一、弐「楽水、出立前」
四人が堂を離れ、里の門へ向かおうとした、その時だった。
「……あ」
ジンの声が思わず漏れる。
前方から、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる。
木剣を抱えた里の子供たちが、数人、堂の方へと駆けてきたのだ。
「うおおおおおお!」
真っ先に声を上げたのは、まだ剣帯も似合わない背丈の子だった。
勢いよく、カエデの元へ駆け寄っていくその様子に、周りも思わず目を向ける。
カエデは歩みを止め、その子供の顔を見据えた。
「カエデ姉ちゃん、勝負勝負! 今日は絶対に勝つ!」
「ええ、いいですわよ」
即答だった。
だが次の瞬間、子供は腕を組み、
「えーと……今日は見逃してあげる!」
そう言い放ち、カエデの横をすり抜けて堂へ向かう。
カエデは、その背中を見送りながら、微笑んだ。
その隣では、ツカサも捕まっている。
「ツカ姉! この前の、あれ!」
「ああ? ……虚実無影のことか。あれはまだお前には早い早い。」
「ええええええ!」
「というか、もっとそれ以前の話な、今は体作りだ」
不満げにむすっとする子供の頭を、ツカサは優しく撫でながら、笑顔でなだめている。
リンの前では、子供たちは少し距離を取り、遠慮がちに声をかけた。
「あ、リ、リンも……頑張ってね」
リンは小さく目を細め、短く応える。
「……ああ」
そして――俺の前で、ひとりが首を傾げた。
「この人、誰? 外からの人?」
「え、あ……」
思わず言葉に詰まる。
その様子を見て、カエデがやわらかく口を開いた。
「となりの拠から来られましたの。
今日、宗名の儀を終えて、わたくしたちの組に入った――
ジンさんですわ」
対魔の里は、地理的に一か所に集まっているわけではない。
いくつかの郷の集合意識、形態として存在し、共通の掟や思想、
名乗りを持っている。
郷は地理的な地域単位で、山や谷などの自然地形で区切られ、複数の拠が点在している。
拠は、最小の生活・実働単位で、数家が背中を預ける形で生活し、鍛錬場や小さな結界も備わっている。
子供はカエデの言葉を聞いて、興味深そうに顔を輝かせた。
「へー、そうなんだ! 何か大丈夫?」
一瞬、胸が詰まる。
「だ、大丈夫だ!」
ジンは必死に笑顔を作り、子供の目を見た。
「それ、大丈夫じゃないよ!」
即座に突っ込まれ、
ツカサは腹を抱えて笑い、
カエデは微笑ましく見守り、
リンは呆れたように小さく息をついた。
「ま、いいや! とにかく、みんな頑張ってね!」
そう言い残し、子供たちは再び堂へと駆けていく。
ジンは、はー……見透かされてるな、と胸の奥で小さくため息をついた。
ほんの少し、落ち込み、でもどこか温かい感覚も混ざる。
――まぁ、しょうがない。
とにかく、頑張っていこう、と心の中で小さくつぶやいた。
そして
俺は、思わず振り返り、
堂へ向かう、小さな背中を見送った。
その小さな背中は、果てしない未来を信じ、ただ走っていく。
――俺も、そう思いたい、そうありたい。
あの子たちも俺も、ただ目の前のことをやっていくだけだ。
そんなことを思い、再び歩き出そうとした、その時。
「……その剣、まだ馴染んでいない顔だな」
低く、枯れた声。
振り向くと、里の一角、鍛刀場の前に、一人の男が立っていた。
分厚い梁と黒ずんだ壁を持つ鍛刀場は、長年の熱と衝撃を受け止めてきた重みを湛え、近づくだけで空気が引き締まる。
中からは、霊鉱石と魔素が幾度も打ち重ねられてきた場特有の、静かに満ちた気配が立ち上っていた。
男の髪は短く整えられ、癖の一つも許さぬように後方へ流されている。
濃い茶に灰が混じったような落ち着いた色味で、年輪と経験をそのまま映したようだった。
ところどころに煤の点いた白の和装を身にまとい、
その身体には、日々の積み重ねが刻まれた確かな厚みがあり、腕や首筋に古傷が残っていた。
だが、その立ち姿に衰えはない。
鍛刀場そのものと同じく、静かで、揺るがぬ佇まいだった。
「リクアンさん……」
カエデは、少しだけ声を和らげて、その名を呼んだ。
熟練の対魔刀鍛冶職人。
そして――彼は、元・対魔剣士だ。
剣を振る側の感覚を、身体で知っている。
