不思議少女との出会い
どこかの懐かしき記憶に残っている小児科の病室に差し込む黄昏時の日差しのようなオレンジ色が染み込んだ髪の少女が目線をこちらに向けている。
澄んだ瞳だ。
そんな少女を表す言葉は、美しいの一言につきる。
大きな国の王様が、すでに何十人も妻がいようとも、どれだけ遠距離の辺鄙な土地に住んでいたとしても、子供の頃から一生を添い遂げると決めていた夫がいても、強引に引き剥がし、すぐにでもへと連れ込み、王様の妻の中でも一番に取り入れようとしそうである。
「どうしたの?」
しかし、そんな彼女は、添い遂げるような夫のような男の臭いは一切感じられない清楚な人で、遠距離なんて言葉つゆ知らず、今は目の前にいる。
「何でもないですよ……ぅふっ」
幸せそうな笑みを浮かべ、可愛い声の笑い声が小さく耳へと聞こえてくる。
おっさんのような大きな笑い声とは全く正反対。
汚らしいおっさんの大きくうるさい笑い声ではなく、聞いていてとても気持ちの良いものであった。
「さて、帰りましょうよ」
両手を下ろし、手首を晒した彼女は、場面転換を奮い起こすような立ち振る舞いをしてみせた。
『場面転換を奮い起こす』とは自分でも意味が分からないが、その姿を見せられたら、誰も断るような無粋な行動はし得ない。
俺も帰るという意見に異論はないので、何も躊躇いなく、俺は了承した。
別れを惜しむということはなかった。
寂しさなかったし、まだ一緒にいたいとかもなかった。
何故ならかそう聞かれたら、言葉にしにくい。というか、言葉にするという行為に躊躇ってしまう。
別に俺が彼女に一切の恋愛感情みたいな情が湧いていないとか、他に好きな人がいるとかでは、全くない。
もちろん、彼女の魅力は凄いものだ。俺も心以外に全てが、奮い立ってしまう。
「では、今からどちらが速いか、かけっこしましょう!!」
彼女は意外にも、パワフル系である。
部活にも参加せず、家でゲームをしていた俺とは正反対である。
帰りの会が終わり、仲間の一部と軽い会話をして、帰路に着く。
帰路の途中にある人通りが少ない道へと着くと、再び人がいないことを確認すると、俺は走り出す。
しかし、そんな生活をしていても、全くもって足が速くなることはなかった。
それはもう、熊とかけっこをしたら、命がいくらあっても足りないくらいだ。
と思ったが、常人では当たり前だ。
熊にかけっこで勝てるはずがない。
一体、俺は何を意味のないことを考えているのだろうか。
彼女とかけっこで、勝負をしても勝率はゼロに近い。
というか、ゼロだ。断言できる。
しかし、ゼロの勝負であろうと挑まないのは、男の名が廃るという自論の下、勝負を受け入れた。
空の雲は、散り散りに飛び、青天が空へと広がった。
腰の位置が低くなり、下げられた右足は全力まで伸ばされ、左腕を前に突き出す。かかとをアスファルトから浮かべ、地面を蹴り上げる。
地面が削れる感覚は全くしない。しかし、石ころは、後方へと吹っ飛んでいった。
結果は惨敗だった。五十メートルもない短い決闘であった。
しかし、短い決闘でも俺はぼこぼこにさせられた。
開始数秒は追いついていた。
それだけにより、自分の無力さを実感していしまう。
女子に負けてしまった。筋力もなく、太くもない細い脚の持ち主にだ。
一方、俺は、男の中では、筋力もなく、太くもない運動とは無縁の脚である。
これでは負けて当然ではないか。
なんて考えていると、俺が遅く、小さな一歩を歩んでいるのを、待っている彼女の、可愛いの文字で埋め尽くされそうな満面の笑顔に、俺は考えることをやめた。
そして、先ほどからちまちましていた脚の観察もやめた。
「……疲れた?」
天使が微笑んでいる。
こんな聴き慣れたフリーズでしか、表すことが出来ない。俺のショボい語彙力に涙が出る。
俺が彼女のために新たな表情をするのなら、
……非力ながらも世界を喰い荒らす化け物を討ち取った後の喜びとでも言えばいいのだろうか……?
