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大江戸巌窟殿 恨みは捨てない── ただ、置き場所を決める  作者: 真野真名
第四章 巌窟殿は陰の中

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第四話|奉行所の呼び声

――制度は、名指しせずに触れてくる




 呼び出しは、静かだった。


 「奉行所より、お話を」


 それだけだ。

 罪状も、期限も、書いていない。




 巌助は、その紙を畳んで懐に入れた。


 断らない。

 急がない。


 どちらも、制度を刺激する。




 奉行所は、広い。

 だが、通される場所は、いつも決まっている。


 奥でも、手前でもない。

 判断を保留するための部屋。


「巌助、と申したな」


 役人は、名を確認した。

 確認、という体裁だ。


「はい」


 それ以上、言わない。


「最近、少々名前を聞く」


 名前を聞く、という言い方は、調べているとは言わない。


 だが、知らないとも言わない。



「金の出入りが、整っている」


 褒めているようで、褒めていない。


「だが、早い」


 早い、という言葉は、疑念の入口だ。



「何か、申すことは」


 巌助は、少し間を置いた。


「条件通りに、商いをしております」


 それだけ。


 言い訳をしない。

 釈明をしない。



 役人は、筆を止めた。


 止める、というのは、書くことがない、という意味だ。



「……血筋の話が、出ている」


 役人は、あくまで雑談のように言った。


「御三家の名が」


 途中で止める。


 止めた言葉は、相手の反応を見るためにある。



 巌助は、眉も動かさなかった。


「存じません」


 否定もしない。

 肯定もしない。


 事実だけを返す。



 沈黙が落ちた。


 制度は、沈黙に弱い。

 判断材料が増えないからだ。



 役人は、咳払いをした。


「今日は、以上だ」


 以上、という言葉は、何も起きなかったという意味ではない。


 今は、起こさないという意味だ。



 巌助は、頭を下げて退出した。


 背中に、視線が残る。


 残る、ということは、切られていない。




 奉行所の門を出たとき、巌助は、空を見上げなかった。


 見上げると、安堵になる。


 安堵は、油断だ。




 その日から、町の空気が変わった。


「奉行所に呼ばれたらしい」

「何も起きなかったそうだ」


 何も起きなかった、という噂ほど、強いものはない。



 巌助は、何も変えなかった。


 だが、周囲が変わった。


 距離を測る目。

 声を抑える口。



 制度に触られて、潰れなかった。


 それだけで、巌助は一段、上に立った。


 自覚は、ない。


 だが、戻れなくなったことだけは、確かだった。




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