case1-3
「杏璃、今日もお嬢さんは自殺するだろうか」
所長が尋ねると
「間違いないわね。もう匂いがプンプンするわ。だいたい深夜二時ごろかしら」
「わかった、ワトソン君、もう事件は解明された。ここにいても仕方がない、時間までそこらのファミレスで晩飯でも食おうじゃないか」
さぁ、出発だ!と部屋を後にする所長はかなりご機嫌であった。
ファミレスで注文をすませるなり、ドリンクバーへ向かう。長居する気満々である。なんたって深夜二時までまだまだだ。所長はコーヒー、杏璃は杏璃スペシャルと名付けた特別ミックスジュースをストローで吸っている。
「所長、幽霊の仕組みがわかったっていうのは、まぁいいですけど、今回は何の準備もしなくていいんですか。前みたいに……」
「ふふふ、ワトソン君、今回のはね、本当みそっかすみたいな、たわいのない事件なんだよ。だからこそ僕もこんなに晴れやかな気分なわけだ」
と所長は愛煙しているキャビンの煙を宙にフーッと吐き出す。
「いやね、ぶっちゃけドキドキしてたよ、部屋に行くまでは。あれでもし悪魔崇拝の本なんて出てきたら、こっちも相応の準備をしなくちゃあならなかった」
そうじゃなくてよかったよ、と所長が言う間に注文した料理が届く。僕はラザニアだ。
「ラザニア一口ちょうだい」
と杏璃が言う。こっちはいつもお気楽なので気にすることはない。
「ラザニアはパスタの一種なのだよ」
西田所長がまたどうでもいい知識を披露する。そんなのはどうでもいい。
「所長、悪魔じゃないのなら、結局幽霊の正体は何だったんですか」
「ふーん、答えはあのサイトに書いてあったろう」
「あのサイトって」
あのサイトとは勿論、くだんの女子校生の部屋にあったパソコンにブックマークされていたサイトだ。その名も、
「『友達の作り方』……ですか?」
「そうだ。いやぁ人間ってのは寂しいね。そんなに友達がほしいものなのかな」
どうやら死んだ女の子には友達がいなかったらしい。ライトノベルが好きだったみたいだから、気の合う友達が見つからなかったのかな。数年前ならまだライトノベルの社会的地位も今と比べると低かったのかもしれない。
「でもそれがなんで」
「今にわかるよ。いやぁ人間ってのは愚かしいね」
「むむむ…なぁ杏璃。杏璃はわかってるのか?」
杏璃は俺のラザニアを食べている。一口じゃなかったのか。自分のを食べろ。
「私は、悪魔じゃなかったらどうでもいいかな。まあ悪魔でも大して問題はないのだけれど」
「まぁ2時になるまで待ちたまえ。あ、ワトソン君、もう一杯コーヒーを淹れてきてくれるかな」
…
……
………
その後、暇になった俺たちは所長と杏璃の哲学論議をひたすらに聞かされた。今の社会も元をたどれば哲学によって動いているらしい。
「哲学なんて何にもならないんじゃないんですか」
「馬鹿だな君は。哲学こそが究極の学問なんだ。この世界は言う間でもなくいくつかの真理によって構成されている。それを解き明かすのが哲学なんだよ」
杏璃は最近仏教思想に興味があるらしく、曰く「ブッダはやべぇ」。ちなみに手塚治虫も結構やばいらしい。
さて時間も近づいた。1時45分。俺たちは、マンションの屋上にいた。杏璃の情報(匂い)によると、もうすぐ幽霊が現れる。
マンションの屋上は、自殺防止のためか封鎖されていたけれど、それは吸血鬼のそれでなんとでもなった。吸血鬼は家に招き入れられないと扉をくぐれないなんて聞いたことがあったけど、そうでもないらしい。
マンションの屋上は風が強く、建物の下をちらと覗くと引き込まれそうで、これなら自殺するのもおかしくないと納得してしまう。
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
「ニーチェですね」
「知ってるのか」
なめるな。
「ミイラ取りがミイラにならないようにあなたも気をつけなさい」
「ありがとよ」
