約束の蒼穹
「ぬぉぉぉ、超痛いデス! 手首が! 手首がグキッてなったデス!?」
違う、そうじゃない。確かに俺はゴレミに治って欲しいと願ったが、人になって欲しいと思ったわけじゃない。
だが実際に、俺の目の前でゴレミが女の子になった。その事実を受け入れるためにも、俺は大股開きで足をバタバタさせ、手首を押さえながらのたうち回る少女に確認の声をかけねばならない。
「お前、ゴレミ……なのか?」
「ふーっ! ふーっ! 漸くちょっとよくなってきたデス……あ、はい。そうデスよ? マスターの寂しい夜を慰める、ダンジョンワイフのゴレミなのデス!」
「あー、うん。ゴレミだな」
その残念な言動に、俺は間違いなくこいつがゴレミであることを確信した。身長は一六〇センチくらいまで伸びていたが、顔つきは石の頃のゴレミの面影が色濃く残っているし、何よりこんなアホなことを言うのはゴレミだけだ。
はは、そうか。何だか全然わかんねーが、とにかくゴレミが助かったなら、ひとまずはそれで――
「ブフォォォォ!」
と、そこであまりにも訳のわからない状況に呆然としていた武装オークが、苛立たしげな鳴き声をあげる。そのターゲットは俺……ではなく、ゴレミ!?
「っ!? ゴレミ、逃げろ!」
「ふっふっふ、大丈夫デスよマスター。変身バンクを終えた後で、ヒロインがこんな雑魚に負けるわけないのデス!」
「ブフォォォォ!」
「ひゃあ!?」
得意げにそう言ったゴレミが、オークの振り落とした剣を悲鳴をあげながら辛うじてかわす。どう見ても余裕っぽい雰囲気ではない。
「び、ビックリしたデス! お返しのゴレミ、キーック!」
「ブフォ?」
「いってーデス!? 臑が、穀潰しのニートに三〇年囓り倒されたくらい臑が痛いデス!?」
ペチッと音がしそうな蹴りを受けたオークは不思議そうに首を傾げ、代わりに蹴った方のゴレミがまたも床に転がる。どう見ても余裕っぽい雰囲気ではない。
「ちょっ、おかしいデス!? 普通こういうのは超パワーアップしてるんじゃないデスか!? 変身したのに弱体化とか聞いてないデス! ただの女の子に戻るタイミングは、マスターとの新婚初夜なのデス!」
「ゴレミ!? くっ……」
焦るゴレミを助けるために体を起こそうとしたが、その瞬間肩に走った痛みに一瞬意識が遠のく。くそっ、せめてこの怪我を……!?
「チッ、俺は馬鹿か!?」
悪態を吐きながら、俺は動く右手で鞄を漁り、回復薬を取り出す。ゴレミ達と合流できたのだから、もうこれを温存する必要はないのだ。
「ぐっ……」
中身の三分の一程を肩の傷に服の上からかけ、残りを飲み干す。するとすぐに痛みが治まり、血を流しすぎたことで生じていた倦怠感も薄れていく。万全にはほど遠いが、これなら十分動ける!
「ひゃぁぁ!? 美少女には優しくしないと駄目デスよ!?」
「ブフォォォォ!」
「ゴレミっ!」
俺は強引に起き上がると、ゴレミの体に飛びついてオークの攻撃から救い出す。するとゴレミに触れた瞬間、俺の中に謎の声が聞こえてくる。
――主の魂との接続を確認。武装の封印を限定解除します。
「な、何だ!?」
「これは……っ!? マスター!」
「……ああ!」
頭では何もわからない。だが心では何をすべきかわかった。俺はダンスでも踊るかのようにゴレミと向かい合うよう立つと、繋いだ右手を前に出す。するとその手の中に現れたのは、水滴が二つくっついたみたいな形で、鏡のように空を映す青く輝く巨大な弓。俺とゴレミは左腕を絡めて組み、互いの手を合わせながら弦を掴んで引き絞る姿勢をとる。
「マスター、歯車を!」
「おう! <歯車連結>!」
俺は剣にそうしたように、弓にも歯車を繋げる。するとそれはガッチリとはまり……だが全く回る気がしない。
「おいゴレミ、これスゲー重いぞ!?」
「魔力が全然足りてないデス!」
「魔力ったって、そんなの――」
「なら妾の出番なのじゃ!」
「「ローズ!」」
俺とゴレミの間に、ひょこっとローズが入ってくる。弦を掴む俺とゴレミの左手を、ローズが両手でそっと包み込んできた。
「さあ、これでいけるはずなのじゃ! 妾の魔力、全部もってけーなのじゃ!」
「うぉぉぉ、回れぇぇぇぇぇぇ!!!」
ローズの力を借りて歯車が回り始め、弦がグングン引き絞られていく。当然その先にいるオークが黙って見ているはずもなく、俺達に殴りかかってきているのだが、その攻撃は青く輝く障壁によって全て受け止められている。
「ブフォォォォ! ブフォォォォ!」
「ふふーん! わかってないデスねブタ公! 必殺技ムービーの間は無敵に決まっているのデス!
