十五節 春休み
秋学期のテストが終わり、春休みになった。
僕は久しぶりに、小林君に連絡をしてみた。そうして久しぶりに会った小林君と、高校のときはしていなかったような話をした。
いろいろな話をしていると、小林君の人生観や、どんな考えを持っているかなどを知ることができた。そういう話をするのは、思っていたよりも楽しいのだということを知った。
そして僕は今度の夏、小林君と一緒に瀬戸内海の島に行くという約束までしていた。
僕がほんの少し心を開くだけで、もっとたくさん話したいと、そう思えるような間柄になることができた。
そしてまたいつもの長期休みのように、貴久と和也と一緒に集まった。僕たちは何でもないような話をしながら、楽しく笑って飲み食いをした。
その帰り道、和也に先輩とどうなったのかを聞いてみた。
「会いはしたけど、結局何も言えなかったんだ」
和也はうつむきがちに言った。
「そっか。まあ、頑張りなよ。たぶん、ちゃんとした方が気分いいよ」
「ああ、うん。そうだよな」
僕は和也の肩を軽くたたきながら言った。
「ねえ、玉木くん、ちょっと変わった?」
少し顔を上げた和也が、僕に声をかけた。
「さあね。ほら行こう、終電逃すよ」
僕は笑いながら、和也の背中を押して歩いた。
家に帰ると、父が台所の椅子で眠っていた。手を洗おうと進むと、父は目を覚ました。
「ああ、おかえり」
「ただいま」
短いやり取りの後に、父は随分ゆっくりと椅子から立ち上がって、僕の後ろを抜けて歩いていった。
そのゆっくりと立ち上がった父の姿が、やけに目についた。
部屋に戻ってから、僕は何となく、父はあと何年生きられるのだろうと思った。
今はまだ健康体だけれど、歳を重ねて老いていけば、その限りではなくなるかもしれない。もしずっと健康でいたとしても、寿命が僕より長いということはないだろう。
生きている間に、健康な間に、話しておきたいことが僕にはあると思う。
だけどこの先、就職して、家を出て、父といる時間が減ったら、それは今よりももっと難しくなるように思う。
このまま何も話さずに父と離れるのは、きっと後味が悪い。
このまま何も話さずに父と別れるのは、自分のためにもよくない。
なぜなら僕には、父と話しておきたいことが、ほんとうはたくさんある。
僕は父のことが嫌いだったけれど、今はそうでもないように思う。あのときの父には余裕がなかったということは、僕だってわかっている。
それを許すわけではないけれど、ああなってしまうのは、僕にだって決してわからないわけではない。
父だって、所詮はただのひとりの人間に過ぎないのだ。ひとりの人間ごときが抱えられるものなんて、たいして多くない。
ほんとうは随分と、無理をしてきたのだろう。
僕と、同じように。
ずっと、僕と兄のために働いてきたのだ。僕はそれで、高校も大学も行かせてもらえている。
受け入れられない感情もまだまだたくさんあるけれど、それと同時に感謝があるのも事実だ。
その面に目を向ければ、僕は今よりも少しだけ、父と向き合うこともできるのかもしれない。
いい加減僕は、父を信用しても良いのかもしれない。
僕はずっと、家族という関係は、何かがあれば切り捨てられる軽薄ものなのだと考えていた。
だけど、僕のために、家族のために頑張ってきた父が、今更裏切るとは到底思えない。
それに、向き合う時間だって、多く残されているわけではない。せっかく一人暮らしをやめて戻ってきたのだから、急にはまだ難しくても、いずれは父とも向き合いたいと、僕は思った。
それが、父に受け入れてもらえるかはわからない。
だけど、それでも、僕がずっと抱えてきたものは、隠さないで打ち明けておきたいと思った。
兄のことで思い出したのは、国公立の一次試験前日のことだった。
今思えば、あのときの僕は余裕がなかっただけだ。おそらく焦りなどもあって、何かのせいにしたい心理も働いていただろう。
あれに関してはべつに、兄が一方的に悪いわけではない。
もう少し気を遣ってくれてもよいとは思うが、どうせ兄のことだから試験日のことなんて知らなかったのだろう。
それに、僕が言いさえすれば、案外代わってくれたようにも思う。あのときの僕は、兄を決めつけていた。
兄と向き合うことから逃げて、心のうちに思いをためてごまかしていた。
そうして昔を振り返っていると、兄が校外学習に行った日のことを思い出した。
あの日は父の機嫌もよくて、それ以来喧嘩をしなくった日だから、よく覚えている。
少なくはない頻度で、学校の先生が家に来て、兄に学校に来ないかと言っていた。校外学習だけでも、という声が聞こえたのを僕はいまだに覚えている。
翌週来た先生と父の、うれしそうな声も。
