Sideダンジョン:後始末
今回まで三人称となります。
『ぬぉぉぉぉ…………ぉぉぉ?』
『スワセン……スワセン…………』
『ローズ! マスター!』
『おお、ゴレミ! ということは、妾は無事に試練を乗り越えたのじゃな! やったのじゃ! 一人でもやり遂げたのじゃ!』
『流石はローズ、凄いのデス! それで……マスター?』
『スワセン……スワセン…………』
『ぬぅ? クルトは一体どうしたのじゃ?』
『マスター、何があったデス!?』
『わからん……俺には何もわからん…………』
「……ふむ、どうやら無事に戻れたようですね」
元の場所……正確には封鎖されていた限定通路に入る直前の通常空間に妹たちが戻ったのを確認して、ベリルは軽く息を吐く。なおゴレミの希望により「一〇人の知り合いにいい感じのあだ名をつけるまでは帰れない」という罰に変更されたクルトは全く結果が出せず、正座でダメ出しをされ続けた結果死んだ魚のような目になっていたが、ベリルからすると些細なことなので気にしない。
「あちらはこれでいいでしょう。では私の方も、残った仕事を片付けなければ」
開いていた「窓」を閉じると、ベリルは布つきテーブルから立ち上がりつつ、やや黄色くなっていた唇を指で拭った。異界の女神の住居を再現したというこの場所は一見貧相であるのにやたらと居心地がよく、気合いを入れねばこの場で寝てしまいかねない。
「戻りなさい、『無貌の槍』」
瞬間、ベリルの手のなかに槍が戻った。前方の何もない空間に、ベリルはその槍を差し込んで更に言葉を続ける。
「パーペチュアルキーによりゲートを接続……さあ、行きましょう」
前方に出現した黒い渦に、ベリルは迷うことなく踏み込む。すると一瞬にして視界が切り替わり、無限に広がる白い空間から狭い地下の一室に移動した。
「…………誰だ?」
「おや、私が誰かわかりませんか?」
突然の来訪者に驚き、ハンマーを振るう手を止めた魔物に対し、ベリルは平坦な声でそう問い返す。するとその魔物はほんのわずかに逡巡してから、手にしていたハンマーを置いてベリルに向き直った。
「…………オレは処分されるのか?」
「いいえ、違います。ダンジョンの秩序を守るためにアルフィア姉様は貴方の再設置を提案しましたが、お父……ゴホン、創造主様によって却下されました。創造主様曰く『その多様性を集め、可能性を追求することこそダンジョンの本懐』とのことです」
「そう、なのか? ならば何故……いや、問うても答えてはくれんだろうな」
知性の封印は、そのどちらの本懐とも矛盾する。だがそんな当たり前の事を問うたところで、自分程度に答えを教えてくれるとは思えない。故に魔物は軽く首を横に振ると、改めてベリルに問いかける。
「では、何をしにここに? オレに何かを作らせるつもりか?」
「逆です。貴方が知性に目覚めたことは問題ありませんが、貴方が作ったものは大いに問題です」
「物? というと……」
「『門』です。そもそも外の世界とは違う空間にあるダンジョン内に、更に別の空間に繋げる門を作るなど言語道断。そのせいでダンジョン内の空間接続が不安定になり、様々なダンジョンの特性が混線して入り交じるという問題が生じました。
この状況はダンジョン側として決して許容出来ません。故に貴方には、二度と『門』に類するものを作らないように要請します」
「要請? 命令ではなく、か?」
怪訝そうな声を出す魔物に、ベリルは上から見下ろすようにして答える。
「ええ、要請です。何かを『できなくする』のは、主の求める多様性や可能性を狭めることに繋がりますから。それに禁止というのは、何処までを禁止にするのかが難しいのです。貴方の思考、発想をいちいち検閲し、どれが駄目でどれがいいかを判断するのは手間が掛かりすぎるのです」
「ふむ、それは確かにそうだな」
技術というのは、思わぬところで繋がっているものだ。「門」を作るのに使った技術や知識を命令で禁止されてしまえば、それこそ魔物はハンマーを持つことすらできなくなってしまう。
かといって全ての発想をチェックされ、あらゆる可能性を検証してから作業に入るなどとしたら、剣を一本打つだけで何十年もかかってしまう。それが現実的でないことは、職人である魔物にも十分に理解できた。
「ということで、我々は貴方が何かを作ろうとすることを咎めません。ですが作り上げたものに少しでも疑わしいものがある場合は、使う前に事前に問い合わせなさい。
もしその手間を怠り、同じような被害をダンジョンに出した場合は……」
「わかった。オレも消されたくはないからな」
「賢明な判断です。では、これで」
幾つもの疑問を飲み込みながらも了承した魔物に、ベリルは満足げに頷いて会話を打ち切る。そのまま部屋を出ようとして細い縦穴に頭を突っ込んだが……
「む、これはなかなか…………狭い…………!?」
「お、おい……そこは通気口だ。出口はこっちだぞ?」
「…………ああ、そうでしたか。では、失礼します」
魔物に言われ、今度は壁の棚を足がかりに部屋の外に出る。そうして一面の銀世界に辿り着くと、ベリルは最後の仕事をこなすべく槍を高く掲げた。
「では、ここの歪みを片付けて終わりにしましょう。パーペチュアル――!?」
バリバリバリ……パリィン!
