表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

読切短編 次の方どうぞ

作者: 黛 文彦
掲載日:2026/04/28

 私の仕事は、決めることだ。

 三十七秒。それが、私の記憶にある限り最長の「決断時間」だ。

 

 手術室で、想定外の大出血が起きた。助手が青ざめる横で、私は三十七秒で次の手を打ち、患者を生かした。その日、院長室で「神の手」と呼ばれたことを、今でも正確に憶えている。

 交渉のテーブルでは、相手が提示した条件を聞きながら、頭の中で反論を三案組み立て、最初の一案で相手の顧問弁護士を黙らせた。二十秒もかかっていない。

 ある決定的な署名は、八秒だった。ペンを持つ手が震えた。だが、署名した。それが仕事だった。その夜は眠れなかったが、それでも翌朝には次の案件が来ていた。

 

 要するに、私は決める男だ。人生において、迷いは贅沢品だと思っている。——少なくとも、昨日までは。たった一つの判断が、取り返しのつかない結果を招いたばかりだった。


 コンビニのレジに立ったのは、午後三時過ぎだった。

「肉まん、あんまん、どちらにしますか」と店員が訊いた。

 私は答えなかった。

 ——いや、答えられなかった。

 肉まんは、昼に肉を食べた。あんまんは、朝に甘いものを食べた。甘いものは判断を鈍らせる——昔、そう教えられたことがある。しかしこの寒さなら塩気が欲しい。だが胃の調子が微妙に重い。肉まんの皮はあんまんより薄い——いや、店によって違うか。ここはどうだ。見た目は同じに見える。ならば中身で判断すべきか。

 後ろに列ができていた。

 背中に視線が刺さる。外科手術のメスのように鋭く感じた。

「……」

 汗が出た。十二月に、汗が出た。あの署名のときよりも、指先が重かった。

「お客様?」と店員が言った。声のトーンが一段低くなっていた。後ろの誰かが、小さく舌打ちをした。

「……どちらも」と言おうとした。喉まで来た。出なかった。なぜ出なかったのか、今でもわからない。二つを選ぶことは、選ばないことと同じだと、どこかで知っていた。


「すみません、後ろに——」

「失礼しました」

 私はそう言って、何も持たずにレジを離れた。ガラスドアが自動で開き、十二月の空気が顔に当たった。

 背後で店員の声がした。

「次の方どうぞ」

 その言葉が、妙に長く、耳の奥に残った。私は初めて、「次の方」に回されたのだと理解した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