欲望には忠実に。~私が虐げられるのは今夜までです!
私はとても、浅ましい。
擦り傷から滲む血を、こんなに甘く感じるなんて。
舐め取ると、傷はうっすらと閉じている。大した傷ではなかったらしい。
(……もう少し味わいたかったのに)
こけた頬に血のように赤い瞳。
パサつき色の抜けた白い髪。
(ふぅ……、とても十六歳の貴族娘とは思えないわね)
水瓶に映る自分を見ながら、溜息がこぼれた。
(お腹が空いたわ……)
ふかふかのパン、肉汁染み出るステーキ。具材たっぷりのスープに甘いデザート。
そんな食事と縁が無くなってから、三年が経つ。
だから血さえ美味しく感じるのだろう。
「シエラ! シエラどこにいるの!!」
名を呼ぶ声に、苛立つ響きが混じっている。きっとまた叱られるんだわ。
「はぁい! ただいま!」
慌てて立ち上がり、かまどの前から居間へと急いだ。
義母の機嫌を、これ以上損ねる前に。
バシャン!!
「まったくお前は! 気が利かない上に愚図だよ! 旦那様をお迎えする準備がまるで整ってないじゃないか!」
ポタポタと服からしずくが床に滴り落ちる。
義母が花瓶の水を私にかけた後、続けざまに活けてあった花を投げつけてきた。
「今日は数年ぶりに旦那様がお戻りなる! 食卓の花は派手なものではなく、清楚なものをと言ったろう?」
「お父様が……、お帰りになるのですか?」
「はあ?! お父様だ? どの口がそう言うんだい!! 私の夫である旦那様はここにいるモニカの義父ではあっても、お前のようなみすぼらしい下女は"伯爵様"とお呼びすべきだろう!」
「ほんとォ、頭も悪いんだからァ」
義姉のモニカがお菓子を口に運びながら、ふくよかな頬を揺らせている。
「で、でも」
私にとって、確かに血の繋がった父親だ。
グレイフォルド伯爵。
伯爵家当主の父は国から任された事業のため、三年ほど隣国に滞在していた。
家に義母と義姉、そして私を残して。
亡くなった母の後添えに、父は義母を迎えた。義姉はその義母の連れ子で、父の血は継いでいない。義母は隣国の出身だ。馴れ初めは知らないが、もしかしたら父の仕事の都合があったのかも知れない。
ともあれ、家督を継ぐのは実子の私。
義母には、そんな私が邪魔だったらしい。
父が旅立つや否や、私から部屋を取り上げ、服を奪って台所の隅へと追いやった。
伯爵令嬢とは名ばかり。
私はこの三年間、過酷な下働きを課せられてきた。私の味方になってくれた使用人は次々と解雇され、結果、残ったのは私に辛く当たる者たちだけ。
彼らは義母に迎合し、伯爵家の雑務の多くを私に押し付けるようになった。
理不尽な境遇。
(あ、まただ……)
こみあげてくる衝動を必死で抑える。
喉が。喉がすごく渇くの。
そんな時は目の前にいる人でもなんでも……。その肌の下に透ける血すら飲みたくなる。
慌てて俯いた私に、義母が嘲るように言った。
「ふんっ。旦那様がいまのお前を見ても、実の娘とは気づかないだろうよ」
「…………」
確かに、私の容姿はこの三年ですっかり変わってしまった。
艶やかだった金髪と、優しい茶色の目を失った。
日々暗く翳っていった目は、今ではすっかり赤い色をしている。
(栄養を失った髪が白くなるのはともかく……どうして目の色まで)
「旦那様にはシエラは朝帰りをして部屋で寝ていると伝えておくから、お前は使用人としてお出迎えすると良い。三年もの間、手紙ひとつ寄こさず素行の悪い娘に、旦那様もさぞお呆れだろうよ。救われるとは思わないことだね」
手紙は送れなかったのだ。義母の検閲に、妨害が続いて。
父に荷を贈る時も、私は除け者にされていた。
当然父からの贈り物は、すべて義姉モニカのものとなっている。
異国のドレスも、数々の宝石も。
義母は父に、私が"要らない"と捨てたから、心を痛めたモニカが引き取って使用していると伝えていた。
捨てるも何も、触れることはおろか目にしてさえない品々。
「さ。わかったらさっさと新しい花を用意しな。そして濡らした床を掃除しておくんだよ。まったく仕事を無駄に増やして、要領が悪いことこの上ないね」
(床が濡れたのは、あなたが水をかけたからだ)
そう思う私は、言葉を飲み込んだ。
いま口を開くと、彼女の首元に歯を突き立てそう……!!
