時間の価値と使い道
既に地図ができあがっているということもあり、五層に辿り着くのはあっという間だった。加えて「お宝探し」の間に下り階段を見つけていたので、二時間も掛からず一行は六層へと降り立つ。
そこから先は再びローズが魔導具で道を調べながら進むことになったが、まだまだ浅い層ということもあり、魔物の強さは片腕になったゴレミでも十分に対処できる範囲。加えてジャッカルの個人戦闘力はクルトよりもずっと上だったため、その後も早ければ三〇分、遅くても三時間ほどで一つの層を突破し、次の層へと移動していく。
だがそんな順調な旅路は、ゴレミ達が予想していたよりもずっと早く躓くことになる。
「チッ、またかよ」
<底なし穴>、第一一層。先頭を歩くジャッカルが、目の前の床を見て忌々しげに舌を鳴らす。そこにははっきりとわかる太い黒線が両開きの扉のように引かれており、そこに足を踏み入れればパカッと開いて人生が終わるということを、ジャッカルは経験から知っていた。
それは落とし穴。一一層から先は、通路に罠が出現するのだ。
「はぁ、これで迂回させられんの何回目だ?」
「むぅ、すまぬのじゃ。妾が事前にわかればよいのじゃが……」
「仕方ないのデス。ローズのその魔導具じゃ、落とし穴はわからないのデス」
肩を落とすローズに、ゴレミがそう声をかける。ローズの使っているマギロケーターは、風を飛ばしてその吹き抜け方で道がわかるというものだ。そして落とし穴は、発動前は床と変わらない。要はローズの魔導具では、落とし穴があるかどうかは判別できないのだ。
加えて落とし穴は道幅一杯の大きさがあり、踏まないように移動するということができない。また深さもあるため、落ちれば這い上がるのも極めて困難。そうなるとジャンプして飛び越えるか縄などを張って床を踏まないように移動するか、あるいは通路そのものを迂回するかということになるのだが、初めてこの層に足を踏み入れたゴレミ達に事前準備などあるはずもなく、選べるのは「落とし穴のある通路を進むのを諦め、別の場所から迂回する」という答えのみであった。
「俺一人なら、こんなもん飛び越えりゃいいんだがなぁ。お前らだって頑張りゃいけるだろ?」
「全力でジャンプすればギリギリ行けるとは思うデスけど、常にベストな距離が出るわけじゃないのデス。失敗したら死んじゃうのデスから、やるわけないのデス」
「そうじゃな。正直妾は跳べる気がしないのじゃ」
ゴレミは走るのが遅いわけではないが、その体はかなり重い。特に今は片腕をなくして体のバランスを崩しているので、安定して三メートルの穴を飛び越えられると確信は持てなかった。
そしてそれはローズも同じだ。元々体を動かすことが得意ではないと自覚しているのに、そこそこの頻度で出現する落とし穴を毎回命がけで飛び越えるなどということができるはずもない。
「わかったわかった。ま、急いでるのはお前達の事情だから、俺はどっちだっていいさ。ならさっさと来た道を戻って、次はどっちに行ったらいいかを指示してくれ」
「わかったのじゃ」
ゴレミにもローズにも逸る気持ちはあったが、今はまだ一分一秒に命を賭けるまでには至っていない。故に努めて冷静であろうとするローズの指示で道を戻り、落とし穴で通れない場所をひとまず先送りにしたり、あるいは違う方向から回り込んだりしながら地図を埋めていく。
だがその作業は、当然今までよりも更に時間がかかる。どうにか一二層から一三層へと降りる階段に辿り着いたところで、ジャッカルがどっかりと腰を下ろした。
「ふぅー。んじゃ、今日はここまでだ」
「ぬあっ!? 何を言うのじゃ! まだ漸く半分を過ぎたところなのじゃぞ? 休んでいる場合ではないのじゃ!」
抗議の声を上げるローズに、しかしジャッカルは頑として譲らない。
「いーや、休む場合だね。ダンジョンに入って半日、外はとっくに日が暮れて夜のはずだ。これ以上は集中力が保たねーてのは、姫さんだってわかってんだろ?」
「妾か? 妾はまだまだいけるのじゃ!」
「そりゃ興奮してるからそう勘違いしてるだけだ。焦り、苛立ち、そういうもんが判断力を鈍らせて、とっくにヤバいのに『まだ行ける』って勘違いしてんだよ。
つーか、よく考えてみろ。ダンジョンは降りれば降りるほど敵は強くなり、罠も凶悪になり、道だって複雑になってくんだ。なのに俺達は休憩なしじゃ進めば進むほど消耗するんだぞ?
