九節 海の見える街
僕は目的地の最寄り駅で電車を降りた。
今朝は期待も高まっていたからか、早くに目が覚めた。準備も前日に済ませていたので、何もすることがなくて退屈だった僕は、予定よりも早く家を出ることにした。
そして時間を調べないまま駅まで行って、目的地に向かう電車に乗った。
このときばかりは都会でよかったと思った。
もし地元の駅で同じことをしたら、一時間は待つことになっただろう。
長い間電車に揺れられて、やっと降り立った駅から見上げた空は、あいにくの曇りだった。お世辞にも旅行日和とはいえない。
だが僕は、それほど気にならなかった。
今日は曇り空ではなく、海を見に来たのだ。曇っていても晴れていても、海は見られる。
僕はそう思いながら、人の多かった駅から離れて、海のほうに向かって歩き始めた。
海に近づくにつれて、風景から人工物が減っていく。気分がゆっくりと落ち着いていくのを実感した。
やはり僕には、自然の多い田舎のほうが合っていたのだろう。
それと同時に、僕の心には昔の懐かしい気持ちもよみがえっていった。
歩きながら、なんとなく昔のことを考えていた。
しばらく歩くと、海岸に着いた。
沖縄で見た海とは違って、黒っぽい色をしている。波も穏やかではなく、荒々しい音を立てている。
想定とは少し違っていたが、とりあえず僕は近くのベンチに腰掛けた。
そんな僕の頭の中では、ずっと昔のことが巡っていた。
僕は小学校のとき、クラスで仲間外れになった。
でも、それは僕の行いが悪かったからだ。周りの人は悪くない。
あのときの僕は、家庭での鬱憤を周りで発散していた。親や兄にされて一番嫌だったことを、僕は周りの人にしてしまっていた。
それがずっと、心に残っていた。あのときのことを、僕はずっと悔いてきた。
誰かと話しているときも、一緒に笑っているときも、その意識は常に自分の中にあった。
僕は最低の人間だ。
海のとどろきのみが聞こえる中で、僕は静かに自分の行動を振り返り始めた。
冷静に振り返ると、あのときの僕はいじめられていてもおかしくなかったと思う。
だけど、周りの人はそれをしなかった。
僕に対して、思うところはたくさんあっただろうに。僕のことが嫌いな人も、たくさんいたと思う。
だけど僕は、仲間外れになっただけで、それ以上何かをされることはなかった。
正直にいえば、あの程度で留めてくれてよかった。
きっと、あれ以上のことをされていたら、僕は自分のことを正当化してしまっていたと思う。
自分の非と向き合おうともしないで、人のせいにしていたと思う。仲間外れにされる程度だったからこそ、僕は自分を省みることができる。僕はやっと、自分の悪しき行為に目を向けることができた。
僕の周りの人は、荒れていた僕の言動をずっと我慢するような人ばかりだった。五年生のときも、六年生のときも、僕は最低なことばかりした。嫌われるようなことばかりしていた。
それなのに、僕が大人しくなったらまた話しかけてくれる人もいた。
そんなやさしい人たちに迷惑をかけてしまったことを、僕は悔いた。
そして、そのやさしさに感謝した。
もし僕の周りの人たちが、兄の同級生のような人ばかりだったら、僕は塞ぎ込んでしまっていただろう。
そうならなかったのは、間違いなく周りの人のおかげだ。
そして、そんな僕に、今となってはかけがえのない親友は、ずっとついていてくれた。
中学で同じ部活だった人たちは、小学校のときの僕を知っていても、変わった僕を見てくれた。
中学からの人たちは昔の僕のことを知っても、僕のことを受け入れてくれた。
僕は、やり直すことができた。
本当に僕は、いい人たちに恵まれている。
あのときかさが支えてくれなかったら、僕はきっと壊れていただろう。
自己を埋没させて、人の言うとおりに動く人形になっていたと思う。傷つかないように感情を殺して、誰とも向き合うことはなかっただろう。
あのときかさがいてくれたことは、僕の人生で一番のしあわせだ。
かさ、ほんとうに、ほんとうにありがとう。
昔のことを振り返っていると、もう一人愉快な人がいたことを思い出した。
結局佳世ちゃんが僕を構っていたことには、どういう意図があったのだろう。五年生のときにコスモス畑に連れて行ってくれたのは、きっと僕を気遣ってのことだと思うが。
僕は結局、佳世ちゃんのことが好きだったのだろうか。
小学校のときはたしかに、女の子の中では話していて一番楽しい人だった。中学では二年の終わり頃から話さなくなったけれど、佳世ちゃんとの会話はいつも楽しかった。
くだらない話しかしていないけれど、その二人の時間が楽しかったのは本当だった。
だったら、やはり好きだったのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
今までで一番話した女の子だったし、今でも佳世ちゃんと話したことははっきりと覚えているのだから。
中学三年のとき、僕は用があって慎ちゃんのいるクラスの教室に行った。
そのとき、慎ちゃんが佳世ちゃんと仲良さげに話しているのを見たことがあった。
僕はこのとき、特に嫉妬心などは湧かなかった。
佳世ちゃんが楽しそうにしているのなら、それでいいと思った。
相変わらず楽しそうに笑っている佳世ちゃんを見て、きっと慎ちゃんとも気が合うだろうと思った。