二人共、準備はいいデス?」
「いつでも行けるぜ!」
「妾もバッチリなのじゃ!」
引き絞られた弦に、光り輝く矢が生まれる。青い矢羽根と真っ赤なシャフト、その先端には二つが十字に組み合わさった形の歯車がついている。
「……これ刺さるのか?」
「この場面でそんなことを気にするのじゃ!?」
「マスターは本当に、思考までしょぼくれているのデス!」
「えぇ……?」
「でもそんなマスターが、ゴレミは大切で大好きなのデス!」
「っ!? お、おぉぅ……」
「妾もゴレミのことが好きじゃぞ! 勿論クルトのこともまあまあに好きなのじゃ!」
「まあまあかよ! いや、いいんだけどさ」
そんな会話をかわす間にも、矢の先端についた歯車がドンドン回転数を上げていく。その回転は風を巻き込み音を巻き込み、光すら巻き込んで輝きを増す。
「……ずっと、ローズが羨ましかったのデス。ゴレミだってそれなりに活躍しているつもりデスけど、でも一番肝心な時は、いつもマスターとローズが協力していて……ゴレミはそれを横で見ているしかできなかったのデス」
「ゴレミ……」
「むぅ……」
「でも、もう違うのデス。ゴレミも一緒に戦えるのデス。マスターと、ローズと、三人一緒に……こんなに嬉しいことはないデス!」
「それは妾も同じなのじゃ! 皆で協力するのは最高なのじゃ!」
「ならその最初の一発は、しくじれねーな?」
潤む瞳から涙を一雫こぼしたゴレミに、俺はニヤリと笑って言う。するとゴレミは輝く笑顔でそれに応える。
「モチのロンなのデス! ゴレミ達の新たな門出の祝砲、ブタ公如きには勿体ないデスけど、くれてやるデス!」
俺の顔が前を向く。横など見なくても、全員が同じ場所を見ているのを感じる。オークなんて目じゃない。ずっとずっとその先の世界を、俺達は見据えている。
「それじゃ、行くデス…………届け、『約束の蒼穹』!」
三人の手が、揃って離れる。そしてその瞬間、三位一体となった矢が放たれた。
「ブフォァァァァァァァ!?!?!?」
「うひぃぃぃぃぃぃ!?」
吸い込んだ光が歯車の回転で分離し、虹をたなびかせながら飛翔する『約束の蒼穹』の矢に貫かれ、オークが断末魔の悲鳴をあげる……あと背後から何か別の悲鳴も聞こえた気がするが、まあそれはそれとして。
「…………ん?」
見える全てを貫いて飛んだ矢は、しかしダンジョンの壁や床にかすり傷一つつけるどころか、目の前のオークすら傷を負った様子がない。嘘だろ、このテンションで失敗した!?
「おいゴレミ、こいつは……」
「問題ないのデス。『約束の蒼穹』の矢は心を打ち出し、相手の魂に直接衝撃を加えるのデス。だからあの魔物は、もう既に終わっているのデス」
「ア…………ア……………………」
目の前のオークが、まるで溶けるようにダンジョンの霧と化していく。俺を、ゴレミを死の淵まで追いやったオークは、そうして魔石すら残さずこの世界から存在しなくなった。
「ふぅ……ゴレミ達の大勝利なのデス!」
空色の大弓が消えると同時にそう言って笑うゴレミの顔は、子供の頃に見上げた青空のように晴れ渡っていた。





