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大江戸巌窟殿 恨みは捨てない── ただ、置き場所を決める  作者: 真野真名
第二章 怒りは巌窟の中

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第八話|出口の話

 ──出口は、希望ではなく設計でできている





 出口の話は、夜にされた。


 夜だと分かるのは、水音が低くなるからだ。

 昼より少し重く、間が長い。


     *


「出口はな」


 玄斎は、いつもより声を落として言った。


「探すものじゃない」


 探す、という言葉は、希望に似ている。

 希望は、ここでは危険だ。


「作るものだ」


 その言葉は、静かだったが、硬かった。



 傳次郎は、すぐには何も言わなかった。

 出口という言葉は、何度も頭の中で封印してきた。


 出口を考え始めると、今を耐えられなくなる。

 耐えることをやめた人間から、壊れる。


「……あるのですか」


 ようやく、それだけを聞いた。


「ある」


 玄斎は即答した。

 即答できる言葉は、嘘ではない。



「だが、勘違いするな」


 玄斎は続けた。


「これは、逃げ道ではない」


 逃げる、という言葉には、軽さがある。


「責任の通る道だ」


 責任。

 その言葉は、牢の中では珍しい。



「ここを出るには、三つ要る」


 玄斎は、怒りの講義と同じ数を出した。


「知識。体。沈黙」


 沈黙。


 それが入るのは、意外だった。


「話せば噂になる。噂は、人を増やす」


 増えた人間は、管理できない。


「出口は、一人分でいい」



 玄斎は、少し間を置いた。


「掘っている」


 それだけ言った。


 傳次郎は、息を止めた。


「……いつから」


「ずいぶん前だ」


 年数は言わない。

 言わない年数ほど、重い。


「なぜ」


 その問いは、自然だった。


「外に、返すものがある」


 玄斎の声は、そこでわずかに揺れた。


「金と、書付と、名前だ」


 名前。


「私の名前は、もう使えない」


 それは、諦めではない。

 事実の報告だった。



「君に渡す」


 玄斎は、淡々と言った。


「出口も、外の資も、それを使う権利も」


 權利、という言葉が、ここでは異様に響く。


「なぜ、私に」


 傳次郎は、はっきり聞いた。

 恩義でも、情でも、受け取れない。


「理由は三つある」


 玄斎は、数を揃える。


「君は、算盤ができる」

「君は、怒りを寝かせた」

「君は、まだ、自分を物語にしていない」


 物語。

 制度が欲しがったもの。


「物語になった人間は、使えない」



 沈黙が落ちた。


 水音も、しばらく止まった。


「師も……出られるのですか」


 傳次郎の問いは、かすれていた。


「出ない」


 玄斎は、即答した。

 迷いがない。


「ここで死ぬ」


 それは、悲壮ではなかった。


「ここは、私の責任の終点だ」



 傳次郎は、何も言えなかった。


 出口の話は、希望の話ではなかった。

 引き受ける話だった。



「掘るのは、私がやる」


 玄斎は、講義に戻る声で言った。


「君は、体を作れ」

「学びを整理しろ」

「怒りを動かすな」


 動かすな。

 まだ。


「外へ出たら、名前を捨てろ」


 名前を捨てる。

 それは、出口の条件だった。


「過去を証明するな。未来を約束するな」


 どちらも、物語になる。



「外は、期待で人を縛る」


 玄斎は、最後に言った。


「期待に応えるな。期待を、利用しろ」


 その言葉は、まだ危険だった。

 だが、危険は、制御できる。




 水音が、戻ってきた。


 ぽと。


 その一滴は、もう牢の音ではなかった。


 出口の音だった。


 



 怒りは、眠っている。

 知識は、揃いつつある。


 あとは、時間と、沈黙。


 次に動くのは、この場所ではない。




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