ベリルがそれを言い終えるより前に、突如として空が割れる。その隙間からボタボタとこぼれ落ちた黒い雫が次々と形を変え、雪原を数え切れないほどの黒い魔物が覆い尽くす。
「「「グルァァァァァァァ!!!」」」
「おや、そちらから来てくれましたか。なら手間がなくていいですね」
大地を震わせる魔物達の咆哮に、しかしベリルは一切動じない。頭上に掲げていた槍を戻し、胸の前でまっすぐに立てる。
「目覚めなさい、『無貌の槍』」
瞬間、ベリルの周囲に無数の武器が出現した。剣、槍、斧、弓、多種多様な九九の武具が、黄金の波紋を纏いながら宙空に浮かぶ。
「薙ぎ払いなさい、『無貌の槍』」
槍を持つ手を横薙ぎに振るえば、九九の武具が一斉に飛び立った。突き刺し切り裂き叩き潰し、渦巻く暴虐の烈風が周囲の魔物を襲っていく。
「ギャァァァァ!?」
「ゴァァァ!」
「クェェェェ!?」
斬られ千切られ潰され貫かれ、五桁を数える魔物の群れが雪原の染みと成り果てるまで、わずか一分。一方的な虐殺を終えたベリルは、汗の一つもかくことなく……機能としては備わっている……小さく息を吐いた。
「ふぅ、まあこんなものでしょう。今日は随分とミカンを食べてしまいましたから、少しは動かないと太ってしまいますからね……フフ」
なお、流石に太る機能はない。が、そんな冗談を独り言として口にするくらい、ベリルは上機嫌だった。
理由は当然、久しぶりに会った妹に甘えられたからだ。それに比べればこの程度の羽虫を払う労力など何ほどのものでもない。
「では改めて……パーヘチュアルキーによりゲートを接続。障害の排除は終わりました。こっちに来て仕事をしなさい、ジッタ」
「はーい!」
黒い渦から現れたのは、黒いシャツと赤いホットパンツを身につけた一〇歳くらいの少女。ジッタと呼ばれた少女は興味深げに周囲を見回すと、その惨状に声を上げる。
「うひゃー! 相変わらず派手にやったねー。片付ける方の身にもなってよ!」
「何を言っているのですか。貴方なら一瞬でしょう?」
「まあそうだけどね! んじゃ早速……現れろ、『黒の水底』!」
ジッタが手を伸ばした先に出現したのは、平たい石の台座に乗った名の刻まれていない墓石。それがクルリとひっくり変えるとまるで杯のようになり、その内側には血のようにどろりと濃い無明の闇が揺蕩っている。
「満たせ、『黒の水底』!」
ジッタがそう命じれば、雪原に飛び散っていた黒い染みが全て逆さ墓の杯に吸い込まれていく。ほどなくして雪原は元の白さを取り戻し、一仕事終えたジッタは姉の方に笑顔を向けた。
「ふー、おしまい! じゃあボクはこれで……って、あれ? ベリル姉さん、何かいい匂いしない?」
「そうですか? 気のせいでは?」
「いーや、ボクの鼻は誤魔化せないよ! 柑橘系の果物……だけじゃないね。もっと甘いっていうか、優しい匂い……?」
「ふむ? 私は感じませんが、ひょっとしたらイリスの匂いかも知れませんね」
「イリスちゃん!? え、なんで!? イリスちゃん来てたの!?」
「ええ、少し前に来ていましたよ」
「なんでボクを呼ばないのさ!?」
「何故呼ぶ必要が?」
「あーもう! わかってるんだからね! ボクがいるとイリスちゃんと遊ぶ時間が減るから呼ばなかったんだ! そうに決まってる!」
「私はただ、仕事とプライベートを分けただけです。邪推はやめなさい」
「へー、そう言うこと言うんだ! いーよいーよ、ならボクだって、もうベリル姉さんに頼まれた『1/14 完全再現イリス人形』におはようとおやすみボイスを追加するって話はなしだからね!」
「……それは約束が違いませんか? 報酬は既に渡してありますよね?」
「基本料金だけだと、そこまではしませんー! あーあ、せっかくポージングの自由度もあげて、着せ替えだってできるようにするつもりだったのになー」
「待ちなさいジッタ。私達は話し合う必要があります」
「しーらーなーいー!」
開いたままだった黒い渦にジッタが消えると、その後を追ってベリルも雪原から姿を消す。こうして今日もまた、ほんの些細な犠牲と引き換えに、ダンジョンの秩序は守られるのだった。





