一節 小学校編 三年生
小学校に通うようになってから、自分が周りと違うということを認識した。
僕と兄は、近くにある保育園ではなく、遠くの別の教育機関に通っていた。そこでは自分でやりとおすことを主にして、花や野菜、動物を育てたり、楽器の演奏や工作、美術などの取り組みをした。
先生は教えるだけで、ほとんど何も手伝うことはなかった。
僕は自分でやることは当たり前だと思っていた。その当たり前の行動が、周りの大人に褒められる理由がわからなかった。
そして自分と比べられる程度の人間が周りにいなかった僕は、自然と人をよく見るようになった。
音楽や図工の授業は、昔やったことの繰り返しばかりで退屈だった。学校の授業も簡単で、ずっと退屈だった。
その中で、明確に違ったことがひとつだけあった。それは新しくできた、家の近い友だちと遊ぶことだ。
今まで家の近い友だちがいなかった僕にとって、気軽に遊べる友だちの存在は新鮮だった。
そうしていつしか僕は友だちと遊ぶことに依存して、勉強を全くしなくなった。
小学校では勉強を頑張るものだと思っていた僕は、あまりの環境の温さに遊ぶことだけを考えるようになった。
そうして遊ぶだけの毎日を重ね、三年生になった。
初めて会う人もかなりいる教室を何となく見渡していると、前の席の人が話しかけてきた。
「ねえ、見てて」
前の席の女の子は長い髪を揺らしながら振り返って、僕の机を軽くたたいた。僕が目をやると、その人は自分の唾液で風船を膨らませ始めた。
「ほあー」
きれいとはいいがたいその行為を、僕は少しの不快感を抱きながら見ていた。そして、唇を覆うくらい大きく膨らませたところではじけた。
「ね、おおきかったでしょ?」
「まあおおきかったけど」
「でしょー」
そう言うとその女の子は、満足げに立ち上がって教室を出て行った。
これが、僕と中里佳世の初めての会話だった。
佳世ちゃんはいつも、何かを思いついたように急に話しかけてきた。
「これあげる」
いつものように振り返った佳世ちゃんは、僕の机の上にみかんの形をした消しゴムを置いた。
「消しゴムは自分のあるからいいよ」
「あげるって、ほらかわいいでしょ?」
僕が受け取ろうとしないのを見て、佳世ちゃんは消しゴムを転がす。
「そう思うなら自分で使いなよ」
「いいからあげるって、ほら」
佳世ちゃんは僕の筆箱の上に消しゴムを置いた。
無理やり押し付けられたが、消しゴムなら自分のがなくなったときに使えばいいと思い、おとなしくもらうことにした。
「ちゃんと使ってね」
「うん、まあありがとう」
佳世ちゃんは満足げに頷いた。
漢字テストのとき、佳世ちゃんの「世」を使う問題があった。やけに見覚えがあると感じた僕は、どこで見たのだろうと思い返していた。そうしてふと、すぐ前の椅子に貼ってある名前のシールが目に入った。
僕は悩んだ後、わざと間違えることにした。
漢字テストが返されたとき、案の定佳世ちゃんは僕に話しかけてきた。
「なんでそこ間違えてるの? ここに書いてあるのに。ほら『世』って」
「うるさいな」
当然そんなことは知っていた。だけどそこに答えがあるのに書いてしまったら、どこかずるい気がした。
それに僕は、その字を書く前に見てしまった。
「わざとだから」
「へえー、そうなんだ」
佳世ちゃんは、明らかに僕をばかにするような、嫌みな笑みをうかべた。
廊下を歩いていると、前から佳世ちゃんが走ってきた。
「ねえ、手出して」
いつもの調子で何かされると思った僕は、うかがうような視線を向けた。
「いいから!」
しびれを切らした佳世ちゃんは、僕の腕をつかんで手を出させた。
「はい、これあげる」
そして、僕の手にいちご味のあめを置いた。
「お菓子持ってきちゃだめでしょ」
「これおいしいから、私のお気に入り。今食べると見つかっちゃうから、おうち帰ったら食べて」
「わかった。まあ、ありがとう」
