狼狩り
「む…………ぬあっ!?」
翌日……ではなく、その日の朝。ベッドの上で目覚めたローズは、自分がいつの間にか寝てしまっていたことに気づいた。慌てて体を跳ね上げると、先に起きていたらしいゴレミが部屋の隅から声をかけてくる。
「おはようデス、ローズ。よく眠れたデス?」
「おはようなのじゃ……って、違うのじゃ! 体を休めるために横にはなっても、ちゃんとどうすればいいか考えるつもりじゃったのに、いつの間にか寝てしまっておったとは……一生の不覚なのじゃ」
「そんなことないデス。それにリエラも言っていた通り、ローズはちゃんと寝なきゃ駄目なのデス。マスターを助けるためにダンジョンに潜るにしても、寝不足の未熟者なんて足手まといにしかならないのデス」
「むぐ、それはまあ……」
突きつけられた正論に、ローズは言葉を詰まらせる。だが頭で理解していることと、心が納得することは別だ。
「ならばゴレミもちゃんと休んだのじゃ? 妾と一緒に寝ていたはずなのに、先に起きているとはズルいのじゃ!」
「ふふふ、ご奉仕メイドとしては先に起きるのは基本なのデス。それに人間の睡眠とはちょっと違うデスけど、ちゃんと休んでもいたデス。マスターの魔力を無駄にしたら勿体ないオバケが出ちゃうデス」
言って、ゴレミは自分の腹に手を当てる。今も服の下にある臍っぽい穴にはクルトの歯車が嵌まったままであり、ゆっくりと回転を続けている。
なお、回転速度が遅いとはいえこれだけ長時間歯車が回っていれば、魔力的にはもう十分ではある。が、ゴレミがクルトとの繋がりである歯車を自分の意思で体から外すことなどあり得ない。むしろ十月十日ほどこの感触を味わい続けたいと思っていたが、クルトと再会を果たせればすぐに消されてしまうので叶わぬ願いである…………閑話休題。
「それにしっかり休んで頭を働かせたおかげで、助けてくれそうな人を一人だけ思いついたデス」
「おお、そうなのじゃ!?」
「はいデス。決して好意的な相手ではないデスし、他の選択肢があるなら絶対に選ばないデスけど、この際仕方がないのデス。ということで……」
期待に目を輝かせるローズを前にそこで一旦言葉を切ると、ゴレミがニヤリと笑みを浮かべる。
「さあ、狼を狩りにいくデス!」
「あの、ジャッカルさん。何かジャッカルさんを訪ねてお客さんが来てるんですけど……」
「アァ?」
大通りからやや離れた場所にある、割と大きめの酒場。最近また活気を取り戻し始めたその場所で、舎弟の言葉にジャッカルが声を荒げる。その理由は……
「チッ、また勘違いした馬鹿が喧嘩売ってきたのか?」
クルトの言葉で原因が判明し、局所的に完全な魔力遮断を行うことでこの一年悩まされ続けた病をあっさりと完治させたジャッカルは、たった数日ですっかり調子を取り戻していた。
馬鹿にしていた男達は全員殴り倒し、馬鹿にしていた女達は取り戻した腰遣いでわからせる。文字通り実力で「草原の狼」のリーダーたる立場を取り戻したジャッカルだったが、その急変ぶりに対応できず、弱いままのジャッカルが自棄になってイキリ出したと勘違いした馬鹿に喧嘩を売られることが何度かあったのだ。
だから今回もそうだろうと、ジャッカルは手にしていた酒瓶をテーブルに置き、面倒そうに顔をしかめる。だが自分を呼びに来た舎弟の少年は微妙な表情で首を横に振る。
「いや、それが何か違う感じで……片腕のないゴーレムとドレスを着た女が、ジャッカルさんに話があるって……どうしますか?」
「ゴーレムに、ドレスの女?」
それを聞いた瞬間、ジャッカルの背中に嫌な汗が流れる。ゴーレムの片腕がなくなっていることや、そもそも一人足りないというのは気になるが、その組み合わせで思いつく相手など一組しかなかった。
「……奥に通せ」
「えっ!? でも……」
「いいから言う通りにしろ! それと変な手を出すんじゃねーぞ?」
「わかりました……何だよ、あんな女に気を遣うなんて、やっぱりジャッカルさんは――」
「テメェ!」
「ひっ!?」
小さく呟く舎弟の襟首を、ジャッカルが片手で掴んで持ち上げる。
「す、すみません! 俺は――」
「いやぁ、別に怒っちゃいねーぜ? だがもしそれが俺の考えてる通りの相手だったら、手を出すのは必ずお前が一人の時にしろ。絶対に俺を巻き込むなよ? 俺はまだ死にたくねーからな」
「ゲホッ、ゲホッ……え、あれそんなヤバい相手なんですか?」
ジャッカルの手が、襟首を離す。ドスンと床に落ちた少年が咳き込みながら問うと、ジャッカルは何とも苦い表情を浮かべる。