義母と義姉が立ち去った後、自分の手を噛んで、渇望を抑えた。
(ハァ、ハァ、こんな浅ましい自分が嫌……!!)
一体いつからこんなふうになってしまったのか。
医者にかかれば、この症状の原因がわかる?
悩みながらも、私は床の水を拭きとって、新しい花を用意するため庭に出た。
◇
数年ぶりに帰宅した父は、義母の言葉通り私に気づかなかった。
玄関ポーチで使用人たちと並んで出迎え、食事の給仕をしても、私だと気づいて貰えなかった。
「あの使用人は──」
父が口を開いた時、私は期待した。けれど続く言葉は「身なりがみすぼらしすぎるな」というものだった。
「伯爵家に従事する召使いとして相応しい服装をするよう、メイド長に伝えておくように」
義母がにやりと笑いながら、すぐに答えている。
「支給したお仕着せをすぐダメにするので見せしめです。品を大切に扱わないなんて生意気なので」
お仕着せなんて、支給されていない。
最初に与えられた古着がきつくなって解れても、直しながらずっと着ている。
(お父様! お父様……!!)
心の中で何度も呼び掛けた。でも口に出して「こんな娘はシエラじゃない」と言われるのが怖かった。
最後の希望が目の前で潰えたら、きっと私は耐えられない。
父は、出迎えなかった末娘の様子を見に、私の部屋をのぞきに行った。
もうずっと立ち入ることを許されてない、以前の部屋。
「シエラは部屋にいなかったが」
「ではまた抜け出して、遊び歩いているのですわ。あなたが帰ると伝えてあったのに、本当に奔放な子」
(っつ!)
義母の言葉に父はどう思ったのか。
嘆息している様子を見ると、義母の言葉を信じ切っているのかもしれない。
胸が痛く、苦しい。
そんな数日が続いた今日も、控える私に気づかないまま、父は義母に話しかける。
「以前伝えたように、今夜は皇太子殿下の十八の誕生日パーティーが開かれる。シエラにもきちんと用意させておくように」
不満そうに義母が返した。
「伴うのは、姉のモニカだけではいけませんの? シエラでは、家の恥さらしになりますわ」
「それは駄目だ。必ず家族全員揃うようにと言われている。特に殿下の花嫁選びがあるため、招待状が届いた娘たちはみな妃候補になっているんだ」
「まあ。ますますシエラには無縁な話なのに」
「なぜ無縁だと?」
鋭い目が義母をとらえた。
父の迫力に怯んだらしい義母が、しどろもどろに父に言う。
「あ、あの娘は日頃の態度が悪すぎて……」
「シエラも寂しいのだろう。止む無くとはいえ、長く捨て置いた私に顔さえ見せてくれないとは、悲しい話だが……」
(違います、お父様! シエラはここに。お父様のお傍におります!)
「前の妻……、シエラの母親は王家の流れを汲んでいるから、陛下や殿下も幼いシエラと会っていて、成長したシエラを楽しみにしておられる。そなたの責務として、シエラをパーティーに来させよ。良いな?」
「承知しました」
義母は不承不承といった様子で父に返事をした、その夜。
「シエラ! 昼に旦那様のお話は聞いていたわね。お前にドレスを与えます。身なりを整え、今夜のパーティーに出席するように」
かまどの前で火の始末をしていると、珍しく義母から足を運んできた。
「お前の支度がまだだから、旦那様と私たちは先に出るわ。お前は後から別の馬車でおいでなさい。冴えないお前と、家族だと思われたくないもの」
バサリ、と義母が投げて寄こしたのは。
「これは、亡くなったお母様の……」
「古びたドレスだけど、上等な布が使われていたようだから、とっておいたの。ああ、ああ、何をしているの。早くドレスを取らないと、火がつくわよ」
ドレスの裾がかまどに入っていた。
残り火がドレスにチロチロと伸びてくる。
「きゃあっ!」
「それしかないのだから、台無しにしたら旦那様に言いつけるからね。お前がドレスを燃やしたせいで同席出来なかったと。旦那様はお口にこそ出さないものの、きっとお前にご立腹よ。パーティーに欠席したら、家から追い出されるでしょうね」
"楽しみだわ!"