「出立か」
「ああ。とりあえず襄桜の手前、楽水までな」
ツカサが答える。
まるで、長い付き合いの相手に行き先を告げるような、自然な間合いだった。
そのやり取りの傍らで、リンは何も言わず、静かにリクアンへ一礼する。
リクアンは、それに短く応えるように、わずかに顎を引いた。
そして視線が、ゆっくりと俺へ向く。
値踏みするようでいて、嫌な圧はない。剣を見る者の目だった。
「……新入りか」
「はい。ジンです」
そう名乗ると、リクアンは小さく顎を引き、ひとつ頷いた。
「……うん、いい名だ」
そう言って、俺の腰元を指す。
「どうだ? そいつは……って言っても、さっき手にしたばかりか……」
――この剣を打ったのは、目の前の男だ。そのことに気づき、俺は少し慌てて答えた。
「は、はい……いい感じがします」
「そうか……わかるか……」
一歩、距離が詰まる。
リクアンは俺の対魔剣に、指先を軽く触れた。
「だがな――」
その瞬間、わずかに霊気が揺れた気がした。
「剣は、使い手を映す」
俺は、息を呑む。
「覚悟が定まらんうちは、剣もまた迷う。
新入りには、優しい剣じゃねえぞ」
そう言い残し、彼は視線を外してカエデを見る。
「魔将が絡んでる可能性があるんだろ」
「ええ」
「……なら、なおさらだ」
背を向ける直前、彼はもう一度だけ俺に言った。
「魔将は……つえーぞ」
そして、俺の目を見て、
「迷ったときは、剣に聞け」
「剣と対話しろ」
――そこで、不意に。
「あと、土産、楽しみにしてるぞ」
(……土産?)
思わず間の抜けた顔をした俺。
リクアンに「……土産?」と聞き返すと、ツカサは一瞬だけ真面目な顔になって、腕を組む。
「そうだな……襄桜の菓子とかはどうだ?」
本気で考え込むように、顎に手をやった。
すると、横でリンが静かに口を挟む。
「いや、ツカ姉。あそこは確か、地酒の襄桜酒が名物だったはず」
その三人の様子を見て、カエデがくすりと笑う。
「それは、“生きて帰ってきなさい”という意味ですわ」
なるほど、と胸の奥で腑に落ちる。軽口の形を借りた、送り出しの言葉。
――剣と、対話。俺は、その言葉の意味を、もう一度噛みしめるように考え込んだ。
そして、カエデとツカサは、何かを理解しているかのように、何も言わない。
リンが、静かに言葉を受け取るように頷く。
リクアンはそのまま、鍛刀場の奥へと姿を消した。
「……俺、剣と対話できてるかな……」
ツカサは、わずかに目を細める。
そのまま、ふっと視線を外し、
鍛刀場の向こう、山の稜線あたりを、何を見るでもなく見つめている。
誰かの答えを待っているのか、
それとも、自分の中に何かを求めているのか――
その横顔からは、はっきりとは読み取れなかった。
リンもまた、これまでのことを思い返しながら、
改めてその言葉の意味を考えているような様子だった。
カエデが、俺に向き直る。
「今の言葉、忘れないことですわ」
「剣との対話は、この宇宙との対話ということと、いつも言われています」
――剣と対話できて、初めて一人前。(宇宙……?)ジンの頭に疑問符が浮かぶ。
「土産」「対話」「宇宙」――その言葉たちが、ジンの中を駆け巡る。
まるで、手がかりのない星空に入っていくような感覚だった。
とりあえず、俺は
「……はい」
短く、そう答えた。
里の門が、ゆっくりと開かれる。
内と外を分かつ、境界の門。
その扉は、深い藍色に染められていた。
夜と同じ色でありながら、闇とは違う。
邪を拒むのではなく、静かに鎮め、越えるべきでないものを足止めする――
この里では、そうした意味を持つ色だ。
対魔剣を受け取った時から、俺は対魔剣士になった。
この門を越えれば――
その自覚を、否応なく思い知らされる。
その先には、山嵐の森。
楽水、襄桜城下町へと続く道。
さらに、その先には――魔族の影が待つ世界。
俺は一度だけ里を振り返り、再び前を向いた。
こうして、俺たち四人は歩き出す。
それが、新人対魔剣士ジンの――
対魔剣士として、己を己たらしむるための、一歩だった。
運命の扉はいつも、自分に開けてもらうの待っている。
俺がただ、それを開けていくだけだ、それが俺の選択だから。




