Case2-1
「…… 毎朝、ラッシュの電車にのって通学していると、いつのまにか『定位置』みたいなのが出来るだろ。
……さらにいうとさ、本も開けないような車内での『密かな楽しみ』みたいなのも、これ、東京のサラリーマンはみんな持ってるんじゃないかなあ。
おれの『定位置』は朝の中央線4両目のドア横。で、いつしか、そこから吉祥寺付近で通り過ぎるビルのベランダに、お気に入りの女の子を一瞬見るのが『密かな楽しみ』になったんだ。
……キモいなんて言うなよ。「Shall we ダンス?」でも役所広司が電車から見えるダンス教室の女に惚れてただろ。東京じゃよくあることさ。
おれのお気に入りのその女の子は、いつもベランダで、なにかの植木鉢に水をやってた。生活サイクルがしっかりしてるんだろう。同じ時間の電車に乗ると、いつでも植木鉢に水をやってた。それも笑顔で。植物を慈しむ女の子ってのは魅力的だよな。
……好きになったんだよ。その子がいたから、毎朝毎朝くるしい電車にのって四年間通学できた。良い話だろ?」
地元から先に東京に出ていた先輩は、酒で赤くなった顔を歪ませて、ぎこちなく笑った。
僕(こと、ワトソン)は、新宿3丁目にある古い居酒屋で、先輩の恋愛話を聞いていた。「失恋した!」と呼び出しを喰らったわけなので、きっとこの話には悲しいオチがつくのだろう。そう先を読んでしまうと、何と無く居心地悪く感じて、ピロシキを箸で半分に割って口に運んだ。
「告白しにいったんだ」
ほらきた。ぼくはレモンサワーを一口飲んでから『うわーそれは辛いっすねぇー!』というタイミングを逃さないように構えた
「地べたからみるアパートは、車窓からみたのと雰囲気が違って、探すのに苦労したよ。部屋番号も間違えないようにちゃんと数えて。不動産屋で部屋の間取りまで確認して、彼女の住処を確定させたんだ」
それはストーカーでは。
「もちろん、ストーカーなんかと間違えられないように、当日はきちんとスーツを着て、花束を買って。で、部屋に向かったんだ。するとさ……」
きたか。
「だれも、住んでなかったんだ」
「……へ?」
「だれも住んでなかったんだよ。その部屋には。間違いない。管理会社に確認もした」
「じゃあ、毎日みてた、その女の子は……幽霊、てきな」
「……鏡だったんだよ」
「は?」
「……納得できなくてな、その空き部屋に、内見にいったんだよ。そうすると、前の住人の忘れ物だっていう大きな鏡が窓のところに一つ、ポツンと置いてあったんだ。
つまりさ、乱反射だったんだよ。彼女は。朝、電車が通った一瞬だけ、磨かれた車両に光が反射したのを、部屋の鏡がまた拾って、ちょうど俺にだけ見えた、虚像だったんだ」
「あー、じゃあ実際のその女の子がどこに住んでるのかは判らず仕舞いってことですか。それはツラ…」
「いや、突き止めた」
「え!?」
「必死に計算したよ。おれの卒研は『高速移動する車両が結ぶ光の反射角』になった。……で、実際のその女の子にあったわけなんだけど。
……御察しの通り、これが全然タイプじゃないわけだ。光の反射のどこかで、像が歪んで、絶世の美女が現れてたんだなぁ。……おれの四年間の片思いはここにきて完全に終わったというわけ」
先輩は長い話を終えると、泡のなくなったビールを不味そうに飲んだ。ロミオもかくや、という悲恋に溢れる顔をして。
「……人の実像なんて、わからんもんだ。東京だとよ…」
ボソッと呟く先輩に、かける言葉はなかった。なかった、が……
「先輩。おれも最近ちょっと似たような経験をしたんです。おれのバイト先の探偵事務所に舞い込んだ話で。
ある有名清純派女優から直々の依頼だったんですよ。それがね、
『ストーカーに毎日痣をつけられていて、ついに妊娠させられた。…でもそのストーカーの姿は分からない。突き止めてくれ』
と、こういう話なんですけど……」
ぼくは数ヶ月前に出会った怪事件についつ話し始めた。
そう、僕らの探偵事務所お得意の不思議な事件だ。
9月の下旬だった。