義母の高笑いが去っていく中、私はドレスについた火を懸命に消していた。
「っく……、ううっ、ううう」
母が遺したドレスを抱きしめ、涙がこぼれる。
何とか消した火は、しっかりとドレスの裾を燃やしていた。焦げたドレス、落ちた灰。
ポロポロと涙が止まらない。
「お母様……。助けて、お母様……」
ギリ、と噛み締めた唇から血が滲む。
その一滴が。
ポタリとドレスに落ちた。
「大変──、えっ?!」
血があっという間にドレスに染み渡る。ほんのひとしずくが、ドレスを真っ赤に染め上げた。
と、思った途端。ドレスは一瞬で灰になり崩れ落ち、そして。
「なっ!!」
いっきにぶわっと舞い上がって、私を包み込んだ。
「ゴホッ、ゴホッッ」
漂う灰に目を閉じ咳き込んで、次に目を開けた時。
不思議が起こっていた。
「ドレスが──」
母のドレスは。古風なデザインのドレスは一新され、誂えたように私の身体にぴたりと添い、洗練された愛らしい一着へと変わっていた。
色も鮮やかで刺繍も細やか。最上級のレースがふんだんに使われた、見たこともないような高価なドレス。
「な、何が起こったの?」
立ち上がると、優雅にドレスが揺れる。
足元にはいつの間にか、ガラスの靴が光った。青い夜に螢瞬くような、幻想的な色合いが美しい。
「わ、あ……。綺麗……」
はっと気づいて頭に手をやると、ボサボサだったはずの髪も艶やかに結い上げられている。
台所の水瓶をのぞくと、見慣れない美少女が映った。
しっかりと施された化粧は痩せた頬も健康的に見せ、気になっていた赤い瞳は魅惑的に光っている。
「私じゃないみたい……」
(でもこれなら、皇子殿下のパーティーに行ける?)
魔法としか思えない。
きっとお母様が起こしてくれた奇跡。
でも喜んで外に出た私を待っていたのは、残酷な現実。
そこにあったのは、廃棄寸前のような馬車だった。
(これが義母の言っていた馬車──)
御者も馬もなく、どう進めと言うのか。
再び途方に暮れていると、騒がしい羽音がした。
「? きゃっ」
見上げると、たくさんの蝙蝠。
蝙蝠たちが包むように馬車にとまると、黒地に金、高貴な紫があしらわれた立派な馬車があらわれた。
逞しく美々しい黒馬が繋がれている。どこからかあらわれた御者が、帽子をとって会釈をした。
蝙蝠たちは消えている。
(もしかしたら、これは夢かも知れないわね)
夢でもいいわ。素敵なひとときが過ごせるなら。
自然と開いた馬車の扉から中に乗り込み座ると、馬はお城に向かって軽やかに走り出した。
皇子殿下の誕生日パーティーに間に合うように。
◇
お城はとても華やかだった。
広間はたくさんの着飾った貴族でひしめき、並ぶ料理は芸術作品のように色とりどりに盛り付けられている。
(これが……、お城のパーティー)
しかも皇子殿下の成人祝とあって、豪華を極めている。
(お父様はどこかしら)
この姿ならシエラだと分かってもらえるかも知れない。
義母と義姉はきっと怒るだろう。
だけど父に現状を訴えよう。
そして日々の改善をお願いするの。
決意を胸にきょろきょろしながら進む私を、並み居る貴族たちが驚くように道を開ける。
(そんなに変じゃないと思うんだけど……)
不鮮明な水瓶で見た限りだけど、貴族令嬢に見える程度には装えているはず。
ふと気づくと、私の周りには誰もいなかった。
代わりに目の前に、ひとりの青年が立っている。端正な顔立ちに、華やかな礼服を品よく着こなしていて、どう見ても良家の令息。それもただならぬ家柄の。
(え……?)
胸元の刺繍に目を見張った。
皇太子にしか許されない文様が、縫いとられてある。
「こんばんは、美しいご令嬢。僕と踊っていただけますか?」
赤い瞳が嬉しそうな色を湛えて、真っ直ぐに私を見ていた。
(!! まさか、皇子殿下!?)
今日の主役の??