違うな。
一体、長ったらしく俺は何を語っていたのだろうか。
それくらい彼女のことを表現することは難しい。
これで綺麗にまとまった、と心の中で呟く。
決して、俺には語彙力がないのではない訳ではないと心の中で自分を慰める。
「…………?」
息を切らした俺は、彼女の姿を表現するために思考を巡らしていたので、彼女への返答を後回しにしてしまっていた。
そこで、彼女はまた困惑の表情を浮かべる。
これがまた可愛くてたまらない。
これも自分の中で語ってしまうと、今度の彼女は、どんな表情をするのかは分からないので、今回は辞めておこう。
その表情も気になるのだが、仕方ないよな。
俺と彼女が止まった地は、ある一軒家の目の前だ。
それは俺が住んでいる家である。
彼女は、俺の家まで一緒に着いてきてくれているのだ。
クラスメイトが、この状況を見たら、良い雰囲気に感じるだろう。
冷やかすのか、そっとするのかは、その人の性格に依るのだろう。
俺は圧倒的にそっとしておく派である。
それは、今この場をそっとしておいて欲しいからだ。
ただの仲ではないというのは、何も間違っていない。
それが問題なのだ。
あまり公にはしたくない事情がこちらにはあるのだ。
「ただいま帰りました」
落ち着いた言葉の持ち合いで開いた玄関の先で呟いたのは、俺ではなく、彼女であった。
彼女に、二、三歩遅れて、俺も我が家へ入る。
女である彼女の方が後ろを歩けという昭和の考えを最近にも聞いたが、俺は特にそんなことを深く考えることなかった。
俺と彼女は、所謂、同棲というやつをしているのだ。このことを知るものは限られている。
学校生活では、深く関わらないことをモットーにしてきていたので、違和感は持たれていないと思っている。
が、最近ではそのモットーも崩壊しつつある。
不安の種は、大樹になりそうな勢いだが、今は安息地なにも心配することはない。
同じ家で同棲している別れを惜しむというか、別れ自体が俺たちには存在していないのだ。
そんな生活が始まったのは、つい最近だった気がするが、別にそんなことはなく、
月が昇り始めた数えられない月日から、月が初めて人に観測された日より前から、月が回っていたように、この生活は違和感のない常識へとなるくらい時間が経っていた。
「ご主人様、おかえりなさいませ」
彼女は、学生服の姿で、コンカフェのメイドのように接待していた。
彼女は、家に帰った途端に雰囲気が一変する。
これも疑いようのない日常になっている。
別にこれは、俺が望んでやらせているのではないぞ。彼女が自主的に始めたのだ。
俺が、少しメイドに興味があったということは、彼女にも秘密にしているので、俺、きっかけで始めたということも考えられないとは思う。
普段は、この後でメイド服に着替えてから、この感じで接してくる。
俺の貞操感がめちゃくちゃになってしまうから、家でも普段通りにしてもらいのだが、全く辞めてくれない。
彼女と俺が、初めて出会った時、俺は学校に近い祖父母の家に住み始めた頃だった。
その時はまだ祖父母は住んでいた。
その時と言っているが、祖父母達は、死んだという訳ではないぞ。
今も元気にしているはずだ。
あることが原因で家から追い出してしまったからな。
原因といっても、俺と彼女がその家で同棲しているというだけで、察しが良い人には何があったかは大体、察しがつくだろう。
全ては、いつものように帰路についた時から始まった。
七月七日、七夕の日に、彦星と織姫の二人が、どんな修羅場であろうと、意思と関係なく、惹かれ合わされるように、それは避けられない運命であった。
…………。
何か言いたげの少女が、こちらを見ていた。
その特異なオレンジ色の髪と可憐な姿の一度一度会ったら、二度と忘れなさそうな風貌。
でも、俺にはこの少女の記憶はない。
つまり、俺と彼女は初対面なはずだ。
俺が露出狂なのかというくらい見ている。
そんなことはあり得ない。裸の王様みたいに馬鹿には見えない服を着ていない限りな。
それにしても俺のことを見ている。
何かを求めいるのだろうか。
馬鹿と言ってことの謝罪か!?
