に残るつもりだったわ」


 堰を切ったように話始めるカリンに、カイルは頷く事で返すしかできない。

 ――確かにこの味だ。

 頷かざるを得ないだろう。

 しかもカイルと違ってカリンは何度も親しんできた味。

 そう考えると尊敬の念がさらに深まっていく。それとともに『カイルがいなかったら』という言葉に思わず赤面してしまうのだった。




 カイルはあのときの味を思い出し、よだれが溢れてくる。

 いけない!

 カイルは口をぬぐい、頭を振って誘惑を打ち払った。

 『カービーモーの焼き肉』はそれほど安い物ではない。一人当たり銀貨1枚もしたのだ。少なくとも今の自分たちにはそう簡単に手が出せる物ではない。

 だから特別な日だけ……。

 そう思い込む事でカイルは食欲を押さえ込んだ。


「コラッ! カ~イル~。……サボってないで手を動かしなさい」

「あ、はぁい」


 今二人は部屋の掃除をしている。

 引っ越してきたばかりの家は、住むことだけはできるという状態であった。だからその生活改善を図るために励んでいる最中だった。


 しかし、こすってもこすっても汚れはなくならない。

 そのありさまに二人は尻込みをしてしまう。


「カリンちゃん……。これじゃ今日中には終わらないね」

「そうねぇ……。ちょ~~っとばかり無理そうね」

「ちょっとどころか、……十日くらい掛かっちゃいそうだよ。

 いくらまだお金に余裕があるからって、これじゃ……ねぇ~」

「そうね……あぁ、こんな時に清掃に特化した魔法があったらいいのに!」

「そんな便利な魔法あったら、貴族のお抱えになれるよ……」


 さすがにカイルもそのことは知っていた。

 貴族に仕える使用人、それも高位の者は家事系統の魔法、もしくは解毒に関した魔法のどちらかが必要とされている。

 カイルの同年代にも家事系統の魔法の使い手がいた。『しぼり魔法』『まぜまぜ魔法』そして『薪割り魔法』――3人も。それゆえカイルが役立たずと揶揄されてしまっていたのだが、今は昔の事。

 カイルは暗くなりかけた気持ちを振り払って、掃除に戻ろうとした。

 しかし――。


「待ちなさい、カイル」

「どうしたの?」


 カイルは振り返りカリンを見た。

 すると、カリンの瞳には自信に満ちた色が籠もっていた。それは――カイルが一番好きなカリンの瞳。

 その強気な瞳にカイルは引き込まれてしまう。自分を導いてくれる、そんな気分になり心強く感じるのだ。


「カイル……。あんたの分類魔法よ! それがしょ~りの鍵ィ!」

「えっ?」


 カイルはカリンが何を言ってるのかわからなかった。

 さすがにそれはないだろうという気持ちになった。

 ――ゴミの分類でもしろということなのだろうか?

 確かに以前もそれはしていた。けれど、それはもったいない使い方と言ったのはカリンではないか。

 頭がこんがらがってしまったカイルにカリンは優しく語りかけて来た。


「カイル、よく聞きなさい。

 この汚れ……ほこり、そして染みやスス。これら全部分類魔法でどうにかできちゃうのよ!

 これらは目に見えない生き物の死骸や、髪の毛、そして布団の繊維などがこびり付いてしまっているだけなの。

 だからカイルが魔法を使って、ゴミ箱に集めてくれるだけで綺麗になるのよ!」


 汚れが生き物?

 カイルはそんな聞いた事もないような話をカリンにされた。けれど、それは今までに何度もされてきたようなこと。

 だからカリンを信じて魔法を使うだけ。


(――分類……この床にいる生き物の死骸をゴミ箱に!)


 すると、確かに汚れが薄くなったような気がした。

 加えて、指定したゴミ箱の中には何かの塊が入っていた。

 このことからまたもカリンの言葉は真実である事が確定した。


「すごいよカイル! これで掃除が楽にできるわね!

 あ、いちいち細かい指定しない方がいいかもしれないわね。

 一カ所だけ綺麗にすれば、そことそれ以外で条件分けすれば……簡単に分類できるんじゃないかしら?」


 つまりカリンの言いたい事はこういう事だろう。

 まず一カ所を集中的に綺麗にする。点ともいえる範囲でもいいのだろう。

 それでそことの違いを全てゴミ箱に送る……という事を言っているに違いない。


「――うん。わかったよ、カリンちゃん。……とりあえずやってみるね!」

「ええ、任せたわよっ! あんただけが頼りなんだから」


 『あんただけが頼り』、その言葉でカイルは心が燃え上がるのを感じた。

 ――カリンに頼られている。

 そう思うだけで身体の内から力がわき出てくるような気がする。


(――分類……髪の毛、だっけ? あと……え~っと~よくわからないけど……目に見えないゴミ!)