「女は多分、オーバードのお姫様だ。確かに俺達みたいなのは舐められたら終わりだが……皇族相手に尻尾を振るのを馬鹿にできるような大物がいるなら、そいつが城に突っ込んでみろってんだ。
それともお前がやってみるか? 成功したらお前が次の王様だぜ?」
「城……っ!? か、勘弁してください! そんなの絶対無理ですよ!」
「ああ、わかってる。わかってるから丁寧に連れてこいって言ってんだよ。ほら、さっさと行け」
「は、はい!」
シッシッと手を振るジャッカルに、舎弟の少年が飛ぶように走って行く。非公式クラン「草原の狼」は、アウトローな雰囲気に憧れる少年少女が集まる場所ではあっても、ガチガチの犯罪組織ではない。なのでここで「皇族なんてカンケーねーっすよ!」などと吐くような本物のイカレ野郎が所属していないのは、ジャッカルにとっても救いであった。
ということで、三人は何事もなく酒場の一室に集まる。舎弟が退室し個室の扉が閉まると、まずはジャッカルがその口を開いた。
「こんな狭苦しいところに、申し訳ありませんね。でもある程度秘密の話をするなら、ここくらいしかないんですよ」
「気遣い感謝するのじゃ。秘密の話というわけではないのじゃが、公にしたい内容でもないので助かるのじゃ」
下手に出るジャッカルに、ローズは特に物怖じした様子もなくそう答える。ローズ的には年上の相手や強面の軍人と拘わる機会も多かったので慣れているだけなのだが、ジャッカルにはその所作が「人の上に立つことに慣れている」と感じられ、内心で少しビクビクしていた。
(くそ、やっぱり本物だな……)
クルト達と別れてすぐ、ジャッカルは念のためにローズの素性を調べていた。すると最初に訪ねた探索者ギルドにて「ああ、確かにその人はローザリア殿下ですね」とあっさり肯定された。
探索者ギルドなどという巨大な組織で間違えることなど許されない皇族だと認識されているなら、もはや疑う余地などない。本物であっても本物だと押し通せるようなバックがあるにしても、ジャッカルからすれば対抗しようと考えるの烏滸がましい存在には違いないのだ。
「あー、それで? わざわざ俺のところに来るなんて、何かご用ですか?」
「うむ、実はじゃな、妾達の仲間であり『トライギア』のパーティリーダーであるクルトが、<底なし穴>で転移罠に引っかかってしまったのじゃ。独自の調査によってクルトが二二層にいることはわかっておるのじゃが、実力的に妾達だけでは助けに行けぬのじゃ」
「そこで目をつけたのがジャッカルなのデス! 確かジャッカルはもっと深くまで潜ってたデスよね?」
「ん? ああ、俺の到達層は二三層だから、そりゃ二二層なら行けなくはねーが……」
「なら頼むのじゃ! クルトを助けるために、どうかお主の力を貸して欲しいのじゃ!」
「ちゃんと報酬も払うデス! だからお願いするデス!」
「そんなこと急に言われてもなぁ……」
皇族に頭を下げられたという事実に強い優越感を覚えはしたものの、徐々に強まるクルトの歯車の力の影響で、ジャッカルはここ二ヶ月ほどはまともにダンジョンに潜っていなかった。なので突然最高到達層の少し手前まで潜れと言われても、即座に頷くことはできない。
(チッ、皇族に恩を売れる機会はもったいねーけど、命あっての物種だ。ここは断って……)
「ちなみに、報酬は一〇〇〇万クレド出すデス」
「い、いっせんまん!? マジか!? 物納とか、一〇年分割払いとかじゃなくてか?」
「当然なのデス。いつもニコニコ現金一括払いなのデス!」
「それにここで活躍してくれるなら、妾の方から兄様に話をしてもいいのじゃ。次期皇帝に名前を知られるのは、お主としても悪くないのではないのじゃ?」
「皇帝に、名前…………」
この一年で随分と貯蓄をすり潰し、またせっかく復調したのに異変のせいで今はダンジョンに潜れないジャッカルからすると、すぐに手に入る一〇〇〇万クレドはかなり魅力的だった。
またジャッカル程度の立ち位置では皇太子や皇帝に名を覚えられることを不敬と言われない程度で有効活用する術は思いつかなかったが、それでも「名を覚えられている」という事実だけで取り巻きの者達に大きな顔ができるのは間違いない。
「へ、へへへ……そうかそうか。まあそういうことなら、わかった。ならこの俺様が、ちょいと力を貸してやろうじゃねーか!」
「おおー、やったデス!」
「うむうむ、頼りにしておるのじゃ!」
こうして目先の欲に見事に流された狼を狩り、ゴレミとローズはクルトを助けに行くための戦力を確保することに成功したのだった。