いや、馬鹿なら俺の心の中を覗けたとしても、読解力の問題で、自分のことだとは到底思わないだろう。
「あの?」
突然、近づいてきた彼女だが、俺も彼女のことを見ていたのだ、遅れは取らない。
「運命ですか?」
何を言ってるんだ?
運命?俺の名前が運命なのかって聞いているのか?
生憎、俺の名前とは一文字も合っていない。
しかも、どう考えてもイントネーションが違った。
多分、俺と彼女が出会ったことが、運命かどうかを聞いているのだろう。
うん、ヤバい人だ。
こういう時、何て答えたら良いんだ?
「悩んでも大丈夫です、今は……いつか答えをくれるのなら」
その返答で、よりヤバい人だと確信した。
俯きながら答えいるのが、よりヤバい雰囲気を醸し出している。
「私の名前を教えてくれませんか、いえ、私に名前をくれませんか」
俺が困惑するより前に、
彼女は涙した。
何で泣いたんだ?慰めるべきなのか?
彼女の情緒の異常性を疑う前に、頭にそんなことが浮かんだ。
「ぁあ!? 何でもねぇよ!?」
何が起こってるんだ。
何で怒鳴っているんだ。
ヤバい人という意識は無くなった。
それ以上に何かがあるのだと思ったのだ。
「おれに関わるんじゃねぇ!!」
彼女は背を向け、来たであろう道を戻っていった。
怒涛の時間であった。
突然、話しかけられたらと思ったら、変なことを言われて、泣かれて、怒られて……一体、何の話だったのであろう。
雨が降ってきた。
淀んだ天気ではないのだが、明るい雲から、雨が降ってくる。
俺をさっさとこの場から追い出さそうとしているのか、俺はそれに応えて、再び帰路に着く。
戻ってきた彼女が一言呟く。
「……私を助けて」
一体何を助けるのかは、分からないが、とにかく問題を抱えていることが誰の目には明らかであった。
何をしたらいいのかを聞いてみた。
「……私も……分からない」
「私が、誰なのかも分からない。……何で?
……ぁ、とりあえず、今は隣にいて」
彼女は、込み上げた涙が出てきたようであった。
「クソ!! さったさと帰るぞ」
人が変わったように表情を変えた。
彼女は帰ろうと歩みだしていた。そのまま帰すことも可能であった。
しかし、「隣にいて」と言われた以上、理由など関係なく、引き留める以外なかった。
まるで飼い猫のように暴れている。
いっそ、誰かに貸してしまおうか。
……流石にまずいか。
「まだ、居てくれたんですね……」
涙が止まり、彼女は落ち着いたように見えた。
しかし、どうやら違ったようだ。
雨の下、彼女の話を聞く。
彼女には記憶が一部欠け落ちているらしい。
自分の名前も思い出せない、家も、学校も、家族も友達も、存在しなかったものに感じるらしい。
本当に自分にそれがあったのかも、曖昧。
ならば、警察にでも相談したら良いのではと聞いてみる。
これまでの話がどうでも良いことのように、次に語られたことは衝撃であった。
端的に言えば、多重人格。しかし、よく聞くものとは随分と違う。
何か、トリガーがあって、そのトリガーを引くと、人格が変わる。
だから、俺が話をしていたのは、別々の人格であった。
暴れたり、泣いたり、情緒が不明であったのは、それが原因だ。
その人格が、警察に行くのを拒むらしい。
確かに、急に方向を変えたりしていた。
恐怖で、別の人格が現れるのは聞いたことがある。
それが別の人格が現れた原因ではないかと。
しかし、彼女は、雨が降ったり、涙したり、恐怖とは関係なさそうなことで、変わるようだ。
そして、特に驚いたのは、新たな人格が俺とであった瞬間に芽生えたらしい。
それを、彼女は運命だと思ったらしい。
新たな人格にとって、俺は生みの親でさえある。
そんな人に助けを求めるのは、必然なのかもしれない。
それに複雑な話が存在していたが、それを聞いたのは、そんな事情の彼女を家に匿い始めてからであった。