僕はその決断をした勇気だけは、尊敬している。そのときの覚悟は、半可なものではなかっただろう。
兄が内心どう思っていたのかは知らないけれど、その決断をして実行したという事実は、尊敬に値すると思う。
僕は今でも兄のことをよく思っていないし、兄のせいで受けた被害は計り知れないほどあるけれど、その事実だけは、素直に尊敬している。
変わりたいと思って行動することの難しさを、僕は知っている。
今だからこそ、あのときの兄の決断が、どれほど大きいものだったのかを、少しだけ想像することができる。
高校にも休まず行って、就職もして、そうできたのはきっと、あのときの決断があったからなのだろう。
壁を乗り越えたのは、兄だって同じなのだ。
僕は、今なら少しだけ、兄のこともまっすぐ見られる気がする。
そんなことを一人で考えいると、僕が恋愛感情を簡単に起こせなかった理由が、あっさりとわかった。
僕はふつうの家庭というものに対して、憧れがあっただけだ。
その憧れの世界を知らないという劣等感が、あっただけなのだ。
それが僕の大部分を占めていたことに、今になって気付いた。
ずっと考えないようにして、隠していた。
逃げてごまかして、見ないようにしていた。
だけど、元をたどれば、ただそれだけのことだった。
僕はずっと、しあわせな家庭が、欲しかっただけなのだ。
――――登場人物――――
玉木悠太 僕
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
永野司 かさ
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
人との接し方が似ている。
小学生のときに転校してきた。
僕にとっては貴重な、家のことを話せる関係。
前川倖成 倖成くん
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
最初だけは僕を玉木くんと呼んでいた。
中里佳世 佳世ちゃん
小学三年生のときに知り合った。
いつもくだらないことで笑わせてくる愉快な人。
一緒にコスモスを見に行った。
中学二年生の終わり頃から話さなくなった。
浅羽慎二 慎ちゃん
中学一年生のときに同じクラスだった。
やさしい言葉をかけてくれた。
僕はそんな慎ちゃんのやさしさの在り方に、憧れを抱いている。
今井俊 今井くん
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。
それからは、距離が開いてしまった。
小林正樹 小林くん
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
勉強に打ち込んでおり、部活もしている。
高校一年生のときは室長もしていた。
修学旅行のときから、僕をたまちゃんと呼ぶようになった。
思っていたよりも、ずっと仲良くなれた。
田原友貴 友貴
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
修学旅行のとき、急に僕のことをたまちゃんと呼んできた。
おせっかいだが、悪い人間ではない。
森島さん
今井君のことを教えてくれた人。
曜子という人の友人。
友貴と付き合っていたらしい。
冷静な人のようだが、友貴に似ておせっかいな面もある。
伊藤恵 伊藤さん
吹奏楽部。フルートが上手らしい。
わかりやすい感情表現をする。
気さくな人でクラスの中心的存在。
随分と、僕を気遣ってくれていた。
僕の字を褒めてくれた。
何事も一生懸命に取り組むことができる。
江口先生
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。
気を許せる先生。
中川先生
高校二年生のときの担任。担当科目は国語。
やさしい笑顔が特徴。
いろいろと見抜かれている気がする。
あのやさしい笑顔は、葛藤の末に得たもののように見える。
人にやさしくあれる強さをもっている。
尊敬できる先生。
渥美先生
高校三年生のときの担任。担当科目は数学。
弱さを隠さない人。
だからこそ、信用できる。
人間味あふれる先生。
西牧美緒 西牧さん
初対面とは思えないほど話しやすい人。
僕のことをまっきーと呼ぶ。
僕に似ている。
ほんとうの初恋の人。
僕が初めて好きになることができた人。
山瀬貴久 貴久
大学からの友人。柔道部所属。
一人暮らしをしている。語学のクラスが同じ。
同じ部活の人と付き合っている。
惚気話をよくする。
出口和也 和也
大学からの友人。空手部所属。
実家通い。語学のクラスが同じ。
アルバイトに明け暮れており、講義はほとんど寝ている。
高校時代に同じ部活だった先輩のことが好き。