殿下の瞳も私と同じ赤なのね。
……じゃなくて、うっかり見惚れてしまったけど。
「あっ、あの、私……」
なんといってお断りしたら良いのかわからない。ダンスに自信がない。
けれど殿下から差し出された手を取らないと、皇族に恥をかかせてしまう?
(……っ)
私は精一杯の笑顔を作った。
「よ、喜んで」
声が引きつってしまったのに、そんな私に殿下は優しく微笑まれた。
楽団が曲を奏で出す。
ホールに私のドレスが咲く。
くるりくるりと鮮やかに。
自分でもこんなに踊れるとは思ってなかった。ダンスの練習なんてもうずっとしていないのに、軽やかに体が動く。殿下の足運びが常に私を庇い、導いてくれている。
(なんて素敵な方……)
ホールに舞うのは私と殿下で、周りの人たちは場所をあけて見守っていた。贈られるのは、うっとりとした賞賛の眼差し。
輪の中に、義母と義姉の姿を認めた。父も。
私は目的を思い出す。
(お父様とお話ししなきゃ)
けれど一曲が終わり殿下に深く礼をすると。
すぐに二曲目を申し込まれた。
今度は他の貴族たちも踊り始める。
(えええ、待って……!)
こうして私は息つく間もなく、殿下と三曲踊り切り、その足でテラスへと誘われる。
体力が持った自分を褒めたい……!
そして今は、皇子殿下と取り留めのない会話をしている。
どんな味が好きか、とか、どんな色が好きか、とか。
そわそわする。
きっと一生に一度の幸運だけど、でもそれ以上に落ち着かないのは、先ほどから甘く香る何か。
手元のグラスからじゃない。
目の前のこの方から──。
「僕との時間は、つまらないですか?」
「つ!! そ、そんなことはありません!!」
気がそぞろだったことを見抜かれた。
慌てていると、殿下の目が面白そうにスッと細くなる。
「あなたが何を欲しているか、わかっています──」
「え?」
顔を上げると、目の前に彼の顔があり、そのまま。
殿下にそっと口づけされていた。
「!!」
(血っ??)
殿下は自ら、口の中を噛み切られたのだろうか。
合わせた口から、血の味が流れ込んでくる。
それは抗えない芳香となり、甘美な甘さは痺れるように全身を打ち抜いた。
「んっ……、ん」
気がつけば私は、ねだるように"もっと"と血を追いかけている。
欲しくて、吸いたくて、私たちはかなり密着した状態にあった。
「っつ」
なのに肩に手を置かれ、いったん身体を離された。
「あなたばかりだと狡い。僕にもあなたを味わわせてください」
「え……?」
整わない呼吸、喘ぐ息の中、私の意識が恍惚に微睡んでいると、かぷりと小さな痛みを首筋に感じた。
(殿下に歯を立てられた?)
理解した時には、テラスに私の血の匂いが立ち上っている。
(ズルイ、ズルイ、ズルイ。私だって血管から吸いたい──)
ハッとした。
(私、何を思っ──!)
自分の思考に青ざめる。
私はいま、明確に血を吸いたいと。
殿下の血を吸いたいと、そう願ってしまった??!!
(なんて浅ましい────!)
