九節 恋心の自覚
秋学期の講義期間は残り三週になった。年内の二週間と、年明け後の一週間でその翌週からがテストだ。
西牧さんと話せる時間は、あまり残されていない。今日を合わせても、あと三回だけだ。
そして来週の講義日は、ちょうどクリスマスイブ。誘うのなら、今日しかない。
僕は少し早めに教室に向かった。どう切り出そうかと考えていると、だんだんと人が増えてきた。
僕は上の空ながらも、近くに座った人たちと話をした。
しばらくすると、西牧さんも教室に入ってきた。いつも一緒にいる人と、笑顔を交えて話をしている。
ふと目線を送られたが、僕はとっさにそらしてしまった。僕は自分の恋心を知ってから、どうにも以前のように振舞うことができなくなってしまっていた。
講義が始まり、最後の班分けが行われた。
僕は西牧さんと同じ班にはならなかった。こればかりは運なので、仕方がない。
しかしもう既に二回同じ班になれているのだから、これ以上を望むのは贅沢だとも思った。
僕は少し残念に思いながらも、割り振られた班に別れて話し合いを進めた。
時折視界に入る西牧さんは、班の人と楽しそうに話をしている。
それは、いつもの西牧さんの振る舞い。特別な何かがあるわけではないとはわかっているけれど、僕はどうしようもなくその状況が気になってしまった。
もっと話がしたいと思いながらも、僕はその光景を見るだけだった。
講義が終わり解散になった。教室の入り口で、西牧さんとその友だちに会った。
「あ、まっきー今日はもう帰り?」
西牧さんはいつものように話しかけてくる。
「うん」
僕は少し緊張しながら返事をした。
「じゃあ私はちょっと残ってやることあるから。じゃあね。まっきーもばいばい」
西牧さんの友だちは、手を振って去っていった。僕の呼び方が西牧さんと同じだった。
そして僕たちはまた、駅までの道を一緒に歩くことになった。
「うわ寒いね」
マフラーを身に着けながら西牧さんは言った。
「そうだね」
「ねー、さむいさむい」
西牧さんは手をこすり合わせながら、息を吐いた。
「えーっと、西牧さんはどうしてバイトをしているの?」
僕は、ありきたりな質問をした。本当に言いたいことは、これではない。
「バイトはね……うーんと、ふつうにお金のためかな。できるならバイトなんてしたくないけど、お金欲しいから」
西牧さんは、僕の前ではもう自分を飾らない。アルバイトの方針も、これなら僕は理解できる。
正直僕は、ここで幻滅をしようとしたのかもしれない。もし西牧さんがバイトに対して綺麗事を並べていたら、きっと僕の気持ちは少なからず揺らいだだろう。
だけど結果は、さらに西牧さんへの好感が上がることになってしまった。
僕はもう、後戻りはできない。
「バイトのこと聞くなんてどうしたの?」
そう言って西牧さんは、僕の顔をうかがってきた。僕は思わず、少し体をそらしてしまう。
西牧さんは、気づかなかったようでそのまま見続けたままだった。
そしてそのまま僕は少し悩んで、ごまかすのをやめようと思った。西牧さんがはぐらかさずに本音を言ったのなら、僕もまずここから、同じようにしようと思った。
「この前西牧さんが姿勢で何がわかるのと言っていたときに、おもしろい考え方してるなと思って。だから、どうしてバイトをしているんだろうって気になったというか」
僕は自分の心の内を素直に言った。
「なにそれ。まあでも、やっぱりおもしろいよね」
西牧さんは前を向いて、楽しそうに言った。
西牧さんの言葉の意図はよくわからない。からかっているようにも思う。だけど、そんなことはどうでもよかった。
西牧さんが笑ってくれるということが、その楽しそうな横顔が、何よりもうれしかった。
細くて白い手、彩られた赤い唇、肩上まで伸びた髪、飾りすぎない小綺麗な服装、大人びた考え方や、子どもじみた無邪気な笑顔、感謝を忘れない礼儀の正しさや、妙になれなれしいけれど心理的距離はしっかり保つところ、そんな西牧さんを取り巻く要素のすべてが、僕にとっては魅力だった。
そして僕は今、その声にすら安らぎを感じている。
西牧さんの楽しそうな声に、時が経つのを忘れて話をした。
「じゃあまた来週」
「うん」
「……ばいばい」
西牧さんは、笑顔を崩さないまま去っていった。
「ばいばい」
僕は一人、呟いた。結局、誘うことはできなかった。
