第五話|荒れ寺の床下
――執念は、金の形をしていない
荒れ寺は、昼になると余計に荒れて見えた。
夜のあいだは、雨と闇が、崩れを均してくれる。
だが、陽が差すと、欠けた柱も、落ちた屋根も、すべてがはっきりする。
はっきりする、というのは、逃げ場がなくなるということだ。
***
傳次郎は、堂の前に立ち、少しだけ時間を置いた。
朝の空気は、冷たい。
誰もいない。
それを確認するために、視線を巡らせる。
玄斎の言葉が、頭に残っている。
――期待に応えるな。期待を利用しろ。
期待されていない場所は、安全だ。
床板を外すと、昨日と同じ匂いがした。
土と木と、わずかな金属。
昨日は触れなかった包みを、今日は引き上げる。
重い。
だが、重すぎない。
持てる重さというのは、人を油断させる。
包みを開くと、銀が姿を現した。
形はまちまちだ。
新しいものも、古いものもある。
量は、多い。
だが、思ったほどではない。
――一生遊んで暮らせるほどではない。
傳次郎は、そう判断した。
判断できることが、少し嬉しい。
銀の下に、書付がある。
それが、本体だ。
紙は、上質ではない。
だが、無駄がない。
日付。
名前。
数字。
どれも、断定を避けて書かれている。
「〜と思われる」
「〜の形跡あり」
「一致する点が多い」
玄斎の癖だ。
傳次郎は、紙を一枚ずつ、丁寧に見た。
読む、というより、触れる。
墨の濃さ。
筆圧。
書き直しの跡。
ここには、怒りがない。
だが、執念がある。
執念は、叫ばない。
叫ばないから、長く続く。
玄斎は、叫ばなかった。
だから、ここまで掘れた。
書付の中には、奉行所の名もあった。
遠州屋の名もあった。
だが、それらは並列だ。
善悪の区別がない。
あるのは、流れだけだ。
金の流れ。
噂の流れ。
責任の流れ。
傳次郎は、理解した。
これを持って奉行所へ行けば、何人かは困る。
だが、困るだけだ。
世界は、困るだけでは変わらない。
銀と書付を、別々に包み直す。
一緒にすると、意味が混じる。
混じった意味は、扱いづらい。
床下に戻す包みと、持っていく包みを分ける。
全部を持たない、という判断ができる。
それが、巌窟牢で得た一番の学問だった。
堂を出る前、傳次郎は振り返った。
仏の顔は、半分欠けている。
だが、怒ってはいない。
期待も、していない。
その無関心が、心地よかった。
***
荒れ寺を離れながら、傳次郎は考えた。
この金は、復讐のためではない。
生活のためでもない。
信用を作るための、道具だ。
信用は、声を張らない者に集まる。
名は、まだ捨てていない。
だが、使う気もない。
名前を使わずに生きるには、金と沈黙が要る。
その二つは、今、手の中にある。
***
荒れ寺は、背後でまた静かになった。
執念は、地中に残る。
だが、使うのは、生きている者だ。
玄斎の遺したものは、金ではない。
時間と、視点と、選択肢だった。