 カイルが魔法を使い、そして指定した場所の物をゴミ箱へと分類する。

 カイルにとって汚れとは、掃除魔法のたぐいでしか綺麗にできない物であり、それがゴミだという発想自体なかった。けれど、カリンにそれを教えられ認識する事ができるようになった。

 それならば……たとえ大まかな分類でも可能になる。――とカイルにはそんな感じがしていた。

 事実それはその通りであった。

 真っ黒になっていた床が、新品のように……とまではいかないが、間違いなく綺麗になっていたのである。

 そしてそれとは反対に、彼が選び除いてしまった物はゴミ箱にて悪臭を放っていた。汚れを凝縮してしまったのだから、それも当然だろう。


「うへぇ~。くっさすぎー。

 カイルちょっと待ってなさい!

 ゴミ箱はまだまだ使うんだから、そんな汚いのは入れちゃ駄目よ」

 そういってカリンは外へと飛び出していった。


 カリンが出て行った後、カイルは手持ちぶさたとなってしまい、何で暇を潰そうかと考える。けれど、カリンを放って一人で遊ぶというのもばつが悪い。

 結局カリンが帰ってくるまで、カイルは椅子に座り足をぷらぷらとさせていただけだった。



「待たせたわねっ!」

 バタンと勢いよく扉を開け放ち、力強い歩みでカリンは入ってきた。


「おかえりなさい、カリンちゃん」

 カイルは椅子から飛び降り、カリンを出迎えた。


 カイルはカリンが何か手に持っているのを気付く。しかし、なぜそれを持ってきたのかわからなかった。


「ねぇ、カリンちゃん……それって桶だよね?

 さっきまで使ってたから、わざわざ用意する必要なんてないんじゃ……」

「もう、カイルってば、お馬鹿さんね。掃除した後、臭くて使えないでしょ。

 もともと家にあったのは外で使う用にするわよ。もったいないし、また何かに使えるかもしれないからね」


 確かに言われてみればその通りだ。そんな事も考えつかなかったカイルは恥じ入って下を向く。


「いいのよ、カイル。あんたはまだまだ子供なんだから、これからしっかり学びなさい。

 あたしが『ビック』にしてあげるって言ったでしょ? だから最初は気にしなくていいのよ。二度目はちゃんと気にしないと駄目だけどね……。

 そんで、いずれはあたしが誇りに思うような、立派なお婿さんにしてあげんだからね!」


 そういってカリンは片目でまばたきをして、カイルに目配せしてきた。

 その動作がどういった意味かはわからない。けれどそんなカリンを見ていると、なんとなく恥ずかしくなりやはり下を向いてしまう。


「もうっ! 本当にカイルってば可愛いんだから……。あたしを萌え殺す気?」

「え? え? ぼくがカリンちゃんを殺す?

 そんな、そんなとんでもないこと! しないよ、ぼくは絶対!」


 カリンが言った言葉に、カイルは慌ててそれを否定する。そんなこと冗談でも言って欲しくはなかった。

 それを聞いたカリンは、さすがに反省したような態度をとり、カイルに謝ってきた。


「ごめん、ごめん。でも、カイルが可愛いのがいけないのよ。

 それにそういう意味じゃないから安心して。もう、そんな顔しないで、機嫌を直してよ……」


 カイルは頬を膨らまし抗議を続けていた。

 いくらカリンでも言っていい事と悪い事はある。そう態度で示していたのだ。


「ほら、これでゆるして♪」

 そういってカリンはカイルの頬にチュッと口づけた。


 膨らませた頬に口づけされ、その頬が熱を持ち始める。

 カイルはやはり恥ずかしくなって、またもや下を向いてしまう。


「さ、そろそろ掃除をしましょう。

 カイルの魔法があっても、のんびりしてたら遅くなってしまうわ」

「う、うん」


 未だ恥ずかしくてカリンの顔を見る事ができないが、その指示に従うべく動き始める。


「この古い方の桶に汚れを入れてちょうだい。

 水が濁ったら、外に捨てましょう。そうすればにおいをある程度緩和できると思うしね」



 その後カイルは、カリンの指示に従い部屋中を綺麗にして回った。しかし、取りかかりが遅かったため、その日も自炊をする時間はなかった。

 結局その日も外食することになってしまった。とはいえ、さすがにカービーモー牛を食べる控えた。

 それでも一般的な物よりも高い、1食にして1人銅貨3枚という1日分に匹敵する『ブートン豚の串焼き定職』という物を食べた。

 これも美味しい物であったのだけど、やはりカービーモーには及ばない。やはり値段相応だとカイルは思ったのだった。






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