そうして僕は、何もできないまま、今年度最後の、西牧さんに会える機会を迎えた。
何度も何度も、連絡をしようと思った。班になったときに連絡先は交換していたため、予定を聞くことも話しかけることも、さしたる苦労はないはずだった。
だけど、結局僕にそれはできなかった。
それはきっと、傷つくのを恐れたからだ。
僕は未だに、向き合えてなどいなかった。過去の自分とは向き合えたけれど、肝心の今の自分とは向き合えていない。
まだ僕は、傷つくことが怖かった。
今年最後の講義が終わると、西牧さんは僕に話しかけてきた。
「今日は帰るの?」
「……うん」
僕は静かに返事をする。
「そっか、私今日はレポートやってくから」
「そうなんだ」
「年明けてからやるのは嫌だしね。じゃあまたね、よいお年を」
「……うん。よい、お年を」
西牧さんはいつも一緒にいる友だちと、教室を出て行った。
僕は、最後の機会も逃してしまった。
――――登場人物――――
玉木悠太 僕
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
永野司 かさ
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
人との接し方が似ている。
小学生のときに転校してきた。
僕にとっては貴重な、家のことを話せる関係。
前川倖成 倖成くん
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
最初だけは僕を玉木くんと呼んでいた。
中里佳世 佳世ちゃん
小学三年生のときに知り合った。
いつもくだらないことで笑わせてくる愉快な人。
一緒にコスモスを見に行った。
中学二年生の終わり頃から話さなくなった。
浅羽慎二 慎ちゃん
中学一年生のときに同じクラスだった。
やさしい言葉をかけてくれた。
僕はそんな慎ちゃんのやさしさの在り方に、憧れを抱いている。
今井俊 今井くん
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。
それからは、距離が開いてしまった。
小林正樹 小林くん
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
勉強に打ち込んでおり、部活もしている。
高校一年生のときは室長もしていた。
修学旅行のときから、僕をたまちゃんと呼ぶようになった。
思っていたよりも、ずっと仲良くなれた。
田原友貴 友貴
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
修学旅行のとき、急に僕のことをたまちゃんと呼んできた。
おせっかいだが、悪い人間ではない。
森島さん
今井君のことを教えてくれた人。
曜子という人の友人。
友貴と付き合っていたらしい。
冷静な人のようだが、友貴に似ておせっかいな面もある。
伊藤恵 伊藤さん
吹奏楽部。フルートが上手らしい。
わかりやすい感情表現をする。
気さくな人でクラスの中心的存在。
随分と、僕を気遣ってくれていた。
僕の字を褒めてくれた。
何事も一生懸命に取り組むことができる。
江口先生
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。
気を許せる先生。
中川先生
高校二年生のときの担任。担当科目は国語。
やさしい笑顔が特徴。
いろいろと見抜かれている気がする。
あのやさしい笑顔は、葛藤の末に得たもののように見える。
人にやさしくあれる強さをもっている。
尊敬できる先生。
渥美先生
高校三年生のときの担任。担当科目は数学。
弱さを隠さない人。
だからこそ、信用できる。
人間味あふれる先生。
西牧美緒 西牧さん
初対面とは思えないほど話しやすい人。
僕のことをまっきーと呼ぶ。
僕に似ている。
ほんとうの初恋の人。
僕が初めて好きになることができた人。
山瀬貴久 貴久
大学からの友人。柔道部所属。
一人暮らしをしている。語学のクラスが同じ。
同じ部活の人と付き合っている。
惚気話をよくする。
出口和也 和也
大学からの友人。空手部所属。
実家通い。語学のクラスが同じ。
アルバイトに明け暮れており、講義はほとんど寝ている。
高校時代に同じ部活だった先輩のことが好き。