それに、相手は慎ちゃんなのだから、悪いことなど何もないと思った。
後日それとなく慎ちゃんに聞いてみると、べつに二人は付き合っているという仲ではないということだった。
しかし、それを聞いても僕は、慎ちゃんにも佳世ちゃんにも、特に何も思わなかった。
たとえ一瞬でもそうだと感じたはずなのに、嫌な気はせず、むしろそれでいいとさえ思った。
これが、ずっと引っかかっていた。ここで大したことは何も思わなかったからこそ、僕は佳世ちゃんのことが好きではないと思っていた。
でもこれは、僕がそういう人間だから、そう思っただけなのかもしれない。
好きな人が楽しそうにしているのなら、相手は自分ではなくてもいいと思う。
独特だとか、変わってるなどと言われる僕は、好意の在り方も変わっていたのだろう。
だからきっと僕は、知らず知らずのうちに佳世ちゃんを好きになっていたのだ。
初めて話しかけられたときからずっと、おもしろい人だと思っていた。楽しい人だとも思っていた。
そんな佳世ちゃんに、僕はいつの間にか惹かれていたのだろう。
僕にとって佳世ちゃんは、もっと一緒にいたいと思える人だったのだから。
しかしそうだとしたら、僕の初恋は始まる前に終わっていたことになる。
だけど、それもいいだろう。これが僕なのだから。
やっと気づくことができた、恋愛感情なのだから。
これからは、もっと素直に生きよう。
いい加減、過去は乗り越えて、自分のことをまっすぐ見て、前を向こう。
昔のことやこれからのことに思案を巡らせていると、日もだいぶ落ちてきていた。
そして、ふいに雨が降りはじめた。
僕は暗い海に背を向けて、急ぎ足で宿に向かった。
今日の宿泊先である、ビジネスホテルにつくと僕はすぐに眠った。
いろいろなことを考えて、随分疲れていた。
だけどそれは、悪くない疲労感だった。
次の日、僕は朝早くからビジネスホテルを後にしてまた海に向かい、海岸を歩き回った。
昨日とは打って変わって晴れた冬の海を、ゆっくりと堪能した。
潮風を受けながら、僕は輝く海を眺め続けた。
――――登場人物――――
玉木悠太 僕
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
永野司 かさ
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
人との接し方が似ている。
小学生のときに転校してきた。
僕にとっては貴重な、家のことを話せる関係。
前川倖成 倖成くん
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
最初だけは僕を玉木くんと呼んでいた。
中里佳世 佳世ちゃん
小学三年生のときに知り合った。
いつもくだらないことで笑わせてくる愉快な人。
一緒にコスモスを見に行った。
中学二年生の終わり頃から話さなくなった。
浅羽慎二 慎ちゃん
中学一年生のときに同じクラスだった。
やさしい言葉をかけてくれた。
僕はそんな慎ちゃんのやさしさの在り方に、憧れを抱いている。
今井俊 今井くん
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。
それからは、距離が開いてしまった。
小林正樹 小林くん
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
勉強に打ち込んでおり、部活もしている。
高校一年生のときは室長もしていた。
修学旅行のときから、僕をたまちゃんと呼ぶようになった。
思っていたよりも、ずっと仲良くなれた。
田原友貴 友貴
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
修学旅行のとき、急に僕のことをたまちゃんと呼んできた。
おせっかいだが、悪い人間ではない。
森島さん
今井君のことを教えてくれた人。
曜子という人の友人。
友貴と付き合っていたらしい。
冷静な人のようだが、友貴に似ておせっかいな面もある。
伊藤恵 伊藤さん
吹奏楽部。フルートが上手らしい。
わかりやすい感情表現をする。
気さくな人でクラスの中心的存在。
随分と、僕を気遣ってくれていた。
僕の字を褒めてくれた。
何事も一生懸命に取り組むことができる。
江口先生
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。
気を許せる先生。
中川先生
高校二年生のときの担任。担当科目は国語。
やさしい笑顔が特徴。
いろいろと見抜かれている気がする。
あのやさしい笑顔は、葛藤の末に得たもののように見える。
人にやさしくあれる強さをもっている。
尊敬できる先生。
渥美先生
高校三年生のときの担任。担当科目は数学。
弱さを隠さない人。
だからこそ、信用できる。
人間味あふれる先生。
山瀬貴久 貴久
大学からの友人。柔道部所属。
一人暮らしをしている。語学のクラスが同じ。
同じ部活の人と付き合っている。
出口和也 和也
大学からの友人。空手部所属。
実家通い。語学のクラスが同じ。
アルバイトに明け暮れており、講義はほとんど寝ている。