たわいのない会話をしていると、やにわに屋上の片隅がぼうっと光った。
「きたぞ」
所長が叫んだ。目が笑っている。
それは幽霊だった。どう見ても。
少し霞みがかったその体はうっすらと透けていて、お決まり通り足がない。
ブレザーの制服を着たその女の子は、少し暗そうで、そして何より悲しそうだった。
彼女はちらとこちらに目を向けたが、すぐに屋上の縁に歩みだした。すっくすっくと足をだす様子には何の迷いも感じられない。
舞台を見ているようで、なんだか美しかった。
「少女よ!」
と所長が叫ぶ。少女は足を止め、ようやく体ごとこちらを向いた。
「少女よ!なぜ自殺する!」
所長が再度叫ぶ。少女は悲しそうに首を振るだけだ。
「なるほど。幽霊はあまり喋りたがらないというわけか。だがな、ごっこ遊びもいい加減にしたまえ。少女がなぜ今もって死に続けているのか、それを想って今日も眠れない夜を過ごしている方もいるのだ」
少女は所長を見つめた。風が吹いた。少女のスカートが揺れた。
それから少女はゆっくりと口を開いた。
「私には、友達がいなかったの」
悲しい声だった。
「辛かったの。生きることが。苛められていたわけではないわ。でも、誰も私に構ってくれなかったの。私はずっと、教室で本を読んでいて、でも本なんて読みたくなかった。だれかと話したかった。昨晩見たテレビについて。読んだ本について、一緒に騒ぎたかった。でも、誰も私に話しかけてくれなかったの。
お昼ご飯を食べるときは辛かったわ。私はクラスの皆に友達がいないと思われたくなかったの。ばれてたのかもしれないけれど。それで、私はさも隣のクラスの友達とご飯を食べてくるという様子で、いつも屋上で一人でお弁当を食べていたわ。ずっと、ずっと妄想していたわ。友達と話す自分を。そして、死んでしまった後なにがあるのかを。そんな時、授業であの人の話を聞いたの」
「藤村操か」
「そうよ。彼の遺書は、私には難しくて全部はよく分からなかったけれど、でもちょっとだけ分かったの。
『曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。』
そうなの。分からなかったの。何もかも。ずっと悩んでいて、それで、彼の話を聞いて思ったの。『あぁ、もう死んでもいいんだ』って」
「それで、死んだのか」
「そうよ。死んだら、天国にいけるって思ったから。でも」
「でも?」
「行けなかった!!!!天国にも!地獄にも!私はずっとここにいる!だから、連れて行ってもらえるまで、私はずっと、何度も、死に続けているの!!!!」
「嘘おっしゃい!!!」
また、所長が、吠えた。
「いいか。死んだ女子校生少女はもういない。だって死んだんだからな!君はその少女ではないんだ!それで……ふむ、連れて行ってもらえなかった、か。それは正鵠を得ている。そう、連れて行ってもらえなかったんだ。君は幽霊なんかではない。」
「何言ってるの。わたしは」
「君は幽霊ではない。君は、君は少女の『トモダチ』だ。そうだろう」
少女が呻きだした。体をよじらせている。
「違う……違う……私は」
「君は、友達のいない女の子が作り出した『トモダチ』だ。まったく、人間ってのは大したものだよ。友達がいなければ一から作ってしまおうというわけだ。『友達の作り方』ってサイト名もふざけているとしか思えない。タルパ、そういったかな。君の正体は」
「あの、タルパってなんですか」
空気読まずに聞いてみた。
「タルパってのは、妄想で作り出した目に見えない友達みたいなものだ。妄想して人格を与えた、いわば人口の霊だ。チベット密教の秘奥義なんてネットに書いているが本当にそんなものがあるかは甚だ疑問だね」
「え、妄想?」
「妄想だ。だけれど人間の脳みそってのは不思議なもので、正しい方法で妄想を重ねると本当にその姿が見えたり、自由に会話ができたりするらしい。……彼女がそれだ」
幽霊、もといタルパの少女は体折り曲げこちらを睨みながらブツブツと何かを言い続けている。
