五節 試験前
試験前最後の模試は、数学の点数がかなり伸びていた。数学は渥美先生が教えてくれたおかげだ。
先生は、僕の課外授業の時間割に空きがあることを指摘してきた。
そして「ちょうど俺もこの時間空いてるから、数学ならいつでも来い」と言って個別で教えてくれるようになった。
その他の科目はあまり変わりないが、この点数であれば、なんとか志望校にしている国公立大学は狙えそうだ。
倖成君の誕生日会は延期になった。みんな受かった後に、盛大にお祝いするということで話はついた。
かさも倖成君も、そして僕も、遊んでいる余裕はなかった。
そうして短い冬休みも終わり、国公立の一次試験が目前まで来ていた。
その日僕は最後の確認をして、早く寝ようと思っていた。学校から帰るなり、日本史の問題集を開いた。そうして古文、漢文、現代社会と全体を軽く通してみていた。
そのとき、急に部屋の扉が開いた。
「こめ」
兄はその短い言葉を放って、扉を開けっぱなしにして去っていった。
僕は否応なしに勉強が中断されたことに、かなりの苛立ちを抱いた。
ご飯の用意をしながら、僕は怒りの感情を大きくしていた。
明日は大事な試験なのに、僕にとっては一分一秒を無駄にしたくない状況なのに。
今日くらい、代わってくれたらいいのに。
僕は理解がない兄に苛立っていた。
手短に済ませて、僕はまた勉強を再開した。
そしてしばらくして英語も少し見ておこうと、鞄に手を伸ばしたところで胸が痛くなった。不意に涙が出そうになった。
もう、我慢の限界だった。僕は、この家にいるのが嫌だ。何の理解もない兄にいつも気を遣って、自分の感情を殺して生きるのが嫌だ。何かと気を遣おうとするようになった父が嫌だ。
ずっと、ずっと嫌だった。
ずっと身近にいるくせに、僕が背負った苦労を知らない兄が、父が、僕は嫌だった。
ほんとうはずっと、嫌だった。期待しないようにして、自分を押し込めて、それで何とか耐えてきた。
見ないようにしていた不満は、僕の限界まで達していた。
この家から、絶対に出たい。遠くの大学に受かって、一人暮らしがしたい。兄と父のいない生活がしたい。
ここが分岐点だ。ここさえ乗り切ったら、僕は一人暮らしができるんだ。
僕は目に浮かんだ涙をこらえて、鞄から単語帳を取り出した。
随分ぼろぼろになった単語帳を開いて、僕は勉強を再開した。
――――登場人物――――
玉木悠太 僕
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
永野司 かさ
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
人との接し方が似ている。
小学生のときに転校してきた。
僕にとっては貴重な、家のことを話せる関係。
前川倖成 倖成くん
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
最初だけは僕を玉木くんと呼んでいた。
中里佳世 佳世ちゃん
小学三年生のときに知り合った。
いつもくだらないことで笑わせてくる愉快な人。
一緒にコスモスを見に行った。
中学二年生の終わり頃から話さなくなった。
浅羽慎二 慎ちゃん
中学一年生のときに同じクラスだった。
やさしい言葉をかけてくれた。
僕はそんな慎ちゃんのやさしさの在り方に、憧れを抱いている。
今井俊 今井くん
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。
それからは、距離が開いてしまった。
小林正樹 小林くん
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
勉強に打ち込んでおり、部活もしている。
高校一年生のときは室長もしていた。
修学旅行のときから、僕をたまちゃんと呼ぶようになった。
田原友貴 友貴
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
修学旅行のとき、急に僕のことをたまちゃんと呼んできた。
森島さん
今井君のことを教えてくれた人。
冷静な人のようだが、意図はよくわからない。
曜子という人の友人。
伊藤恵 伊藤さん
吹奏楽部。フルートが上手らしい。
わかりやすい感情表現をする。
気さくな人でクラスの中心的存在。
随分と、僕を気遣ってくれていた。
僕の字を褒めてくれた。
何事も一生懸命に取り組むことができる。
江口先生
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。
中川先生
高校二年生のときの担任。担当科目は国語。
やさしい笑顔が特徴。
いろいろと見抜かれている気がする。
あのやさしい笑顔は、葛藤の末に得たもののように見える。
人にやさしくあれる強さをもっている。
渥美先生
高校三年生のときの担任。担当科目は数学。
弱さを隠さない人。
だからこそ、信用できる。




