表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

俺は冷たい彼女と暮らす

作者: 鳳 翔平

親友が死んだ。


突然の心臓発作だったらしい。まだ若かった。人って、こんなにあっけなく終わるんだなと思った。


引っ越し業者とともに、彼の部屋の片付けに立ち会った。漫画やゲームを貸していたから、その回収のつもりだった。


そのとき、見覚えのないUSBメモリを見つけた。


何か気になって、俺はそれを持ち帰った。


自分の部屋に戻る。築四十年の北向きワンルーム。もちろんエアコンなんてない。夏の熱気に耐えながら、扇風機の風だけが命綱だ。


USBを差し込むと、ひとつだけ動画ファイルがあった。再生すると、親友と見覚えのある友人たちが映った。やたらテンションが高い。


「いよいよ、噂の心霊スポットに突撃しまーす!」


……やれやれ。よくある肝試し動画か。


彼らは雨の中、傘をさしてボロボロの廃屋に立っていた。画面には薄暗い雲と、傘に打ちつける雨音が混ざっている。画面は終始、暗い。月明かりと街灯の残光だけが頼りのようだった。


二階の一室に入った時、全員が黙った。


天井から、何かが吊るされていた。


白く、細い腕。髪に覆われた顔。ボロボロのワンピース。


それは、首を吊った女の死体だった。


誰かが声を上げようとした、その時だった。


ロープが、音を立てて千切れた。


死体が、床に落ちた。次の瞬間、呻き声が漏れた。


それは、動き出した。


這ってくる。のそり、のそりと。四つん這いのまま、カメラに向かって、じわじわと距離を詰めてくる。


「お、おい逃げろ!」


画面が揺れた。暗闇の中を逃げる誰かの視点。やがて、映像が終わる……かに見えた、その時だった。


――部屋の灯りが、ふっと消えた。


電球が切れたわけじゃない。PCモニターは点いている。扇風機も動いている。


それなのに、部屋全体が、何かに包まれるように暗くなった。空気が冷えた。肌が粟立つ。……まずい。これは、マジでやばいやつだ。


そして、PC画面の中で何かがうごめいた。


白い手が、ぬるりと、画面の外へ這い出してきた。続いて、頭。長い黒髪に覆われた顔。


まさか。いや、まさか――


女が、出てくる。


俺は反射的にその頭を押さえつけた。戻れ! モニターに戻れ!


無理だった。


モニターを倒し、下に向けてみた。女は、ヤドカリみたいな姿勢で這い出してくる。


変な笑いが込み上げた。だが、完全に現実だった。


ついに、女が床に立った。


その瞬間、扇風機の風が前髪を揺らした。


見えた。彼女の顔が――


見開かれた目。血の気のない肌。怨霊そのもの。


だが、なぜか、俺はその顔を美しいと感じた。


俺は、恋に落ちた。


そして抱きしめ、前髪を払い、唇を重ねた。


「一目惚れしました。俺と結婚してください」


彼女は、一切表情を変えなかった。まるで壊れた人形のように、目を見開いたまま俺を見つめていた。


だが、それでよかった。


それが、俺の始まりだった。


それから、彼女は毎晩現れた。決まって部屋の片隅、暗い場所にじっと座っている。照明の下には決して出てこない。姿が見えなくても、洗面台の鏡を覗けばそこにいる。夜、寝ていると、天井を這いずる音が聞こえてくる。俺はそれを、子守唄のように感じていた。


ある夜、大学から帰宅すると、彼女が部屋の隅にいた。


「な……ぜ……」


うめくような声で、そう言った。


「言っただろ。一目惚れしたんだよ」


俺はゆっくりと近づき、抱きしめた。


そして、カバンから小さな箱を取り出した。


中には、黒いチョーカーが入っていた。


「これ、君にあげようと思って」


彼女の首に巻かれていたロープの切れ端を外し、その代わりにチョーカーをつけた。


その瞬間、彼女の身体がピクリと反応した。戸惑い、バタつくように動き出す。


PCのモニターを指差し、外したロープを拾って俺に見せる。


「……ああ、ごめん。ロープを外したから、もう戻れなくなっちゃったのか」


そう言いながら、俺は彼女の肩に手を置いた。


「でも、それでいいんだよ。君はもう、あの廃墟には帰らなくていい」


あれはプレゼントなんかじゃない。


これは、俺のものになれ、という証だ。


それから、彼女は俺のそばにいた。


バイト先のコンビニでも、何人かの客が突然叫び出したことがあった。理由を聞いても「いや、外に……誰か……」とうまく説明できない様子。きっと、彼女がついてきていたんだろう。


大学を卒業し、就職を機に中古の軽自動車を買った。ドライブが趣味になったのは、彼女と一緒に出かけられるからだった。ルームミラーを見ると、いつも後部座席に座って、じっとこちらを見ている。雨の日の帰りが遅くなったときは、決まって横断歩道の脇で待っていてくれた。傘もささず、びしょ濡れになったまま後部座席に乗り込んでくる姿を見て、俺は思った――ああ、待っててくれたんだなって。嬉しかった。声を出さないまま、ずっとそこにいる。


職場でも同じだった。トイレの鏡越し、給湯室の窓の反射。ふとしたときに、彼女がそこにいる。周囲の同僚が「最近、お前なんかおかしくね?」と言うたびに、少しだけ優越感を覚えた。


皆は帰らなければ誰にも会えない。でも、俺はいつだって彼女と一緒だ。


ある日、コンビニで見かけた高級シャンプーとコンディショナーを買ってきて、風呂場に置いた。次の日、彼女の髪が少し艶を帯びていた気がした。


それから毎晩、彼女の髪はだんだん美しくなっていった。浴室の排水が詰まることが増えて、最初は原因が分からなかったけれど、排水溝を開けて黒髪の塊が出てきたとき、すぐに察した。


――ああ、俺のために綺麗になろうとしてくれてるんだな、と。


その髪を片付けながら、妙に胸が温かくなった。


ワンピースも新しく買ってあげた。すると翌日から、その服を着て現れるようになった。彼女が微かに、わずかに変化していくのが嬉しかった。


ある寝苦しい夜、ふと目が覚めると、彼女が枕元に立っていた。


目を見開いたまま、無言でじっとこちらを見つめている。


「……おいで」


そう声をかけると、彼女はすっと布団に入ってきた。


俺はその冷たい身体を抱きしめて眠った。


肌が凍えるように冷たいのに、不思議と心は安らいでいた。


どんなクーラーよりも快適で、気持ちよく眠れた。


月日は流れた。やがて、俺は八十歳になっていた。


その日、突然倒れて救急車で運ばれたらしい。目が覚めると、病室の隅に彼女がいた。


若いままの姿で、首にあのチョーカーをつけて。


薄暗い部屋の隅から、ゆっくりと彼女が近づいてくる。


俺のそばに立ち、そして――


そっと、キスをした。


初めて、彼女の方から。


その瞬間、見開かれていた彼女の目が、ふっと緩んだ。


笑っていた。


――ああ、これが見たかったんだ。


その笑顔のために、俺は彼女と生きてきたのかもしれない。


意識が遠のく中、俺は思った。


ありがとう。


また、会おう。


彼女は、こと切れた彼の顔をじっと見つめていた。 微笑を湛えたまま、その姿は光の粒のように、ゆっくりと、静かに消えていった。

拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。


彼女目線で書いた、後作の「キスは呪縛の呪い」を合わせて読んでいただけると、よりこの物語の異常性がおわかりいただけると思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