アン・ロック
今回は一人称と三人称が入り交じっております。ご注意ください。
白いコートの左側を真っ赤に染めて床に座り込むクルトと、そんなクルトに向けて大剣を振り上げるオークスローター。主の危機を明確に認識し、ゴレミの思考速度が通常の何千倍にも跳ね上がる。
彼我の距離はおよそ四〇メートルほど。万全な状態ならまだしも、今の大きく破損した体ではどうやっても攻撃阻止が間に合わない。
不可能。不可能。瞬きの間にありとあらゆる可能性を模索し、しかしいかなる手段を用いても自分にはクルトを救えない。
ならば諦めるか? 答えは否。自分だけで無理ならば、他人の力を借りればいい。どんな犠牲も厭わないなら……まだ可能性がある。
「ぶっ飛ばすデス!」
誰が、何を、どうやって。必要最低限を下回るたった一言に、しかしローズは閃いた。ゴレミには及ばずとも、自分もまたどうすればクルトを救えるかを必死に考えていたからこそ、その唯一の手段に自然と思考が辿り着いたのだ。
「ファイヤーボール!」
故にローズは過程も結果も考慮せず、ただ行動だけを最速で起こした。前に跳んだゴレミの背中を強烈な爆発が後押しし、ゴレミの体が文字通り吹き飛ばされる。
代償は大きい。衝撃の強さにゴレミの体は大きくヒビ割れ、何本もの金属矢が刺さっていた足は砕けて落ちる。だが当のゴレミは「体が軽くなった分だけ早くクルトの元に辿り着ける」とそれを喜び、残った右手を折り曲げて肘からオークスローターに突っ込んでいく。
現実的な話をするなら、その決死の突進に大した意味はない。確かにゴレミほどの質量が猛然とぶつかれば、如何にオークスローターとてよろけるくらいはするだろう。
だがそれだけだ。敵を倒せるわけではないのだから、その先に待っているのはとどめを邪魔され苛立ったオークスローターに、クルト共々壊される未来しかない。
そんなことくらい、ゴレミにだってわかっていた。だがわかっていたからといって、どうでもよかった。たとえ数秒でもクルトの命を延ばせるなら、自分の犠牲など関係なかった。
「マスター!」
宙を舞う二秒。故にゴレミはその叫びに、自分の全ての想いを込めた。
――ああ、またこれか。
俺の頭をよぎったのは、そんな諦めにも似た感情だった。妙にゆっくりと感じられる時の流れのなか、ボロボロのゴレミがローズの魔法でこっちに吹き飛んでくるのが見える。
何だよ。スゲーボロボロじゃねーか。せっかく俺が脱出できるように歯車を残したってのに、そんなになるまで無茶して俺を助けに来たのか?
そりゃまあ、逆なら俺だって助けに行くぜ? でもほら、自分が来てもらう側になると、ここまでされたら流石に申し訳ないというか……なぁ?
――俺はまた、何もできないのか?
それにやたら頭は回るが、体の方はピクリとも動きゃしない。安心して気が抜けた? それとももう駄目だと諦めた? 動かねーならどっちでも同じだが……
――俺はまた、失うのか?
……駄目だよなぁ。こいつはよくねーよ。だってこのままじゃ、ゴレミが壊れちまうじゃねーか。それは嫌だ。スゲー嫌だ。絶対に……絶対に嫌だ。
――なら抗え
俺の視界が狭まっていく。俺の思考が先鋭化していく。体の痛みも俺を殺そうと剣を構える豚野郎も、ゴレミの存在以外の全てが、俺の世界から消えていく。
――なら救え
だが、今の俺に何ができる? 剣を離して手を伸ばせば、ゴレミに触れるくらいはできるだろうが……ん? 剣?
――できると信じろ
……ああ、できるさ! 俺ならできる!
