Sideクルト:怪しげな箱
「ふぅ、食った。さて、これからどうするかな……」
すぐ側にどうやっても勝てない魔物がいるという不安な夜を乗り越えて迎えた朝。 手持ちの携帯食で簡単に腹を満たすと、俺は改めてこれからのことを考え始めた。
手持ちの食料は、今のでほぼ終わりだ。もっと細々と食いつなぐことも考えなかったわけではないが、そもそも救助が見込めないのに「生き延びること」を前提にしても意味がない。
なので今回は思い切って食べた。つまりもう後がないわけだが、代わりに今の俺はほぼ万全の状態に近い。一か八かの大勝負に出るなら今しかないのだが……
「うーん…………」
昨日見た武装オークの姿を思い出し、思わず顔をしかめる。万が一……比喩ではなく、本当に万に一つくらいの確率でなら、あのオークの横をすり抜けられる可能性はゼロじゃない。
が、問題はその後だ。昨日も軽く想像したことではあるが、そもそもたった一体の魔物を回避できただけでは意味がないのだ。どれだけ続くかわからないダンジョンを、たった一人で駆け抜けて地上まで戻る……それがどれほど困難かは、今更言うまでもない。
「今までの経験からすると、一層を通り抜けるのにかかる時間は、道がわかってる状態で一〇分から二〇分くらいか? 深い層なら広くなるからもっと時間かかるだろうし……
となると一切魔物に遭遇せず、ここから先全ての階層で奇跡的に階段から階段までの最短距離を進めるなら、一日で三〇層くらいは進める計算だが…………ははっ」
あまりにも都合のよすぎる考えに、思わず変な笑い声が漏れる。これならまだ三日で一〇〇億クレド稼げとかの方が現実味がありそうな気がする。いや、どっちも無理って意味じゃ同じだけれども。
「うーーーーーーーーん……………………」
なので俺は、もう一度唸る。それしかないのはわかってるんだが、流石にこれじゃ自殺と変わらない。やはりもうちょっとくらいは生存確率をあげられる手札が欲しいところなんだが……
「…………やっぱりアレか?」
俺の視線の先には、部屋の片隅に置かれた茶色い箱がある。ずっと気になっていたがあえて無視し続けていたそれは、おそらく宝箱の類いなんだろう。
つまり、中に何か入っていると思われる。なら何故今まで開けなかったかと言えば、それが宝箱だからだ。
「でもなぁ。あんなアホみてーな罠に嵌まったあと、宝箱はなぁ…………」
ダンジョンの宝箱には、罠が仕込まれていることがある。定番のところだと毒の塗られた針が飛び出したり、蓋を開けると毒の霧が噴き出したり、あと爆発したりでかい音が鳴ったりだな。
そして俺には、罠を見分ける技術も解除する能力もない。今は助けてくれる仲間もいねーし、こんなところにある宝箱に罠がないはずがないので、開けたらほぼ間違いなく死ぬだろう。
だが反面、ここが本当にダンジョンの深層であるというのなら、箱の中身はこの状況を打開できるような強力な装備や魔導具だったりする可能性もある。
「開けたら高確率で死ぬ。開けても中身が大したことないものだったら死ぬ。開けずに魔物に突っ込んでも死ぬ……何やっても死ぬなら、これが最初の運試しってところか」
あえてそう言葉にしながら、俺はずっと無視していた宝箱の方に近づいていった。箱に向かって手を伸ばし……しかし震える俺の手は、なかなか箱に触れられない。
「へ、へへへ……ビビってんじゃねーよ。探索者になったその日から、いつか死ぬことくらい覚悟済みだろ?」
左手で右手を掴み、その震えを無理矢理に止める。戦闘中とかの興奮してるときならともかく、こうして冷静な状態で「死」を突きつけられるのは、やはり怖い。
ああ、怖いさ。怖いに決まってる。まだ一七歳だぞ? 死にたくねーに決まってるじゃねーか!
だがこの恐怖を乗り越えた先にしか、俺が生き延びる道はない。いつの間にかガチガチと鳴っていた歯を食いしばり、俺は箱の蓋に手をかけ、力を込める。すると箱が……………………開かなかった。
「……ああ、うん。そりゃ鍵はかかってるよな」
俺に鍵開けの技術はない。何かこう、細い金属の棒みたいなのを突っ込んでカチャカチャやると開くという漠然としたイメージはあるが、そんな都合よく細い棒とか持ってねーしな。
あれ? 罠とか以前の問題か? これどうすれば……?
