最後のダンジョン
「はー、いよいよか……」
明けて翌日。準備を整えた俺達は、ダンジョンに潜るべく町を歩いていた。
「そうじゃな。早く行くのじゃ」
俺達の足は、自然と早歩きになっている。だがそれは新たなダンジョンに対する期待や不安……それだけではない。
「この町でモタモタしてたら、あっという間にスッカラカンになってしまうデス」
物価が、思った以上に高かったのだ。ほぼ全ての物が二倍から三倍の値段になっているばかりか、肉などの生鮮食品は一〇倍の値がついているものすらおかしくなかったからである。
「まさか肉串一本が二〇〇〇クレドとはな……俺の人生で一番高かったぞ」
「じゃがあまり美味くなかったのじゃ。何だかパサついておったのじゃ」
「食べられるようになっただけで、食べなきゃ駄目にはならなかったことに、ゴレミは心から感謝したデス」
最初は「何だこのぼったくり、ふざけんな!」と思ったのだが、周囲の店を見ても皆同じような価格帯でしか売っていない。どういうことかと話を聞いてみると、この近辺では動物も植物も存在しない……つまり肉も野菜も取れないので、魔導具を用いて冷やしたり凍らせたりして運んでいるのだそうだ。
そのせいで輸送コストがアホほどかかっており、この値段が適正なのだと説明された。
確かにいつ取れたかわからない腐った肉を食わされるよりは、高くてもちゃんとした肉を食えた方がいい。それに町にいるというのに、干し肉や保存食の類いばかりを食べるというのも気が滅入ってしまう。
なので俺達は、泣く泣く高い金を払って飯を食ったわけだが……それが一回二回ならともかく、ここで暮らしている間はずっとかかるわけだからたまらない。もしフラム様から手付金を貰っていなかったら、俺達はあっという間にこの町から退去する羽目になっていたことだろう。
「一〇〇〇万クレドは大げさだと思ってたけど、必要な援助だったな」
「もっと町の人数が増えれば大規模な商隊も増えるじゃろうし、転移門が建設、稼働すればそちらからの輸入も成り立つじゃろうが、どちらも一月やそこらでは整わぬものじゃしな」
「それでも探索の進んでいない大ダンジョンとなれば、そこかしこに色んなチャンスがゴロゴロ転がってるのデス。不便を押してでも挑む価値は十分にあるのデス」
「ははは、そりゃそうだ」
誰かが歩いた安全な道をたどることで日銭を稼ぐのも悪くはねーが、誰も知らない場所を自分の足で歩いてこその探索者。何より暗闇の向こうには危険な罠や魔物だけでなく、お宝だって大量に眠っている。
だが未知に挑める機会はそう多くない。ましてやそれが大ダンジョンとなれば、生涯一度どころか歴史上で幾度というレベルである。このチャンスを「ちょっと不便だから」程度で見逃すのはあまりにも勿体ない。
そんな事を考えてこっそり口元をにやにやと緩めていると、程なくして俺達の前にダンジョンの……<原初の星闇>の入り口が近づいてきた。
「しかしこれ、本当にスゲーな」
「見れば見るほど不思議なのじゃ」
見上げた先にあるのは、直径一〇メートルほどの黒い球体。周囲を黒いもやに覆われたそれは地上から三メートルほどの高さに浮かんでおり……そしてそれが、この<原初の星闇>の全てだ。
「<底なし穴>だって事実上入り口しか見えなかったけど、それにしたってこんな小さい物のなかに、広大なダンジョンが入ってるってのはなぁ」
「見た目の大きさなんて大した問題じゃないのデス。偉い人にはそれがわからないのデス」
「ぬあっ!? 何故急に妾は責められたのじゃ!?」
「いつものやつだから、別にローズに言ったわけじゃねーんだろ。んじゃ行くか」
そう言って、俺は球体の前に設置された木組みの簡易階段を上っていく。たった一〇段の階段を一歩一歩踏みしめて球体の前まで辿り着くと、まずは軽く手を伸ばしてみた。
すると黒いもやはひんやりとした感触があり、その奥にある黒い球体に触れると、まるで水のように表面が波打つ。