「はい。受け取ったからこれで一緒だね、先生に言っちゃだめだよ」
佳世ちゃんはいたずらっぽく笑った。
佳世ちゃんが、僕の反応を見ておもしろがっていることは明らかだった。
だけど、おもしろいと思っているのは僕も同じだった。
佳世ちゃんの突拍子もない行動は、いつも僕を楽しませてくれた。
僕の日常に新しく愉快な人が加わってしばらくすると、転校生が一人やってきた。
「……永野、司です。よろしくおねがいします」
緊張した様子で自己紹介をした転校生は、休み時間になるとたくさんの人に囲まれていた。
気後れしているように見えるが、なんとか話せている。これ以上囲まれたら困るだろうと思った僕は、話しかけにいくことはやめた。
「ねえ、私の話聞いてた?」
前の人がまた話しかけてきた。
「なんのこと?」
「もう、やっぱり聞いてない。私怒ってるんだけど」
聞いていたも何も、佳世ちゃんだってさっきまで司くんの方を見ていただけなのに。
理不尽な怒りを向けられながらも、僕はそれに似合わない部分があることを指摘する。
「くち笑ってるよ」
僕がそう言うと、佳世ちゃんは目を細めて思い切り笑った。
やけに楽しそうに笑う佳世ちゃんを見ながら、新しい友だちができるかもしれないという期待に、僕の表情も少し崩れた。
司くんは、あまり心を開いているようには思えなかったけれど、話せないということはなかった。何かしらがあって心が開けないことはすぐにわかったので、深く詮索することはやめた。
僕は司くんとも、周りの友だちとまったく同じように接した。そうしていくうちに、だんだんと話すようになり、いつしか「かさ」という呼び方に変わっていった。
――――登場人物――――
玉木悠太 僕
中学時代はバレーボール部。
父親と兄との三人暮らし。
永野司 かさ
小学校からの付き合い。
僕をまこと呼ぶ。
京都に住むために勉強をしているらしい。
人との接し方が似ている。
小学生のときに転校してきた。
僕にとっては貴重な、家のことを話せる関係。
前川倖成 倖成くん
中学時代は、僕と同じくバレーボール部。
二年間クラスも同じでよく話をした。
僕をまこと呼ぶ。
高校でもバレーボール部に入った。
中里佳世 佳世ちゃん
小学三年生のときに知り合った。
いつもくだらないことで笑わせてくる愉快な人。
今井俊 今井くん
僕と似た空気を感じる。
親戚の家で暮らしており、少しだけ僕と境遇が似ている。
曜子という人ともめたらしい。
一年生の文化祭のときに、曜子という人ともめた話を聞いた。
それからは、距離が開いてしまった。
小林正樹 小林くん
昔やっていたゲームの話をした。気が合わないわけではない。
勉強に打ち込んでおり、部活もしている。
高校一年生のときは室長もしていた。
修学旅行のときから、僕をたまちゃんと呼ぶようになった。
田原友貴 友貴
中学は同じだが、話したのは高校受験の日が初めて。
部活をやっている。坊主頭。
修学旅行のとき、急に僕のことをたまちゃんと呼んできた。
森島さん
今井君のことを教えてくれた人。
冷静な人のようだが、意図はよくわからない。
曜子という人の友人。
伊藤恵 伊藤さん
吹奏楽部。フルートが上手らしい。
わかりやすい感情表現をする。
気さくな人でクラスの中心的存在。
随分と、僕を気遣ってくれていた。
僕の字を褒めてくれた。
何事も一生懸命に取り組むことができる。
江口先生
高校一年生のときの担任。担当科目は国語。
役者めいた話し方をする人。
表面を繕って核を守る振舞いが、僕に少し似ている。
中川先生
高校二年生のときの担任。担当科目は国語。
やさしい笑顔が特徴。
いろいろと見抜かれている気がする。
あのやさしい笑顔は、葛藤の末に得たもののように見える。
人にやさしくあれる強さをもっている。
渥美先生
高校三年生のときの担任。担当科目は数学。
弱さを隠さない人。
だからこそ、信用できる。