バンと殿下の身体を押しのけて、その腕から逃れた。
そのまま庭に走り出て、後ろも見ずに場を逃げ出す。
「あっ、待ってください──」
殿下の声を背中で返し、私は。
一心にパーティー会場から離れた。
お城を出る時に靴を片方落としたけれど、拾っている余裕はなく。
馬車に飛び乗ると、家へと向かって出して貰う。
奇跡の時間は尽きたのか。
伯爵邸へと向かう途中で、お母様のドレスは灰と化して夜空に散り、私は下着姿になってしまった。
御者と馬も闇に消え、馬車は朽ちた木箱へと戻る。
私は徒歩で家に辿り着くと、台所でもとのボロ服を纏った。
父たちはまだ帰っていない。
明日はきっとまた怒られるのだろう。
(どうしてパーティーに来なかったのか、って……)
私は行ったけども。
着飾って皇子殿下と踊ったのが私だと、証明する術は何ひとつ残ってなかったから。
私に残るのは、口の中に広がった、殿下の血の余韻だけ。
私の頬を濡らしたのが夜露か涙か、きっとお月様もご存知ないわね──。
◇
「シエラ!! いつまで寝ているんだい、このノロマ!!」
予想通り、義母の怒鳴り声で目が覚める。
私は結局、かまどの横で寝てしまっていた。
丸めた身体に灰がついてて、慌てて払うけど、のいたのはきっと気持ち分だけ。
「我が家に皇子殿下が来訪される! 掃除が済んだら、お前は納屋にでも隠れておいで!」
「え、皇子殿下が?」
「そうさ。私の娘が見染められたんだよ! "グレイフォルド家のご息女を妃に貰いたい"と朝一番に使者が来て、午後に殿下が来訪される旨を伝えてきた。お前はいつになく寝こけていたようだけど、今日はめでたい日だから寛大な心で許してやったのさ」
「グレイフォルド家の娘……」
「はん! 間違ってもお前ではないよ。お前は言いつけを守らず、パーティーに来なかっただろう? 舞踏会ではそれはもう美しい姫君がいらしていて、殿下はその方とばかり踊っていたけれど……、蓋を開けてみれば選ばれたのはウチのモニカだったってこと!!」
勝ち誇ったように義母が言う。
確かにとても機嫌は良さそうだけど、私は首を傾げることだらけだった。
義姉は殿下と視線を合わせることすらなかったのでは。
しかしそれ以前に困ったことは、やはり私は"出席してない"ことになっているという事実。
(お父様になんて言えば……)
信じて貰えなくても、伝えるしかない!
意を決して義母に尋ねると、父は呼び出されてお城に赴いており、殿下と一緒に戻られるらしい。
(万事休すだわ……)
とにもかくにも大急ぎで他の使用人たちと客間や玄関を整え、私は庭隅の納屋へと追い払われた。
間もなくして立派な馬車が訪れ、大勢の人たちが屋敷に入る。
(覗き見なんて、端ないことだけど)
客間の様子が気になって庭でウロウロしていると、急に使用人たちが大慌てで廊下を行き来し始めた。
(どうしたのかしら)
窓からは、声が漏れ聞こえた。
「モニカお嬢様、まさか靴に足のサイズを合わせるために親指と踵を切り落とされるなんて」
(!!)
「いくら皇族の方たちが"再生の力"をお持ちだからって、無謀だわ! "再生の力"は血を交わした相手としか、効力を発しないのでしょう?」
「ええ。だからお嬢様は、殿下から治療を断られていたわ」
「そもそもモニカお嬢様は、お探しのご令嬢ではなかったらしいしね。殿下がお持ちのガラスの靴に合わなかったもの」
(──! ──? 血を、交わす??)
思わず聞いてしまった彼女たちの会話に疑問符を浮かべていると。
背後からメイドのひとりに声をかけられ、身体が跳ねた。
「ああ、シエラ! じゃなかった、シエラお嬢様、こちらにいらしたのですね。急ぎお連れするようにと殿下と伯爵様が」
昨日まで呼び捨てで私に用を押し付けていたメイドの口調が、絶妙に丁寧になっている。
「ま、待って、こんな格好で?!」
雑巾よりクタクタな服と、櫛も入っていない髪。
こんな姿で出ていっても「見苦しく、目障りだ」と打たれてしまうだけ。
「さあさ、お急ぎください。お連れしないと、私が叱られてしまいます」
メイドは強引に私の腕を引っ張る。そこにはやはり、"遠慮"の文字はない。
「いやぁぁぁぁ!」
揉み合って、強引に腕を引き抜くとき、相手の爪で肌が裂けた。
腕に走る一筋の傷から、血が滲む。
「っ痛」
直後に。
魔力の風が奔った。
「きゃああっ!」
メイドが悲鳴とともに吹き飛ばされる。
驚いて窓を見上げると。
「こちらでしたか。シエラ・グレイフォルド嬢」
昨夜の笑顔で、皇子殿下が私を見ていた。赤い瞳をキラキラと輝かせながら。
◇
殿下は。
パーティーでお会いした時すでに、私が"シエラ・グレイフォルド"だと分かっていたらしい。
「あれほど見事な赤い目は、皇家の血を引く者にしか現れませんので」
(それでパーティー会場で、多くの人が私を見て驚いていたのね)
皇家の方々を間近で見たことがない私は、知らなかった。
「シエラ嬢の母君は、我がイトコ叔母です」
そこまで血が近いとは、聞き及んでなかったけど。
ひとめ見て私の身元を察し、さらに私が覚醒間際の状態であることを見てとったらしい。
「僕の血を少しお分けしたら、すぐにもあなたが"種族の力"に覚醒するかと思ったのですが、僕のほうが夢中になってしまって、思わず血を交わしてしまい……。了承もなく失礼しました。でも責任は取らせていただきますので。……その……僕はずっとあなたが良いなと思っていて……」
幼い頃に会ったことがある殿下は、私との再会を待ち望んでくださっていたとか。
(ごめんなさい殿下。二歳差が大きかったのか、私はお会いしたことを覚えておりませんでした……!)