「うおっ!? 見た目は炎っぽいのに、冷てーのか」
「見た目は金属のようなのに、水のように体が沈み込むのじゃ。これ本当に入っても大丈夫なのじゃ?」
「男は度胸、女は愛嬌、そしてゴレミは最強なのデス! 迷うならゴレミが先導するのデス! マスターの分身が立ち上がるのデス!」
「あ、ちょっ!? おい、ゴレミ!?」
「ぬあっ!? 妾も行くのじゃ!」
俺が制止するより先に、ゴレミがサッと黒い球体の中に飛び込んでいく。なので慌てて俺達も追いかけると……その先に広がっていたのは星空であった。
「……………………」
<永久の雪原>の夜空は大きな月が輝いていたが、ここにあるのは無限の星。しかもここには、地面がない。いや、正確には俺達の足下には幅三メートルほどの石? 金属? とにかく硬い床があるのだが、それ以外の全てが星空になっていたのだ。
「こいつぁ…………スゲーな……………………」
「美しいのじゃ……そして怖いのじゃ…………」
吸い込まれそうなほど美しく、飲み込まれそうなほど恐ろしい。その圧倒的な光景に俺とローズが呆けていると、すぐ前にいたゴレミがクルリと回って俺達の方に向き直り、歓迎するように両腕を広げてその口を開く。
「ようこそマスター、ローズ。ここが世界で最後のダンジョン。いつか来る誰かを待ち続けた、傲慢な夢の終着点。こんなに早く来るとは思っていなかったデスけど……でもマスター達となら、いつかきっと来られると信じていたデス」
「ゴレミ?」
「ふふ、気にしないで欲しいデス。今のはただの独り言デスから、いつも通りにスルーしてくれればいいのデス」
「……ふっ、そうか」
微笑むゴレミに、俺は苦笑しながらそう口にする。気になること、聞きたいことが幾つもあったが、それを聞くのはきっと今じゃない。なので俺は何かを言いたそうなローズの肩を叩きつつ、自分の手を握ったり開いたりしてみる。
「……ふむ? 確かにちょっと力が弱くなってる、か?」
「妾はあまり変化を感じぬのじゃ。ということは、妾はこの一年ちょっとでまったく成長しておらぬということなのじゃ!?」
「昔に戻るのは能力だけで、感覚ではないからだと思うデス。ローズが頑張ってきた魔力を扱う感覚は、能力が落ちることと関係がないのデス。魔力自体はちょっと減ってるかも知れないデスけど、ローズの元の魔力を考えると誤差レベルなのデス。
ただ持久力というか、基礎体力は割とガッツリ落ちてると思うデス。そこは注意した方がいいのデス」
「なるほど、そういうことなのじゃ。確かにほんのり魔力が減ってる気はするのじゃ。体力は……走り回ってみればわかるのじゃ?」
「いやいや、これからダンジョンに潜ろうってのに、入り口で疲れ果ててちゃ駄目だろ。俺だってまんべんなく身体能力が落ちてるだろうし……ゴレミは弱体化するのか?」
「いえ、ゴレミは魔導具枠なので、弱体化の対象外なのデス。マスターの装備が新品に戻ったりしないのと同じなのデス」
「ほーん。ま、弱くならねーってことならいいけどな。あ、でも、それだと成長も――」
「しないデス。素のゴレミだと一五、六層くらいから少しずつ厳しくなってくると思うデス。
でも、このダンジョンならゴレミの拡張パーツも手に入るデス! それを装備していけば、このダンジョンのなかでだけならずーっとマスター達と一緒に戦えると思うデス!」
「それは朗報なのじゃ! のうクルトよ?」
「だな。ま、そもそもそんな奥まで潜れるかもわかんねーし、先のことは今心配しても仕方ねーだろ。それより今は……」
言って、俺は前方に目を向ける。床の継ぎ目からじわりと滲み出てきた何かが、スルスルと人のような形を成していく。
「早速敵さんのお出ましらしいぜ?」
「入り口付近すら安全ではないのじゃ!?」
「人気者は辛いのデス!」
俺はスラリと腰の剣を抜き、ゴブリンっぽい形をした黒い魔物にその切っ先を向けた。