俺の中で、無数の歯車がガチッと噛み合う。瞬間全身に寒気が走るが、その正体を俺はもう知っている。
ならば御せるはずだ。命を切り替え、一回転。するとこの場から『逃げる』ために、俺の上体が捻られ、その勢いで右腕が引かれる。
もう一回転。『剣を振るう』ように俺の腕が動き、折られた右腕がまっすぐに伸びる。
更に一回転。その途中で手を緩めれば、すっぽ抜けた剣が『投げ』られる。
合計三回。襲い来る寒気に胃がひっくり返りそうになるのと引き換えに、俺の剣は矢のように飛んでいく。それは豚野郎の脇を通り抜け……ゴレミの顔面に突き刺さった。
加速された思考の中で、ゴレミは当然クルトが投げた剣が自分に向かって飛んできたことに気づいていた。空中にいるゴレミにそれを回避する術などなく……しかしゴレミに焦りはない。
いや、そもそも回避しようという考えすら、ゴレミのなかにはなかった。まっすぐに自分を見つめるクルトの想いに応える。それより大事なことなどゴレミにあるはずがなかった。
故に剣はゴレミの顔に当たると、そのまま体を串刺しにしていく。しかし自身を貫く刃にゴレミが感じたのは、熱く優しい魂の力だった。
あの夜、オヤカタさんは言っていた。本来のこの剣は『何にでもなれる』と。自分の技術ではそこまで届かなかったとも言っていたけど、俺の体の一部と認識して変形するくらいのことはできている。
ならもう一歩、その先にもいけるはずだ。俺と剣は<歯車>で繋がっている。俺とゴレミも<歯車>で繋がっている。同じだ。同じものだ。なら俺とゴレミが魂で繋がれれば、剣とゴレミも繋がれるはず!
『<歯車連結>!』
言葉ではなく魂で、俺は叫ぶ。突き出した拳をグッと握り、ゴレミと剣の繋がりに向かってスキルを発動する。
そうとも、足りないなら足せばいい。壊れてるなら治せばいい。必要な絆は、ちゃんとここにある!
「ゴレミ!」
全身全霊を振り絞った叫びに応えるかのように、ゴレミの体が光に包まれた。
(これは……っ!?)
自分の体に起きた変化に、ゴレミは内心で驚愕の声をあげる。体を貫いたはずの剣が、まるで液体のように溶けてしまったからだ。
全身に生じていた細かいヒビに、溶け出した剣が行き渡っていく。それはまるで石の体に新たな神経が張り巡らされていくようで……「生まれ変わる」としか表現できないその感覚に、ゴレミはコアが焼き切れんばかりの感動を味わっていた。
(凄いデス! マスターの想いが熱すぎて、火傷しちゃいそうなのデス!)
やがて全身を満たしてなお、それでも力の奔流は止まらなかった。更に更に膨れ上がり、石の体がピシピシと悲鳴を上げ始める。
(あ、あれ? これひょっとして、力が溢れ過ぎて爆発するやつデス!? それは駄目デス! 今時そんなの流行らないのデス! 爆発オチなんてサイテーなのデス!)
感動が、焦りに変わる。元々ここで果てる覚悟ではあったが、この感じからの爆発はちょっと違う。しかし焦ったところで力の増幅が止まるわけではなく……遂にゴレミの心臓部たるゴーレムコアが限界を迎え、小さな亀裂が走った。
(あわわわわ、ヤバいのデス! それは本当に駄目なのデス!)
体はともかく、コアは自己修復の対象にならない。外見上は今も格好よく宙を舞っているものの、内心ではジタバタと手を振るゴレミだったが……コアの亀裂に剣が変じた虹色の液体が染み込んだ時、ゴレミのなかで何かが語りかけてくる。
――ロックゴーレム、イリスのコアにマスター・キーの接続を確認。受け入れた場合、ゴーレムコアに不可逆の変化が生じます。それを望まない場合は拒否してください。
どうしますか?
(何デスかこれ? でも、こんなの……)
『受け入れるに決まってるデス!』
頭のなかに開いた青い窓。そこに表示されていた「Accept」という赤い文字を力一杯叩くと、ゴレミの体から光が噴き出す。
――接続を承認しました。ゴーレムコアをリンカーネイトコアへと再定義。それに伴い特種権限の必要なアプリケーションの使用が許可されます。
――鍵は開かれた。其はもはや岩に非ず。
――『イリス・ザ・セブンス・レインボウ』、起動。
眩い閃光がダンジョンを埋め尽くし、誰もがその目を閉じた時。光の繭を破って現れたのは、空のように青い髪と海のように蒼い瞳を宿し、青いミニスカメイド服に身を包んだ少女。
「ゴレミ、パーンチ…………ぃぃぃぃったいデスぅ!?」
飛ばされた勢いのままオークスローターの堅牢な体に素手でパンチをかまし、手首を捻ってその少女は、その激しい痛みにパンツ丸出しで床に倒れて転げ回るのだった。