覚醒すると様々な能力が行使出来るけれど、一般的には秘されていて、覚醒していない相手にその秘密を明かすことは出来ないらしい。
殿下のお話によると。
力の一部には、"血を交わす"ことで互いの心臓の一部を、互いが保管出来るというものもある。
そしてそれは、"夫婦の誓い"となる。
心臓さえ隔離しておけば、何度でも、何回でも、私たちは蘇生出来る。──たとえ灰からでも。
皇族に伝わる"再生の力"。
実母のドレスは、母の血から作られた服だったらしい。
私の血に反応して、私に応じて復活した。
母が亡くなっていたため、その再生時間に限界があり、帰り道で塵と消えてしまったけれど。
父が言った。
「辛い思いをさせてすまなかった、シエラ。お前の成長のために用意したペルラとモニカは"贄"だったんだが……。お前が彼女たちに従って辛抱強く、ここまで耐えたとは」
ペルラとは、義母の名前だ。
「贄……」
「ああ。彼女たちの血を使って、シエラが力に目覚めればよいと」
父が私の手を握りながら頷く。
それでギリギリまで私に手を貸さず、ただ、馬車は父の命令で蝙蝠たちが修繕したらしい。
(あの黒衣の御者は、父の部下だったなんて)
私のドレスが消えたせいで、"肌着姿を見るわけにはいかない"と去ったのかしら。
そういう時こそ助けて欲しかったのだけど……。
状況を思い出しながら、推測する。
殿下と父と私。
その足元には、物言わぬ躯と化した義母と義姉。
廊下に倒れるのは、血を失った使用人たち。
私は久方ぶりに満腹を覚えた。
("浅ましさ"じゃなくて、本能だったのね……。でも)
「"眷属"にされなくて良かったのですか? お義母様の故国を眷属化するのが、お父様のお仕事だったのなら」
先ほど、聞いたばかりの話。
父が三年間、隣国で行っていた仕事は、人知れず我が国の影響力を増す作業だった。
吸血行為で配下を広げる能力も、種族の力。
諸外国はおろか、国民の多くは知らない。
覚醒していないと知らされない。
秘密の秘密の支配国。
こうして私は、夜の帝国の皇太子妃となった。
血を交わした、皇太子殿下の希望によって。
ガラスの靴は、私の力で作られたものだった。
覚醒した今は、自由に作ることが出来る。
ふたつ揃って私の足で。
今日もダンスを踊るのだった。
お読みいただき有難うございました!
シ、シンデレラ……。多分シンデレラ……。(の、つもり)
秋月忍さまの「サマーシンデレラ企画」に参加するため、シンデレラに添わせたストーリーとなっていますが、ネズミじゃなくて蝙蝠だし、そんな部分を楽しんでいただけたらいいなぁと思いながら書きました。
ゆるふわ設定です!!o(>∀<*) きっとシエラのママは、復活不可能な方法で命を落としたんです。あとパパ酷いとか言わないでくださいね! 何か事情が、そう、事情が!(苦しい)
一生覚醒しない場合もあるので、その時は"秘密"だから言わなかったとかです、ええ。生き餌を与えて自分で狩るのが家門の方針で。
殿下のもとに残った靴が消えなかったのは、殿下が血で固定したのかな。たぶん。
ところで映画『ホーンテッドマンション』がめっちゃ観たいです。怖いかな?
シンデレラ企画を思って書いたけど、フライングしたので企画に出せなかったお話はコチラ。
『わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。』https://ncode.syosetu.com/n5257ii/
「面白かったよー」と思っていただけましたら、下の☆を★にかえて応援いただけますと超励みになります!! よろしくお願いします(∩´∀`*)∩