「あー…………あっ、ひょっとしてこれでいけるか? <歯車連結>、<解錠>」
俺は腰の剣を抜くと、切っ先を鍵穴に押し当ててから「鍵」としての歯車を嵌め込み、力を込める。すると切っ先からウニョッと細く金属の棒が伸びて、箱の鍵穴に入り込んでいく。
「うわっ、気持ち悪っ!? ええ、そういう動きになるのかよ……まあでも、確かにこれなら小さい鍵穴にも入るわけか。なら後は……こう、か?」
伸びた切っ先と箱の鍵がかっちり噛み合った手応えを感じ、俺は剣を傾けていく。だが中腰になりしゃがみ込み、剣の柄が床に接触してもなお、まだ鍵が開かない。
「いやいや、これ以上回んねーだろ。どうしろってんだよ!?」
箱を持ち上げてみようとしたり、剣の角度を調整してみたりと悪戦苦闘した結果、一〇分ほどしたところで「斜めに指したから駄目なんだから、最初から剣が鍵穴と垂直になるようにして能力を発動すればいい」ということに気づいた。
「……………………」
ここには俺しかいねーのに、何故かゴレミが指差して大笑いしてくる幻影が見える。いや、それとも生暖かい目で慰めてくるか? ええい、被害妄想に囚われるな!
俺はブンブンと頭を振って幻影を振り払うと、改めて鍵穴に垂直に剣を突き立ててから能力を発動する。すると今度もまた鍵穴に伸びた先端が入り込み、今度は柄を回すことで普通に鍵も回る。
そうして剣が一周したところで、カチッという軽快な音と共に箱の鍵が開く手応えが伝わってきた。
「よし、開いた! さて……いや待て待て待て、まだ罠の可能性もあるだろ」
幸いにして鍵穴に罠はなかったようだが、蓋を開けた瞬間ボカーンとかボフンとか、ウォォーと音が鳴り響く可能性はまだ残っている。
「爆発と毒霧は、離れてれば何とかなるか? アラームは……ふむ」
俺は着ていたコートを脱ぐと、宝箱に被せる。これなら多少の衝撃は防げるだろうし、音も少しくらいは遮ってくれるのではないだろうか? 毒霧の場合は逆にコートの中に籠もってしまって危なそうだが、全部に対応することなどできない。その場合は買ったばかりの高級コートを貴い犠牲ということで諦めよう。なに、死なないなら安いもんだ。
「さあ行くぜ。出るのはオーガかドラゴンか…………ていっ!」
十分に距離を取ると、俺は腕を目一杯に伸ばし、腰から外した剣の鞘でコート越しにつついて宝箱の蓋を……開けた!
「……………………?」
開けた。確かに開けたはずだが、特に何も起こらない。恐る恐る近づいて、まずはコートを引っ張ってたぐり寄せ調べてみたが、焦げたり異臭がしたりもしていない。俺の体調がおかしくなることもないので、無味無臭の毒霧ということもなさそうだ。
「え、罠なし、か? マジで!?」
あんなヤバそうな魔物がいる層なのに、まさかの罠なし宝箱。俺は再びコートを着込むと、改めて宝箱に近づいていった。さっきコートを引っ張ったせいで蓋が閉じてしまっていたので、改めてそこに手をかける。
「おいおいおいおい、ツキが回ってきたのか? なら待望のご対面といこうか! さあ、中身は……………………?」
カパッと蓋を開けば、ダンジョンの謎の光源に照らし出されたのは長くて茶色い物体と、透明な瓶に入った謎の液体。これは――
「…………パン? それにこっちは瓶入りの液体?」
片方は、ぱっと見ごく普通のパンだった。手に取ってみれば柔らかい感触が指先に伝わり、しかもほんのり温かい。軽く千切って断面を観察したり匂いを嗅いだりした後、意を決して口に放り込んでみたが……普通に美味い。
「…………パンだな。え、じゃあこっちは?」
ならばと瓶の方を手に取り、蓋を開けて匂いを嗅ぐも無臭。床に垂らすとただしめるだけで変な煙が上がったりもしない。手のひらに垂らし、覚悟を決めて舌で触れるも味はなし。わずかに口に含んで一分待ったが、舌が痺れるということもない。
「何の効果もない水……え、水? まさか水か? ただの水!?」
起死回生の一手を求め、決死の覚悟で開いた宝箱がただのパンと水。そのあまりに衝撃的な事実に、俺は思わずがっくりと膝を突くのだった。