断言するが、このまま進むと次の階段に辿り着く前にゴーレムは壊れるだろうし、姫さんは死ぬ。それが望みだって言うなら好きにすりゃいいけど、そん時は俺が報酬を受け取れるように、ちゃんと一筆残しておいてくれよな」
「ぐっ、ぐぬぬぬぬ…………ゴレミよ、お主はどう思うのじゃ?」
ジャッカルのまっとうな指摘に言い負かされたローズが、渋い顔でゴレミの方を見る。するとゴレミは少しだけ考えてから、悲しい表情で首を横に振った。
「駄目デス、ローズ。多分ジャッカルが正しいデス」
「しかし、こうしている間にもクルトが……っ」
「わかってるデス。わかってるデスけど……そもそもゴレミ達が辿り着けなかったら意味がないのデス」
「おーおー、ガラクタのくせにわかってんじゃねーか! てわけだ姫さん。早く出発してーなら、我が儘言うよりさっさと休め」
「……………………」
不敬を問わないという言質をもらい、またダンジョンという圧倒的に自分に有利な場所に踏み込んだこともあっていつもの調子を取り戻したジャッカルの言葉に、ローズが憮然としながらも階段に腰を下ろす。
たとえ心では納得していなかったとしても、誰よりもクルトを心配しているであろうゴレミにまでそう言われてしまえば、それ以上反論することなどできなかった。
「…………クルトは、無事じゃろうか?」
簡素な保存食による食事を終え、ジャッカルが正面の壁際で目を閉じるなか、薄手の毛布にくるまって壁際に座り込むローズが、ぼそっとそんなことを呟く。すると最初の不寝番を買って出たゴレミが……ジャッカルがいる手前、中の人がいる設定を続けている……ローズの側に腰を下ろす。
「大丈夫デスよ、ローズ。ほら」
ゴレミの右手が、そっとローズの手を取って自分のお腹に押し当てた。とは言え服の上から触ったところでくぼみの奥で回る歯車の回転などわかるはずもない。
「むぅ、何もわからぬのじゃ」
「こういうのは雰囲気でわかったことにしておくのデス! ちゃんと歯車は今も回ってるデス! 本当は見せてあげたいところなのデスが……」
「ふふ、確かに好いてもいない男に肌を晒すのは、乙女のすることではないのじゃ。妾としても彼奴の前でゴレミのスカートに頭を突っ込みたくはないのじゃ」
壁際で眠るジャッカルの方をチラ見したゴレミに、ローズも苦笑して頬を緩ませる。たとえ寝ているのだとしても、そんな姿を見せたいと思わないのは当然の乙女心だ。
「だから今は寝るデス。それともどうしても眠れないなら、子守歌でも歌うデスか? 今なら膝枕のサービスもつけるデスよ?」
「ははは、魅力的な提案じゃが、遠慮しておくのじゃ。二番目の不寝番はジャッカルじゃからな。そんな姿を見られたら、恥ずかしくて顔から火が出てしまうのじゃ。
おやすみなのじゃ、ゴレミ」
「おやすみなさいデス、ローズ」
毛布の中に手を引っ込め、キュッと身を縮めて目を閉じるローズに、ゴレミは優しくそう告げてから少し離れる。ダンジョン内ではたき火で光と熱を維持する必要もないし、ここに魔物が入ってこられないことをゴレミは知っているので、本当にすることがない。
「マスター…………」
なのでゴレミは、改めて自分の腹に手を当てる。やはり服越しの手のひらでは何も感じることはないが、そこには確かにクルトの意志を感じられる。
「絶対に助けに行くデス。だからもう少しだけ待っていて欲しいデス……」
小さくそう呟くと、ゴレミはそっと目を閉じる。そうして眠る代わりに、ゴレミは静かに祈りを捧げ続けた。