「話を聞いていて思ったよ。友達がいないお昼休みの時間、その女の子はずっと妄想していたんだろうね。サイトを見て。タルパを作ったんだ。寂しい昼の話し相手を」
タルパはチガウ、チガウ、と口を動かし続けている。もはや正しい人の動きをしていない。
「おそらく女子校生は死ぬ間際にこう思ったんだろう。『私が死んだら、この親愛なるトモダチはどうなってしまうのだろう』そして、続けてこう思った『一緒に天国にでも地獄にでもいけるはず、だって彼女は私なのだもの』……でも、実際は違った。召されたのは女子校生ただ一人だったんだ。それ以来、彼女はああして、正しい人間のふりをして死に続けていたんだ。正しい人間なら、また彼女のもとに行けると信じて」
「チガウ!!ワタシはニンゲンだ!!!」
タルパが叫ぶ。しかし、その体は僕たちが見ている間にどんどんおかしくなっていく。まず、腕の間接がおかしい。あらぬ方向に曲がってる。肩がどんどん膨らんで顔も人間ではなくまるで
「まるで悪魔じゃないですか」
「そうだね。人間の妄想が、形而上のものに肉をつけてしまったんだ。本物の悪魔には大きく劣るけどね。……杏璃!!」
所長が呼ぶと、ようやく出番かとばかりに杏璃が一歩前に出る。
「杏璃、さあ、奴はもう女子校生の幽霊なんて意味の分からない存在じゃない。僕の言葉で正体が剥がれた人口悪魔だ。送り返してやってくれ」
「言われずともよ」
杏璃の目が赤く濁る。どうやら長い話にうんざりしていたらしく、獲物を見て大きく溜息をついた。狙いはタルパただ一人。視線を逸らすことなく首を下げると、杏璃は駆けた。
一瞬だった。杏璃が拳を振りタルパを殴ると同時に、屋上からは悪魔の姿が消えていた。
説明しよう。僕はこれを、「アンリパンチ」と呼んでいる。ただ殴るだけ、という至極単純な彼女の必殺技である。本当は敵を「真理」に分解しているらしいのだけれど、正直よくわからない。彼女が殴ると敵は消える。
ただ、殴れない敵もいる。敵が強いともちろん簡単にはアンリパンチを当てさせてくれないし、さらに言うと、敵が受肉していないとパンチを当てることができない。人や物に憑いている状態や、さっきのように幽霊みたいな存在でいるときはアンリパンチが通用しない。
だから、西田所長は彼女の正体を懇切丁寧に語ったわけだ。曰く、形而下にある異物は形而上の真理によって受肉するのだそうだ。これまた意味わからん。
とにかくこうしてまた一仕事終えたわけである。
「いやあ、今回は敵が弱くて助かったね」
「歯ごたえがないわ。西田ばかり活躍して」
杏璃は不満げだった。
さて、仕事は終わったんだ。帰りましょうよ。僕は明日も朝から学校があるんです。
数日後。
幽霊が出なくなったと代金を払いにきた婦人を見送ったあと、ぼくは何となくセンチメンタルな気分になっていた。
「あのタルパ、無事に友達のところにいけたんですかねぇ」
先ほど起きたばかりの所長は、寝起きのコーヒーをすすっている。
「そりゃ、いけただろうよ。人間ってのはな、死んだらみんな、集合的意識に帰結するんだ」
「なんですかそれ」
「ショーペンハウアーの「意思と表象としての世界」の有名な補遺、通称『自殺について』によるとな、人生はクソッタレで、死ぬことが人間の唯一の救済なんだってさ。死ぬと人間の苦しみを感じたりする『認識』は無くなって、意思ってやつだけが元あった場所に帰るんだってよ。そこには自己も他人も糞もない。そうやって次に形作られるのを待つんだ」
西田所長はタバコに火をつけた。
「人生はクソッタレだ、なんて言うけど、だからこそ人間はどうやってでも人生を楽しまなくちゃいけないんだ。ショーペンハウアーは72歳で心不全で死ぬまで、ずっと皮肉ばかり言い続けてたよ」
人生はクソッタレらしい。明日はどんな依頼がくるのだろうか。面倒くさい事件が持ち込まれないことを祈るばかりだ。
Case1 「自殺について」 了