第二話|玄斎の決断
――残る者は、出口を完成させる
傳次郎が外の空気に慣れ始めたころ、巌窟牢の中では、夜が深まっていた。
深まったところで、変わるものは少ない。
だが、変わらないからこそ、決断は澄む。
***
佐々木玄斎は、壁に背を預けて座っていた。
身体は痩せている。
だが、目は濁っていない。
抜け道の入り口は、もう見えない。土と石で、丁寧に塞いだ。
丁寧に、というのが重要だった。乱暴に塞ぐと、痕が残る。
「通れたか」
玄斎は、小さく呟いた。
答えは、聞こえない。
だが、通れたと分かっている。
通れなければ、今ごろ、ここは騒がしい。
騒がしくない、という事実が、成功の証拠だ。
玄斎は、指を動かした。
爪の間に、まだ土が残っている。
この土は、もう取らない。
取る必要がない。
これは、終わった仕事の痕だ。
彼は、ゆっくりと考えた。
考えることは、もう多くない。
――なぜ、自分は残るのか。
答えは、ずっと前から決まっている。
問いが、遅かっただけだ。
玄斎は、外を思い浮かべた。
外には、返すべきものがある。
金。
書付。
そして、名前。
金は、土の下に眠っている。
書付は、寺の床下だ。
名前は――
もう、使えない。
玄斎は、かつて学者だった。
学者というのは、問いを立てる人間だ。
だが、問いは、必ず誰かを傷つける。
自分を含めて。
玄斎の問いは、間違ってはいなかった。
だが、早すぎた。
早すぎた問いは、制度に嫌われる。
ここに来たとき、玄斎は怒っていた。
怒りは、鋭く、純粋だった。
だが、怒りだけでは、出口は掘れない。
掘れるのは、時間だけだ。
*
傳次郎は、若い。
若いということは、時間があるということだ。
時間がある者に、出口を渡す。
それは、合理的な判断だった。
感情ではない。
帳尻だ。
玄斎は、壁に触れた。
石は、冷たい。
この冷たさには、慣れている。
慣れた冷たさは、恐怖にならない。
「私は、ここで終わる」
玄斎は、声に出して言った。
誰に聞かせるでもなく。
終わる、というのは、負けることではない。
引き受けることだ。
外に出た傳次郎は、
これから、多くの選択をする。
間違うこともあるだろう。
怒りを動かしたくなる夜もある。
だが、学んだ。
怒りは、寝かせるものだ。
制度は、使うものだ。
人は、物語にしない。
それだけ知っていれば、
世界とは、戦わずに済む。
玄斎は、目を閉じた。
水音が、遠くで戻ってきた。
ぽと。
その音は、数えなくていい。
もう、学ぶことはない。
教えることも、終わった。
巌窟牢は、今日も静かだ。
特別なことは、起きていない。
それでいい。
外では、若い男が歩いている。
名前を持たず、怒りを連れて。
それが、玄斎の決断だった。




